陸:裸漢湯煙
女が居ない風呂回とか
水の魔石に魔力を込めると、水が生成される。それを熱しながら行うとお湯になる。
この世界の銭湯ではそうやって生成された湯を汲んで体を流す。
「ちなみに最近の魔石は人工的に作られたものがほとんどだよ。例えば水の魔石は魔石に川の水を注ぎ込んで作るらしいよ。専門の職人がしているんだってさ」
「そうなのか……」
石の風呂椅子に座る俺の目の前には、大きな石釜がある。水がなみなみ注がれたそれを桶で汲んで使った後は、壁から生えた水口から滝のように注がれる。センサーの類は見当たらないが、重量で感知しているのだろうか。
「それにしてもすごいね、そんな小さな体でよくスライムを素手で倒せたね……」
「地下でなければもっと力技でねじ伏せられたんだがな……お前だって剣を振り回すには細すぎるように見えるが」
中性的で整った顔立ちではあるが、剣士として戦うならそれなりに鍛えているのだろうと予想していた。しかし、そうでもないようだ。
無駄毛の一本、傷の一筋も見当たらない体は一見すると生娘に見えるほどだが、股座に付いているものが辛うじてそれを否定していた。
「魔力を身体強化にも使っているからね。颯が気を帯びるのと同じようなものだよ。剣を持たないとそんなことも出来ないけど」
「なるほど……」
俺は下水の汚れも匂いもきっちり落として、湯船に浸かる。続いてアルバトロスも隣で艶かしい……ではなく、気の抜けた声を漏らす。
「ふぅ」
「んっ、ふっ……あはぁ~っ……!」
「……なんて声だ」
「はは、気持ちいいねー」
彼はいつでも元気というか、楽しそうに笑う。
まるで俺と彼で生きている世界が違うのではないかと思うほどに。
「君はいつも無表情だね。普段も、戦う時も」
「戦闘狂ではない。別に笑うようなことも、悲しむようなことも無いからな」
「じゃあ、颯は何を生き甲斐にしているんだい?」
「生き甲斐……」
体が温まるのを感じながら、頭の中で考える。
俺が生きる理由は、むしろ生前の未練と言ったほうが相応しい。
娯楽なんて前世の十分の一もない世界だ。それこそ酒、女、博打くらいなんじゃないだろうか。
「そういうお前の生き甲斐ってなんなんだ?」
「ボクは戦闘狂だからね。強い奴と戦うのは好きだし、強い奴も好きだよ」
「俺の生き甲斐……」
この世界に生まれてから、抱いた目標はたった一つだ。それは考えるまでも無い。
「俺は、人生をやり直したい」
「やり直す? そういえば、転生者なんだっけ」
「ああ。隼の、武神の弟子になる前は……俺が強さを求めるのは、人生をやり直すためだ」
気が付いた時には、俺は全てを吐き出していた。
他人を信頼していた人生、そして騙され、欺かれ、奪われつくされた人生。今こうして考えると自業自得だと分かる。自分勝手に自己犠牲をしていただけなのだから。
とはいえ、前世の俺はその教えだけが全てだった。あの頃の俺自身を否定する気は無い。できない。
だからこそ、今生でやり直したい。自分の知らなかった視点で、今度こそ力を振るう価値のある物を見極めて、最後まで守り抜きたい。
「それで、見つけられたの? 周りに理不尽を押し付けてでも守る価値のあるものは」
「……まだ何も」
「だろうね。周りに理不尽を押し付けられるようなヤツは、そこまで厳選しないもの。君はいい人だ」
「俺がいい奴……都合のいい奴、ならよく言われた気がするけど」
解れた体が、火照った頭が、俺の口から自嘲の言葉を滑らせた。
すると、コイツは笑った。ひどいくらいに慈悲深い、湯より暖かい笑みだ。
「君はもっと自分の欲望に耳を傾けるべきだ。もっとわがままになっていいんだよ?」
「分からない……俺には、難しい」
「君は同じ失敗をしないように意識するあまり慎重すぎな気がするよ。僕が君の隣に来るまでどれだけ苦労したことか」
確かに。最初はそのうち飽きて、どこかへ消えるだろうと思っていた。
しかし俺から何も与えられずとも、勝手に俺の後を付いてまわり、気付いたら横に並んでいたり、挙句の果てには先回りして情報まで提供してくれる。
「どうして、お前はそこまでしてくれるんだ。俺はお前になにもしてないのに」
「そうしたいから、じゃ駄目かな? 少なくとも、君は僕を相棒として受け入れてくれた」
「かなり強引だったがな……でも、やっぱり駄目だ。怖い」
どうすれば繋ぎ止められるのか分からない。だから期待も信頼もしたくない。
勝手に期待して、勝手に裏切られた。そう言われる屈辱を何度繰り返せばいいのか。
「いいと思うよ、別に。僕が勝手にしているだけなんだから」
「……どういうことだ?」
「みんな勝手に生きてるんだから、君が勝手に生きちゃいけない理由はないよ。仮に僕が君の元を離れたなら、君の期待を裏切ったなら、容赦なく僕を罵ればいい。怒りのままに殴りつけてもいい」
「そんな……そんなのは無理だ。俺には、できない」
「ふふっ、君のそんな気高いところが好きだ。だから僕は君に惹かれたのかもしれない」
「……上等な口説き文句だな」
「でしょ?」
いや、待て。今なんて言った?
「待ってくれ、今、なんて?」
俺は思わず口にしていた。彼の口から紡がれた一言が引っかかった。
「気高いって、言ったのか? 優しいではなく?」
「うん。君は自身が思っているよりも自分に厳しい。それは気高さであり強さだ」
「自分に厳しくすることが、強さか」
「だって、それは自分がそうしたいからそうしているんだろう? 誰かに強要されてるわけじゃない、自ら望んだ有り方として、厳かで慎重で優しい。だから、僕は君に惹かれたんだと思う」
ふと見ると、彼は俺を見ていた。
一度目が合って、もう視線を外せなかった。
その目があまりに真剣で、まっすぐに俺を見据えているから、不誠実なのは俺のほうだったようで……。
「ボクはボクの誇りにかけて、キミの傍にいると誓うよ」
「……お前が女ならどれほど良かったか」
今、彼が心のそこで何を思っているのかは、分からない。それを確かめるには、勇気を振り絞って信じるほかになく……。
「分かった。俺はお前を信じてみることにする」
「ほんとっ!?」
幼さの残る綺麗な笑顔はもはや、恋する乙女とさえ錯覚させるような愛らしさを発揮していた。
「でも、もしお前が裏切ったときは……」
「僕のこと、好きにしていいよ?」
「なっ……!?」
「ははっ! 冗談だよ! まあそんなこと絶対にないよ。君が僕を裏切らない限りね?」
挑発的にほくそ笑む。おそらくそれが彼の強さなのだろう。自身への信頼は自らが信じた物さえ含むのだ。
突然、彼は立ち上がったかと思うと、俺の目の前に手を差し出した。一糸纏わぬ白い肌、痩せ型の肢体を、一切躊躇せずにさらけ出しながら。
「何はともあれ、改めまして、僕はアルバトロス。よろしくね、僕の今生で初めての親友っ!」
水も滴る美少年の手を取った。俺にとって今生で初めての友人は、どうやら向こうにとっても同じだったらしい。