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伍:下水王国

スライムかわいい

 上水があれば下水もある。ともすれば生活排水というのは必ず発生するものだ。

 俺が今回請け負ったのは、スライムの駆除であった。


 じめじめとした洞窟のような通路と、横を流れるどぶ川のような水路は、まさに人間の環境への悪性を髣髴とさせる。


「しかしまあ、いるものなんだな。スライム」

「そりゃいるさ。彼らは僕たちの生活を支えてくれる大切な魔物だからね」

「ほう? 魔物が大切とは人間らしからぬ。どういうわけだ?」

「彼らは人間の排水や、それを餌にする害虫を食べてくれるんだよ。強酸で不純物を消化して、ぬめりをろ過してくれる。彼らの出す消化液は魔女が目当てにするくらい強力なものなんだ」


 俺の後ろを歩きながら、スラスラと解説するアルバトロス。俺とさして歳も変わらないだろうに、存外に博識だ。非常に癪だが、仲間に受け入れたのは正解だったかもしれない。


「でも駆除するのか?」

「この下水路ではスライムが生態系の頂点だ。捕食者が居ないから僕たちが駆除するしかないのさ」

「なるほど……スライムを食べる魔物って存在するのか?」

「一口にスライムって言っても形態は様々だから一概には言えないけど、スライムイーターっていう蛙が有名だよ。あとスライムは虫も食べるけど、虫がスライムを食べることもあるね」


 なるほど……しかし気色悪い虫に強酸性のスライムか。どれもこれも格闘とは相性が悪いな。

 武気を纏えば酸も問題ないが、そもそもスライムに格闘が通じるかどうか。


「君は相変わらず素手だけど平気かい?」

「駄目だったときのためにお前に同行を頼んだんだ。頼りにしている」

「っ! へへっ、もちろんだよ相棒!」


 浮き足立つような声だ。本当に変な奴だな。それはそれとして、いよいよ最初の遭遇だ。


「あれは……黒虫か」

「コクローチだね、見た目はあれだけど触覚を落とすだけで混乱するよ」


 暗闇に潜む虫は基本的に視力がほぼない。そのため二本の触覚が知覚の全てと言ってもいい。


「なるほど、これは……」


 俺が一歩踏み出すと、その大型犬のようなサイズのゴキブリは一瞬で距離をつめた。

 足元に来た頭を、瓦割りの要領で潰す。


「すばしっこいが動きは単調。攻撃手段も噛み付きしかないようだし、苦戦はしないな」

「躊躇いがなさすぎる」

「相手がどんな姿形をしていようと、戦いならばやることは変わらない」

「戦士だなぁ……雷光一迅、旋風疾走、僕の一太刀は千に当る!」


 淀んだ風が捻じ曲げられ、摩擦によって迸る雷光が、暗闇に潜む黒い影を断つ。


「まあこっちのほうが手軽で簡単だけどね」

「便利なもんだな」


 飛び掛ってくる大鼠を裏拳で弾き飛ばしつつ、アルバトロスの手際に感心する。

 風と雷の刃、触れるまでもなく放たれる近接から遠距離まで成り立つ攻撃。格闘では不可能な芸当だ。


 気の応用で似たようなこと……仙術が出来るらしいが、俺はまだその域には達していない。そも仙人ではない。


 最奥へと近づくたびに、虫や鼠は見かけなくなった。代わりにスライムをよく見かけるようになった。

 床、壁面、天井に至るまでが粘液塗れ。


「おっと」


 鼻先が触れるような距離で何かが落ちた。松明の明かりに照らされて、それが緑色のスライムだと分かった。


「頭上注意だよ。頭に覆いかぶされたら、穴と言う穴から入り込まれて内臓から溶かされちゃうからね」

「えぐいな……ところで増えすぎたスライムって駆除しないとどうなる?」

「増えすぎたスライムは下水道から溢れ、人間や家畜も食べつくす。そうするとスライムは知能を手に入れる」

「知能? スライムに?」

「まず単細胞から群生、群生から多細胞に、多細胞が集まって王国を作る。スライムからスライムキングダムへ……そして複雑な生き物になっていくらしいよ」

「スライムの国か……」


 魔物武協連盟のことを思い出す。

 異なる種族でも武術の元に集い、協力することで社会を構築した。


 そして九龍の魔王のうちに、スライムも含まれていた……なるほど、さすがにただのスライムではないんだな。


「あ、そうそう。最近は学習するスライムも増えているって話があるよ。物騒な話だね」

「ああ、そうだな」


 そして俺たちは行き止まりに突き当たった。

 水の流れが阻害せず、しかし立ち入ることを許さない、スライムで出来た壁がそこにあった。


「なんだこれ……スライムの壁?」

「だな。さて、そろそろお出ましか」


 後方から粘液のねばつく音が響く。ここまで無視してきたスライムたちがここまで追ってきたのだ。


「さて、腕試しだ。アルバトロス、手は出さないでくれ。口は出していいぞ」

「注文が多いね相棒は。スライムには核のあるタイプと無いタイプがあるよ」


 確かに、有るヤツと無いヤツがあるな。ひとまず打ってみるか。


「ふッ!」


 一番先頭にいる人間の頭ほどの大きさ、水滴のような形態の核持ちスライムに、踏み込んで直突きを見舞う。

 するとジェル状の体は水面を打ったように弾けて、核が露出した。


「その核を潰せば倒せるよ。そのままにしておくと魔力で粘液を修復するからね」

「なるほど」


 核を踏み潰し、次の相手を見据える。今度は核がないタイプだ。しかもさっきのよりでかい。

 

「無数のスライム細胞が魔力によって結合しているよ。打撃も斬撃も効果が薄いよ」

「細胞……」


 魔力で繋がった細胞。斬撃も、打撃も効果が薄い、か。


「物は試しだな」


 次の瞬間、アメーバのようなスライムが飛び掛る。


「颯っ!」

「ッ!」


 それを両手で払い、緊張した体を壁へと叩きつける。


「スライムに触れて……」

「スライム自体が酸性というわけではないなら触れられる。そして獣のように飛び掛るなら、獣のように触れられる。加減は難しいが」

「でも、やっぱり素手でスライムを倒すのは無茶じゃないかな……」

「いや、もう終わった」


 叩きつけられたスライムは、もう形を形成することはなかった。それはもはや、ただの水溜りだった


「衝撃だ。いかに極小であろうと一粒一粒に衝撃を伝えてやれば、きちんとダメージが通るようだ。タイミングはシビアだが」

「でも、その調子だとこの数を相手にするのは……」

「……確かに」


 だが、把握は出来たしコツも掴んだ。九龍の魔王と対峙したときのヒントくらいになるだろう。

 スライムには核を保護するための固体と、分裂を可能とする液体がいる。

 固体はコンニャクのように弾性を持ち、すばしっこい動きをするが、核に攻撃が届くなら倒すのは容易。

 液体は斬撃では分裂し、打撃では衝撃を殺されるものの、一粒の細胞自体は脆いので硬直・緊張したところを壁や地面に叩きつけたり、衝撃を加えることによって無力化できる。

 どうやら魔力によって連結は強化されても、細胞そのものの耐久度は高くないらしい。ただ<お互いの体をくっつけているだけ>なのだ。


 ……しかし、さすがにきりが無い。


「さすがに無理か……すまない、援護を!」

「つーん」

「お、おい!?」


 飛び掛るスライムから寸でのところで飛び退る。間一髪だ。


「どうした!? 何か問題か!?」

「思ったんだけどさ、いい加減に僕のことを相棒って呼んでくれてもいいんじゃないかな?」

「こんな時に何を……チッ!」


 右から飛んできた固体スライムを裏拳で弾き飛ばし、左から覆い被さろうとする液体スライムを張り手で突き飛ばす。

 上から落ちてきた液体スライムを足で受け止め、かかと落としで地面に叩きつけたものの、靴がちょっと溶けかけていた。


「僕たちはゴールデンペア、ベストコンビだと思うんだけどなぁ……」

「ぐぬ、ぬっ……」


 まずい、さすがに。このまま突っ切って逃げることも出来なくはないが、この場にアルバトロスを置いていったら関係は確実に悪化する。

 友人……かどうかは分からないが。スライムについての情報を貰った分は返す必要もある。


「分かった……あ、相棒、援護を頼む」

「いいとも! 纏うは跳ね火、尾を引く走り火、電光石火、火の粉の踊り子!」


 アルバトロスの剣が火炎を纏う。暗い水路を太陽のように照らし出し、周囲は火の粉が舞う。それは風に吹かれた紅葉がごとく。


「ッライ!」


 一歩踏み出し、∞の字をなぞるように下から斬り上げる。

 剣先が地面に最も近まったところから、地を裂くような火柱がまっすぐに走り、俺の左右を抜けてスライムの群れを蹴散らした。

 炎に炙られて、スライム細胞は水分を失い蒸発していく。


「これは、すごいな……」

「見直してくれたかい、相棒?」

「ああ……」


 いくつもの属性を持ち、高威力の魔技を操り、接近戦をもこなす器用さ。それはあらゆる局面に対応できる可能性を秘めている……不敗魔喧術、侮り難し。


 気が付けば目の前にはスライム一匹残ってはいなかった。


「俺もまだまだ修行が足りないな」

「相性が悪すぎると思うけどね。属性付きのガントレットとか使ってみたら?」

「叢雲流は素手が絶対だ。武具も防具も使えない」

「頑固だねー。でもそこが君の魅力だ」

「それはどうも」


 感謝、尊敬、推奨、憧憬……すべて一時の感情だ。人の心はすぐに移ろい、確かなものでは決して無い。アルバトロスが俺に抱いている友情に似た感情も、些細なことで変わってしまうに違いない。

 そう考えると、やはり……。


「どうしたんだい? そろそろ戻ろうか。そこそこ時間も経っただろうし。この壁のことも報告しないと」


 下水掃除、スライム駆除の依頼は決して高いものではない。

 いかにスライムが物理の効きにくい凶悪な魔物であるとはいえ、弱い魔法でも倒せるほどに虚弱だからだ。

 動きはやはり鈍く、火で炙るか電気を通すかで簡単に細胞が壊死してしまう。きちんと注意していれば、頭上から不意打ちを喰らうことも無い。

 動きの早い鼠や虫は戦士が、鈍足なスライムは魔法使いが処理する。それだけで終わる非常に簡単な仕事だ。俺みたいに単身徒手で潜り込むでもなければ苦戦するなどありえないのだ。


 だから下水掃除はどれだけ下水道に滞在したかという時間制で報酬が支払われる。


「そうだな。スライムとの戦い方もおよそ分かった。もうここに用はない」

「それじゃあ帰って早くシャワーを浴びよう。早く外の空気が吸いたいよ」


 俺はアルバトロスと共に、来た道を引き返そうとし……背後からの強い気、即座に振り返った。


「ん、颯?」

「構えろアルバトロス。コイツは洒落にならん」

「もう、相棒って呼んでって……なんだ、これ」


 恐るべき気の大きさに加え、魔力まで漂ってくる。

 スライムで出来た壁の向こうから、何かがやってくる。


「……っ!?」


 アルバトロスの火剣が照らす中、突然スライムの壁が膨らんだ。

 まるで帆が風を受け止めたかのような、風船のように丸みを帯びて、よく見ればそれは人間の形状を象っていた。


「油断するな」

「そっちこそ、ビビッて逃げたりしないでよ?」


 染み出すように真っ青な人間が出てきた。

 否、あれは人間とは呼べない。どちらかといえば……人型のスライム。


「人間の形をしたスライムだなんて、はじめて見たけど……」

「俺もだ」


 まさか、こんなところに九龍の魔王が?

 こんな街の下水にいるものだとは。


「……警告、この先は、九龍魔王、水君の国。立入禁止」

「しゃ、喋った。スライムが……颯、どうする?」

「あんたが九龍魔王なのか?」

「否、我は使い。武侠仙人、その息子、水君歓迎、意思表示」


 なるほど、ギリギリだが友好的なことは伝わってくる。とりあえず敵意は無いらしいので、構えを解くことした。


「風の噂に、小鬼の村、貴方降臨。武協連盟、参加事実?」

「えーっと、そうだな。小鬼側に立つことになったが」

「水君希望、盟約交友、叢雲颯と」

「九龍の魔王が俺と?」


 とりあえず敵意は無いらしい。俺は既に魔物側として立つことになっているが、具体的に何か出来ているわけではない。

 それどころか小鬼の魔王に腕試しと称して殺されかけるところだった。


「颯と友好、実現可能?」


 別に構わない、そう答えようとして、ふと口をつぐんだ。

 ここで安請け合いなどして余計な手間が増えるのは望ましくない。正直に言うとめんどくさい。

 そも、よくよく考えれば偶然出会ったスライムの言葉を迂闊に信じるような真似は出来ない。


「それは、俺にメリットがあるのか?」

「我ら交友、即ち共存。下水処理、王国看過」

「そうじゃない。人間ではなく、俺がスライムと人間の仲を取り持つことで得られる対価、それを聞きたい」

「対価……」


 人型のスライムは、棒立ちのまま動かなくなった。

 おそらく考えているのだろうが、ただのスライムに答えは出せないだろう。ただの使者なのだろう。それなのに、まるで武仙境の獣のような気の圧。


「戻って水君に伝えろ。タダで動くほど俺は善人ではない。行くぞ」

「えっ、あっ、颯っ!?」


 熟考しているスライムに背を向けて、俺は歩いてきた下水道を戻る。その動きに細心の注意を払いながら。


「まさか、君が魔物と繋がりを持ってるなんてね」

「短い間だったが、世話になったな」

「つまらない冗談やめてよ。僕がそんな薄情な人間に見える?」

「さあな」

「あーもう、ちょっと待ってよ!」


 肩を引かれ、振り向かされた。

 俺より少し背の高いアルバトロスの端整な顔が、手を伸ばせば届くほど近くにある。真剣な表情に、真摯なまなざしだった。


「僕は君から離れるつもりは無いよ。これから先もずっと」

「別に、好きにすればいい。俺はどっちでも構わない」

「……うん、そうする」


 誰もが安っぽい永遠を口にする。ここでもさして変わることは無い。

 ずっと友達だとか、愛は永遠だとか、そんな言葉を真に受けられるほど、俺は若くない。


 それを少しでも信じてしまったら、後々辛くなるのは目に見えてる。


「いつかきっと、君から信頼を勝ち取ってみせるよ」

「俺は……」


 不憫だと思った。俺なんかに時間を費やして、もっと有意義な時間の過ごし方ならあるはずだ。

 心変わったとき、きっと時間の無駄だったと後悔することになるのに。


 そして、それは俺自身にも言えることだ。


「自分の事で精一杯だ」

「いいって。僕が好きで付き纏ってるんだから、それを許してくれるだけで嬉しいよ」


 まったくお優しい……いや、物好きなことだ。

 外の明かりが見えてきた。早く帰って汚れと臭いを落としたい。

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