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壱:現実無情

オッス、オナシャス

 ――声が聞こえる。


「いいかハヤテ! 俺みたいに強く、優しい人間になるんだ! そうすれば、お前もママみたいな美人さんと結婚できるぞー?」

「もう、あなたったら……大丈夫ですよ、あなたと私の子ですもの。きっとあなたみたいないい男になりますよ」


 懐かしい……親父とお袋の声だ。

 そうだった、そういえばこんな声だった。もうしばらく聞いていなかった。


「大丈夫、お前なら出来るさ! だから強く、優しい男に……」


 ダメだ、それ以上、先に行ってはいけない。そう思った瞬間にはもう遅い。

 毎度のごとく、親父の体はトラックに轢かれて肉と骨だけになった。何度目だろう、これを見させられるのは。


「分かって頂戴、私一人ではアナタを育ててあげられないの、だから……きゃっ!」


 まだ小さくても、お袋が何をしてたのかは分かった。知らない男にケツ振って、知らない男の上で腰振って稼いだ金で、俺は育てられた。

 お袋の相手は金の羽振りは良かったが、俺のことは反吐が出るほど嫌いだったらしい。俺が血反吐を吐くくらいには殴られ、蹴られ、投げられた。


 でもまあ、俺もいつまでも無力な子供ではない。耐えて耐えて、耐え続けて……強くなった。そう、俺は親父の言うとおりに強くなった。そして優しくあろうと思った。あんなクズみたいな強いだけの男にはならないって決めた。

 そうすれば、親父みたいな強くて優しい男になれる。


「ごめんね……ごめんねハヤテ……」


 お袋が病気になると、あのクズはすぐにお袋のことを見捨てて別の女を作りやがった。

 せめて孫の顔くらいはお袋にみせてやりたくて、結婚して子供も作ったが、間に合わなかった。


 それでも俺には愛するべき妻と子がいる。俺の人生は終わらない。

 理不尽な上司の叱責にも耐えた。毎日の残業も耐えた。部下にも優しく接して、下げたくない頭も下げて、強く、優しくあろうと心がけてきた。そうやって妻と子供のために稼いできた。その結果が……


「ごめんなさい……私もう、この人じゃないとダメなの……」


 妻は俺を裏切った。俺の知らない誰かに妻は寝取られて、子供を連れて、どこかへ行ってしまった。

 俺はそれを見送ることしか出来なかった。その男を殴り飛ばしたところで、妻の心が俺に戻ってくることは無いだろうからだ。だから仕方ない。そう思うしかなかった。


「大変言いにくいことなんだが、君の解雇が決定した。悪く思わないでくれ」


 この上司は悪くない。確かに社会は不景気だったし、俺以外にも辞めさせられたヤツはたくさんいた。むしろ申し訳なさそうな表情が胸に刺さるくらいだった。

 だから俺は承諾した。もう養うべき妻も子供もいないのだ。貯金は食いつぶされてしまったが、家はある。俺一人の生活くらいどうとでもなるさ。


 でも、それじゃあ……俺はこれから、何のために生きればいいんだ?

 強さを説いた親父も事故で死んで、女手ひとつで育ててくれたお袋は病気で死んで、最愛だと思っていた妻は寝取られて、育てるべき子もいない……。


 せめて友人の一人も居れば違ったのだろうが、残念ながら俺に友人はいなかった。友人が作れなかったのではない。友人というものが分からなかった。

 俺は親父の言うとおり強くなった、優しくなった。でも友人とは助け合い、支えあえる存在のことだという。俺は、支えられたことがない。俺を支えてくれる人間に出会ったことは無い。


 親父も、お袋も、俺と一緒に居てはくれなかった。誰もが俺の優しさに甘えて、俺の強さを頼った。道具のように。

 気が付けば、目の前には広く、青い海。黒い岩肌に、白い飛沫を上がっている。


 そうだ、そうだった。俺はそうやって……死んだんだったな。




 冷たい刺激に、俺は飛び起きた。


「ぶっ!? ごほっ、がはっ! この起こされ方ほんと慣れないッ……!」

「目覚めたか。もうすぐ夕餉の刻限だ、火の準備をしておけ」


 体はびしょ濡れ。水ぶっかけて起こされるなんて本当にあるものだ。

 起き上がって振り返れば、そこにはいつも仁王立ちしたアイツがいる。


 竜虎の刺繍がなされた紫の道着服を纏う、カンフー映画にでも出てきそうで、仙人のような白い髭をたくわえた老人。

 しかし、その肉体は服の上からも分かるほどに隆起し、決して只者ではないことを一目で見る者に理解させる。

 この世界において武神と呼ばれる最強の男にして、今生の俺の親父だ。


「……分かったよ、親父」


 東西南北を囲う山岳の谷間、そこにひっそりと存在する寺院……現在、俺は異世界でこの親父から武技術を学んでいる。





 月並みの言葉で言えば、異世界転生だと親父は言った。珍しくはあるが、無い話ではないらしい。

 遥か昔にとある武人のうっかり放った技のせいで、世界と世界が繋がってしまったという。物理的には繋がっているわけではないが、魂が流れ着くことはあるという。

 俺は目の前の親父こそがその張本人だろうと予想している。


 物質と物理法則に囚われない魂は、己の意思と縁に導かれ、因果に惹かれて流れ着くらしい。そうして流れ着いた魂は受肉し、赤子となってこの世界に生れ落ちる。

 

「そしてお前は我が足元にたどり着いた。この叢雲の元に」


 火で焼いただけの魔獣の肉、仙境ならぬ仙武境の桃。この親父は武に関しては天災が如くあれど、調理に関しては肉を焼く事と果実を取ることしか出来ない。武神は武にしか興味が無いのであった。男の料理どころではない。

 筋張った肉を必死で噛み切りながら、強引に飲み込んでいく。口の中に残った臭みは、甘い桃と汲んできた水で流し込む。


「兎にも角にも、その強さを求める意思がお前をここに誘ったのだろう。我ながら面白……いや、厄介なことを抱えてしまったようだが、安心するがいい。この叢雲の子となったなら、最強の名は欲しいままよ。さもなくば死ぬ」

「死ぬのか……」

「一度落とした命だ、惜しくはあるまい。文字通り死ぬ気で励めばよい。武力は努力を裏切ることはない」


 武力……己の五体に気を纏わせ、戦う力。

 この世界は異世界特有の剣と魔法のファンタジーらしく、勇者がいれば魔王もいて、人間がいれば魔物もいるという。

 ただひとつだけ珍しい要素があるとすれば、この武力というやつだ。


「親父、やっぱり信じられない。魔法も大概だが、武気というのは……」

「馬鹿者、武気に勝る武器無し。拳は刀剣を折り、脚は魔法をも砕く。五体をもって地を裂き山を穿つが一流の武人というものだ」

「生きた自然災害みたいだな……魔法も似たようなもんか」


 魔法も燃やしたり津波起こしたり雷落としたりするし。


 親父の五体は、そこまで太くは無い。かなり鍛えこんでいるものの、ボディビルダーのような筋肉の塊ではないし、とても地を裂いたり山を穿つような肉体とは思えない。

 そんな常人離れした所業を可能にするのが武気というものらしい。


 自分でも信じられないが、現に俺も武気を拳に纏わせて、岩を削ったり、木を圧し折ったりした。前世の常識で考えて、とても八歳の子供の体で出来る芸当ではない。


「さすが我が息子。物の見方というものが備わってきたようだ」


 もうここで過ごして八年になるが、未だにこの人から息子と呼ばれるのは違和感がある。

 俺が転生した人間だと知っていながら、どうしてここまで実の息子のように接することが出来るんだ?


「……なあ、親父」

「なんだ」

「俺は、強くなれるか?」


 夕方に見た、前世の頃の夢。

 こうして転生したものの、今の俺に生きる理由は無い。成り行きで生まれ、そして成り行きで生きている。そして生きるなら、強くなるに越したことは無い。


 そうすれば、あんな思いはもうしなくて済むはずだと思っている。


「お前の前世の話か」

「……そう」


 賢者のような面持ちで、親父……叢雲ハヤトは箸を置く。


「お前の話は何度か聞いたが……お前と前世の父は致命的な勘違いをしている」

「俺と、前の親父が? いったい何を……」

「強くなる、これは良い。だが優しくする必要はない」

「優しくする必要は、ない……?」


 目の前にいる、誰よりも強いという男から、そんなことを言われた。

 前世の親父より、遥かに強い男が優しくする必要は無いと。


「例えばハヤテよ、動物は好むか?」

「動物は……嫌いじゃないけど」

「では、その動物がお前の目の前で飢え、餌をお前に乞う。飢えて死ねば、頭上の鳥が喰らうだろう。お前は餌をやるか?」

「それは……持ち合わせがあれば、おそらく」

「それが虎で、己が身を捧げることになってもか?」

「虎ぁっ!? いや、さすがにそれは……」


 野良猫に餌をやったことはある。今となっては人間より動物のほうが親しみやすいとすら思う。

 でも、さすがに虎に自分の肉を割くなんて無理だろ!


「では、蜘蛛の巣に囚われた蝶がいる。お前はその蝶を解放するか?」

「それは……する、と思う」


 どうだろう。実際にそんな状況を目にしたことは無い。ただ、心の内では助けてやりたいと思っている。


「それで蜘蛛が餓死するとしてもか?」

「それは……」

「どちらかに与するということは、それと相対する者に仇なすということ。得られるはずだった獲物を逃され、掴めるはずだった勝利を遠ざけられ。収められるはずだった富を横取りされる……お前は優しさというものを勘違いした。それが敗因だ」

「それは違う! 俺は誰にも優しく、正しくあろうとしただけだ。それが強いやつの義務だと、親父は……」


 それが人間の在るべき姿だと、そう言い聞かされていた。 

 

「強さとは力の総量だが、優しさとは力の使い方だ。しかし、それに気付く者は少ない。お前の前世の親もな。考えてもみるがいい。誰にでも優しいということは、即ち何時でも誰もの敵となり得るということだ」


 ああ、そんな、そういうことだったのか。

 誰も俺を助けてくれなかったのは、彼らが恩知らずだったということじゃない。いつ敵になるとも分からない俺を、誰もが厭んでいたのか。


「行使される力とは、如何なる理由あれど全て理不尽なものだということを」

「じゃあ、俺は知らない間に理不尽を振りまいていたっていうのか……?」

「この馬鹿者、逆だ。自分にのみ理不尽を強いていたのだ。自分に優しさを向けられず、自分に向けられた理不尽に対し、

て自分の抱えた理不尽を、自分以外に突き付けられなかった。お前はそれを教わることが終ぞ無かった」


 自分のために力を振るう……考えたことがなかったわけじゃない。だがそれは、一度は憧れた親父のあり方を否定するようで、嫌だった。

 だが、答えはすでに出てしまっている。その生き方が間違っていたことも、俺が間違っていたことも、俺の死をもって証明されてしまった。


「二度目の今生、お前が生きる理由はたった一つ。力を振るい、理不尽を振るう価値のある物を見つけることだ」

「理不尽を振るう価値のある物……」

「食か、酒か、女でも良い。拳を交わすことに狂喜するでも良い。掴むべき幸福を見つければよい」


 何もかもが、俺の手の中から奪われていった。誰も俺のために力を振るってはくれなかった。

 だから今度は俺自身のために力を振るえという。だが、それをする理由が俺には無い。


「ハヤテよ。儂はお前が10になるまでに、お前が十分に生き延びられるだけの力と技を与えよう。それを持って旅に出るがよい」

「自分探しの旅でもしろと?」

「力を欲するならば他流と拳を交わす経験も必要となる。15までこの地に戻ることを禁ずる」

「10歳で家を追い出されるのか……」


 どんなスパルタ教育だこれは。まあ、そのおかげでこの五体は騎士の剣よりも鋭く、盾よりも堅いのだが。


「生き方は問わん。15まで好きに生き延びてみせよ」

「村々から物資を略奪する盗賊の長とかになってもいいのかよ?」

「馬鹿者が。言っただろう、力を行使するというのは理不尽であると。儂に許可を得る必要すらないわ」


 一見理不尽に思えて、しかし力ある限りの自由を認める懐の深さ……そうか、これが俺の、今の親父か。

 

「分かった」


 そして、二年……俺はまさしく五体に大山鳴動させる力を身につけた。


 澄み切った青空を見上げ、故郷の郷を思い出していた。


「伝授完了ッ! あとはお前次第だ。死線を潜り抜け、五年後に見事その姿で足ってみせよッ!」


 そう言って送り出された俺は今、ようやく最初の村にたどり着いたところだ。

アリャーッス

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