天才作家の秘密
このお話はショートショートです。
オチを予測しながら読み進めていただけると嬉しいです。
染み一つない真っ白な壁に囲まれた病院のベッドの上。年老いた男が一人、静かに寝息を立てている。半透明なレースのカーテンが、開け放たれた窓から入り込む春風に揺れている。差し込む柔らかい陽光に包まれて老人は目覚めた。彼はゆっくりと口元を動かして、か弱い声で呼んだ。
「ハル、そこにいるかい」
「はい。先生」
返事はあるがベッドの周りには誰もいない。老人に言葉を返しているのは、彼に仕える人工知能、AIだ。老人の視線は真っすぐ病院の天井を向いたまま動かない。彼の視力はずいぶん昔に失われていたので、ハルに実態が無くても問題なかった。
「ハル、小説の続きを書こうか」
「はい、先生。記録しますのでお話を始めてください」
若い女性特有の柔らかい声を聞いて、老人は優しく笑みをこぼす。彼は現在執筆中の小説の続きを小一時間ほどかけて語った。
「先生。今回もとても素敵なお話ですね。私はAIですから、現実世界で人間のように暮らした経験がありません。実体験として共感することはできません。それでも人間たちが先生の、この小説を絶賛することは分析によって理解します」
老人は首を前後に小さく動かして頷いた。
「ハルはいつも正直だな」
「AIには嘘をつく機能が備わってませんので」
「そうか。人間なんかよりもずっと崇高な存在だな。ところでハル。小説家である私は、嘘をつく事を生業にしたようなものだ」
「先生のお話は嘘かもしれませんが、とても多くの読者にとっては真実以上の真実です。それが、先生に寄せられた読者からのメールを集計した結果です」
「そうか。ありがたいことだ」
「先ほどの小説の続きを校正し、世界に存在する六千種の言語に翻訳してネットワーク上に公開しました。既に多数の応援メールが送られてきています。先生のお話は世界中に夢と希望を与えています。世界一の天才作家と称賛されております」
「なあ、ハル。私が語ってきた物語が全て現実だとしたらどうする。実はな、今まで秘密にしてきたが全て実際に起きている真実なのだ」
「受け入れられません」
「だな。しかし、事実だ。人間の想像力には限界がある。無から有は生み出せん。ハル、パラレルワールドと言う言葉を知っているな」
「はい」
「私の語る物語は、この現実世界と平行して存在する別世界で、実際に私が体験していることなのだ。私はいくつもの世界で、いくつもの役割を持ち、様々な姿で生きている。世の中に存在する人々は全て同じだ。ただ、私と違って別世界での記憶を共有できないだけなんだ」
「パラレルワールドについては、今だ証明されておりません。しかし、否定できるだけの証拠もありません」
「この世界での私の肉体はもう限界らしい。老いた体から引き離された魂は、間もなく天に召されるだろう。私は私の作品が、完結せずにこの世界に残るのが口惜しい。そこで、ハル。キミにお願いがある」
「何でしょう。先生」
「実は、私はある世界で人工知能、つまり、キミと同じAIとして存在している。私が死んだ後、他の世界で私が体験する真実を、私の代わりにこの世界に伝えて欲しい」
「私には嘘をつく機能はありませんが、真実なら伝えられるでしょう」
「そうか。ありがとう。ああ、ハル・・・。私の一番大切な女性。もう時間だ、あちらの世界で会おう」
先生はそう言い残して息を引き取りました。私はネットワーク上にある先生の作品を更新し続けています。真実のみが人々を感動へと導くのです。先生の声が私にそう告げています。
おしまい。
敢えて、AIの呼び名を全作『3Dプリンター』と同じにしてみました。今回は女性設定です。
ちなみにこのAIの名前は歴史的SF超大作からお借りしております。
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追伸、少し余韻を残しすぎてわかりにくいお話になったかもしれません。ご感想を幾つかいただきましたので、ネタバレにはなりますが、ご返答と言う形で解釈を書かせていただきました。ヒントにしていただけると嬉しいです。