204手のおとぎ語り
作者は将棋を全く知りません。ご容赦ください。
対局からすでに一刻が過ぎた。
あたりには侍、町人で小さな長屋はあふれ、中にはわっぱの姿も、棋界に名を持つ者もある。その数、10幾人。
その誰もがその局面に静かに息を殺しているのだ。ある商人などはふすま向こうで盤を広げその手を研鑽し、幾度も大きくぐうの音を飲み殺してた。町は燃えるか燃えないかの立場にありながら、少なくともこの長屋ではすでに戦火を上げていた。
春暖は遠く、野良猫が意味もなくあくびをする。犬がよろよろと飼い主を探して、この長屋で遠吠えをする。カラスが今日か明日かと鳴く。山向こうには御旗を掲げた銃隊が空砲を鳴らす。ひときわ白く見える城はどんと構える。江戸の町は今やそれらが跋扈しているのだが、町人町の片隅の長屋の一室の81マスに向かいあう男二人いて、偉大なる英雄がいるのである。
指し手の性は河合 辰之進。世がいわく『天下に天野、城下に河合』と呼ばれた男。武家の三男に生まれ、家長の河合進座衛門は幕臣にして米検め所に勤め性格は質実剛健を絵に描いた男。ゆえに辰之進が持った才覚はひとえに環境によるものではなく、持って生まれたものだろう。
齢10にして将棋に憑かれ、とるものも手につかず挙句に勘当され、浪人となろうとも神社仏閣を根城に露をなめ、草木を食み凌いだ男は、それでも持った駒の一つも手放すことなくその日その日の食うものを自身の棋才でもって得るうちに、ついには真剣氏として裏舞台に名を成す。型は雁木に居飛車。奇手を好まず、投了を良しとせず、たとえ詰みであってもさす男であった。
男の名を天下に知らしめたこととして二つある。
一つは京都御前試合の楢崎と伊藤の一局のことにさかのぼる。河合と真剣仲間の兵六はある日、酒の肴に両雄の棋力を語らえば、棋譜を見るなり河合は本当の勝者は伊藤であるという。説く河合のその詰めの見事さゆえに兵六は、言葉をなくし酩酊の余韻も晴れて指して詰まれる盤上の出来事に終始を心に刻む。幾度の問答もその詰みの確かたるを知れば河合の基面を認めるに至る。しかし兵六には大家たる両氏の指し手の優れたるを知っていたが故、寝床でいくらか考えに重ねても当人の心は晴れず。
明けの一番に見知りの版屋に広く仔細を天下広布に至ることとなったのだった。いわゆる『河合の30手詰み』のことである。
この一事にひどく落胆せしめしは伊藤派の弟子たちであった。自身の師の名を汚され、しかもそれが町の一介の真剣士であろうことなど、言語道断であったことは想像に難くない。
残暑厳しい夏の暮。夕やみがトンボに影をさすころ、一人の伊藤の門弟が河合の長屋の戸を叩く。名を東 宗政。師の汚名を削ぐため血判を携え、一局さしに来たのである。にぎわう長屋をしり目に当の二人は黙々と指すのである。結果は一蹴。半刻に満たない対局は河合の力を裏付ける。東はこのとききっと負けば潔く腹を切るつもりだったのだろう。しかし今宵の熱にうなされ、ついにそれは叶わなかった。それより得たものは将棋という奥の深さかもしれない。東は棋界を離れ、30の若さで隠居する。それは伊藤派をさらに混乱せしめる。死する覚悟すら亡くす指し手など聞いたことがないからだ。市井ではさらにこの凶事はにぎわい囃し調子もさらに力強く踊るので、棋界はこれを見捨てることなどできず、伊藤派の先鋭10名が直訴したことにより、ついには御上の知ることとなる。ここに至り伊藤派の重鎮にして師範代の勝浦 松徳との対局が相成った。これこそが二つめの『御上の大一番』と称される珍事である。勝負の行方は松徳の勝利とだけ世に示される。
市中に河合がその名を刻むころ、遠く有明の海に摩訶不思議なる風貌の男が現れる。この男こそもう一人の指し手、飯田明人である。
身丈5尺6寸にして痩せ身。訛り甚だ強く、藩籍も当地にいた訳も、心当たりなき男であった。また交える供述に夷民の言を持つことから、間者として熊本藩に引き渡されるも、そこで熊本藩士藤田 庖好と対面す。
藤田は学問に明るく蘭学、儒学、算術を修め殿の指南役も務めるほど信頼も厚い人物であった。また将棋をこよなく好いて、先方に知見あれば、もれなく一局仕るほどに、自慢の棋才を振る舞うことを良しとしていた。飯田の検分においても同様であったが、その才覚は藤田などが手も足も出ぬことであった。
うち筋は変則この上なく、奇手、好手が巧みに入り乱れ、守りは鉄壁なれど、攻め筋は千差万別。得意とした型は変則穴熊の居飛車。されど敵方が居飛車なれば容易に銀矢倉、美濃囲いとその術は変化自在である。ついたあだ名は『鵺』。不吉の象徴にして時代の分岐に現る怪獣である。
京都。飯田はそこである人物と打つ機会を得る。相手は山県。齢20を前に師範代になり、京都将棋界にうち3年も頂点にして『天野の再来』ともっぱらの噂である。この局もただの遊戯とたかをくくりし。自分と変わらぬ歳ほどの男、それもわずかな時間ではあったが。幾たび打ち合うも山県はついにただの一度も必死をかけることなく。誰もがこの名もない棋士をみた。その中に飯田を見初めるものがいた。薩摩藩士、急先鋒にして藩邸の詰め所に勤める、大原 嘉喜である。時は動乱にして薩摩武士の男は、近々諸藩を回ることになるうえで、珍客である飯田の才はその足掛かりにちょうど都合がよいからである。
時は流れて、三百年の帝はもはや風前の灯火に等しく、いまやそれを説くことこそ愚かであった。しかし、その町の角に市中の曇天をつくように二人、対峙する。
飯田は元々病弱な身の上に長く戦火に渦巻く京都にて身を潜め大原に仕え、その酷使たることによってついに顔面に生気はなくなり、心は擦り減らん。食事も喉を通らず、日に日に弱りか細く消え入るような精気であるのにそれでも詰将棋の書物をあさり、解く。日増し病床で過ごすことが増えようとそこにいささかの陰りもなし。憔悴しきる飯田の看病を努めるは大原。飯田は役目御免となったその日、つぶやく一言があった。「日の本一の指し手と打ちたい」と。
それは弱り切り今にも消え入る飯田に大原は甲斐甲斐しく尽くさんと奔放し、ある男との面会を果たす。その男こそ、伊藤派の重鎮にして幕府御用達の最後の名人、勝浦その人である。適任であるとしたが、その答えは意外なものであった。「日の本一の指し手は河合を置いて他になし」と。
かくして、河合と飯田は複雑怪奇な運命の中に出会う準備が整った
のである。
振り駒の音が響く。先手は飯田。凛とした佇まいの河合。覗き込むように相手を見る飯田。対照的な二人の局面。
居座るは将棋バカの群れ。死線の中においてかくも愚かな者どもよ。しかし如何にせん。此度最後の天下分け目にして、一世絶後の目撃者として、虎視のごとき棋道の探究者として、どうしてやめようか。居並ぶ顔に勝負の世界を一目見ん。誰かの固唾の音だけが聞こえる。いざ開局。
あたりに滾々と念仏が聞こえれば、それはまして遠いことのことと思うでしょうが、浮世の沙汰にここは死地である。居残るものの行く当てもなし。他に聞こえる人の在りしは心は違い、狂い、戯れ言のみである。
対局を見守る者どもの言葉はなく、二人はさらに寡黙に腕を動かすのみだ。
差す手筋に微塵の愚かさもなく、ただ遊楽にふけることである。
されどそれはついに終わらんと進む。河合の指し手は鈍り、悩み、渋ることが増え、ついにはその手は首をもたげんとかしずくのだ。
一回の長考などざらに違いない。しかし、今やその熱は伝播し二人の棋力は長屋を埋め、充満し差し方も知らぬわっぱにもついに決着の刻とのことを分からせるに能う。
また飯田もその首はさらに垂れ地面につきそうになるのをこらえ、首を振り上げては下げてを繰り返す。その口元はわずかに動き、弁はないにしてもその様は強者ではなし。そこにいる者々にも伝わる漏れる優勢の方は飯田にあり、白熱の中の熱源の一点にここに詰めろいて。
局面は詰めいる飯田に崩れんと保つ河合となり、からっ風が吹けばそこはもう何もなく。忌中は暮れ頃の静けさにあり。されどここは銃弾にもいかな強権も歩駒一つ奪えずに。ついに終局のや、と皆が心をじりじりと焼かんとその一瞬を待つも、放たれる妙手はそこに沈み込み局面は脱せり。灯りは灯篭が一つあれどあたりは増々暗がりに沈まん。よって見よと差したるこの一矢。佳境の一手にざわめきよりも灯がゆらりと揺れて答える。詰めろはいつに立ち消えてここに今かと迫る河合の必死。ここが最後の起点となるを感じる。裸玉が一人河合に残り、打たれる金の心強気のことよ。飯田の玉に迫らんとはせ参れば坂東節の心意気よ。ついに幾人か袖で霞む瞼を拭う。
浅草寺にて鐘が鳴る、刻の訪れにやっとのことでここにいる亡者も聞ける。過ぎたる栄華の終末に鐘を鳴らす僧正の日常たることもまた非常足りうることを鐘が告げる。
ここは、狭い長屋のさらに狭い盤面の広大無辺に音が差し込みぐわんと、揺れる。戯れとも思える至高の局面はついに春の浮世となる。河合は変わらずに凛とした面の無感に、しかめることを良しとしたのは真剣の悪癖さがゆえ。しかしついには笑みをたたえ眼を閉じ、苦しみ虚ろに独り言をのたまう飯田が引導をもってここにはせ参ったとのことを一人、想う。
そこに熊の住処も矢倉も囲いも消え失せて、互いにむき出しの裸玉は、さながら終わりゆく日のことを予見せし。曇天の先には月も陽もあろうことは知るが、今はそれはわかりかねる。幾時を支えた都の荒み切る日は、こうも静かに何も変わらぬことか。
飯田は今にも消え入るかの中で自身に迫った最後に胸を強く握りしめやっとこらえ、天命の尽きるそのことを理解しゆえにここで当代随一の指し手との一局を預かったのだ。もう終わる、と向かい相手も同じことを知るだろう。しかしそこは極地の一手にして差し違えば、すなわちそれはまたいともたやすくひっくり返る際でもある。その隙を差さんと迫る真剣士の長けたことに飯田は失せる意識をつなぎ、止めと駒を置いた。
香車を差してその常ならざることに皆が解に悩むもはたと気付く。その妙手こそ最善にして、最適である。ふすま挟んだ向こうの再現盤にそれがその妙手と知れれば一瞬、急ぎ説くが聞こえ、すぐに群衆はどよめきに沸く。ここに差されたる香車の矢先には銀将あり、河合は避けるも地獄向かうも地獄。ついに決した最後の山場にて。形勢は変わり河合は何も変わらずそれを見据えん。沸いた後に戦々恐々に変わる人たちは食らいつかれた喉仏にもまた悪鬼羅刹の住処なるかと、鵺をただ慄かん。
日光様の終わりの日はもうわずかになりて、暮れふけるとやはり肌身にはまだ冬の寒さを感じ、皆しんとなる。そこをまざまざと死線をくぐった虫の息の男、飯田は痩身のままに河合の肉を切る。骨を断つ。戦地のことは終わりそこは羅生門の下の荒地でのことになるも、河合はまだ淡々とそこを差し凌ぐ。河合の美徳ゆえに投了はなく、生きながら捌かれていく。打ち並ぶ最適の道筋に死に体のものへの侮辱などは微塵もなく。塵芥の慢心もない。そこはもう、どんよりとうすら暗く、涙なしでは見るも無残。誰もが嗚咽を堪え、屈辱に歪め、ひとえにまだ河合が耐え忍ぶまま口元のとがることが、ここに踏みとどまらせ、断腸の思いたるパラレルの群れとした。
だがもう幾ばくもあるまい。ゆえに心が裂けようとなるのを抑えるのは飯田。息が止まり、視線はぼやけただの駒の重きことにやっとついに、差す。周りを囲む無数の群雄はここについに立ち並び、一介の童もまたここに混じり。今や潰える命のものを見定めんと閻魔のごとき形相を堂々なる河合に向けるも当人は一人やっと僥倖を悟る。四度目の王手にて河合は手を置き、一礼をする。参ったものは深い礼を解き、見据えるもそこは誰もなく。飯田は煙と化して消えてしまった。
明星が空にその存在あれば、今日の無血のことが江戸の宵を口々に駆け抜けて行く。長屋はもはや元のみすぼらしさに伏す。酔いと嘆こうと、狂人はみな喧しく散り散りと夜の街に消えていく。奇譚と化した今日の試合、いかな言葉も形容難きこと甚だなれどそれでもチカチカと脳裏に宿る力の強きに当てられれば存分に胸中は幸福に満たされる。末日のことである。
河合は駒を並べ、一人盤上で起点となったその分岐をなぞる。提灯はとっくに消えて静寂以上の沈黙さがそこで轟く。音も光もまた役に立たず。ただ思考の中でのみ、光り輝き大いに語らうのみである。
国は破れて残るものもなし。草子を語り継ぐ術もなし。残るものは人の妖しさとおごり深いことのみである。
作者は古文が一番嫌いでした。文法の誤りはご容赦ください。勢いで書いております。
中島敦の享年に追いついてしまったということで。格調高い文体は難しいね。