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エピローグ

 世界を滅ぼそうとしたムトが世を去ってから三日。エルムスの王都は徐々に活気を取り戻しつつあった。

 未だ戦いの爪痕は残っているものの、悲しみに暮れる者は少ない。今は復興作業に勤しんでいるために、亡くなった人のことを考える余裕がないのだろう。再び、平和になった時こそが、その人達にとって最も辛い日になりそうだ。

 それに、ミルが姿を見せたのも、活気を取り戻した一つの要因だ。神の姿を見ることもなく一生を終える人が多い中、ミルが街の人たちの前に姿を現して、謝罪と感謝を述べた。


『守護神たるわしが守れず、すまなかった。亡くなった兵は良くやったと聞いておる。感謝する。皆、街の復興に協力してくれ』


 要約すれば、大体そのようなことを言っていたかな。

 その甲斐もあってか、街の復興は順調に進んでいた。被害を受けなかった者達が、積極的に街や個々の家の修繕を手伝っているらしい。

 小耳にした話によると、「神のお言葉は何よりも最優先される」だとか。

 流石、神が実際に存在すると信じられている国だ。まぁ、登場した際にあれだけ神力を振りまいていれば、誰だって傅きたくなるだろうけど。

 ミルがニヤリと笑みを浮かべていたのを見るに、あの力の奔流は間違いなく狙ってのことに違いない。

 それでも、街の人に元気が出たのには間違いないのだから、見なかったことにしておこう。

 ただ、ミルがこの戦争における最大の功労者は僕だと、発表したことに関しては感化できない。しかも、僕の顔までバラして。

 おかげで、街中を気軽に歩くことができなくなってしまった。ムトの身柄を僕に譲ったことに対する小さな嫌がらせだ、と本人は言っていた。それほどまでに、ミルはムトが許せなかったみたいだ。

 気持ちは分からないではないけれど、それはそれ、これはこれ。必ず仕返しはしようと思う。

 具体的には、ミルの像に落書きでもして。

 ……する直前に、シスター達に見つかって怒られた。

 説教されながら、僕は思った。


 ――よし、また日を改めよう。


 と。


 それはさておき。

 ミルから聞いた話では、他所の国も残党狩りを終えて、復興にとりかかっているみたいだ。被害の大小はあれど、一応、滅んだ大国は無し。被害の一番大きかった獣人の国、ガルバントラも、峠はもう超えたらしい。あとは好転する一方だと。

 しかし、小国は数多く滅んでしまった。

 生き残った者達がどうするか……。それを決めるのは本人次第だけれど、ミル達は来る者は拒まないという形で保護するのだと言っていた。

 中には故郷に帰りたいという者もいたらしく、その暗い背中をした人達を、僕は遠目で見送った。

 少しでも、幸せになってほしいと願いながら。


 そうこうしている内に、ミルから呼び出しがかかった。何かと思えば王城に来てほしいと呼びかけがあっただと言う。

 断る理由もないので向かったけれど、何故ミルが連絡役を? ……と思ったら、完全にミルの自業自得だった。

 ミルが僕のことを公表したせいで、僕は姿を見せないようにしていた。そのせいで、王城に呼び出そうにも見つからず、ミルに縋り付いたらしい。


 ミルが複雑そうにしていたのを、内心嘲笑いつつ王城に行けば、謁見の間にある扉を開けた瞬間に何者かが縋り付くように突かかってきた。


「ユートッ! どこだッ! 娘はどこにいるッ!!」


 誰かと思い、怒号のような覇気のある声に耳を傾け、揺さぶられる頭をなんとか固定してその顔を見てみれば……、今までに見たこともないほどに取り乱した、僕の友達だった。

 僕の友達、つまりこの国の国王……いや、前国王であるウォルは、重傷を負ったものの、爺と呼ばれていたおじいさんや、あのギルドマスターである暴力シスターの力もあって、なんとか助かった、とのこと。

 とはいえまだ動いて良いような傷ではないらしく、周囲の騎士や侍女達がどうすればとおろおろしていた。


「落ち着いて。無事だし、僕が知る中で最も安全な場所にいるから」

「………………そうか」


 安心したのか、ウォルは崩れ落ちるように膝を折った。

 そんなウォルの肩にポンと手を置いて、怪我を一掃する。これでウォルが動けるようになれば、国もすぐに良くなっていくだろう。


 ……本当に、友達が生きていてよかった。


 ウォルの感謝の言葉を受けながら、僕は心からそう思った。


「それじゃ、迎えに行ってくるよ」

「なら、私も」

「ウォルはやることがあるでしょ。別に戦いに行くわけじゃないんだから、気楽に待っててよ」

「……分かった。フィリアと、ユート。お前達を、ここで待っているとしよう。……必ず来い」


 そのウォルの頑固たる強い意志の籠もった瞳を見て、僕は思わず小さく笑った。ウォルは僕がもう戻ってこないと思っているみたいだ。

 確かに、以前の僕なら黙ってそうしたかもしれないけれど……今の僕は違う。

 友達がくれた力で、今の僕がいる。それは縛りつけられるようなものじゃない。僕が自ら望んだ繋がりだ。

 僕はずっとこの繋がりを大切にしたい。


 僕は踵を返しながら、「分かったよ」と返事を返し、転移でその場を去った。







 僕が転移したのは天照さんのところ……ではなく。王都の南門だ。

 この数日、僕はただ遊んでいたわけじゃない。街の復興に手を貸しながらも、とある人物の動向を気にかけていた。

 いずれその人はこの街を出ていくだろうとは思っていたけれど、いつ出ていくのかが分からない。そんな状態でフィリアを迎えに行けば、最悪の場合その人に会えない、なんてこともあり得る。

 だからこうして街に残っていたというわけだ。


 そして今日、彼女は動いた。

 もう少し時間がかかると思っていたけれど、早々に踏ん切りがついたみたいだ。


 そういうわけで、僕は王都の南へとやってきた。

 もう既に戦いの跡はなくなり、道を塞ぐように埋め尽くしていた植物の蔓も、兵士らの血ももうそこにはない。以前と変わりない風景が僕を出迎えてくれた。

 人の手ではないね。流石に、たった数日であれを全部片付けられるわけがない。おそらく、ミルが神力にものを言わせて整えたんだろう。ミルの司るものは、“豊穣”だから。


 と、そんなことはどうでもいい。

 周囲を見渡すと、道から少し離れた場所にその人はいた。相変わらずの格好をしていて、風によってメイド服の裾がさらさらとたなびいている。

 何があるわけでもない地面に視線を落とす姿は、どこか悲しげだった。


 わざと足音を立てながら僕が近づけば、気づいたらしく、ゆっくりと彼女が振り返った。

 そのエメラルドグリーンの瞳には、薄らと涙が浮かんでいる。


「……少し、お待ちください」


 そう言って彼女はどこからともなくハンカチを取り出し、そっと涙を拭う。


「三日ぶりですね、ユート様」

「三日ぶりだね、元メイドさん。……いや、ティアリスさんと呼んだほうがいいのかな」


 元メイドさんの本当の名前を出すと、元メイドさんはどこか嬉しそうにはにかみ、


「……そうですね。もう隠す必要もありませんし。ですが、ユート様の呼びたいように呼んでください」

「なら、ティアリスさんで。ティアリスさんはもう行くの?」

「はい。ここにいても、私にできることはあまりありませんし、直ぐにでもこれを返しに行かないといけませんから」


 そう言って、ティアリスさんは布に包まれた神殺しの神剣に、そっと手を触れた。

 曰く、ムトを止めるためにゴルタル王から借りてきたもので、ゴルタルでもトップクラスの秘宝らしい。

 どうしてそんなものを貸してもらえたのかは謎だけれど、必死に頼み込んだと、元メイド……ティアリスさんは言っていた。


「そっか……」


 話が途切れて、妙な間が空いてしまった……。

 誤魔化すように、こほんと咳を一つ。僕はしっかりとティアリスさんの瞳を見て、言った。


「ティアリスさん、聞いておきたいんだけど」

「なんでしょう?」

「僕が……憎い?」


 離れる前に、一度聞いておきたかった。

 僕が直接ムトを殺したわけじゃない。でも、僕が何もしなければムトは死ぬことがなかっただろう。

 後悔はしていない。けれど、ティアリスさんの家族、兄だったムトが死んだ事実は変わらない。

 ティアリスさんには、僕を罵る権利がある。そして……僕はそれをきちんと聞かないといけない。いや……聞くべきだと思う。


 僕が身を固くしていると、ティアリスさんは静かに微笑みながら、


「いいえ、憎んでいませんよ。恨みもありません。だって、お兄ちゃんにそう、言われましたから」

「……ムトが?」

「はい。『ユートを憎まないでね』って。ユート様はご存知だと思いますが、あの時、神剣を刺したのは私ではないのです」


 それを聞いて、僕はやっぱりかと小さく頷く。

 あの時、ムトには僕を害そうという気は感じられなかった。ティアリスさんに対してもそうだ。

 それに、あの時のあの目。ムトが自身を指す寸前に見せたあの表情は、諦めのようなものだった。

 ムトは恨みを全て自分に集めて死のうとした。けれど、僕はその違和感に気がついてしまった。


 結局のところ、ムトはこの憎しみの連鎖を断ち切ろうとしたんじゃないかな。

 僕がムトを殺していれば、きっとティアリスさんは少なからず僕に恨みを持つ。たとえ口には出さずとも。

 ティアリスさんがムトを殺していた場合も同じだ。きっと、ティアリスさんはそのことを一生心に抱え続けただろう。

 だからこそ……ムトは自分で自分を殺した。

 ティアリスさんが僕に恨みを少しでも抱かないよう、一言添えて。


「あの時のムト様は、確かに私のお兄ちゃんでした。……いえ、本当はずっと前から……」


 そう言うティアリスさんの顔には僅かに陰りを見せた。が、すぐにいつもの微笑みへと変えると、僕に近づいて、そっと僕の手をとった。

 暖かさがじんわりと伝わってくる。僕が伺うように視線を向ければ、ティアリスさんはにこりと笑い、手に力を込めながら言った。


「ユート様。本当に……本当にありがとうございました」


 ……ああ。元メイドさんは僕を責めるようなことは言わないと思っていたけれど、多少なりとも不安はあった。

 けど、そんなものこの瞬間に塵も残さず吹き飛んだ。

 ……前言を撤回しよう。ティアリスさんに、僕を憎む気持ちは微塵もない。

 こんな笑みを見せられたら、疑いの余地なんてないよ。


 手が離れても、未だ残るその温かさを感じていると、ふと隣に気配を感じた。

 視線を向ければ、そこには母のように微笑むリチェルさんの姿が。


「ユート、私からもお礼を。本当にありがとうございました」

「ううん。僕も二人にはいろいろお世話になったから。こちらこそ、ありがとう」


 ……別れの時だ。

 リチェルさんのその目を見て、僕はそう思った。

 何故そう思ったのか、僕にもよくわからない。だけど、きっと似ていたんだろうな。最期を覚悟した、もう二度と会えない人達の目に。


 僕は踵を返し、街へと戻った。

 途中、そっと振り返った時にはリチェルさんの姿はもうなく。

 顔を掌で隠した、ティアリスさんだけが、一人そこにいた。







 街へ戻り、ミルの所に行き、ティアリスさんがこの街を去ったことを報告すると、ミルは「……そうか」と目を伏せ頷いた。

 聞けば、街を出る前に一度ミルのところに来て、謝罪していったらしい。ミルはティアリスさんからの謝罪を受け入れ、もしよければこの国に力を貸してほしいと勧誘したものの、取りつく島もなく断られてしまったのだとか。

「私には、やりたいことがありますから」と言われて。


 まぁ、元メイドを名乗るだけあって、とても優秀だからね。目利きに長けているロンドさんが重用していたくらいだし。……というか、ティアリスさんが抜けてロンドさんは大丈夫なのかな? ティアリスさんの料理も随分と気に入っていたみたいだけど。


 なんて、久しぶりにのんびりとしたことを考えつつ。ミルと分かれて向かったのは、ウォルに急かされていた、フィリアの元だ。決して忘れていたわけでないとだけ、言っておきたい。

 とは言え、遅れてしまったのもまた事実。一応、天照さんに伝言を頼んだから、怒ってはないと思うけど……万が一を考えてあれも持ってきたし。うん、きっと大丈夫。

 ……大丈夫だよね?


 内心恐々しながら転移する。

 だが、


「ッ――何ッ!?」


 突然誰かに転移に介入された。

 僕の知識に、誰かの転移に介入するなんていう並外れた技能はない。というか、転移に介入されるなんて思いもしていなかった。

 詳細は不明だ。だけど、僕の力以外の何かが働いたのは間違いない。

 転移は術が発動すれば一瞬だ。僕に抗う術はなく、相手の思うがままに術は発動してしまった。






 転移した先は、僕の記憶にはない場所だった。

 太陽に煌く木々の葉。春の陽気に包まれて、心までもが温かくなる。肌を撫でる風が心地よく、けれど僕の背をそっと押すそれは、僕をそこへと誘っているように感じた。

 そこ。つまりは、目の前に建てられた、無骨な木造の一軒家。ひっそりと佇むそれは、どこか神秘性を帯びているように見える。


「……知らないはずなんだけどな」


 この場所は知らない。だけど、ここと同じ雰囲気の場所を、僕はどこかで見た気がする。


 風に誘われるがままに、家に近づき、控えめに三度扉を叩く。

 すると、中からパタパタと歩く音がして、ぎぃっと音を立てて扉が開いた。


「いらっしゃい」

「…………天照さん?」


 扉から顔を出したのは、僕の恩人であり、姉のような存在であり、母のような存在でもある、天照さんだった。

 天照さんは僕を見てにっこりと笑うと、「お入りなさい」と僕の手を引いた。

 どうやら、転移に介入してきたのは天照さんらしい。とりあえず敵ではなかったことにホッとし、天照さんに手を引かれるがままに家の中に入ると、リビングと思われる部屋へと案内された。

 お茶とお菓子を準備してくれていたのか、立派な木製の机の上には、四人分のお茶とお菓子が。だが、一人分は何故か随分と湯呑みが小さかった。それに疑問が湧くも、四席の内の一つに座る人物を見て、そんな疑問は吹き飛んで消えてしまった。


「……フィリア」

「ユート様ッ!」


 勢いよく席を立つフィリア。ガタリと椅子が音が響き、その直後にフィリアは僕へ体当たりをするように飛びついてきた。

 ……流石に避けるわけにも行かず。受け止めると、フィリアは僕の胸に顔を当ててなお、グリグリと押し込んだ。


「……無事で、……ご無事で本当に良かったです」


 ……泣いているんだろう。震えるフィリアを見て、どれだけ僕を心配してくれていたのかが分かった。

 慰めるようにそっと頭を撫でると、ピクリと身を硬くした後、フィリアは受け入れるように、ゆっくりと力を抜いた。


「青春ねぇ……」


 そんな天照さんの声が聞こえ、ばっと首を捻る。すると、そこには楽しげにニヤニヤと笑みを浮かべた、天照さんの姿があった。

 口元にそっと手を添えて隠し、ふふふと笑う天照さん。

 ……僕は顔が火照るのを感じた。






 とまぁ、母親に、仲良くしている友達の女子を見られた時のような羞恥に襲われる事件があったものの、落ち着いたフィリア達と一緒にお茶を飲みながら談笑した。

 フィリアには、天照さんを通じて向こうの状況をある程度報告してある。それでも、こうしてフィリアが自然に笑っているのは、きっと天照さんのおかげだ。

 僕もそうだけれど、天照さんと話をするととても心が落ち着く。向こうに戻っても、フィリアはもう大丈夫だろう。

 とはいえ、色々と心配もあるので、僕は用意していたあれを渡すことにした。


「フィリア」

「何ですか? ユート様」

「実はあるものを持ってきたんだけど、できれば受け取って欲しい。きっと、フィリアを手助けしてくれるだろうから」

「手助け、ですか?」


 不思議そうに首を傾げるフィリアの前に、リュックの中から例のものを引っ張り出す。

 ……ちょ、暴れないでっ! 慌てなくてもちゃんと出すって――、


「きゃっ!」


 僕の手を弾いて、リュックの中から勢いよく飛び出したそれは、フィリアの元へ一直線に飛んで行った。

 突然のことに、悲鳴を上げるフィリア。しかし、胸元におさまったそれを見て、フィリアは歓声の声をあげた。


「いっちゃんッ!!」


 フィリアが市松人形を抱きしめると、それに応えるように市松人形も抱き返していた。

 ……うん、良かった。喜んでくれたみたいで。


 この市松人形は、戦場跡を回っている最中に偶然見つけたものだ。あの世界に、あれの他に別の市松人形があるとは思えなかったから、きっとフィリアにあげた物だろうと思って、拾って直しておいた。

 破損は激しく、正直直ってもまた動くんだろうか、と思っていたけれど、直した瞬間に激しく動き出したから慌ててリュックに突っ込んだ。それから一度も出すことなく、今の今まで閉じ込めていたんだけど……どうやら僕は嫌われたらしい。

 フィリアに抱きつきながら、僕のほうに射殺さんばかりの視線を向けてきている。

 ……あれ、呪いの人形じゃないよね? 大丈夫だよね? 一応、直してあげたの僕なんだけど……。


 市松人形の視線を見ないフリをしていると、ふと天照さんが笑いかけてきた。


「唯斗、よく頑張りましたね」

「どうしたの? 急に」

「いいえ……深い意味はありません。それより、そろそろ気付いてあげて。きっとあの子、待ちくたびれてしまっているでしょうから」

「あの子……? ――ッ!」


 そう言った、天照さんの視線の先にある湯呑み。

 手付かずのまま置かれているそれは、人が飲むにはあまりにも小さすぎる。それこそ、精霊のように小さな存在使うような……。

 人が飲むのに、わざわざこんな小さな湯飲みを作りはしないだろう。

 でも、精霊なら……。僕が彼女と出会う前。天照さんと一緒に住んでいた彼女なら、この湯飲みを使っていたとしてもおかしくはない。

 ここはおそらく彼女が育った家。そして、待ちくたびれてという天照さんの言い回し。

 それらを統合すると、彼女はきっと――。


 僕はいても立ってもいられず、慌てて家を飛び出そうとすると、


「この家を出てまっすぐ行きなさい。そこに、大きな大樹があります」

「ありがとうッ! 天照さん!」


 神力まで使って、僕は全力で家を飛びした。

 そこに親友の姿があると信じて。

 風でゆらゆらと葉を揺らす木々が、急げ急げと急かしているように感じた。






 そう遠くない場所に大樹はあった。

 ムトのダンジョンで見たものよりも二回りは大きな幹を持つその大木は、僕が到着すると同時にゆらゆらと枝を揺らし始めた。

 意思を持っていると言われても、僕は疑わない。何故なら、その大樹が枝を揺らすと同時に、その幹の根本を飛んでいる彼女がこっちを振り向いたから。


「……」

「……」


 無言で互いに見つめ合う。

 ……何を言ったらいいのかが分からない。何か言おうと口を動かそうとするけれど、全て声にならずに消えていってしまう。

 助けられなくてごめん? どうして会えなかったの? もっと一緒にいたい?

 ……どれも違う気がする。もっというべきことがあるはず。なのに、言葉が……出てこない。


 僕が口をもごもごと動かしていると、彼女はふっと微笑んだ後、一つこほんと咳払いをして言った。


「ただいまッ! ユート!」


 木々の間から溢れた光が、彼女の満面の笑みを照らす。

 たった二言。だけどその言葉に全てが篭っていた。

 僕という居場所に帰ってきたと、彼女はそう言ってくれているんだ。薄らと透けた体になっても、僕の元に帰ってきてくれた。

 それが……僕には涙が出るほどに嬉しかった。

 ……嬉しかったんだ……とても。


「……おかえり。リン」


 彼女――リンの名を呼ぶと、僕の名を叫びながら突進してきた。

 けれど、今のリンの姿は幽体だ。そのままじゃ、触れることはできない。だから、薄らと神力を体に覆い、そっとリンの体を受け止めた。


「おっと」

「ユート、絶対に離れないから」


 僕の手に顔を擦り付けながら、リンはそんなことを言う。

 幽霊であるリンにそう言われると、何か取り憑かれたように感じるんだけど……まぁいいや。

 リンになら、取り憑かれてもいいかな。


「そのだらしない頬を引き閉めろ。見苦しい」


 喜びのあまり、緩んだ頬を晒していると、隣から聞き覚えのある声が聞こえてきた。……というより、聞こえてくるはずがない声なはずなんだけど。


「あれ、ユートが二人……。ま、いっか」


 いや、リン。そこは「ま、いっか」で済まさない欲しい。

 声のする方にいるのは、確かに僕にそっくり……というか全く同じ姿をした人物だ。正体が誰なのかははっきりしているんだけど、何故彼がこうして現実の世界に姿を現わせているのかが分からない。


「どうして、って顔しているな」


 あ、読まれた。


「まぁ、簡単に言えば、我は我という神、お前はお前という神で完全に別れた。だから、こうして姿を晒せるようになったと思っておけばいい」

「はぁ」

「そんな気の抜けた返事をするな。お前にも関係のある、重大な話を持ってきたのだから」

「重大な話?」


 そうだ、ともう一人の僕が僕の姿で頷く。

 そして、チラリとリンに視線を向けてから、口を開いた。


「我とお前は本来一つだった。しかし、こうして“自由”を司る神が二柱になってしまったことを、世界の意思は許さない」


 ……冷や水を浴びせられたような感覚だった。

 もう一人の僕の言葉だけで分かる。つまりは、この世に僕か、目の前にいるもう一人の僕のどちらかしか存在することができないということだ。


「……」

「……そう警戒するな、と言ってもそうはいかないか」


 せっかくリンと再会できたのに、ここで別れるわけにはいかない。……絶対に、別れたくない。

 僕はリンを守るように抱え、警戒していると、もう一人の僕が大きなため息を一つ吐き、ゆっくりと近づいてきた。


 瞬時に攻撃に移れるように構えをとる。しかし、近くもう一人の僕には一切敵意が感じられなかった。

 そして、どうしてと考えている間に接近を許してしまう。


「……楽しかったぞ」

「えっ……?」


 そう言うなり、もう一人の僕はリンに手をかざすと、何かの力を使った。と同時に、リンの透けていた体が色濃くなり、実体へと変わっていく。

 その様を見て、僕の口が無意識に「まさか」と動く。幽体が実体に変わるなんてことは、どんな力を使ってもあり得ない。

 それこそ、神にでもできないと言われている、死者蘇生でなければ。

 だけど、僕は感覚的にこの力はそれだと感じ取った。同じ“自由”を司るからだろうか。何故か、自分にもできるような気がした。


 でも、そんな僕に叱咤の声が飛ぶ。


「死者蘇生は世界の意思が禁止している。故に、その力を使った者は、世界の意思によって排除される。お前は使うな」

「なら、なんでキミは……」

「……我はもう十分だ。別に死ぬわけではないから、お前が気負う必要はない。もうしばし、眠りにつくだけだ……。と、もう時間がないか」


 そう話すもう一人の僕の姿は、リンの姿とは逆に徐々に薄くなっていた。

 彼は「ではな」と一言告げると、僕の真後ろへと視線を向けた。

 遠くに、天照さんの姿が見える。


 もう一人の僕が天照さんの元へと歩いていく。そんな彼の後ろ姿に、リンが僕の手から飛び出して、大きな声で言った。


「唯斗ッ! ありがとう!」


 彼はピタリと歩む足を止めると、再び歩き出し、天照さんと言葉を交わすと、世界からその姿を消した。

 残された天照さんの目には、大粒の涙が。

 僕はその時初めて、天照さんの涙を見た。







 元から神であった方の唯斗は、リンの感謝の言葉を聞いて立ち止まり、ふっと笑みを浮かべた。

 草木の上だというのに、足音が一切ない。そういった技術かとも考えられるが、今回ばかりは違った。小枝を踏みつけても折れる様子がないことから、もう実体ではなくなってしまっている。

 もう彼に残された時間は僅かしかない。

 だか、この時間が本来与えられるはずのない時間だということに気がついていた。

 どこぞにいる、友人の計らいなのだと。


 唯斗は天照に手を伸ばせば届く距離まで移動すると、歩みを止め、天照の瞳に目を向けた。


「あなたは一体……」


 その正体を勘ぐるかのような視線を受けて、唯斗は怯むことなく、逆に力なく笑って見せた。


「分からない、か。そうか……」

「貴方が唯斗の中にいた神だということは知っています。ですが、あの力、それに今の貴方の姿……。貴方は一体何者ですか?」


 そんな天照の問いかけに、唯斗は答えない。

 代わりに、深めのため息を吐き、


「口調を変えた程度で分からないとは。いや、俺の演技が素晴らしかったのかもしれないな。なぁ、天照」


 まるで旧友に話しかけるように、唯斗は言った。

 対する天照の態度は一変。訝しんでいたその顔を驚愕へと変え、震える声で、


「……まさか、貴方なのですか?」

「あの日の約束、『また会いにいく』って言っただろ? 俺がお前に会いにいくのは、俺の“自由”だ」

「……あ、ああッ……!」


 感極まったように、涙を零し始める天照。

 唯斗はそんな彼女の頭に、ぽんと手を乗せ、昔のように優しく撫でる。


「悪いが、もうそんなに時間が残っていなくてな。お前には別れの言葉しか言えない」

「そんなっ!」


 悲痛な声とともに、天照が頭を上げたせいで唯斗の手が弾かれる。しかし、それを気にすることなく。唯斗は天照の頬に手を触れた。

 その手をもっと感じたいと言うように、天照は唯斗の手に自分の手を重ねる。


「だから、もう一度約束する。俺は、もう一度お前に会いにくる。……また、待っててくれるか?」


 もう唯斗の体はほとんど風景と同化してしまっている。しかし、天照にはそれがはっきりと見えているかのように、しっかりと視線を唯斗の瞳へと向け、力の籠もった声で言った。


「……はい。ずっと……ずっと待っています」


 ……唯斗はもう返事を返さない。代わりに、唯斗が微笑むと、天照も涙を零しながらも無理に微笑み。そして……唯斗はその場から姿を消した。


 姿を消した唯斗が、再び姿を現した場所は完全に白しかない空間。その空間の中で、唯斗はポツリと言葉を溢す。


「ありがとうな、時間をくれて」


 その場には誰の姿もない。

 しかし、言葉ではなく、思考そのものを頭に叩きつけられたような感覚がした後に、唯斗は再び口を開いた。


「そんなこと言わずに、な? もっと、素直になったらどうだ?」


 誰かがその様子を見ていれば、頭がおかしくなったとしか思えないその状況で、唯斗は軽口を言い続ける。

 やがて、怒ったのか、先ほどまでの反応が無くなると、唯斗は子供のような笑みを浮かべ、にこやかにもう一度感謝を伝えた。


「ありがとうな。……世界の意思」


 ――己の、友人に。






「ユート! ユート!」

「何?」

「あれ! あれ買った?」

「あー、果物セットでしょ? ちゃんと買っておいたから」


 実体を手に入れたと思えば、リンが果物が食べたい、果物が食べたいというので、エルムスの市場で買ってきた。

 聞けば、幽体だった間はお茶もお菓子も食べられなかったから、危うく禁断症状で死ぬところだったらしい。

 リンはもう死んでいたから死ぬことはないけどね。……なんて思いはしたけど、言わなかった。言ったら言ったでうるさいし。


 と、それよりも。今日はここ、エルムス国を出る日だ。

 フィリアも城に戻ったし、復興もほぼほぼ完了したので、本来の目的である旅を再開することにした。


 旅といっても、今までとは目的が違う。

 今まではただ、自由になりたいからという理由で旅をしていたけれど、それは間違いだと気がついた。

 僕はリンと一緒に旅をしたかったんだ。いろんな所に行って、いろんな人に出会って。それをリンと一緒に見たり、感じたい。


 それが――僕が本当に望んだ“自由”だ。


 リンのはしゃぐ姿を見ながら、僕は決意した。


 ――もう二度と、リンと離れない。


 と。


「ユートー! あれも買ってッ!」


 ……こんな場面ですることじゃなかったな。なんだか、僕の決意が安っぽく感じる。

 なんて思いつつ、僕はリンのために財布の紐を解いた。


 そうこうしている間に旅の準備も整い、街を出た。次の行き先は……特に決めてないから、リンにでも頼むとしようかな。

 と、リンに声をかけようとすると、門の向こう側で待機している集団が目に入った。


 街の外で待機している人はあまり見かけない。行商人かな? とも思ったけれど、服装バラバラだ。

 変な集団だなぁ、と思いつつも、門を潜って再び目にした瞬間。僕は自分の頬が引きつるのを感じた。


「うむ。やっときおったか」


 そう、最初に声をかけてきたのは、この国で滅多に会えるはずのない女神。豊穣の女神、アルミルスこと、ミルだ。

 どうしてここにいるのかな、なんて分かり切った質問はしない。おそらく、僕が出立する日を盗み聞いて、ここに皆んなを集めたんだろう。

 どうやって知ったのか、僕の親しい人ばかりが集まっている。

 国王であり、友達でもあるウォルはもちろんのこと。娘のフィリアに王妃の……確かエルミアさんだったかな?

 お世話になったロンドさんや、弟子三人のレン、リュー、ニーナ達やレンの妹のリーシェはいい。見送りにきてくれて本当に嬉しいと思ってる。

 ……でもね? どうして、ギルマスこと暴力シスターを呼んだの? 絶対に絡んでくるでしょ。


「おいッ! 俺と勝負――」

「【黙って動くな】」


 早速絡んできたから、とりあえず静かにさせておく。

 それよりも、弟子三人から僅かにミルの神力を感じるような気が。本人らに直接聞いてみると、なんと、僕が頼んだ魔物の討伐の際に、その実力が認められてミル本人から加護をもらったらしい。


「お主の育てた弟子はなかなかに優秀じゃったぞ」

「それはどうも。でも、三人とも無茶しないようにね? そこの子供女神に何か無理強いされたら、僕が相手になるから」

「なんじゃとッ! お主とて子供ではないかッ!」

「暴力シスターを呼ぶなんていう、子供みたいな嫌がらせをしたキミが何をいう」

「そんなことを言ったら、お主、この前わしの像に落書きしたじゃろッ! あれの方が子供じゃッ!」

「あれはキミが嫌がらせしてきたからやり返しただけだからッ!」

「あ゛あ゛ッ!?」

「う゛う゛んッ!?」


 互いに睨み合っていると、どこからともなくポツリと、


「……どっちもどっちでは?」

「何だってッ!?」

「何じゃとッ!?」


 声の主を探そうと視線を一人一人に突き刺していると、ごほんと大きな咳をしたウォルと目があった。


「それよりも……もう行ってしまうのだな」

「そうだね」

「今回のことは、本当に――」

「それはもういいって」


 フィリアを送った際に、耳にタコができるほど、ウォルから感謝の言葉をもらった。

 落書きした時のシスターの説教もなかなかにしんどいけど、涙を流したおっさんにすがりつかれて、耳元で感謝されるのもかなり疲れる。……というか、そっちの方が疲れる。


「まぁ、また立ち寄るから」

「絶対に来てくださいね」


 フィリアはそう言って、ニコリと微笑む。その手には、どこか僕に呪いのような視線を送り続ける市松人形があった。

 ……まだ僕のこと恨んでたのか。


 フィリアは、今後も女王として国を豊かにしていくらしい。ウォルから聞いた話によると、フィリアが操られて何をしたのか、それを知る者はほとんどいなかったのだという。

 ……ほとんど死んでしまったから。

 フィリア自身は王の座を降りることも考えていたみたいだけれど、ミルの一声もあって、そのまま王であり続けることにすると言っていた。

 ……きっと、フィリアならいい国にできるだろう。


「うん、またね」


 さて、と。

 そろそろ行こうか。と、別れの挨拶をしているリンに声をかけたところで、暴力シスターにかけていた術が解けてしまった。


「おぃテメェ! 待ちやがれ!」

「……何? 何と言われようと、僕は戦わないよ?」

「だったら冒険者になれッ! そして俺と勝負しろッ!」

「いや、だから勝負しないって……」


 呆れて言い返す気にもなれずにいると、その波に何故かミルが乗っかってきた。


「はっ、冒険者などではなく、この国の兵になれば良い。そうすれば、フィリア。お主は毎日あやつと会えるぞ?」

「ま、毎日……」


 ……ちょっと待って、フィリア。そんな子供騙しな誘惑に乗らないでね? あれ? 目が本気だけど? 目が本気なんだけどッ!?

 冒険者だ、兵士だ、と言い合っている二人。そんな中、リンの「こらー!」という覇気のない声が、二人を止めた。

 そして、何故かドヤ顔で僕を見るリン。

 そんなリンを見て僕は、二人に面と向かってはっきりと言ってやった。


「僕は旅人だから冒険者とか兵士にはならないって」


いつも読んで下さりありがとうございます。

これで、この作品は完結となります。

活動報告の方に、簡易ながら後書きを載せますので、よろしければご覧ください。


ありがとうございました。


2020/7/7 22:28

後書きはこちらに直接書き込むことにしました。

以下本文

――――――――――――――――――――

いつも『僕は旅人だから冒険者とか兵士にはならないって』を読んでくださり、ありがとうございます。

作者の、怠惰なアゲハ蝶と申します。


本日投稿した話を最後に、上記タイトル作品が完結したことをご報告いたします。

完結まで書くことができたのも、皆様の応援があってのことだと、とても感謝しております。


ぶっちゃけると、最初はこれほど長く書くつもりはありませんでした。

ですが、あー、あれ入れたいなぁ。この場面書きたいなぁ。なんて思い思いに書いていたら、いつの間にかこれほど長くなってしまった次第です。

正直、投稿した文字数の半分くらいかなぁとまで思っていました。……何でですかね。


私自身、何度も読み返していますが、もっとこういう書き方あっただろうなぁ、とか。ここの描写がぁ! とか。読み返すたびに考えてしまうのですが、一応これはこれとして手直しする予定はありません。誤字や脱字は除きますが。


この作品で掴めたものは、次の作品で生かそうと思います。……まだ何も決まっていませんけど。

今後も、書きたいものを書くというスタイルで書いていきたいと思います。


読者の皆様、ポイントや感想を下さった皆様、本当にありがとうございました。

おかげさまで、初めて長編小説を完結させることができました。

また、次回作でお会いできればと思います。……書ければ、ですが。

……それはともかく。


本当に、ありがとうございました。

怠惰なアゲハ蝶

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