135話 対面
「……あれ?」
南側へと向かう途中で、僕はふと気がついた。静かすぎる。
先ほど響いてきた音を最後に、シンっと街が静まり返っていた。あるとしても、時折聞こえてくる、崩れかけの瓦礫が落ちる音。
北側からは微かに声が聞こえてくるものの、南側からはほとんど何も聞こえなくなっていた。
まさか…と、最悪の事態を予想し、自然と僕の足も速くなる。神力で身体強化された足だ。目的地にたどり着くのもそう時間はかからなかった。
「うわぁ……」
思わず僕の口からそんな言葉が漏れ出る。
南門は全壊。今まで何人もの人が通った門は影も形もなく、ただの瓦礫の山と化していた。
これじゃ、通り抜けるんじゃなくて、登り越える、だ。でも目的地はこの先。ここで立ち止まるわけにはいかない。
魔術も扱えない一般人が通るのは大変だろうなぁ、なんて感想を心の中で呟きながら、瓦礫を足場にして、跳ねるように山を乗り越える。
崩れたばかりの瓦礫は、周りの瓦礫と完全に噛み合っている訳じゃないから、注意しないといけない。一見安定しているように見えて、足場にした途端に崩れるなんてこと、ざらにあるからね。
なんて、自分にも言い聞かせつつ、瓦礫の山を乗り越え、街の外へと飛び出す。と、そこで僕が目にしたのは、予想を遥かに越えた光景だった。
かつての平原はどこに行ったのか。蔓のような植物が地面の至る所から足を伸ばし、複雑に絡まり合うようにして平原を埋め尽くしていた。所々切れたり折れていたりしているのは、戦いの跡だからだろうか。
それに加えて、
「おお、ユート。遅かったのぅ」
泥で薄汚れ、所々に傷を負ったミルが、街の外壁一部に背を預けて座り込むムトを前に、仁王立ちしていた。
……どういうこと?
「……これ、ミルがやったの?」
「他に誰がおる? お主に封印を解いてもらった後、真っ先にここに向かうと言っておいたじゃろう。他の連中も、今頃それぞれの街で残党狩りでもしているのではないか」
ミルは続けて、「親玉がこっちにきてよかった」と言って、すっきりしたような笑顔を見せてくる。
それは良かったねぇ……って、いやいや、そういうことじゃなくて。
「ミルってそんなに強かったの?」
初めて会った時、ミルの神力は中級神程度。間違っても、ムトと渡り合えるほどの力を持っているようには感じなかった。
でも、今こうして対面しているミルからは、間違いなく上級神並みの力を感じる。上級神に足を突っ込んだ程度などではなく、はっきり上級神だと言い切れるほどの力だ。
たったこれだけの期間で急成長するとは思えない。
恐る恐る尋ねてみれば、隠すことなくあっさりと教えてくれた。
「それは、これがわしの本来の力じゃからな」
「どういうこと?」
「この国の前国王のことは知っておろう? あの屑のせいで、色々な場所で土地が荒れてのぅ。仕方なく、わしの力の大半を使って、土地を癒すのに使っておったのじゃ。エルムスは大国なだけあって広い。流石のわしも疲れたわ」
やれやれとため息を吐くミル。
確かに、エルムスは地図で確認しても土地が広かった。その土地を癒すとなれば、例え豊穣を名乗るミルでも、骨が折れる作業なんだろう。
「だが、癒しに使っている力を全てわしの元へ戻したからの。久しぶりに体が軽くなったわ」
そう言って、ミルはぐるんぐるんと腕を回して笑みを浮かべた。
考えてみれば、ミルは大国と呼ばれる五国のうちの一国を守護する女神だ。それ相応の力をミルが持っていてもおかしいことは何もない。
……って、いい加減腕回すのやめてくれないかな。風圧で砂埃が飛んでくるからっ!
迫りくる砂埃を手で払い除けていると、 ムトがボソリと呟く。
「……ははっ。楽しそうで、いいね。思わず、壊したくなるよ」
息も途切れ途切れなムトが、僕らを睨みつけながら呟く。
よくみれば、身体中の至る所に怪我を負っているのが分かる。腕や足、額や腹部など、至る所から血が溢れ、今にも死んでしまいそうなほどだ。
「まさか、あの封印を破られるとはね。流石、自由を司る神だ。……こうなるなら、確実に仕留めておくべきだったよ」
「……死に損ないが。まだそのような世迷言を口に出せるとは。いっそこの場で――」
「ミル」
今にも手を出しそうなミルに、怒りの感情を乗せた神力をぶつけて軽く威圧する。
ミルが伸ばしかけた手をピタリと動きを止めると、僕へと視線を向けた後、ため息と共に二、三ほど顔を振った。
「……仕方あるまい。それが、お主との約束じゃったからの」
「ありがとう」
「それを言うのはわしの方じゃ。あのままお主が助けに来んだら、本当にこの世界が滅びかねんかった」
僕は目覚めた後、すぐにここエルムスには向かわず、まずミルたちが封印されているあの離れ島へと向かった。
と言うのも、ムトを止めることができても、僕一人で全ての国を救うことは時間的にも不可能だ。体を複数に分けることができたらまだ可能性はあるけれど、あいにく僕は忍者みたいに分身はできない。
僕は助力を得るためにミル達を先に助けに行き、そこで封印されていた神々と一つの約束をした。
それが、主犯であるムトの身柄を、殺さずに僕に渡すという約束だ。
初めは反対された。小国の力を持たない神々からの反発はなかったけれど、大国であるミル達のような守護神からは、自分の手で討つと言って聞かなかった。
まぁ、気持ちは十分に理解できる。自国の民を傷つけた相手を、守護神である神々がそう簡単に許せるはずがない。
でも、それは僕も同じだ。
僕もリンを殺された。友人を傷つけられた。悲しい思いをされられた。
僕だって、そう簡単に譲ることはできない。
あまり使いたくなかった手ではあったけれど、神々の封印を解いて助けたことを盾にして、ムトを譲ってもらうことにした。
それが、ミル達神と結んだ約束だ。
「この世界の者ではないお主に任せるのは気が進まんのじゃが、お主がそう言うのであれば仕方があるまい。わしは、北側の騒動でも収めに行くとしよう」
「気付いてたんだね。なら、なるべく早く行ってあげて。僕の友達にも手伝ってもらっているけど、心配なのは心配だから」
「そうか。では、また後でな」
にこりと微笑むミルを見送る。転移で北側へと向かったんだろう。消えるのは一瞬だった。
姿が消えたのを確認してからムトへと視線を向ける。
「……はは、滑稽だろう? 笑えばいいさ」
ムトが憎しみの籠もった目で僕を見る。
……正直、リンを殺された恨みや、フィリアを傷つけられた恨みは殆ど無い。
なら、ムトのいうように滑稽だと思っているのか……いや、違う。この感情を言葉で表すとするなら……憐みだ。
僕はムトのことをかわいそうだと思っている。
「ねぇ、結局何がしたかったの?」
「言っただろう? 復讐さ。君があの時僕に憎しみを覚えた時のように、僕も人や奴に憎しみを覚えた。……それだけさ」
「奴?」
「僕らを創り出した存在。この世界で、僕が最も憎む相手だ。……姿を見たことも、声を聞いたことすらないけどね」
忌々しいと言わんばかりに、ムト顔を顰めながら吐き捨てる。
僕ら…っていうと、神々のことか。それを創ったとなると、
「世界の、意志?」
僕の答えに、ムトはコクリと頷いた。
……そうだ。そういえば、僕が意識を失う前に、ムトが神の意思を殺したいとか言っていた気がする。
「とは言っても、見たことも感じたこともない神の意思を殺すなんてこと、神の僕にだって難しい。空想上の存在を消せと言っているようなものだからね。それに、世界の意思はよほどのことがなければこの世界に干渉しない」
「ならどうやって……」
「はっ、そんなの答えは一つしかない」
ムトは僕を睨みつけながら、
「こうやって、よほどの事態を起こしてしまえばいいだけだ。そうすれば、たとえ奴だろうと僕の前に姿を見せなきゃならない」
「そんな理由でこんなことを……」
「そんな理由じゃないッ!」
負傷したムトとは思えないほど気迫のあるその怒鳴り声に、僕は僅かに足を引いた。今まで余裕の表情ばかり見せていたその顔は憤怒に染まっている。
……初めてムトの感情を見た。
「あいつが、奴がリチェル姉さんにあんな力を与えなければッ!」
そう悔しげに地面を殴りつけるムトの拳は、血で赤く染まっていた。地面がえぐれないところを見ると、神力で強化していない。
必死に痛みで自分を押さえつけているようにも、自分へと戒めとしているようにも見える。
……一頻り殴りつけてようやく気が済んだのか、ムトがゆっくりと顔を上げる。その顔は、見たことがないほどに悔しげな顔をしていた。
「……もちろん、人という種族にも恨みはある。あいつらは、僕の大切な人を殺した罪人の種族だからね。皆殺しにしないと気が済まなかった」
……ムトの言い分も分からない事はない。
僕も姉さんを持つ身だ。もし姉さん、それに家族が誰かの手によって害されたそしたら、僕もどんなことをするかは想像がつかない。
けど、あくまでそれは害した人間に対してだけだ。人類皆を敵に回すようなことはしない。
人間だった時の僕ならそう言い切れる。神となった今の僕なら……いや、今の僕でも、そうはしない。……絶対に。
それより、
「ねぇムト、その力って――」
『ユート』
ムトに、姉さん、つまりはリチェルさんの力が一体何なのかを聞こうとしたら、僕を呼ぶ声が頭の中に響いてきた。リチェルさんだ。
返事をしようとした瞬間、僕の隣に人影が現れる。
突然の出現に驚き、僕が思わず横にサッと飛び退くと、ムトから怪訝そうな視線が飛んでくるのを感じる。
誤魔化すようにひとつ咳をして姿勢を正し、落ち着いてその人影に視線を向ければ、何の感情も浮かべていない、不気味なリチェルさんの横顔があった。
「どうしたの?」
小声でリチェルさんにそう尋ねると、リチェルさんからではなく、頭の中からもう一人の声が聞こえてくる。
『おい』
「何? 今取り込み中なんだけど」
『見ればわかる。それより、リチェルに術をかけてやれ』
「術? 何の?」
首を僅かに傾げていると、ため息のような声の後に、『あれだ、あれ』と返事が返ってきた。
……いや、あれじゃ分からないって。
『幽体を肉体へと戻してやれ。自由の力なら容易いだろう?』
「肉体へ? どうして……ああ、そういうことか」
幽体はこの世界では適用されない。故に、誰もリチェルさんの姿を見ることができないんだ。
だったら、幽体に近いリチェルさんの姿を肉体に戻してあげれば、リチェルさんはムトと話ができるようになる、と。
「それでいいの?」
ひっそりとリチェルさんに尋ねれば、頷いて返事を返してきた。
リチェルさんを肉体へと戻したら、もしかするとリチェルさんがムトに加担するかもしれない。……まぁ、そうなるとは思えないけど。
ムトに手を貸すのであれば、僕の意識の中まで助けに来てくれたりはしないはずだからね。でも、念のため覚悟だけはしておいた方がいいかもしれない。
そう思いながら力を行使すると、リチェルさんの若干透けていた体が徐々に色を取り戻し、やがて普通の人と変わらない程度まで濃くなった。
「……リチェル姉さん?」