133話 自由を許された神
――来るッ!
愚直なまでに直進的な突撃。
普通に考えれば。力に翻弄された少女が、ただ剣で切り掛かってきただけに見える。
でも、さっきまでのあの体術を見る限り、単に得物を振り回すだけの操り人形には思えない。
となると、だ。
これは正面からの袈裟斬り……と見せかけて。
身体の重心の傾きから考えて、本命は、
「こっちッ!」
フィリアの振り下ろしを受けた瞬間に、攻撃の重みが消えた。
そして瞬く間もなく。
横から抉るように飛んできた蹴りを、空いた掌で受け止める。
「……ッ!」
――驚いているその隙を逃したりはしない。
軸足を蹴り飛ばし、相手の態勢を崩す。
……まずは試しだ。この僅かな時間で一つ、術を発動させる。
陣を使わない、本来の神の力を。
「…【重圧】」
「……」
ッ……まだまだ遅い!
それに力の範囲を誤ったみたいだ。
対象を押さえつける効果を持つ【重圧】。でも、力の量に対して範囲が広くなってしまえば、当然効果は落ちてしまう。
――この程度じゃ、フィリアを止められない。
「……」
地面に倒れたフィリア。
だけどその直後、下からの蹴り上げが僕を襲う。
「くっ!」
腕を交差して受け止めたものの、神力を帯びた一撃だ。
こっちも神力を纏っているから折れることはなかったけど、骨の芯まで響くような威力に、思わず気が逸れる。
そして、そんな分かり易い隙を見逃してくれるはずもなく。
二撃、三撃と立て続けに襲われ、たまらず後方へと飛び退いた。
「ッはぁ! ……これはなかなかきついや」
退いた先で剣を構えれば、相手も様子を窺うように動きが止まった。
振り出しに戻った……とは違うね。
体力的に僕の方が使わされているようだから、少し劣勢かな。
でも、仕方ないと言えば仕方ないんだ。……だって、フィリアを傷つけないために手加減しないといけないからね。
……決して、負け惜しみでは無いとだけ言っておこう。
『そんなくだらないプライドはどうでもいい。さっさと終わらせろ』
……ああ、また出てきた。
「そうは言っても、うまく力が使えないんだよ。神力の量に関しては把握した。でも、陣を使わないっていうのがどうにも」
『そうですね。まだ魔術の観念に囚われていて、ぎこちないように感じます』
「うん。何かアドバイスとか無いかな?」
『……おい、我の時と声のトーンが明らかに違うんだが?』
そりゃそうだよ。
だってリチェルさんとキミじゃ、天と地ほどの差があるんだから。
『では、言霊を知っていますか?』
「えっ……うん、声に力を乗せて世界に干渉する技術のことだよね?」
『その通りです。あれは、神が力を使う時に限りなく近い技法なのです』
「そうなの!?」
『ええ。あれは声という媒体に力を乗せていますが、その声を無くしたものが、神の技法そのものなのです。神力だけを使い、広げ、そして干渉する。ただ、それだけのこと』
「広げて、干渉する……」
『声を出すなとは言いません。関連した言葉を出す、あるいは紡ぐことによって力が安定する場合は多いですから。しかし、それはあくまで想像力の補助。実際に干渉しているのは神の力、神力であることを忘れないでください』
言葉はあくまで補助、か。
確かに、さっき風を使った術が発動した時もそうだった。時間がかかりはしたけど、リチェルさんが言う通りの感覚だった気がする。
……うん、なるほど。
要は、魔術や言霊みたいに、“陣”や“声”と言った道具を使わず、神力自体を振りまいて形にすればいい、ってことかな。
過程をなくして、術を発動させる……、よし。
「なら、もう一度――」
『待て』
駆け出そうとした瞬間、あいつの声に止められた。
「……なに? 今から力をものにしようとしてたのに」
『その考え方では足りん。やっても無駄だ』
『……どういうことでしょう? 私の考えが間違っていると?』
『そうではない。お前らの戦い方はそうなのだろうが……、我ら“自由”を司る神はそんな戦い方はしない』
『では、どうするというのですか? 力の差異はあっても、力の使い方自体に違いなんて』
一泊の間、静寂が訪れた後に、
『仕方ない。口で説明しても時間がかかるだけだ。我が出よう』
……はい?
いや、我が出るとか言われて――もッ!?
『なっ!?』
突然体が動かなくなり、焦りがこみ上げてくる。
足も、手も、口さえも動かない。まさか……フィリアが何かしてきた? でも、以前の僕ならまだしも、今の僕を拘束できるはずが……。
と、そうしている間に僕の体が動き出した。……僕の意思とは関係なく。
『何がっ! 起こって! る、のッ!?』
「落ち着け、我が少し体を使っているだけだ」
『はぁッ!? もう僕は一柱の神なんだよ? キミとはもう……』
「……そうだな」
『それに、キミは言った。もう僕に一切干渉しないと。あれは嘘だったの?』
「……本当はあれで終わりにしたかったんだがな。お前を見ていると、もがいていた頃を思い出す」
『だから、キミは何を言って……』
「今の我に渡せるものはこれくらいしかないのだ。大したものではないがな。もし、いらないというのであれば、今すぐにでもお前にこの体を返そう」
『……』
「お前が決めてくれ」
今の僕には、体の五感しか感じられない。
でも、どういうわけか伝わってくるんだ。あいつの想いが。
……あいつの考えていることなんて、一度も理解したことなんてなかった。
あいつは、僕らは同じだとずっと言っていたけど、 僕は何ひとつ、あいつのことは分からなかった。
正体は不明。あいつの記憶も不明。
何か僕が知らないことをいっぱい知っているみたいだけど、僕はそれを知らない。
……赤の他人とまるで変わらない。
だというのに。
今更どうして、こんなにもあいつのことが、まるで自分のことのように思えていくるんだろう……。
『いいよ』
……気がついたら、そう返事を返していた。
「そうか。ならよく目と体に焼き付けておけ。……“自由”という神の、特異性を」
『特異性?』
「……そうだ。自由神という神ではなく、自由を許された神だということを」
駆け出した僕の体。
特別軽いとか、動きやすいなども感じない。いつもと変わりない感覚だ。
あっという間にフィリアとの間を詰め、もうすぐ間合いに入るその瞬間、
「一つ……。我らの持つ神力に、特性など存在しない」
ゴゥッ!、と音を立て、フィリアと僕との間に一本の大きな火柱が現れた。
人ひとりを覆うような、激しい炎だ。
でも、僕の関心はそこにはない。これを発現させたもう一人の僕の技量に、僕の意識は釘づけだった。
僕とは違い、流れるような神力の扱い。
さっきリチェルさんからもらったアドバイスの通り、その流れるように広がった神力を使って、この火柱を創り上げた。
僕の体がその柱を沿うように、右側へと回り込む。
すると、それを見越したように、フィリアの剣を振りかざす様がそこにあった。
だというのに、僕の体は止まらない。むしろ加速を続け、フィリアの間合いへと入り込む。
『危ないッ!』
「問題ない――【弾け】」
僕の想像する未来は来なかった。
規模の小さな、だけど威力だけは計り知れない圧縮された空気の玉が、襲いくる剣を簡単に弾き飛ばした。
当然、後方へと剣を押し戻されたフィリアは無防備になり、
「一度、死んだな」
もう一人の僕はフィリアの首に剣を添えながら。そう、ボソリと口にする。
簡単にやっているように見えて、その実。感覚を共有している僕からすれば、信じられないようなことの連続だ。
範囲を限定して、一点特化した風の力。少しでもずれれば、弾かれずに刃が僕の体を切り裂くだろう。
それに、あの発動スピードだ。
神力を使った感覚とほぼ同時に、力が発動している。
魔素や神力を元に陣を使用して発動する……そんな魔術や神術とは訳が違う。
これが本来の力の使い方……。
「……二つ。自由である我らならば、神力の扱いさえも自由自在だ」
「……ッ!」
飛び退いたフィリアを追おうともせず、剣を揺らしながら立ち尽くす。
すると、
「【吹き飛べ】」
「ッ!」
フィリアの小さな体が、軽々と宙を舞った。
あいつのことだから手加減はしているだろうけど、見ていてハラハラさせられる。
……と。それよりも、今の感覚は……?
『……嘘でしょう?』
『リチェルさん?』
リチェルさんの驚いたような声が、頭の中に響いてくる。
『今のは……まさか』
『どうしたの?』
『気づきませんでしたか? 先ほどの攻撃、神力を広げてなどいなかったのですよ』
『……確かに、いつもと違う感覚だったけど』
『おそらく、彼が行ったのは……転移。神力自体を、あの子のすぐ側へ転移させたのではないでしょうか』
『ッ! 神力を?』
『ええ。そう考えれば、あの攻撃の早さにも納得がいきます。あれだけの距離を、それも力の発動を感じさせることなく実行するなど、それ以外に思いつきません』
『そんな……。でも、転移には兆候が』
『人などの物体であれば感じ取れるでしょう。ですが、神力という力単体であれば、戦いの際の力の奔流に紛れてしまう』
つまり……気取られることなく、力を直接本人に叩き込むことができる、ってことか。
『神力を転移させるなんて考えもしませんでしたが……実際にできるかどうかと問われれば、無理と言わざるを得ません』
『どうして?』
『神力を神力で転移させるのですよ? 転移に使用する神力と、送る神力に分けて考えないといけません。ですが、水の中に水を入れて、どれが元からあった水で、どれが後から入れた水か、なんて判別がつかないでしょう?』
『……確かに』
『それに、簡単にやってのけていますが、あれは切り離した神力の遠隔操作。体と繋がっていない分、制御にはかなりの技術が必要になります』
……これまであいつの意識が前に出た時、僕の意識は前にはいなかった。
だから、これが初めて見る戦いなんだけど……はっきり言って、次元が違う。
感覚は伝わってくるけど、それでも全てを理解するのは難しい。リチェルさんの解説を聞いてより一層、そう感じる。
術一つに手間取っている僕に、本当に同じことができるんだろうか……。
「そう思うのなら、よく見て感じろ」
『……でも』
「お前にはその素質がある。認められた力がある。我にできることが、お前にできないはずがない」
『……そうなの、かな』
「ああ。……これで最後だ。今のお前に最も有効な力。そして、お前が最も得意とする力になるだろう」
『僕が?』
「そうだ。……三つ。何も、力は相手を傷つけるためだけのものではない」