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129話 舞い戻り

 エルムス国南側平原。


 豊穣を冠する女神の守る地なだけに、自然の豊かさは群を抜く。

 エルムスと言えば、実り豊かな地。それが、一般的に知られている、エルムスという国に対する印象だ。

 が、しかし。

 現在、目の前に広がる光景を見て、ここがエルムスの地だと信じる者などいまい。

 大きく抉れた大地。緑の絨毯は赤く塗りつぶされ、肉塊と化したオブジェが至る所に飛び散っている。

 北側も惨憺たる景観だったが、一見して気分を害するのは、間違いなくこちらの方が上だろう。


 ――ピチャリ。


 雨の音か。はたまた、水を溢した音か。

 …………否。

 血だ。

 血溜まりを踏みつけた音だ。


 厳選されたとはいえ、フィリアが引き連れた兵の数は千を優に超え、万へと届く。

 その兵ら、ほぼ全ての血が、この平原の地を濡らしていた。


 全滅。


 軍事的な全滅など、とうに超えている。

 生きている者は既に、両の手で数えられる程度しか残っていない。

 文字通りの全滅と捉えたところで、大した違いはないだろう。


 ――ピチャリ。


 一歩、また一歩と、生き残りに近づく影が一つ。

 たった一つだ。

 ムトらは南側へと転移してからというもの、一歩たりとも動いてはいない。

 たった一つの影が、この地を地獄へと変えたのだ。


 その者の名は――、


「フィリア様ッ! 正気にお戻りくださいッ!!」

「……」


 ――フィリア。

 齢十六の少女だ。






「フィリア様ッ! 正気にお戻りくださいッ!!」


 爺の必死な呼びかけも虚しく、フィリアはその歩みを止めようとしない。

 そもそも、このような惨状になるまで、爺達がただ見ているだけだったはずもなく。

 呼びかけに、拘束、果ては物理的なショック療法まで。あらゆる手を講じた結果が、今の現状だ。


 最後の頼みの綱であるフィリアの父、ウォルスも、最初の一撃を受けて気を失ったまま、目を覚ます気配はない。

 完全な手詰り。まさに万事休すだ。


「チッ……クソったれが……」


 背後から聞こえてくる、乱雑な物言い。

 声は女性。女性でこんな物言いをする者など、爺は一人しか知らない。

 ゆっくりと爺の側を通り過ぎるその瞬間、


「待て」

「……なんだぁ? クソじじぃ 」

「その傷でやり合っても死ぬだけだ」

「んなこたねぇよ……。殴ればどんなもんでもぶっ潰せんだろうが」

「何を言っておる。……その腕でどうやって殴ると?」


 複雑に折れ曲がったそれは、ひと目見て骨が砕けているのが分かる。

 破れた袖からのぞく肌の色も普通とは程遠い。揺り動かすだけでも、激しい痛みが伴っている事だろう。


「それに、あばらもいくつか折れておるだろう。さっきから庇った動きしかしておらん」

「……それがどうしたよ。……やらなきゃやられる……だったら、ぶっ飛ばすしかねえだろ?」

「全力でも敵わんだのにか?」

「やってみねぇと分かんねぇだろ?」


 暴論だ。

 だが、もう手がないのも事実。

 フィリアは敵の手に落ち、ウォルスも目を覚まさず。そして戦力は無しにも等しい。

 この状況で爺らが出来るとすれば、それは……死を覚悟して立ち向かうことだけだ。


「……変わらんの、いつまで経っても」


 もはや、フィリアに声は届かない。

 であれば、主人となったフィリアの想いを汲んで行動するのが、従者たる者の使命。

 幼い頃からフィリアを知っている爺だ。例え変わり果てたとしても、何を願っているのかくらい分かる。


「フィリア様……命に変えましても、お止めしますので」

「……」

「手を貸せ、エリーナッ!!」

「だぁッ! その名で俺を呼ぶんじゃねぇッ!!」


 爺、そしてエリーナことギルマスが前へと出る――。

 だが、


「そっか、そっか。なら、向こうを先に皆殺しにしてからの方がいいよね?」

「「ッ!?」」


 さも可笑しそうに、弾んだ少年の声。

 この戦場に少年など一人しかいない。

 咄嗟に振り向けば、そこには邪神ムトの姿があった。

 歪んだ笑みを浮かべた、邪神の姿が。


「フィリアちゃん、向こう壊してきて」

「ッ! させんッ!」


 爺はフィリアへと駆ける。

 それだけはさせまいと、必死に手を伸ばす。


「――ぐぅッ!?」


 だが、何者かの横入りによって、その手がフィリアに届くことはなかった。

 見れば、黒い化物の腕が横腹を貫いている。

 久しく感じることのなかった死の気配……。接近されたことにすら気づけなかった自身の腕の衰えに、苛立ちすら感じる。

 しかし、後悔してももう遅い。

 口から、がはりと血が溢れ出た。


「ジジィッ!!」


 珍しく、じゃじゃ馬娘の慌てるような声が聞こえてくるが、今の爺にそれを気遣う余裕はない。

 力を振り絞り、化け物を跳ね除け、


「フィリアさまぁあああッ!!」


 ……叫んだところで彼女は止まらない。

 既にフィリアの姿はそこには無く。門の向こう側へと消えていく姿が爺の瞳に映った。





 王都中心部。

 そこに、二つの人影があった。

 一つは王都の学園に籍を持つ少年、リュー。もう一つは、同じく王都の学園に籍を持つ少女、ニーナだ。

 王都は現在、厳戒態勢が敷かれ、外出は制限されている。

 そもそも皆、教会や学園など、各所に避難しているはずなのだが、何故か二人の姿はここにあった。

 というのも、


「見つかったか?」

「いいえ、こっちには居なかったわ。……一体どこに行ってしまったのかしら」

「リーシェだったよな?」

「ええ」

「レンはどうした?」

「数分前に一度見かけたわ。南側を探してくるって」


 街の外で戦闘が起こる少し前のことだ。レンの妹である、リーシェの行方が分からなくなったそうだ。

 当然、レンはすぐさま探しに家を飛び出したが、見つからず。その時、たまたま忘れ物を取りに学園を出ていた二人と出会い、二人も捜索に加わった。

 が、しかし。未だリーシェは見つかっていない。


「爆発音が続いているからな。どっかに隠れているのかもしれない」

「そうね、もう一度調べて――」


 ――ゴォゥッ!


 とその時。

 ニーナの声をかき消すように、近くで大きな破壊音が響いた。

 見れば、数十メートル先の建物が砂埃を上げて崩壊している。


「いくぞ」

「ちょっと、待ちなさいッ! 近づくのは危険――」

「そこにいるかもしれないだろッ!」

「ッ!」


 いつもの馬鹿そうなリューではなく。そこにいたのは、頼り甲斐のありそうな一人の男だった。

 これまでずっと後ろをついて来ていた少年が、いつの間にか前にいた。

 ……あのリューが前にいる。ニーナとしてはそれだけで、ついていく理由として十分だった。


「……仕方ないわね。…………守ってよね、私のこと」

「ん? なんか言ったか?」

「さぁ? 急ぎましょ」


 そうして、二人は破壊音のした方へと駆け出した。






 その惨状を見て、二人は動きを止めた。

 家は倒壊し、地面は抉れ。

 魔道具が暴発でもしたのだろう。いくつかの建物からは火が上がり始めていた。

 そんな炎のすぐそば、建物の片隅に座り込む一人の少女。


 茶色の髪に、白いワンピース……間違いない。

 特徴からして、レンから聞いていた少女はこの子のことだろう。

 だが、それよりもその前にいる人物の方が問題だ。


 ニーナの記憶が正しければ、肌は黒くなってはいるものの、目の前のもう一人の少女は間違いなく――、


「ひめ、さま?」

「……」


 声に反応してか、フィリアの視線がニーナへと向く。

 そして次の瞬間――、


「危ねぇッ!!」


 瞬く間に突撃してきたフィリア。

 だが、隣にいたリューが割って入ったことによって、ニーナに怪我は無い。強いて言えばリューに突き飛ばされて少し手をすりむいた程度だろう。

 だが、リューは違う。

 一身に攻撃を受けたリューはただでは済まず、大きく吹き飛び、建物の壁へと激突した。


「リューっ!?」


 駆けつければ、そこにはまさに瀕死状態のリューの姿が。

 腕はあらぬ方向へとねじ曲がり、体の至るところから血が吹き出していた。

 衝撃に体が耐えられなかったのだ。

 咄嗟に剣を盾にしたのだろう。半壊した剣が、未だにリューの手に握られていた。

 これがなければ即死だった可能性が高い。


「……だ、いじょ、ぶ」

「大丈夫なわけないでしょうッ!?」


 と、そこへ駆けてくる青年が一人。

 レンだ。


「大丈夫かッ!?」

「レンさん、リューがッ! リューがッ!」

「焦るなっ! 絶対に、絶対に俺が治すッ!」


 だが、時間は待ってはくれない。

 少年の命が失われていくこの間にも、少女に命の危機が迫っていた。


 それに気がついたのは、ほんの僅か数秒後のこと。

 ニーナが視線を戻した先にあった、最悪な光景。


 腕を振り上げた状態のフィリアと、その眼下で震えるリーシェの姿がそこにあった。

 それにレンも気がついたのだろう。

 その現実を理解できないといったような口調で、


「……リーシェ?」

「お、お兄ちゃ――」


 しかし時間は……、フィリアの腕は止まってはくれない。

 次の瞬間には、その絶望が少女へと叩きつけられていた。


「リーシェええええええええええッ!!」


 轟音がニーナ達の鼓膜を打ち、砂埃によって視覚が奪われる。

 リューの剣を砕くほどの力だ。ただの少女に防げるはずがない。


「リーシェッ! リーシェッ!!」

「だめよッ! 危ないわッ!」

「止めるなッ! 行かせろッ!! 行かせてくれっ!」


 建物の崩壊は終っていない。近づけば、瓦礫に押し潰される危険性がある。

 それ故にニーナは必死でレンを止めた。

 そんな無駄死にをさせたとなれば、リーシェに申し訳が立たない。

 ……死んだ、あの少女に。


「リーシェえええええええええええッ!!」


 号哭が瓦礫の崩れる音ともに周囲に響く。


 …。

 ……。

 …………。


 そして訪れる、ひと時の静寂と共に、


「相変わらず、妹に甘々だね。()()()()()?」


 と、そんな揶揄う声が。


「……誰だ」

「誰だとは失敬な。友達の声を忘れるなんて、ひどいなぁ」

「友達? それは――」

「ばぁ!」

「「ッ――!?」」


 背後から聞こえてきた大声に、二人にして跳び退く。

 と、そこにはリーシェを抱えた、見覚えのある少年の姿があった。


「……ユート?」


 恐る恐るニーナがその名を呼べば、


「やぁ、弟子三人。遅くなってごめんね?」


 何も変わらない、飄々とした唯斗がそこにいた。


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