127話 ネックレス
――そうか。何とも我……いや、お前らしい望みだな。
「思いついたのは、これしかなかったよ。でも、もうこの願いは……」
――先ほども言っただろう? 心配する必要はない。後はただ、前を見て歩いて行けばいい。
「えっ?」
それはいったい、どういう……?
――そんなことよりも、だ。その入り込んでくる力に耳を傾けてみろ。
……いや、耳を傾けるって言われても、どうすれば良いのか。
間違いなく、悪いものではないのは分かるけれど、自分の力でもないものに耳を傾けるなんて……。
いっそ、本当に耳を傾けたら聞こえるのかな?
――馬鹿なことを考えていないで、さっさとその力を意識しろ。
「意識、ねぇ」
感覚的には魔素と神力を扱うような感じでいいんだろうか。
と、そう思ってこの謎の力を意識すれば、
『唯斗、戻って来なさい』
「おわっ!?」
突然頭の中に天照さんの声が聞こえて来た。
まさか近くにいるのかと、視線を巡らせるけれど、この部屋にいるのは僕一人だけだ。
「天照さん?」
――あいつはここにはいない。今の声は、お前の“繋がり”を通じてあいつが送ってきた力の副産物だ。
「繋がり?」
――そうだ。なぜ守護神と呼ばれる神が存在するのか、お前は知っているだろう。
「力が増すからだ、って聞いたけど」
――正確には、被守護者の、願いや想いといった強い感情から、とある力が派生する。守護者はそれを神力に転換して受け取っているために、力が増すのだ。
へぇ……って、なんでそんなことを知っているのかな? 僕でも知らない事なのに。
――神だからだ。
便利な言葉だね。
でも騙されないよ。絶対に何か別の理由があるよね? 僕に隠していることってたくさんあるんじゃない?
――ふむ……。で、だ。そのとある力が、今お前の中に入り込んでいる力の正体だ。
……無視なんだね。
分かっていたよ。うん、分かってた。
だから……苛立ってなんてないよ? 全然、全く、これっぽっちもッ!
――つまりその力は、お前が今までに出会い知り合ってきた“友達”が、想いを込めて送ってきた力、というわけだ。
「……友達? 向こうの世界の人たちも?」
――そうだ。
“友達”。
その言葉を聞いた瞬間に、もう一人の僕に対しての怒りなんてもともと無かったかのように、パッと消えた。
……ずっと心残りではあったんだ。
もう一度会いたいとは思っていた。話したいことも沢山ある。でも、世界間の転移は、そう何度も気軽にできるものじゃない。
だけど、僕はどうしても旅がしたかった。“自由”を感じたかったから。
だから僕は……、友達を捨てた。
僕は最低だよ。
いずれ別れがくる事は分かっていたのに、友達になろうって言って。そして、自分から離れた。
そんな僕が。
そんな僕がだよ?
皆んなに力を貸してもらうなんて……都合が良すぎる。
――はっ、馬鹿らしい。
「……何さ」
――それは、その力に込められた声を聞いてからでも、遅くはないのではないか?
「……」
聞いたところで、僕へと恨み言が……。
そう思いながらも、僕の中に入ってきた力へと意識を向けてみる。
怖いけれど、逃げてはいけないような気がしたから。
すると、
『お久しぶりですね。覚えていますか? リエナです。貴方に命と……そして国を救われた』
ッ!
……覚えていないはずがないじゃないか。
旅に出てから、誰一人として友達のことを忘れてなんかいない。忘れるわけない。
『突然神様を名乗る方の声を聞いて、こうして話しています。詳しい事は知りませんが、ユートがピンチなんだと言われて』
神様……天照さんのことかな?
一番最初に声が聞こえたのも、天照さんの声だった。
もしかして、皆んなに呼びかけてくれてる?
『えっと……何を言えばいいのか。言いたい事はたくさんあるのですが、そうのんびりと話している時間はないと思うので、端的に言いますね』
言いたいこと……。
やっぱり僕への恨み言が――、
『ユート。私は貴方に救われました。だから、今度は私が助ける番です。この想い、受け取ってください』
……。
…………。
……………………ははっ。
――分かったか?
「……うん。よく分かったよ。彼女は……リエナは僕のことを、微塵も恨んだりなんかしていない、っていうことが」
声を聴き終わると同時に、その想いも直接伝わってきた。
まるで他の誰かが感じている感情が、そのまま僕の中に入ってきたかのように。
きっと、これは紛れもない、リエナの感情そのものなんだろう。
そうこうしている間に、次から次へと新たな力が僕の中に入り込んできた。
……温かい。一つ一つが、とても。
もう一度意識を力へと向ければ、
『よう、聞いたぜ? 異世界にいるんだってな』
この声は……田中さん?
『こっちは平和だ。小豆洗ってりゃ死にはしないし、変わらねぇ毎日を送ってるよ。でも、お前は違うんだろう? 唯斗』
「……ごめん、何も言わずに出ていって」
『あー、お前のことだから、俺に謝ってるんじゃないか? 黙って出ていって〜、とか言ってな。でも、それは間違いだ。お前はちっとも悪くはない』
「でもッ!」
『そもそも、あっちこっちと駆け回っていたお前のことだ。こんな狭苦しい世界で終わるとは思っていなかったさ。それがまさか、異世界までとは思っていなかったけどな』
「……」
『ま、そんな事はどうでもいいか。それよりお前、ピンチなんだってな。こんな年老いた俺の力でよければ使ってくれ。……死ぬんじゃねぇぞ』
言葉はそれで終わりだったみたいだ。同時に、田中さんの感情も伝わってきた。
その感情は、心配と安堵。
前者は僕がピンチだと聞いた際の、心配。そして後者は、僕がまだ生きていたということに対する、安堵。
本当に、昔から田中さんは優しい。
……優しすぎて、涙が出てくる。
涙を袖で拭った後、もう一度意識を力へと向ける。
『ようユート、お前どこにいったのかと思えば、異世界にいるんだってな。通りで探しても見つからない訳だ』
と、同時に意識を逸らそうと全力を尽くした。
『おいおいッ! お前のことだから、俺の言葉は聞けねぇっていうんじゃないだろうなッ! ちゃんと聞けよ? 最後まで聞けよッ!?』
……僕は知らない。
共に魔術を学んだ奴なんていなかったし、事あるごとに僕を追いかけてくるストーカーなんて知らない。
断じて知らない。
『お前がピンチなんて想像もできねぇな。あ、それはそうと、今度そっちに行くから。楽しみに待ってろよ。じゃあな』
……話はそれで終わりだった。同時に気色の悪い感情が入ってくる。
そう。それはまるで、納豆を敷き詰めた風呂に飛び込んだような、そんな粘ついた不愉快な感情が……うぐぅ。
――あいつは相変わらずだな。だが良かったではないか。力は借りられたぞ。
「……腐ってないよね?」
――む……多分な。
そこは断言して欲しかった。
――ふむ。もう一度意識を向けてみろ。面白い人物から届いているぞ。
「面白い人物?」
君がそう言うと、嫌な予感しかしないんだけど……。
恐る恐るその力へと意識を向け、そして――全身に鳥肌が立った。
『しゃんとせんか。この馬鹿弟子が』
たった二言。
そのたった二言に全てが込められていた。
あの過酷だった修行の日々が思い起こされる。
体の一部が吹き飛んでも、「そんなもんかすり傷だ」と一蹴され。
魔術で数百メートル吹き飛ばされても、「死んでないなら良かろう」と手当てすらしてくれない。
あの、鬼なんて生温い、恐ろしい山姥のことを。
『ああ゛?』
ひっ……!
――どうだ? 身が引き締まったか?
「……そうだね。恐怖でね」
そんな喝が込められてはいたものの、師匠はしっかりと力を貸してくれていた。
感情が読み取れなかったけれど、それはおそらく師匠だからだろう。
“師匠だから“。
何という便利な言葉だろうか。
それで大抵のことは証明できてしまう。
でも、あんなに怖い師匠だったけれど。
無愛想で何を考えているのか分からないような人だったけれど、力を貸してくれた。
「……ありがとう」
本当に、ありがとう。
この繋がりから少しでも伝わればいいと思いながら、心の中でそう呟いた。
他にも多くの友達が力を送ってきてくれた。
もう随分と長い間会っていない人も、心配しながら、力を貸してくれた。
……本当にいい人たちだ。
と、そんな中。
一際目立つ力が僕の中に流れ込んできた。
もう一人の僕が言うには、想いの強さによって力の量が変わるらしい。
つまり、この力を送って来てくれた人は、僕のことを強く想ってくれたということ。
誰かと考えながら、先ほどまでのようにその力へと意識を向けてみた。
すると、
『このッ! バカ弟ッ!!』
出だしから酷く罵られた。
っていうか。この声は……、
「姉さん……?」
『天照様から聞いたわ。ピンチなんだって? どうしてそう無茶するのよッ! もっと自分を大切にしなさいよッ!!』
「……ごめん」
これは一方通行。言わば、録音された声だ。
それでも、僕は姉さんに謝った。
みんなの声を聴いて、想いを感じて。全てを捨てて消えようとしたことが、間違いだったことに気がついたから。
『……ねぇ、覚えてる? ネックレスのこと』
「ネックレス……」
首にかかる純銀のネックレスを、そっと服の内から取り出す。
何の装飾もない、ただ銀で出来ただけの無骨なネックレス。所々歪だけれど、なぜか惹かれる。
……今思えば、どこかで買ってきたにしては随分と洗い作りのネックレスだ。リングの形をしているものの、正確な丸じゃなく、その形も少し歪んでいる。
これじゃ、まるで……。
『あの時、唯斗はあのネックレスのことをすごく欲しがった。……私が作った、あんなにヘタクソなネックレスを』
「えっ」
作った……?
いや……そう言えば、姉さんがこのネックレスを持っていた時。確か……、「捨てるから」って。
『あんたはまだ小さかったから覚えていないかもしれないけど、あのネックレスは私が修学旅行に行った時に、体験学習で作ったものなの。でも、私って不器用でしょう? だから、簡単な形しか作れなかった。しかも、それでも見た目が悪くて』
……そうだったのか。でも、どうしてそれなら、「捨てる」なんて?
思い出の品であることは間違いないはずなのに。
『実はね、それ、あんたにあげようと思っていたの』
「えっ?」
僕に……?
『でも、クラスの男子に、「そんなのもらってもうれしい奴なんて居ない」って言われて、あげようかすごく迷ってた。それで、その様子をあんたに見られて、「それどうしたの?」って聞かれたもんだから、思わず「捨てる」って言っちゃったのよ』
……そうか。少し思い出してきた。
それで捨てるって言われたから、「なら僕が欲しい」って言ったんだ。
でも、姉さんは「絶対にあげない」って言って、それで喧嘩になった。
『…ずっと。……ずっと前から渡したかった。でも、私って不器用、だからさ……、渡せなかった。あんたが居なくなってから……ずっと、……ずっと後悔してたッ!』
「……」
姉さんの震えた声が聞こえてくる。
小さい頃。僕の前では一度も泣くことのなかった、気丈な姉さんの、嗚咽混じりの声が。
……姉さんが僕の前で泣くのは、これで二度目だ。
『あんたを縛りつけたりなんてしない……でも……だから、死なないで。……生きて。私は、死んで欲しくてそれを渡した訳じゃないッ!』
「……うん」
『……生きて』
「………………うんッ」
……ははっ。ぼやけて何も見えないや。
でも、ここなら誰にも見られない。
思う存分……涙を零せる。