123話 堕ちた少女
唯斗に絶望を知らせ、戦いを終えた後。
邪神ムトは玉座に腰かけながら、精霊リンを媒介として創ったダンジョンコアを片手に、一つの問題に頭を悩ませていた。
その問題というのが、“このダンジョンコアを一体誰に使うべきか”というもの。
かつて無いほどに完成度の高いダンジョンコアが出来上がったものの、それをフルに活かすためには、それ相応の力を持った人でなくてはならない。ただの凡人に与えれば、ダンジョンコアの力を生かしきれない可能性があったのだ。
ただ力が強いだけではダメだ。
ムトの推測が正しければ。知性を持った精霊を材料とすれば、黒い人型にも考える力が残るはず。だというのに、わざわざ頭の弱い奴を変化させるメリットは微塵も無い。
かと言って、賢ければいいかと問われれば、そう単純な話でも無い。戦いの知識があるのと、それを実際に体で体現するのでは訳が違う。
加えて、ダンジョンコアにも相性というものがある。ダンジョンコアの力――神力が体に馴染まなければ、十全の力を発揮できないだろう。
結局のところ。戦いのセンスがあり、かつ神力という力を受け入れ易いような人物でなければ、このダンジョンコアを生かし切ることはできないということだ。
果たしてそのような者が存在するのか。――否。
どちらとも満たす様な人物が簡単に見つかるのであれば、ムトはこうして玉座で唸ってはいない。
優先順位としては、後者の“神力を受け入れやすい人”。次点で“戦いのセンス”だ。神力が馴染めば、それだけ力が増す。戦いのセンスなど、ある程度補えてしまえるだろう。
とは言っても。神力と相性がいい人など、そう簡単に見つかる訳がない。
現時点で、ムトが思いついた候補者はたった一人だけ。
かつて、共に暮らし、妹と呼んでいた存在。復讐の阻止を企て、他の神々の元へと下った、裏切り者。
今は元メイドなどと呼ばれている――ティアリスだ。
憎い相手ではあるものの、素材としては他よりも頭ひとつ抜けている。
彼女の才能はもちろんのこと。神と共に育ったことにより、神力もなじみやすい。
現在ムトの知る人の中で、これ以上にダンジョンコアの力を活かせる人物はいないだろう。
だが、一つ大きな問題があった。
というのも、元メイドこと、ティアリスの居場所が掴めないのだ。
理由は不明。つい先程再開を果たすまで、ティアリスの“テ”の字も見つからなかった。
そんなことがただの人間にできる筈もなく。となれば、神の存在を疑うのが必然だ。だが、ここまで長い年月、それも上級神である邪神の目から逃れるとなると、ムトの知る中に心当たりはない。
結界の中に閉じ込めた、あの連中の中には――、
「……まさか」
ふと、まるで夢のことのように感じていた出来事を思い出す。
あの時。唯斗の隙をつき、ティアリスを半殺しにしようと攻撃した、あの時のことだ。ムトの一撃は、何者かによって阻まれた。
あの力は間違いなく神力だった。その質から唯斗のものではないことは分かっている。
だが、あの神力は結界に閉じ込めた連中のものとも違う。
あの時、ムトが感じたのは“懐かしさ”。ティアリスを守った力は、自身が姉のように慕っていた、リチェルティアの神力と同じものだった。
「いや、そんなはずはない。あの時、リチェル姉さんはゴミ屑共に……」
リチェルティアは人らの手によって殺された。“神殺し”の力を持つあの剣で心臓を貫かれたあの姿が。散り際が目に焼き付いて離れないムトには、彼女が生きているとは思えなかった。
「……チッ。忌々しい」
ダンジョンコアを握りしめ、視線をモニターへと向ける。と、そこにはエルムス国国王であるウォルスの姿が映っていた。
頭痛がすると言わんばかりに顔を顰め、必死に書類と睨めっこ対決を繰り広げる彼。目の下に墨汁でも薄めて塗りたくったような跡から、その疲れの程度が窺える。
「ははっ。賢王と呼ばれた国王サマがこの様か」
ウェステリア軍の対応に追われ、苦しんでいる姿を目にして、ムトは溜飲を下げた。
そしてふと思う。彼ならこのダンジョンコアの素材に足る力を持つのではないか、と。
頭の良さでは十分。あとは技量と神力の馴染みやすさなのだが、
「ああ、そういえばこの男って、剣の腕がさっぱり何だったっけ?」
ダンジョンコアの候補を探す際に、そのような噂を耳にしたのを思い出す。
この時点で、ウォルスに対する興味は、その辺りに転がっている石ころ同然と化した。邪魔をするのであれば蹴り飛ばす。ただそれだけだ。
と、そんな無価値な石に近づく新たな石がひとつ。
少女だ。
人は歳を重ねるごとに力を増し、徐々に衰えていく。
知識であれ、技であれ。若者よりも、経験を経た者こそ、ダンジョンコアの素材としてふさわしい。
それに則るとすれば、目の前に映る少女はその対象には入らない。あのような細腕の少女が、どうして強者足ると思うだろうか。
そう思い、ムトが視線を逸らそうとしたその瞬間、――少女の目と合った。
「――ッ!? 」
驚きで目を見開くムト。
少女がこちらの視線に気がついたというわけではない。現に、少女は変わらずウォルスと話をしているのだから。
ムトが身を乗り出して驚いたのはそうではない。少女の瞳が、人の持つ瞳ではなかったからだ。
――神眼。
半人半神は、唯斗以外には確認されていない。だが、極稀にではあるが、人が神の瞳を持って生まれてくることがあった。
長く生きているムトとて、過去にたった一度だけ見たことがあるだけだ。それほどまでに、貴重な存在。それが、神眼を持つ“人”だ。
神の眼を持ち生まれてきた。それはつまり、神力に対して高い親和性を持つということ。そして、ダンジョンコアの最適な素材足る人物だということだ。
石は石でも、鉱石。それも、磨けば輝く宝石だ。
「見つけた……」
それからというもの、ムトはその少女の才を見極めるのに時間を割いた。
結論は――限りなく有用。
才ありと判断し、あとはその実力を見極めるだけとなった。
これで実力もあれば、この世で一番……いや、過去も含めて、最高の素材と言えるだろう。
そして現在。
眼下で喚く少女を前に、ムトは感激のあまり笑い声を溢していた。
「うくっ……ああ、ああぁぁぁッ!?」
「ははッ! 最高ッ! 最高だよッ!!」
少女の真っ白だった肌が黒く染まっていく。だが、他のダンジョンコアとは違い、少女の顔も、体にも変化がない。
あるとすれば前述の通り、肌が邪神の神力のように怪しく黒く染まっていったこと。
そして。ムトによく似た、絶望を体現したかのように黒く染まった瞳。
「君にしてよかった……。フィリアちゃん」
やがて動きを止め、表情の無くなった少女フィリア。その姿を見て、ムトはポツリと呟く。
黒い人型の化け物にはならず、肌と瞳の色以外はいつもと変わっていない。ムトの神力に負けずに、そのまま馴染んだということなのだろう。
「……さて、そろそろ見掛け倒しも無くして、と」
ムトは振り返り、パチリと指を鳴らす。
すると、大勢控えていた兵の姿が、まるで蜃気楼のように周囲に溶けて消えた。
「それじゃ、ここからは少数精鋭でやっちゃおうか。試運転も兼ねて」
「ムト様、私も参ります」
フードで顔を隠した女性が近づき、そう告げる。
「んー、まぁいいよ。じゃ、君も行こっか。あそこにいる連中も、全員招待してあげようじゃないか」
再びパチリと指を鳴らせば、結界外にいたエルムス国の兵らもまとめて姿が掻き消えた。
ムトが使ったのは、転移。
それも、
「……フィリア?」
ウォルス達のいる、南側の平原へお互いの戦力が集まった。
「さぁ、始めようじゃないか」
覇気のないウォルスの声など気にもせず。ムトは戦いの狼煙を上げた。
――第二ラウンドの始まりだ。