122話 死の知らせ
「フッ!」
その華奢な身体からは想像できないほどの速さで接敵する。
狙うは神剣。叩き落とすことができれば最善ではあるが、フィリアとてそう思い通りにいくとは思っていない。
故にこれは様子見兼、次の一手につなげるための一撃だ。
互いの剣が交差する。
が、やはりただのど素人が神剣を持っているわけではなかった。あっさりと弾かれ、距離を取られる。
(……距離を?)
相手が距離をとったことに疑問を覚えるフィリア。
フィリアの持っている細身の剣は一見鉄に見えるが、見た目よりも随分と軽く、その華奢な筋力でも容易に振り回せるように作られた特注品だ。
とは言え、耐久力が特段高いわけでもない。耐久力、切れ味、特有の力など。神力の豊富に含んだ神剣が、凡庸な剣よりも多少優れた剣に劣らない筈がないのだ。本気で打ち合えば、先に壊れるのは間違いなくフィリアの持つ剣だろう。
だというのに、敵は攻めるではなく距離をとるという引きの一手をとった。
(罠でしょうか……。いえ、その様子はなさそうですね。どちらかと言えば、これは……様子見?)
何やら探るような視線に気がつく。
フードの人物の背後に控える、数多の軍勢からの視線かとも思われたが、感覚的にそれを否定する。
というよりも、だ。
(何なんでしょう、この違和感は)
皆、フードを被っているために顔は見えないのだが、目の前のフードの人物とは何か差がある。そう、フィリアは直感で感じ取った。
とは言え、フードを被った怪しい集団に変わりはなく、見た目の上では何の違いもない。むしろ、どうしてあの軍勢は自身を攻撃しないのだろうか、と言う疑問が新たに浮上したために、その違和感は頭の片隅へと追いやられた。
「あちらの方々は参加しないのですね」
「……」
無言を貫き通すフードの人物。
情報を引き出そうにも、何も喋らないのでは取り付く島もない。
フィリアが突貫して分かったことといえば、神剣の有無くらいだろう。あとは全て直感で感じ取ったものばかりだ。根拠はどこにもない。
ともあれ。単身戦場に突っ込んできたフィリアとしては、早々に事を成して街へと戻りたいところだ。
兵らを差し置いて、王がもっとも危険な敵陣の真ん前にいるというのは非常識にも程がある。それはフィリアとて自覚がないわけではない。
故に、早々に。かつ無事に帰還しなければならない。後方で戦線恐々しているであろう、指揮官補佐のためにも。
――相手の気が変わる前に決着をつける。
睨み合いの末に出した結論がそれだった。
「なら……参りますッ!」
一呼吸置いて、再びフィリアは敵へと肉薄する。
さっきと同様の動きだ。フィリアは全神経を集中させ、相手の動きを捉えながら剣を振るう。
(――またですか)
相手の挙動も先ほどと同じく、フィリアの剣を弾く為の動き。
これほどフィリアがわざと隙を見せているというのに、それに乗っかる様子は一切見られない。
なぜ時間を稼ぐような真似をするのか。どうして殺そうとしないのか。
疑問が絶えないが、油断しているのだとすればこれは好機だ。
「――【草縛】」
「ッ!」
フィリアは瞬時に組み上げた魔術を行使する。
陣――魔術陣というものを組み上げるのには慣れが必要だ。正確な陣でなければ、術は発動しない。
もちろん、術の規模によって難度は左右される。だが、もっとも単純かつ規模の小さい魔術であっても、並の魔術師ならば秒単位の時間を要する。秒未満で発動できるものなど、その筋で生きてきた老齢の熟練者か、神々くらいのものだろう。
今回フィリアが行使した魔術は、草を操り相手を拘束する術。それほど拘束力が強いわけではなく、足に絡みつく程度で規模も小さい。
しかし、それでも魔術であることには違いない。この若さでこのレベルの魔術を行使する少年少女など、果たして他にいるかどうか……。
その凄さは、フードを被った者が唇を引き締めたことからも伝わってくる。
足元に気を取られたであろう敵に対して、フィリアはさらに追撃の手を打つ。
剣と剣がぶつかり合うその瞬間。剣の刃で滑らせるようにして受け止め、相手の太刀筋を強引に変えたのだ。
「せあッ!」
気合を入れてそのまま大きく外側へと弾き飛ばせば、相手の体勢が大きく崩れた。
一太刀目で相手の出方を伺い、二太刀目で勝負を決めに行く。最短で勝負を決めにかかったのは、下手に相手に剣筋を晒せば不利になると考えてのことだった。
技を見せれば見せるほど敵は警戒する。ならば、見せ尽くす前に倒せば良い。
口に出すのは簡単だが、実行するのはそう簡単なものではない。動きに一瞬でも濁りを見せれば、こうもすらすらと事は進まなかった筈だ。
寸分違わぬ斬りかかり。初動を感じさせない魔術の行使。そして、相手の隙をつくような、流れるような剣捌き。
それら全てが噛み合ったからこそ、たった二太刀でここまで追い込むことができた。どれか一つでも失敗すれば、こうも上手くはいかなかっただろう。
つい最近まで部屋に閉じ籠っていた少女とは思えない動きだ。実はフィリアではなく、影武者だったと言われた方がまだ信じられる。
が、正真正銘、この華奢な少女はフィリアで間違いない。
彼女はただ、見て、聞いて、体験して学んだのだ。
王を守るために鍛えた騎士長の剣を。幾多もの魔物や強者と戦い、自らが強者となったギルドマスターの剣を。
――天才。
一言でフィリアを表すとすれば、それしかあるまい。
何をするにしても、習得までの期間が他者と比べて圧倒的に早い。その者が何十年と掛けて習得した技術を、たった数度見ただけでものにしてしまうのだ。これを天才と言わずしてなんと言おう。
その才能に気づいたウォルスが柄になく取り乱していたのは、フィリアの記憶に新しい。
して。
足りていなかった経験。それを才能で埋め合わせたフィリアは、戦う力を得た。
故に、少々慢心した部分もあったのだろう。戦う力さえあれば、自分の力でどうにか出来る、と。
しかし、フィリアは剣先を敵の急所へと走らせながら、ふと思ってしまったのだ。
――殺すの? 私が?
と。
このまま剣を心臓へと突き立てれば、間違いなく相手は死ぬ。
血が飛び散るだろう。痛みもあるかもしれない。そんな事を考えながら、人を殺せるだろうか。
今まで人を傷つけた事すら無かった少女が、人を殺せるだろうか。ーー否。
そんな気の迷いがフィリアの剣筋を惑わせた。それを見逃す敵ではない。
一瞬の間に拘束から抜け出し、フィリアの剣を弾いてその細腕を捻りあげた。
「いッ!?」
腕の痛みで呻くフィリア。
そんなことなど知ったことではないというように、その拘束が緩まる事はない。
結局、覚悟が足りていなかったのだ。罪を背負うと言いつつ、フィリアは敵を殺す覚悟を持てなかった。
……人を殺す、覚悟が。
「ッ! いっちゃんッ!」
指揮官が、それも王が捕まるなどあってはならない事。兵達の士気を下げかねない。
万が一のために隠れてもらっていた、いっちゃんに助けを求めれば、敵の背後から高速で飛んで来る人形の姿が。
別に倒さなくてもいい。ただ隙を作ってくれれば……そう思っていたのだが、
「何これ」
突如現れた少年の手によって、あっさりと払われてしまった。
「いっちゃんッ!?」
ただ払っただけの割には、バキッ、と鈍い音が響く。
二転三転して、大きく吹き飛ばされたいっちゃん。呼びかけ続けるも、起き上がる様子はない。
「離してくださいッ! 離してッ!」
すぐにでも駆け付けたい気持ちがフィリアを突き動かす。
腕や関節にどれだけの痛みが走ろうとも、体を捻り、逃げ出すことを諦めない。が、いくら力を込めたところで、両手を拘束する敵の手がそれを許さなかった。
「……変なの。まぁ良いや。いやいや、まさかまさかの展開で驚きっぱなしだよ」
唯斗と同じくらいの背をした黒髪の少年が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
いっちゃんを吹き飛ばした憎い相手だ。
フィリアは声のする方を睨みつけ――息を飲んだ。
その少年を覆う禍々しい神力の気配。そして、その内に宿るどす黒い闇のような神力。
フィリアは悟る。……間違いない。目の前の少年が全ての元凶。邪神ムトだ、と。
アルミルスや唯斗のような澄んだ心地の良い神力とは違い、吐き気を催すほどに濁った神力だ。
そう、それはまるで負の感情を具現化したような。少年に負の感情が宿っているのではなく、負の感情が少年の姿をしている。それがフィリアが感じた、ムトという名の邪神だ。
そう思うほどに不気味な存在だった。
「王が結界を出てきたのにも驚いたけど、まさか一人で特攻して来るなんて思わなかったよ。僕の裏をかくっていう意味では良い作戦だったんじゃないかな。まんまと引っ掛かったし」
「……あなたは」
「ああ、僕? そんなのキミなら分かってるでしょ。君らが、邪神って呼んでる存在だよ」
「邪神……ムト」
「そうそう」
気軽にのほほんとした風に話してはいるが、神力が見えるフィリアからすれば、それは上辺でしかない。
言うなれば、悪魔が笑顔で近づいてきているようなものだ。それが分かっていて気を許す者など居やしまい。
「君となら色々話をしても楽しそうだったんだけど、こっちも予定が詰まっててね。ここを落とした後は、ゴルタルの連中を相手をしないといけないんだ」
ここ……つまりは、ウェステリア国のことだろう。
「落とさせませんッ!」
守りたいという願いに豊穣の短剣が答えたのだろうか。拘束していた敵もろとも、フィリアを中心として発動した結界がムト達を弾き飛ばした。
「おっと……これが結界、ね。なかなか頑丈にできてそうだけど」
そう言いながらムトは結界に触れると、イテテと数回手を振り、
「なるほど。本人が拒絶した者は一切通さないみたいだね。……ねぇ、僕の駒って今どこに居ると思う?」
唐突にそう問いかけてきた。
「……駒ですか?」
「惚けなくて良いよ。君らが黒い人型とか呼んでいるあれだよ。はっきり言って、君らの戦力程度ならあれを使えばすぐに決着がついた。なのに、どうして僕がそうしなかったか分かるかな?」
分かる筈がない。邪神の考えることなど。仮に分かったとしても、それを理解したくない。
フィリアは内心でそう吐き捨て、状況の打破へと思考を割く。
……が、しかし。
「僕はね、少しでも君達に絶望を味わって欲しいんだ。その方が愉しいからさ。僕が味わった苦しみを、君達も十分に味わうと良い」
その直後、爆音が聞こえてきたと同時に、街の方から土煙が上がった。
考えるまでもない。南側から襲撃を受けたのだろう。しかし、そんな状況でもフィリアの心は乱れなかった。
未だ街の結界が破られていないという安心感が一つ。それに加え、あそこには騎士長達がいる。
北側以外の襲撃を考えないはずもなく。仮に敵が黒い人型であったとしても、持ち堪えられそうな騎士長やギルマスのような、特に力を持つ者達だけを配置していた。
彼らの強さがフィリアの心を支えている。
そして何より、唯斗の存在が心の折れない最大の理由。彼が助けてくれると信じているからこそ、戦場をたった一人で駆けることができた。
唯斗という希望があるから。
「ははっ」
そんなフィリアを見透かしたように、ムトが嗤う。その口を三日月へと変えて、嗤う。
そして、
「良い事を教えてあげるよ。ユートはね、死んだよ」
何でもないようにそう口に出した。
「………………えっ?」
たっぷりと間を開け、出た言葉がそれだった。
理解ができない。邪神の放った言葉が、謎の呪文を解読する様に頭の中でグルグルと回る。
(死んだ? 誰が? )
困惑するフィリアに追撃の手が伸びる。
「ついでに、君が向こうにも戦力を回していたのも知っているさ。こそこそと此処に回り込もうとしていた連中もね。ま、あとは君に頑張ってもらうとするよ」
ムトがかざした手から溢れ出るように神力が流れ、結界を覆い、
「所詮は神剣かな」
その言葉と同時に、結界があっさりと消滅した。
何が起きたかなど、フィリアには微塵も理解できなかった。ただ、ムトの神力が結界を覆っただけで、破られてしまったのだ。
「嘘……うそです」
「何が? ユート? それとも結界を破ったことかな? ま、どっちもってとこか」
「ユート様は……あなたになんて」
「そう? 僕が此処にいるのが一番の証拠じゃないかな。何なら、ユートが何をしにどこへ行ったのかも言った方がいい? ユートはね、無能な君らのために神々を助けようと――」
「やめてくださいッ!」
悲痛な声が戦場に突き刺さる。
最大の支えを失い、フィリアはその場に崩れ落ちた。もはや、折れた心を支える者は此処にはいない。
希望は墜え、最大の友を目の前で亡くした。此処で親しい誰かの声が一つでもあれば、まだ立ち上がれたかもしれない。
だが、それももう遅い。
悪の手がゆっくりと伸びていく。
「……やっぱり。素材としては抜群だね。あれよりもこっちにして良かったかもしれない」
フィリアの顔を覗き込みながら、ムトはそのようなことを口に出す。
もはやフィリアの耳に言葉は届いていない。ただ、涙をこぼしながら、唯斗の名を呼び続けていた。
そんな事はお構いなしに。ムトは懐から取り出した黒い玉――ダンジョンコアを取り出し、
「さぁ、絶望を見せてよ」
フィリアの口へと放り込み、飲み込ませた。