119話 人対神
「ッ! それは……いえ、それしかありませんか」
「神剣とはいっても、その力が無限にあるわけではありません。それはあちらもこちらも同じ……いえ、向こうには自由に動ける邪神ムトがいる分、力が無限にあると考えて動いたほうがいいでしょう」
「そんなまさか」
「最悪を想定して、ですよ」
フィリアが戦術について近衛騎士長に聞いた際、真っ先に教えられたのが、“常に最悪を想定すること”だった。
希望的観測は論外。『流石にそれはないだろう』という思い込みが、仲間を殺すことになる。
それを聞いて、フィリアはエルムス国の歴史書に書かれていた、とある出来事を思い出した。何世代も昔の話だが、国王が魔物に襲撃され、亡くなった事件があったのだ。
魔物による被害は絶えない。それだけを聞けば、ありふれた話の一つに過ぎなかっただろう。
だが、王を殺した魔物は、それなりに鍛えた兵士ならば手堅く倒せるような魔物だった。だというのに、王は死んだ。
別にその魔物が特別強かったわけではない。ならば何故、王は死んだのか。
慢心していたのだ。他でもない、王を守る護衛の騎士長が。
理由は二つ。
一つは、遠出からの帰路、目と鼻の先に王都が見えていたことによる安心から気を抜いていたこと。
そしてもう一つは、自分には力があるからという驕りだ。
その騎士長は、王都でも一、二を争うほどの剣の腕を持っていたそうだ。故に騎士長は思った。
ーー魔物の少ない王都目前で、『私に敵うものなどいないだろう』と。
その結果が王の死だ。
騎士長は責任を取って処刑。歴史書に挟まっていた紙には、その騎士長が死ぬ前に書いたであろう懺悔と後悔が、延々と綴られていた。
それを読んでいたからこそ、フィリアは近衛騎士長の言っていた、“常に最悪を想定する”ということを深く心に刻んだ。
どんな出来事も軽視はしない。
一人でも多くの人に生きていてほしいから。
とは言っても。
起き得ること全てを警戒していたのでは動くこともできない。故に、そこからは敵との読み合いだ。
(今私が戦っているのは人でしょうか。それとも邪神ムトなのでしょうか。……最悪を取って邪神ムトとしておきましょう)
フィリアは続けて思考を巡らせる。
(砲撃は届かない。やはり近づかないことには、あの黒い炎は止められないですね。投擲器を移動させるのは……諦めたほうがいいですね。あれを移動させるなんて、的にしかなりません。ならば……)
「……え」
不意にお腹のあたりでもぞもぞと動く何かに気がつく。
見れば、そこには首を斜めにする、市松人形のいっちゃんの姿が。
何かを訴えかけてきている。しかし人形故に喋るはずもなく。一般人には何を言っているのかさっぱり分からないだろう。
だが、そこは互いに心を通わせる者同士。フィリアはいっちゃんの言いたいことをすぐに理解した。
「いっちゃんが倒してくるって?」
その通りと言わんばかりに二度頷くいっちゃん。
まるで散歩に出かけてくるような気軽さで、『殺ってくるよ?』と言っているようだった。
「ありがとう。……でも、ダメ。いっちゃんにはして欲しいこともあるから」
シュン、と目に見えて落ち込む彼女の頭をそっと撫でると、フィリアはマルクスへと指示を出した。
ところ変わって、ウェステリア国王都の王城。その主である邪神ムトは、玉座に座りながら、モニター越しに兵士達へと指示を出していた。
「そうそう、その調子でね」
また一つ指示を出し終えると、一息ついて戦況を見直す。
「小国はだいたい滅ぼしたかな。あとはエスカトスとガルバントラ、それとゴルタルとエルムスくらいかな。大きな所と言えば」
モニターへと手を振りかざせば、その四国の様子が大きく前に出てきた。
「うーんと……エスカトスは順調か。あそこは竜神が強いだけで、あとは雑魚ばっかだからね。この調子ならあと半日もあれば落とせるかな」
画面に映る竜人達が、また一人、また一人と倒れる。が、竜人達が特別弱いわけでは無い。むしろその逆だ。
実際、竜人が一人を倒すのに、数人の命が散っている。が、しかし。ムトの送り込んだ兵は、その程度では退けられない。
種族的に竜人は数が少ないということもあり。数の暴力に押しつぶされるのも時間の問題だろう。
ムトは隣のモニターへと視線を向ける。
「あー、ガルバントラか。ここも大丈夫そうだね。ただの力の強いだけの獣に負けるわけがない」
獣国ガルバントラ。主に獣人の住む国だ。
獣人は皆、自身の力を全てと考えるところがある。種族的に人間よりも力を持つためだろうが、この戦争においてその考えに囚われていては勝利を掴むことは難しい。
というのも、力ばかりで攻めてくると予想していたムトが、ガルバンに進軍した兵士達には他の倍以上の魔道具を持たせたのだ。
近づいて殴る蹴るを攻撃の主体とする獣人にとって、魔道具による遠距離集中砲火は天敵と言ってもいい。
なす術もなく地に倒れ伏す獣人達の姿が、モニターに映し出されていた。
ムトはさらに隣へと視線を移し…、その直後。眉を僅かに潜めた。
「ゴルタルか。どうやら宣言通り、守りを固めることにしたみたいだけど……、ちょっと厄介かな」
画面には、大爆発により吹き飛ぶウェステリア国の兵達が写っていた。
ウェステリアが調達した魔道具のほぼ全てはゴルタルで作られたもの。やはり物作りという点では、ゴルタルは世界でも群を抜いた技術を持っている。それもこれも、ドワーフという種族が物作りに長けているということに他ならない。
そもそも自前の力だけで神剣と同等の物を作ろうとしている連中だ。心構えからして、他の種族の上を行っている。
そんなドワーフ達が協力して国の防衛に努めればどうなるか。結果はムトの不満げな表情が全てを物語っていた。
「なに、今の爆発。あんなのあるなんて聞いてないよ。……いや、隠し持っていたとかではなさそうか。どうせあの連中のことだから、『とりあえず作ってはみたけど、試す場所がないから置いとけ』とか言って、長い間埃被ってたのを出してきただけだろうね」
これでも長い間、人という生き物を見続けてきたムトだ。ドワーフが大体どんな性格をしているかくらい知っている。
とは言え、それを知っているからと言って全て分かるわけではない。神にだって分からない事はたくさんある。
分からないことは、分からない。なら今考えるべき事は、あの山のようにある魔道具をどうやって攻略するかだ。
「……あいつらにやらせてもいいんだけど」
ムトが呼ぶ“あいつら”。それは言わずもがな、唯斗達が黒い人型と呼ぶ者のことだ。
神の領域に足を踏み込んでいるあれらなら、十分ゴルタルの王都を更地にするだけの力はあるだろう。しかし、とある物の存在のせいで踏み切れずにいた。
「あるんだよねぇ。……あの国に神剣が」
どの大国にも神剣があるのは知っていた。
しかし、その中でもゴルタルにある神剣は他とは別格だ。あれはこの世にあっていい存在じゃない。
邪神ムトでさえ恐れる神剣。その力はーー“神殺し”。この世界で唯一、神を殺せる力を持った神剣だ。
いつ創られたのか、誰が作ったのかさえ分からない。だが、確かにその神剣はゴルタルの王都に存在する。
何せその神剣こそが、姉をーーリチェルティアを屠った剣なのだから。
「うーん」
ムトは椅子の背もたれに背中を預けながら、じっくりと思案する。
あの神剣は心底憎い。憎いが、あれをムトにどうこうすることはできないのだ。あれは神に対しては絶大な効果を発揮する。
それはムトとて例外ではない。そしておそらく、黒い人型さえも。
しかし、ここで下手に特攻を仕掛け、大きく戦力を削られるわけにはいかないのだ。
本当の戦いはここじゃない。
「……よし。戦力を分けてみようか」
現在攻めているのは王都の北側。南はガラ空きだ。
戦力を全く用意していないとは思えがないが、それでも北側よりかは少ないかもしれない。
そう考えたムトは、様子見に数百人程、兵を南側へと向かわせた。
「これで少し放置、と。あとはエルムスだけど……」
最後のモニターへと視線を向けると、そこにはムトが予想してなかった展開になっていた。
「……へぇ、攻めてきたか」
半数ほどの兵が中央から。そして、鎧を着ていない、足の速い冒険者達が左右から回り込むように本陣へと向かってきていた。
しかしそれは予想していたこと。ムトが兵の一人に持たせた神剣は、豊穣の短剣の発動を止められなかった時のために用意しておいた物だ。十分に、あれに対抗できるだけの力は込めてある。
となれば、相手は是が非でもそれを止めたいだろう。そう考えるのが自然だ。
しかし、砲撃は本陣までは届かない。ならば、直接叩く他あるまい。……そこまでは予想していた。が、まさか敵の大将までもが出てくるとは思っていなかった。
「王女自ら出陣とは。……ああ、今は女王だっけ? まぁどっちでもいいけど」
……楽しい。楽しいなぁ。
自然とムトの顔から笑みが溢れる。
はっきり言ってしまうと、ムトもしくは黒い人型が出れば、エルムスはすぐに陥落するだろう。しかしそれでは面白くない。
一方的な殲滅も飽きてきた頃だ。ちょっとくらい遊んだっていいはず。
そう考えたムトは、ニヤリと笑みを浮かべながら兵らへと指示を飛ばした。