115話 成長
「災厄神……ですか」
「はい。確かそのような名だったかと」
「随分と物騒な呼び名ですね」
寒くも無いのに、フィリアの体がブルリと震える。
神には名前以外にも呼び名が存在する。
アルミルスであれば“豊穣”、ムトであれば“邪神”と言ったように、その者の体を表す呼び名が付けられるのだ。
これは誰か決まった人物がつけるなどとは決まっていない。自然と呼び名が定着した者、自ずから名乗っているうちに呼び方が広まった者など、その経緯は様々だ。
言わば、物語に出てくるところの“英雄”や、“勇者”のような称号と同義である。
呼び名の経緯がどうであれ、誤った呼び名が付くなどまず無い。その称号が付けられたのであれば、必ず何かしらの理由があるはずだ。
「その神はとても怖い神だったのでしょうか。しかし、そんな神が守護神になるなんて……。爺、他に何か覚えてはいないのですか?」
「そうですなぁ……」
無意識なのか、自前の髭をゆっくりと梳く爺。
そんな爺を見たギルマスは馬鹿にしたような笑みを浮かべ、
「はっ、歳とりすぎてボケちまったんじゃねぇの?」
「……なに?」
「もうジジイなんだって言ってんだ。さっさと隠居でもしたらどうだ?」
「ほほう? あの頃のお子様が成長したと思っておれば、結局成長したのは身長だけだったか」
「あん? 何言ってんだクソじじぃ。なんとかって言うので訴えんぞ」
「はっ。頭まで成長していないとは……。嘆かわしいの、こんなのがギルドを仕切り、纏めるギルドマスターなどとは。いったい誰に似たのか」
「……おい、言いたいことがあんならはっきり言いやがれ」
「っと、すまんかったな。お主の馬鹿な頭では理解が追いつかんのだったな」
「あ゛あ゛んッ!?」
会話から察するに、爺とギルマスは昔からの仲らしい。
しかし、仲が良いと言っていいのか、はたまた悪いのか……。互いに睨みつけ合う様子は側から見ると子供の喧嘩にしか見えないが、喧嘩に巻き込まれれば、被害はそんな可愛い程度で済むはずはあるまい。
片や殺す勢いで槍を唯斗に投げつけた人物。片や荒くれ者を叩き潰し、唯斗へと襲い掛かった戦闘狂。そんな二人がぶつかり合えばこの執務室がどうなるかなど、容易に想像がつく。
ギルドの建物の二の舞……いや、その程度の被害で済めば御の字だろう。
まさに一触即発。
そんな部屋に、パンッと乾いた音が響いた。
音の発信源は意外や意外、荒ごととは無縁に見える無垢な少女の小さな手から飛び出していた。
「お二人とも、いい加減にしてくださいね」
両手を合わせた状態のまま、笑顔を振りまくフィリア。
それだけで爺は直ぐさま頭を下げ、謝罪の言葉を吐いたのだが、ギルマスはそうはしない。
「何で止めやがッーー」
行き場を失った苛立ちをぶつけるが如く、ギルマスは凄みながらフィリアへと近づく。が、直ぐさまその足を止めた。いや、止まらざるを得なかったのだ。
何せギルマスの目の前には、表情の変わらない人形が空を漂っていたのだから。
「ッ! な、なんだッ!?」
ギルマスが一歩引き下がり、睨みつけるも、いっちゃんの表情は全く変わらない。……それはそうだ、人形なのだから。
果たして、いっちゃんが普通の人形に分類されるのかどうかは疑問だ。だが、そんな疑問は生物学の専門家や人形の研究者にでも任せておけばいい。
ただはっきりしていることが一つある。
それは、
――人形が突然目の前に浮いていたら、普通に怖い。
幽霊屋敷や肝試しなんてものがあるように。
朝方、日が昇りきっていないうちに、いっちゃんが外出することを禁じられていたように。
余程心が強い者でない限り、いっちゃんという存在は恐怖でしかない。
ましてや、呪具なんてものが広まっているのだ。皆が恐れるのも無理はない。
そして普段戦いを好んでいるギルマスもまた、その一人なのだろう。その足の震えは隠し切れていなかった。
「な、なんだぁッ! や……やるかぁッ!」
「少し黙っていてください、まだ話の途中ですので」
「て、テメェに言われたところで、引き下がる訳が…ねぇだろ……」
いっちゃんがより距離を詰めれば、だんだんと声が小さく、尻すぼみになっていく。
「いっちゃん、その人をーー」
「だぁッ! 分かった! そいつを近づけんじゃねぇッ!!」
そう言ってギルマスは猫のように後ろへと飛び退いた。
無表情でゆっくりと浮遊するいっちゃんが化け物のようにでも見えるのだろう。何に対しても好戦的なギルマスには珍しい光景だ。
「……仮にもシスターだというのに」
誰にも気づかれないように、爺はボソッとそう呟いた。
その顔は先ほどよりも随分と晴れやかに見える。
お化け怖い系シスターが席に戻ると、いっちゃんも元の定位置へと戻った。
この場で最もしっかりフィリアを警護しているのは近衛騎士長ではなく、このいっちゃんなのかも知れない。
と、それはさておき。
フィリアは湯気の立たなくなった紅茶に口をつけ、話を戻した。
「災厄神ですが、そんな恐ろしい異名の付いた神が、人によって討たれるなどあり得るのでしょうか」
「確かに、それは疑問ですな。そもそも、人が神に勝つなどという話はそう聞くようなものではありません。何らかの理由があったのでしょう」
「……そう考えるのが自然ですか。弱っていたのか、あるいは人の方が強かったのか、あるいは……」
「流石に情報が足りなさ過ぎです。たったこれだけの情報では推測も出来ますまい」
「……ですね。分かりました」
そんなフィリアと爺のやりとりに、騎士長が加わる。
「神が人に討たれる何てことあるんですかい?」
「あることにはあります。神が創り出した神剣を使って、と文章には書かれていましたが」
と、それを確認するようにフィリアは爺へと視線を向ける。
すると、爺はこくりと頷き、
「そうですな。私が生きている間にあったとは聞きませんが、それ以前には何度かあったと聞かされました」
「なら、豊穣の短剣で邪神ムトを討つことはできないのか?」
「……豊穣の短剣は守りの神剣。神の力が込められていると言えど、戦いには向いていないでしょうな」
「……そうか」
「それに、豊穣の短剣は女王であるフィリア様しか扱えません。女王を戦場へ立たせるわけにはいかないでしょう」
「だな」
フィリアは王という立場であり、皆に命令を下す重要な人物だ。加えて、豊穣の短剣による結界を維持する者でもある。
故に現状、フィリアは誰を犠牲にしてでも守らなくてはならない。彼女が居なくなった時点でこの国は瓦解する。言わば、国の心臓だ。
フィリアの死は、民の死へ。民の死は、国の死へと繋がる。
仮に豊穣の短剣が神を下す力を持っていようと、フィリアが前線へと出るわけにはいかないのだ。そのような賭けで、民の命を危険に晒すわけにはいかない。
神とて万能ではない。
それは今回、フィリアの暗殺を事前に防いだことから明確だ。
故に、首元に鎌を添えられている人類が取るべき行動はただ一つ。いかにして死神を出し抜くかに限る。
神でさえも予測できない。もしくは、神でさえ対応し切れない状況へと追い込むことができれば、人類は勝利を掴むことができるだろう。
しかし、フィリアはまだ子供と言える年齢だ。父のように、神を出し抜くほどの知識も、経験も持っていない。今のフィリアには、賢王ほどうまく立ち回ることはできない。
ならどうすればいい? 知識も経験も、持っていないのならどうすればいい?
……簡単な話だ。
ーー持っていないのなら、取り込んでしまえばいい。
「話も変わりましたし。では、本題に入りましょうか」
故にフィリアは、
「ここにお呼びしたのは他でもありません。私に、知識を、経験を分けてください。爺の長きに渡って生きて得た知識を。近衛騎士長の持つ戦術を。ギルドマスターの持つ戦いの経験を。ロンドさんの持つ観察力で得た知識と経験を。……どうか、お願いします」
その全てを吸収すべく、深々と頭を下げた。