114話 密会
「ーー報告は以上です」
「ご苦労様でした。引き続き警護に当たってください」
「はっ」
兵士を見送り、扉が閉じたのを確認したフィリアは、そのまま周囲を見渡す。
今この部屋にいるのはフィリアだけではない。この街で重要な立場に立つ者達。そしてその中でも、ウォルスが信頼できる者だけが揃っていた。
その数、フィリアとウォルスを除き四名。この街のギルドのトップであるギルドマスター、長く王家に仕えている教育役兼相談役の爺。そして王家を守る盾である近衛騎士長に、この街で最も有名な店を構えるロンド。
計六名がここ、王城の一角にある執務室へと集まった。
だが、一見した際に一つの疑問が浮かび上がる。執務室のその、王であるウォルスが座るはずである椅子に、彼の姿はなかったのだ。
そして代わりに居たのはーーフィリアだ。
さらに、この者達を召集したのはウォルスではなく、フィリアだということ。
「……知っての通り、この街に結界を張りました。しかし、結界は外に出てしまえばその効果を発揮しません。くれぐれも、不用意に外に出ないようにしてください」
フィリアの言葉に呼応する様に、机の上で腕を交差してバツを作る市松人形のいっちゃん。
その様子を見て、ギルドマスターことギルマスは表情を歪める。
「そいつは分かったけどよぉ……そりゃなんだ?」
「いっちゃんです」
「……は?」
「いっちゃんです」
「いや、だからーー」
「いっちゃんですよ?」
「……もういい」
我を行くと、悪い意味で有名なギルマスが珍しく折れた。
「ギルマス、女王であるフィリア様にそのような言葉遣い。無礼ですよ」
「いいのです、爺。この緊急事態にそのようなことを言っていては話が進みません」
「……失礼しました」
爺はあっさりと引いた。が、これは一種の確認のようなものだ。
この場において多少の無礼でいちいち目くじらを立てることはしない。そう宣言するための掛け合いと言ってもいい。
「テメェが叱られてやんのッ!」と、馬鹿騒ぎするギルマスがそれを知ってのことかは本人にしか分からないが……ギルマス以外の反応を見るにその線はなさそうだ。
フィリアは苦笑いをしつつ、話を続ける。
「皆さんがご存知の通り、この国……いえ、人という全ての種族は今、未曾有の危機に瀕しています。爺、説明を」
「はっ。……ここエルムスだけでなく、他の小国、大国を問わず、ウェステリアの進軍は続いております。小国は既にその大半が滅び、調査に向かわせたところ、村も街も、全てが破壊され瓦礫の山と化しておったそうです」
「んなこた知ってる。それより、連中の目的はなんだ? 分かってんだろ?」
イラついた様子のギルマスが、大剣でも振り下ろしたかのように話をぶった切った。
「……ギルマス、話には順序というものが」
「んなもん知るかッ! 俺はまどるっこしいことは嫌いなんだ」
すると、爺は深いため息を一つ吐き、
「……現在分かっているのは、ウェステリアの背後に邪神ムトがいるということ。そして、邪神ムトは人という種族をこの世から消し去るために、軍を進軍させているということです」
「はぁ?」
「なっ……」
爺の発言に反応したのは二人。ギルマスと、近衛騎士長だ。
「ちょっと待てよ。神っつーのは人との争いには関わらねぇんじゃなかったのか?」
ギルマスの質問に、女王フィリアが答える。
「ええ、その通りです。ですが、その制約が破られたということ。騎士長はそれをよくご存知ですよね?」
騎士長はひとつ、大きく頷いた。
それもそのはず。何せつい先刻、日の出の時刻にウェステリアの敵兵を教会へと誘導したのは、この男だったのだから。
「結界を発動させる計画を立てたのはお父様です。ですが、それがこうも容易く敵に知られてしまった。これほど厳重な警備をしているのにも関わらず、です。こうなれば、邪神ムトの神の力が関わっている可能性も無くはないでしょう」
「それは理解しております。しかし、神が人を滅ぼすために戦争を起こすなど……」
言葉の意味は理解できても、納得はいくまい。
王都にある歴史書を読み漁ったところで、人を滅ぼすなどという暴挙に出た神は書き記されていない。
つまりは、エルムス国建国以来の大事件だということだ。
この世に初めての事象など数えきれないほどに存在するだろうが、その中でも経験したくないトップ3には入りそうだ。
閑話休題。
エルムス国はアルミルスという守護神がいる。
神を信仰しない国もあるが、アルミルスの存在があるために、アルミルスを、引いては神を信仰する者は少なくない。
それもあって余計、神に滅ぼされるということが信じられないのだろう。
「なぁ、よく分かんねぇけど、それって本当に邪神ムトってやつの仕業なのか?」
「仮にそうでなくても、神の存在を疑うべきであるのは間違いありません。とは言っても、それを裏付けるような現象も起きているのですが」
「と、言いますと?」
「最近、この街で起きた大きな事件を覚えていますか?」
最近と言われ、思い出すように騎士長は首を捻る。そして、何かを思い出したのか、その肉食獣のように迫力のある顔を、苦虫を潰したように渋い顔へと変えた。
「……ガトナー伯爵の件ですか」
「そうです。あの時、ガトナー伯爵が使って力を増幅させたのがダンジョンコアですが、本来のダンジョンコアにあれほどの増幅効果は無いそうなのです」
「でしょうな。あんな化け物が生まれるのなら、国の一つや二つ滅んでもおかしくはありません」
「ええ。そして、周知の通りダンジョンコアはダンジョンで生まれます。そして、ダンジョンを作り出している者と言えば……」
「……いやいや、まさか」
「そのまさかなのですよ」
「……」
騎士長は黙る。どこか青ざめているのは光の加減などではないだろう。
ダンジョンは邪神ムトの手によって作られたと言われているが、実際のところは誰も知らない。
誰が言い始めたのか。邪神という呼び方から想像した、ただの決めつけなのか。邪神ムトに出会ったものは生きて帰れないと言われている以上、その真実を知るのは不可能に近いだろう。
だが、火の無いところに煙は立たぬ、という言葉もある。
それに、
「あの化け物ですが、居たのですよ。進軍してくるウェステリア軍の隊列の中に」
「ッ!? それは誠ですか?」
「はい。兵達の不安を煽ることになるので、お父様が黙秘させていましたが」
「……それが最善でしょうな。兵達の中にはアレと直接対峙した者もおります。……死にかけた者も」
唯斗の力によって、幸い死者は出なかった。
だが、肉体的な傷は癒えたといえど、精神的なものまでは力及ばず。あの事件をきっかけに兵を辞めた者も出ている。
それほどまでにあの化け物の力は強大だったのだ。それも、たった一体だけで。
「ですが、今回はそれが複数体。確認した限りでも、三体居たそうです」
「……は?」
そのフィリアの告白に、騎士長はポカンと口を開けて固まってしまった。
指を立て、三を強調するいっちゃんがやけに憎々しく見えるのは、きっと騎士長だけではあるまい。
絶望的状況とは、まさにこのことを言うのだろう。
敵兵多数、一般兵では到底敵わない敵複数。加えて相手の背後には神が一柱控えているなどと言うのだから、たまったものではない。
「降伏は……できませんな」
「はい。これまでに降伏を宣言した小国もあったそうですが、関係なく全て滅ぼされています」
「しかし、どうして邪神ムトの目的が人という種の滅亡だと?」
「それに関しては私がお話ししましょう」
と、申し出たのは、街でも名のある店を経営するロンドだ。
「確かドラゴンの右足、左足の店主だったな」
「はい。ロンド、と申します」
「気になってはいたんだが、どうして商人がこの場に?」
「ウォルス様より密命で、ウェステリアの動きを追っておりましたので」
「ウォルス様の?」
騎士長が部屋の隅にひっそりと立つウォルスへと視線を向ければ、ウォルスはこくりと頷く。
なるほど、確からしい。
しかし、ウォルスはそれに関して説明する様子はなく、我関せずと言わんばかりに目を閉じた。
「魔道具の動きを追っていたのですよ。ウェステリアに不穏な動きがあるとおっしゃられたので」
「魔道具を? ……ああ、そういうことか」
魔道具は戦争の際にはまず間違いなく使用される。何せ、魔道具は魔術が使えない者でも手軽に、かつ即座に使えるのだから。
詠唱の必要も、陣を描く必要もない。ただ魔道具に魔素を流し込むだけで済むのだ。これほど有用な武器を使わない手はない。
故に、魔道具の流れは、戦争の兆しを見つけるうえで重要な要素の一つとされている。
「それで、調査の結果は……聞くまでもないか」
「まぁ、既に起きてしまいましたのでな。ですが、それを調べている際にひとつ分かったことがありまして」
「分かったこと?」
「はい。まぁ、ぶっちゃけると、私が調べたことではなく、思ってもみない人からの情報提供だったのですが」
と、乾いた笑みを見せるロンド。
周囲の視線を感じたのか、「失礼」とひとつ咳をする。
「私もまだよく分かってはいないのですが、私の部下の一人が事情に詳しく」
「何だそれ? 敵国のスパイだったってことか?」
「いいえ、それは万が一にもないでしょう。彼女は私が最も信頼する部下でしたからな」
「いや、だが……まぁいい。それで、そいつは何と?」
「簡単に申し上げると、先程そちらの執事が申し上げたように、ウェステリアと邪神ムトは繋がっている。そして、邪神ムトは人という種を滅ぼしたがっている、ということですな」
「……ダメだ、やはり俺には理解できん。どうしてそんなことに? 誰か無礼でも働いたか?」
「さて、詳しくは……。私も先日その部下からの手紙を読んで知ったばかりですので」
「何だ? 本人と話をしてないのか?」
「ええ。ゴルタルにいたのですが、彼女は残ると言っておりましたのでな。…ただ」
「ただ?」
「……これは邪神ムトによる復讐なのだ、と」
それを聞いて、騎士長は凍りついたように固まった。
「おい、まさか俺が言ったのが当たりか?」
「それは少し違うかもしれませんね」
そう否定したのはフィリアだ。
フィリアは紅茶を一口こくりと飲み込むと、騎士長へと視線を向ける。
「これは、つい先日ゴルタル王から入手した情報なのですが、どうやらその昔、邪神ムトには血の繋がっていない姉がいたそうです。ですが、その姉は人の手によって殺されてしまった」
「いや、待ってください女王様。疑問がいくつかあるんですが、ひとまず、どうやってそれを? ゴルタルからここまで早馬でも二週間はかかりますが」
「それは詳しくは話せませんが、それを可能にする物があるとだけ言っておきます」
「……分かりました。それでもう一つですが……昔っていうとどのくらいで?」
「それは分かりません。ですが、少なくとも私達が生まれてくるずっと昔の話でしょう。爺、何か覚えていませんか?」
話を振られた爺は、何かを思い出すように目を伏せる。
ハーフとはいえエルフの寿命は人族のそれを圧倒的に上回る。その当時のことを覚えている可能性も無くはない。
やがて爺は目を開けると、申し訳なさそうに首を左右に振った。
「申し訳ございません。そのような記憶はございませんな」
「そうですか…… かつて、ゴルタルの地にあった国の守護神だったみたいなのですが」
「ふむ、それでしたら名前だけ覚えております」
「本当ですかっ!?」
しまった、というように、フィリアは口を押さえた。
そしてほんのりと頬を赤く染めながら、爺にその先を促す。
「はい。確かその神の名は……リチェルティア。災厄神リチェルティアです」