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112話 砂山崩し

「ーーと、一部の商人、職人を除き、ほぼ全ての国民はここに留まるようです。報告は以上です」

「……分かった。報告ご苦労だった。引き続き、この国を出たいと申した者は出してやれ。ただし、それも明日までだ。予定通り明日の日の出以降、この国の出入りの一切を禁ずる。そう、皆に伝えてくれ」

「はっ」


 ウォルスは兵士が退出するのを確認した後、柔らかく包み込むようなクッションの付いた椅子の背もたれへと体を預け、大きく息を吐いた。

 その顔には誰もが察するほどに濃い疲労の色が浮かんでいる。睡眠も殆どとっていないのだろう。墨でも塗り付けたかのような隈が、自身を激しく主張していた。

 ウォルス自身も休みたいのは山々ではあるが、しかしそう休んでいられる時間はない。


 ――ウェステリア国による王都侵攻まで、3日を切ったのだ。


 ウォルスは国王だ。全ての国民の命が、彼の命令一つで左右される。

 そんな国王としての立場があるために、ウォルスはこうにもなるまで、休むことなく働き続けていた。


 そんなウォルスの鼻を、ふと心地の良い暖かな香りがくすぐる。

 何かと思い目を開ければ、そこには紅茶を差し出す初老の男の姿があった。


「すまないな、爺」

「いえ、私出来ることなど、この程度のことしかありませぬ故」


 ウォルスは差し出された紅茶を一口飲み、ほうっと一息つく。


「何がこの程度だ。疲れが吹き飛んだぞ?」


 そう言うウォルスの言葉に、嘘偽りは一切ない。言葉通り、動くのも億劫だったウォルスに、まるで湧き出てくるかのように、力とやる気が溢れてきたのだ。

 血色の悪かった顔にも、赤みが差し、先ほどまでの死人のようなウォルスはもう何処にもいない。


「これに頼ってはいけませんぞ。一時的に誤魔化しているに過ぎませんからな」

「そうなのか。随分と楽になったのだがな」

「それがこの紅茶の、薬草の効能です。とは言っても、複数の混ぜ合わせですから、知る者は少ないでしょうが」

「それはエルフとしての知識か?」

「……ですな」


 ウォルスの問いかけに、爺は苦笑いを浮かべて返答する。


 爺と呼ばれるこの男は、正確には人ではない。人とエルフの親から生まれたハーフだ。

 弓の扱いに長け、自然と共存することで知られているエルフだが、最大の特徴はその人間よりも長い耳にある。

 それ故にエルフを見分けるのは簡単だ。それはハーフエルフも同様で、人間よりも耳が長くそしてエルフよりも短い、ちょうど中間のような長さを持つのがハーフエルフの特徴となる。

 だが、爺はそれには当てはまらなかった。


 ハーフエルフであることには間違いなかったのだが、人間としての種が色濃く出たのか、見た目は人間と全く変わらなかったのだ。

 見た目は人間、しかしエルフの血を引いていることには変わりなく、エルフと同様に人間よりも寿命は遥かに長い。


「爺には苦労をかけるな」

「いえいえ、そのようなことは。前王に比べたら、赤子よりも楽なものです」

「……それは褒められている、と捉えても良いのか?」

「これは失礼。比較する相手が間違っておりましたな」


 そう言って、爺は堪えるようにくくっと笑った。

 長い間見ていなかった笑みだ。ウォルスが幼い頃はこういった笑みを見せたものの、成長するにつれてそれも無くなっていった。


 と、そこまで考えたところで、それは違うと首を左右に振る。

 爺が見せなくなったのではなく、ウォルス自身が、見る余裕が無くなったのだと。

 前王が問題を多く抱え、それと同時に多くの問題を起こしていた故に、ウォルスはその対応に追われ続けた。

  娘ができてからもそれは変わらない。山積みされた問題は減ることはなく、片付けても片付けても、次から次へと新たに問題はやってくる。

 砂の山を少しずつ崩したところで、新たに上から降ってきたのでは砂山は無くならない。


 だが、


(……私は、周りを見ているようで、見えていなかったのだな)


 爺の入れてくれた紅茶を見つめながら、ウォルスはふとそう思った。

 砂の山を削ることばかり必死になって、周りのことなど全く見ていなかったのだ。


 その証拠に、爺のあの笑みも、惚れた妻の笑顔も、……娘の笑顔ですら、ウォルスの記憶には遠い過去ものしか残っていない。


「……爺、助かった」

「何がですかな?」

「いや、この紅茶美味かったぞ」

「いえいえ。ですが、あまり根を詰め過ぎないようにお願いしますぞ」

「分かっている」


 その紅茶にどんな効能があったのかは分からない。

 だが、ウォルスはその紅茶で目が覚めたような思いだった。

 それはもちろん単なる眠気からではなく。一人の人として、そして父として。


 ウォルスは飲み干した紅茶のカップへと視線を移す。

 底の見えたティーカップには、晴れやかな自分の姿が写っていた。






「爺、今後の考えを纏めたい。少し付き合ってくれるか?」


 ティーカップを片付け、退出しようとする爺にウォルスがそう声をかけると、爺は驚いたように目を見開いた後に微笑み、


「もちろんでございます」


 と、即答した。


 ウォルスはその能力の高さ故か、殆どを問題を自身で解決してしまう嫌いがあった。

 国王であるために、最終的な決定は自身が下さなければならないというのも、その理由の一つか。

 いずれにせよ、ウォルスが誰かに相談を、話を持ちかけることなど稀だった。


「先ほどの話は聞いていたか?」

「ええ。大方予想通りといったところでしょうか」

「やはり神剣の名は凄まじいな」

「豊穣の短剣ですか……」


 豊穣の短剣。

 それは一般人でも知る者はいるほどの、知名度の高い一振りだ。


 エルムス国程の大国と言えど、一般人、いわゆる平民で本を読むことのできる者はほどんどいない。それは何処の国でも同じようなものだ。

 そもそも、平民は本を読むという機会自体が無いと言っても過言ではない。

 必要最低限の文字しか読むことができない彼らだが、言い換えれば、ある程度読むことができれば、それで生きていけるということでもある。

 それ故に平民は本を読もうとしない。であれば、その知識はどこからくるのか。

 受け継ぐ方法は口伝しかあるまい。


 とは言え、平民とて学はなくても馬鹿ではない。どうでもいいようなことを語り継ぐことなどしないだろう。

 だというのに、平民の中でも“豊穣の短剣”というものが知られているということは、それだけ豊穣の短剣が重要な物として認識されているのだ。

 現に、ウォルスは何も伝えていないのに、民衆の間で豊穣の短剣の話が広がっている。それはつまり、民の中に豊穣の短剣について知るものがいたということだ。


 もちろん、貴族や教会関係の誰かがその情報を漏らした可能性も考えられる。だが、噂の広まる速さを考えるに、民が全く知らなかったということはないだろう。

 それに、ウォルスにとってそんなことは些細な違いだ。要は、豊穣の短剣という存在で、民が落ち着つくことが重要なのだ。


「戦争を伝えなければここに攻め入れられた時に必ず混乱が起こる。そうなれば、この街から逃げ出そうとする者もいるだろう。だがそうなれば、その者達は間違いなく死ぬ」

「でしょうな。武装した者達に加え、あのユート様も苦戦した化物……加護持ちの者でも厳しいと考えるべきかと」

「うむ。故にこうして事前に逃げ出したい者には出て行ってもらったのだ。戦の最中に街中で暴れられても困るからな」

「しかしその結果、民の中で不安に思う者も出ておりますが、如何なさるおつもりで?」

「それも明日までだ。明日の朝、豊穣の短剣をフィリアに使ってもらう」

「使う、と申しますと、“結界”の方ですか」

「そうだ」


 豊穣の短剣を持つ者は、二種類の力が使えるようになると伝えられている。

 一つは、国をより豊かにするというもの。具体的には、作物の育ちが良くなり、病が流行り難くなるようだ。

 そしてもう一つが、有事の際には、街全体に結界を張ることができるというもの。


 エルムス国初代国王しか使ったことがないため、詳しいことは分かっていない。

 だが、街が消し飛ぶほどの嵐から街を守った。魔物の群れを一切中に通さなかった。などという逸話は残されている。


「それにあれをお創りになられたのは、この国の守護神であるアルミルス様だ。そう柔な結界にはならんだろう」

「同感ですな。守護神がお創り下さったものを疑うこと自体、不敬に当たりましょう」


 と、二人は頷く。

 守護神とは国の象徴であり、絶対的存在だ。

 故に、神剣の力を疑う、引いてはアルミルスの力を疑うようなことを、二人はしない。

 アルミルスの力が敵の有象無象に劣るなどとは、微塵も考えていなかった。


「と、すれば発動は何処でなさるつもりで?」

「時間はさっきも言った通り、明日の朝、日の出の時間帯だな。場所は教会で行う」

「短剣は教会にあるのでしたね」

「ああ。アルミルス様の在わす教会が安全だろうからな。明日の朝、フィリアを連れて私も向かう」

「国王様もですか?」

「ああ、初めてのことだ。フィリアだけでは分からないかもしれないからな」

「国王様は昔から本ばかり読んでいらっしゃいましたからなぁ。知識だけは無駄に豊富で」

「無駄とはなんだ。こうして役に立っているのだから無駄などではない」

「いえいえ、そういう意味ではありませんとも。ただ、もう少し剣や魔術の道に興味を持っていただけたらと思っておっただけです」


 爺のその言葉に、ウォルスはうっ、と言葉を詰まらせ、そして視線をあらぬ方向へと逸らした。

 幼少は本、本、本と、一日の大半を読書に費やしたウォルス。全てを知識へ極振りした結果、戦うことに関しては一般人以下だ。

 それ故に今でも剣や魔術の腕はからっきしで、特に剣の腕は妻であるエルミアに負ける始末であった。


「……仕方ないだろう。剣は苦手だ」

「それは承知しております。しかし、男に生まれたのですから、せめて妻を守れるくらいにはなって欲しかったですな」

「私だって守ることくらいーー」

「ただの壁では守るとは言いませんな」

「……」


 子供のようにそっぽを向くウォルスに対し、爺はこれはダメだと言わんばかりに首を振る。

 爺の大きなため息が、やけに大きく聞こえたのだった。


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