108話 復讐
「あ、あ、ああ……」
リンが……死んだ?
いや、そんな筈はない。だってリンはいつも一緒で、これからもずっと一緒だって……そう、約束したんだ。
……ははっ、ああそうか。これは何かの間違いだ。そうじゃなければ悪夢だ。
「……覚めないと」
「覚める? もしかして夢だとでも思っているのかな? 君がそんなことを言い出す奴だとは思わなかったなぁ」
その声は……ムトか。
まだムトの声が聞こえてくるなんて、随分と意地の悪い夢だ。
「そうやって目を閉じていれば、本当に何かが変わると思っているのかな? そんなことをしたところで、君の大切な精霊は死んだままだ」
僕は戻りたいんだ。
目を覚ませば、リンが声をかけてくれる。そしたら、馬鹿みたいな話をしながら一緒に旅をして。
「そういえば、これを作る時に随分と煩かったよ。ユートは、ユートだけは見逃して、ってね」
時には言い合いもするけど、喧嘩したら謝って仲直りして。でも、大抵は果物をあげておけば機嫌を直してた。
食べ終わった頃にはもうすっかり忘れてて、食べている間は静かなのに、すぐに僕の名前を何度も呼んで。何かと思えば、特に用事があるわけでもなくて。
ただ、にこにこと笑いながら、何でもないって。それを見た僕も、何だかつられて楽しくなった。
「これって作る時、相当な苦痛があるみたいでさ。他の精霊なんて大声で泣き喚くもんだから、煩くて仕方ない。なのによく君の名前を呼び続けれたもんだよ」
「少し黙っていて貰えますかねぇ」
「っと、……君の方こそ邪魔しないでくれるかな。今が一番“愉しい”時間なんだから」
リンは僕の行く先について来てくれて、いつも僕を支えてくれた。
それは世界が変わってからも同じ。
新しい世界が安全かどうかも分からない。それにあの時は、他の精霊がいないとリンが寂しい思いをするかもしれない、なんて勝手に思ってた。
だからもう向こうの世界に置いていくつもりだったのに、リンは僕にこっそりついてきた。いや、ついてきてくれた。
それはきっと、他の精霊達よりも僕と一緒にいたいと思ってくれていたから。
「ねぇユート、いい加減現実を見なよ。君の大切な精霊は死んだ。もう、この世にはいないんだ。神にだってもう助けられない」
「……黙れ」
リンがいたから、こうして今の僕がいる。
一人で旅なんてしてたら、きっと僕の心は耐えられなかった。
……時々、もし一人で旅をしていたらどうしていただろう、なんて考えることがある。
でも、そうしたらいつも思うんだ。きっとこんなに楽しい旅にはなっていなかっただろうな、って。
辛いことも、悲しいことも。全て僕一人で抱え込んで、心にヒビが入って。そしていつしか、亀裂の入った心はバラバラに砕けてしまうんだろう。
そうなったら、きっと僕の旅はそこで終わっていた。
明かりもなく、暗くて何があるかも分からない。そんな怖い道を歩き続けることなんてできなかった。
「死んだらもう生き返らない。それが世界が決めた、馬鹿みたいなルールだよ」
「……黙れッ」
僕はそんな道を、
「ははっ、何度でも言ってあげるさ。君の大切な精霊は死んだんだ。もう声を聞く事だってできない」
「黙れッ!!」
これから独りで歩かないといけないのかな……。
「ようやく現実に戻ってきたね」
「ムトッ……」
目を開ければ、見たくもないムトの姿が。そして、その近くで傷付いた魔女さんが膝をついていた。
それにムトに何かされているのか、全く動こうとしない。ただただ、苦しそうに虚空を見つめいている。
「ようやく話ができそうだね。それじゃーー」
「ムトッ!」
もうこの世界から消えてしまえと……、死んでしまえと。そんな僕の願いを込めた神術を組み上げる。もちろん手加減なんて一切なしだ。
すると願い通り、巨大な灼熱の球がムトの遥か上空に出現した。それもおそらく、神ですらこの世から焼失する程の熱量のものが。
「……へぇ」
大地は焼け、土は熱を帯び、草木は燃え。凍った海が溶けて、蒸発して白い霧へと姿を変える。
こんな神術、普段の僕ならきっと使えなかった。
たぶん、僕の願い……つまりは想像が鮮明だったから、これほどの神術が完成したんだろう。
「この熱さ、まるで太陽みたいだね。劣化した模造とはいえ、擬似的な太陽を創るなんて……。やっぱり君は人間の域を遥かに超えてる。流石は半人半神と言ったところかな」
「……」
「確かにこれなら僕を焼き尽くす事もできるかもしれないね。でも僕は的じゃないんだよ? どうやってあれを当てるつもりなのかな」
……そんなの分かってる。まともに戦っても、ムトに勝てる可能性は殆どない。
それこそもう一人の僕なら勝てるんだろうけど……それは嫌だ。
ムトは僕の手で倒す。必ず、この世から消し去ってやる。
それを成し遂げるためにも、今は戦略が必要だ。単純な力で勝てないのであれば、搦手を使うしかない。
ああ、そうだ。師匠達だって、僕が逆立ちしたって勝てないような相手だったじゃないか。
あの時の僕はどうやって戦ってた? ……そんなの決まってる。戦って、戦って、戦って。実力と力の差を、奇策で埋めてきたんだ。
だったら、今回も戦いの中で見つければいい。僕が格上の相手に勝てる、策ってやつを。
だから、
「まずは……【貫け】」
土を固めて作った三本の槍を創り上げる。一本は待機させ、もう一本はムトの頭を狙って。そして最後の一本は、
「そんなの当たらないよ」
ムトの避けた先へと――放つッ!
「舐めてるのかい?」
呆れたような声色で吐き捨てるムト。
でもそれでいい。相手が油断すればするほど、僕の勝つ可能性は高くなっていく。
「こんなもの」
一般人であれば気がつかないほどの速さで撃ったにも関わらず、ムトはあっさりと槍を掴んで、握り潰した。
あっさりと砕け散る槍。神力で作っているから、そう簡単に壊れるような硬さじゃないんだけど、それが僕とムトの神力の差なんだろう。
身体強化一つとっても、圧倒的な差がある。
「こんなんじゃ、僕には勝てないよ?」
「……【閉じ込めろ】」
なら次だ。
次はムトの動きを阻害する。
ムトを囲むように金属の檻を作り、さらに、
「【串刺しにしろ】」
四方八方から、檻の中目掛けて槍の嵐を降らせる。流石の上級神でも、これだけの神術をそう簡単に抜け出せはしないはずだ。
もしあの中にいるのが僕であれば、直ぐにでも転移を試みる。あの中で避けるのは不可能に近いし、防ごうにもそれだけの力を持ってないから。
でも、ムトなら……余裕ばかり見せて油断しているムトであれば、きっと転移して避けるなんてことはしない。
「ははっ、いいねぇ、いいよッ! でもまだ足りない。もっと楽しませてよッ!!」
やっぱりね。
次から次へと、ムトは僕が創り出した槍を逸らし、砕き、へし折り、握り潰す。
神力を使っているから、殆ど神と変わりない威力を持っているはずなんだけど、こうもあっさりと砕かれると、僕の半神としての自身も失うね。
だから……、そんな悔しい想いもこれに込めてしまおうか。
「まだまだ――ッ!」
今更気づいても遅いよ。勝敗を分ける一撃はもう放った。
「行けええええッ!」
僕の背後に待機させていた一本の槍に、でき得るすべての強化と想いを込め続けていたんだ。
この槍の強度を決める神力の量も然り、射出する際の速度、射線。そして何より、全ての槍を壊して最もムトが気を抜いたであろうこのタイミングを、僕はずっと待っていた。
「くっ!」
槍を掴み、苦悶の声を上げるムト。
あっさりとキャッチされたのは予想外だったけれど、流石のムトでも、僕が全力で強化した槍はそう簡単には砕けないらしい。
それはそうだ。そう簡単に僕の想いを砕いてもらっては困る。
でもこれでーー、
「なんちゃってね」
「ッ!?」
……まさか、これほどとはね。
腰を落として、全力で槍を押さえ込んでいたはずのムトが、突然手に持っていた槍を投げ捨てた。これがどういうことを意味するか。
……悔しいけど、それが分からないほど幼稚な僕じゃない。
「これが君の全力? この程度が? 正直、がっかりだよ」
そう言って、ムトはつまらなそうに地面の小石を蹴り飛ばす。
……力の差はあると感じてた。でも、それでももう少し奮闘できるんじゃないかって、心のどこかで思ってたんだ。
でも、実際はこの通り。
上級神と半人半神の間には、僕なんかには想像できないくらいの差があった。
ーーまさかこれだけ全力でやって、一人分しか時間を稼げなかったなんて。
「……うん?」
ようやくムトもそれに気がついたんだろう。
周囲を見渡して、納得がいったように一つ頷くと、
「ユート、君ってやっぱり面白いね。まさか、僕の隙をついてこの場から一人逃すなんて」
「まさか一人しか転移させられないとは思ってなかったけどね」
「いやいや、十分だよ。“邪神ムトからは逃げられない”、なんて言われてるくらいだから」
「物騒な話だね」
何て軽口を叩いてはみるものの、状況は相変わらず不利と言ってもいい。
近くにいた魔女さんを優先したものの、こうなるなら元メイドさんから転移させた方が良かったかもしれない。いや、でも魔女さんは何かの術を掛けられていたみたいだから、どちらにしても不利には違いないか。
とにかく、この場に元メイドさんが居たんじゃ僕の策は実行できない。ムトを倒せるかもしれない、唯一の策が。
ムトはもう油断しないだろう。元メイドさんをどこか安全な場所に転移させるのは非常に困難だ。
『いざという時は、私を見捨ててください』
そんな時、ふと元メイドさんの言っていた言葉が僕の頭に浮かぶ。
あの時の元メイドさんは覚悟を決めていた。たとえ自分が死んだとしても構わないと、本気で心の底から思っているみたいだった。
あの時は何を馬鹿なことをと思ったけれど、こんな状況でそれを思い出すなんてね。
「……ははっ」
最低だな僕は。
元メイドさんにはあんなことを言っておいて、いざその状況に陥ったら真逆のことを考えてしまった。
……本当に、最低だ。こんなことじゃ、リンに顔向けできないよ。
「ムト、決着をつけようか」
どこまでできるか分からない。
でも、リンに顔向けできないようなことをしてまで、僕はムトを殺したいとは思わない。
だからこの命、尽きるまで歯向かってみるとしようか。
「いいね、いいね。愉しい、愉しくて仕方ないよ」
狂ったような笑みを浮かべるムトだったけど、二言目にはその口から、予想だにしない言葉が飛び出してきた。
「でも、それならあれは邪魔だよね」
そんなムトの視線の先には、元メイドさんがいる。
地面にへたり込み、逃げ出す余裕なんて微塵もなさそうだ。
「ッ!」
咄嗟に駆け寄って転移させようとしたけれど、そこは神としての差が顕著に現れた。
全力で走っているにも関わらず、僕の手よりもムトの手の方が明らかに早くて。
「……とどけ」
神力の身体強化を全力でかけるも、上級神には足元にも及ばなくて。
「とどけッ」
あと数メートルだというのに、その距離が今までに感じたことのないくらい遥か遠くにあって。
「ーーとどけッ!」
僕の手が届くよりも早く、ムトの鋭い手刀が元メイドさんの胸元へと突き刺さるーー。
「なっ……」
その寸前で、ムトの手刀はピタリと止まった。いや、違う……止められたんだ。僕ではない、ムトでもない。他でもない、第三者によって。
しかもこの力は感じたことがある。
天照さんのように温かいこの力は、きっとーー。
「……リチェル姉さん?」
「ッ!?」
目を丸くして固まるムトと、ムトの呟きを聞いて目を見開く元メイドさん。
これはチャンスだ。この機会を逃したら、絶対にムトを倒せないッ!
すぐさま元メイドさんを魔女さんと同じ場所へと転移させ、遥か上空で熱を放つ擬似太陽を、自身もろともムトへと叩きつける。
「ッ!?」
流石にここまでは予想してなかったみたいだね。
驚いた様子のムトの顔を最後に、僕の視界は真っ赤に染まり、そして暗転した。