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106話 兄と慕う者

 大蛇との戦闘のため、唯斗が元メイドの前から姿を消したその後。

 元メイドは遠くの海上で戦う二人を、まるで映像でも見ているかのように、現実味の薄れた光景として眺めていた。


(……遠い)


 心の中でそんな言葉が溢れる。

 距離的な意味ではない。力の差が、心の強さが、その存在の在り方さえも。何もかもが、遠くかけ離れたものだと思い知らされた。

 それ故に、元メイドは現実としてその光景を捉えることはできなかったのだ。


「リチェルティア様、私がしたことに意味はあったのでしょうか」


 誰もいない虚空へと問いかけるも、当然返事は返ってこない。


「私は頑張ったのでしょうか。私の存在する意味は、その価値はあったのでしょうか」


 しかしそれでも、元メイドは言葉を吐き続ける。

 今まで貯め込んだものを吐き出すように、少しでも楽になれるように。

 そして、


「……私は貴女様の力になれたのでしょうか」


 そうあって欲しいと懇願するように。


 己の力では足りないと、他者を頼り、神を頼り。

 今となってはこの世界とは関係のない者にさえ、助けを求めている。

 そこまでして彼女は主のーーリチェルティアの力になろうとした。が、しかし、神々の封印という事実に、彼女の心は押しつぶされてしまった。


 現状はまさに綱渡りだ。

 唯斗が神々を解放することができれば望みはある。

 しかし阻止されればそこで終了だ。元メイドの力では、邪神ムトを止めることなどできやしない。

 それは本人が誰よりもよく知っていた。いや、思い知らされたのだ。

 己がどれほど無力な存在なのかということを。


 事実、この世界の命運を握っているのは元メイドではない。今も遠くで自らの命をかけて戦っている少年だ。

 唯斗は言った。自分の命を救ったのは他でもない、元メイドなのだと。

 だが、本当にそう言えるのだろうか。

 唯斗をゴルタルへと連れて行ったのは、確かに元メイドのしたことだ。

 しかしそこには元メイドの私情がーーリチェルティアの力になるかもしれないという思惑が含まれる。

 神の力を持つ唯斗であればこの状況を打破できるのでは、と。

 そしてリンが邪神ムトに拐われた際には、己の内に潜む悪魔がこう囁いたのだ。


 ーーこれならばユートも力を貸してくれる、と。


 加えて、元メイドは唯斗の親友である精霊のリンを危険に晒している。

 あの時、リバーと対峙した際に、下手をすればリンは死んでいたのだから。

 故に元メイドは、己を責める。


「……私は、最低ですね」


 唯斗から責められることはあっても、決して感謝されるものではない。

 そう、自分を責め続ける。

 それが最も自分を傷つけることのできる、攻撃であるから。

 殴られるよりも、ナイフで体を傷つけるよりも。何よりも自分を苦しめることのできる攻撃であるから。


「そうだね。君は最低だよ」

「ッ!?」


 突如、誰もいなかったはずのこの場から、何者かの声が聞こえてきた。

 元メイドは咄嗟にその場から飛び退く。と同時に腰辺りからナイフを取り出すと、声のする方へと切っ先を向ける。

 聞き間違えるはずもない。

 幾度と聞いたこの声を、数百年経った今でも、元メイドは一度たりとも忘れることはなかった。


「……ムト様」

「随分ぶりだね、裏切り者」


 海からの冷たい風が海岸へと流れ込んできたにも関わらず、元メイドの額からは汗がポタリと、一雫流れ落ちた。






「いやいや、本当に久しぶりだね。もう何百年くらいになるかなぁ」


 まるで久しぶりにあった同級生のように、邪神ムトは気軽に声をかけてくる。

 だが、元メイドとしては気が気ではない。

 相手は邪神ムト、この騒動の元凶であり敵だ。しかも元メイドなど塵芥のように簡単に屠ってしまうような存在。

 それ故、元メイドは神経を最大まで研ぎ澄ませ、ムトの挙動ひとつひとつに全ての集中を注ぎ込んだ。

 するとそんな元メイドの心中を察したのか、不満そうにその場に座り込むと、


「そんなに警戒しないでよ。別にいま君を殺すつもりはないし、あれに参加するつもりもないから」


 そう言って、ムトは海上を指差す。


「……どうしてですか? 貴方様があそこに行けば、間違いなくユート様達を殺せるでしょう?」

「なに、行って欲しいの?」

「私の命を賭けて、止めさせていただきます」

「でしょ? ……僕はただ話をしにきただけだよ」

「話、ですか?」

「そう、これでも君とはそれなりの付き合いだったからね。ちょっとだけ話をしたかったんだ」

「……」


 視線を元メイドへと向けることなく、海を眺めながらそう呟くムト。

 その寂しげな横顔を見て、元メイドは警戒を僅かに残したまま、そっとナイフを下ろした。


「ありがとう」

「いいえ、今の貴方様は嘘をついていないように感じただけです」

「ははっ、やっぱり君には全てお見通しかな。小さい頃は僕が世話をしてあげたのに、いつの間にか大きくなったもんだね。人間の成長っていうのは早いもんだ」

「そんな昔のことは覚えておりません」

「本当に? あんなにお兄ちゃん、お兄ちゃんって僕の背後をついてーー」

「ッ!? 本当にやめて下さい! 覚えておりますから」

「ほらね、覚えてるじゃん」

「ーーッ!」


 顔を赤く染め、そっぽを向く元メイドに、ムトは笑いかける。

 その笑顔は邪神とはかけはなれたもので、人という存在を滅ぼそうとしている者とは到底思えないものだった。

 ただ笑う。無邪気な子供のように。

 故に元メイドは問いかける。


「……どうして、このようなことを?」

「それは君も知ってるでしょ? 姉さんを殺した、人という種族全てが憎くてーー」

「嘘ですッ!」


 そんな言葉は聞きたくない。と、想いのこもった力強さでムトの言葉を遮り、


「私の知っているムト様は……()()()()()はそんな人じゃありません」


 ひとつ、またひとつと、元メイドの瞳から涙が溢れて落ち、乾いた地面を湿らせる。

 長い間抑え込み続けてきた感情が、遂に暴走を始めてしまったのだ。

 本人の意思に関係なく、それは溢れ続ける。

 視界がぼやけ、何度も服の袖で拭いとるも、一向に治らない。


「人じゃなくて神だけどね。……でも、まぁそうだね」


 対するムトは困ったように笑い、再び海へと視線を向け直した。


「嘘ではないよ。全て僕であることには変わりない」

「そんなーー」

「まぁ聞いてよ。僕ら神っていうのは人間とは大きく違う部分があるんだ。それがいわゆる“司るもの”に当たるわけなんだけど、知ってるかな」

「……はい」

「それなら話が早い。でね、神っていうのはその“司るもの”に精神を揺り動かされ易い。二重人格みたいなものだと思えば分かり易いかな。“普段”の僕と、“司るもの”としての僕。でも、どちらも()であることには変わりないんだ」


 ムトは空中に簡略化した自分の姿を二人描き、片方の頭の上に“普段”、もう片方に“司るもの”と書き込んだ。


「ユート様のような、ですか?」

「あー、そうだね。あれほど分かりやすく分離しているわけじゃないけど、あれに似たようなものだと思えばいい」


 元メイドが頷くと、ムトは続ける。


「普通の神はこの二人のバランスが丁度いい状態なんだ。でも、何らかの負荷がかかった場合、人間と同じように、神の精神だって壊れてしまう」

「精神が……」

「そう。で、残ったものが“普段”の方であれば、神の根本たる自己を否定したっていうことで、存在自体が消えるんだけど……」

「けど?」

「残ったのが“司るもの”だった場合は、消えた方の願いを叶えようと暴走してしまう」

「ッ! …なら、ムト様は」

「僕は……こっちだね」


 そう言って、ムトは“普段”と書かれた自身の絵にばつ印を入れた。


 予想はできていた。

 突然話したいと言われ、神しか知らないようなことを教えられた。となれば、それがムト本人と関係しないわけがない。

 でも、それでも元メイドは信じたくなかった。

 今まで慕っていた兄と呼んでいた精神が、人格が壊れてしまっていたなんて、信じたくなかったのだ。


「で、でも、今こうして話しているのは」

「いま話をしている僕は、確かに君がお兄ちゃんと慕ってくれた僕だ。でも、壊れたかけらを寄せ集めた一時的なものにすぎない。もう、これが最期だ」

「そんな……」

「そんな泣きそうな顔しないでよ。僕は最期に君と話ができて嬉しかった。君は僕のたった一人の妹で、最後の僕の家族なんだから」


 ムトはゆっくりと元メイドに近づく。

 そして少し体を浮かせ視線を合わせると、そっと元メイドの頭を撫でた。


「おにい……ちゃん」

「大きくなった、本当に」

「……ぅ」

「僕はね、君を殺したくなんてないんだ。でも、もう一人の僕はきっと君も殺してしまうだろう。それほどまでに、人という種族を憎んでしまっている」

「私が、絶対に止めてーー」

「君には無理だ。それは君自身がよく分かってるでしょ」

「ッ! ……はい」


 図星を突かれ、悔しさのあまり皮膚に爪が食い込むほど、強く手を握り締める。


「だから、そんな顔しないでって」


 そんな元メイドをあやすように、ムトは優しくそっと頭を撫でた。


「君には死んで欲しくない。だから、僕は君を逃がそうと思っているんだ」

「……えっ?」


 ムトの言葉が理解できず、元メイドは放心状態になるも、すぐに問い返す。


「どういうことですか」

「きっと納得しないだろうけど、君を安全そうな別世界へ送ろうと思う。そうすれば、僕が手にかけるようなことにはーー」

「ふざけないでくださいッ!」

「……やっぱりか」


 苦笑いムトに対して、元メイドは言葉を続ける。


「当たり前ですッ! 私はリチェルティア様に……お姉ちゃんに言われてここまできたんですッ! こんなところで投げ出しません」

「どうしても僕を止める気?」

「はいッ!」


 絶対に己の意思は曲げない。そんな想いを、真正面からムトへとぶつける。

 もちろんリチェルティアに言われてということもある。だが今はそれと同等、いやそれ以上に、元メイドはムトのことを止めたいと、救いたいと思っているのだ。

 故に元メイドは止まらない。逃げるような真似はしたくなかった。


「……そっか。なら、“僕”を止めてね」

「もちろんですッ!」

「ははっ、いい返事だ。……そうだ、さっき僕は君のことを最低だと言ったね」


 記憶を遡り、出会い頭にそう言われたことを思い出す。


「……はい」

「確かに君は最低だよ。全てにおいて他力本願で、自分で成し遂げたことなんてほとんど無いんでしょ?」

「……」

「でもね、ティアリス」

「ッ!」


 久しぶりに名前を呼ばれ、元メイドは俯いていた顔を弾けるように上げる。

 するとそこには、かつて邪神と呼ばれていた頃の、あの悪戯に成功した時のような無邪気さを含んだ笑顔がそこにあった。


「邪神ムトの妹なんだから、それくらいの気概じゃないとダメだよ」

「お兄ちゃん……」

「その程度で折れてちゃ、僕の妹なんて…名乗れ……ない、よ」

「お兄ちゃん? ……お兄ちゃんッ!?」


 突然苦しむように頭を抑えるムトに、元メイドは必死に呼びかける。

 だがムトは苦しむ一方で返事さえできないようだ。

 そして不意にピタリと動きを止めると、身の毛のよだつような気配を周囲に垂れ流しなら、ゆっくりと立ち上がる。


「……もう一人の僕の残りかすか。自分に任せていればいいものを」

「お兄ちゃん? ……いえ」


 これほどまでに気配が変わったのだ。

 認めなければいけない。もうすでに、兄はここにはいないということを。


「ははっ、あいつならもう死んだよ。今度こそ確実にね。あんなボロボロな状態で表に出るからこうなるんだ」

「……そうですか」」


 もう兄自身を助けることはできない。

 その事実を突きつけられ、悔しさのあまり強く唇を噛む。血の味が口の中に広がり、顎を伝って地面へと滴り落ちた。

 しかし痛みは全く感じない。

 ムトのーー兄の感じていた痛みを思えば、これくらい痛みですらない。


「……止めます」

「うん? 何かな、裏切り者」

「絶対に、貴方を止めます」

「はっ、君には無理だよ」

「ええ、私には無理でしょうね。ですが」


 自分にできなかったとしても、何を使ってでも成し遂げて見せる。

 例えそれが邪道だとしても、周囲には認められないような手段だったとしても。


「邪神の妹として、私は戦いますッ!」

「……あっそ。ならいまここで殺してーー」


 少しでも時間を稼ぎ、唯斗達が戻って来れば生き残るチャンスはある。

 だが、その時間稼ぎさえもできないかもしれないと、元メイドが顔を顰めたその時、ムトが動きを止めた。

 つられてその視線の先へと目を向ければ、


「やぁ、ユート。久しぶりだねぇ」

「……邪神、ムト」


 唯一の希望がーー唯斗がそこに居た。

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