102話 魔女の友
この声、姿……そして何より、この師匠みたいな気配。
間違いない。この人は僕がメゾリアへ行く道中で出会った、あの時の魔女さんだ。
そもそも、こんな人がそう何人もいるわけがない。あの師匠と同格の雰囲気を漂わせている時点で、魔術師としての範疇を超えているんだから。
僕の師匠ーー魔術の師匠は、神々にすら認められる魔術師。向こうの世界の魔術師の業界では、知らない人なんていないトップの人物だ。
その実績は数えきれず、数多の魔術を生み出し、現在の魔術の基礎を作り上げた大天才。
僕が出会った時も、隠居しながら次から次へと新たな魔術を生み出していた。
それが僕の知っている師匠だ。
師匠を超える魔術師には一度も会ったことはない。それどころか、師匠と肩を並べられるような魔術師には、会ったことも聞いたこともなかった。
でも、この人は違う。
初めて師匠と対峙した時のことは、今もはっきりと覚えている。
あの圧迫感、何千年と生きた大樹にも負けぬとも劣らない生命力の大きさ……、そして何より、体から溢れ出る魔素の量。
いずれも人間とは思えないものだった。あの時は本当に人間なのかを疑ったよ。
そして、そんな師匠と似た雰囲気を、魔素を……この魔女さんは身に纏っている。
昔よりも強くなった僕だから、より分かるんだ。
この人は師匠と同格の力を持っている、って。
「奇遇ですねぇ。こんなところにお二人で観光ですか? いいですねぇ。私ももう少し若ければ、誰かを誘って青春を謳歌したのですけど」
「いや、別に僕と元メイドさんはそういう関係じゃないよ。というか、魔女さんもまだまだ若いと思うけど」
「魔女さん? ……ああ、私のことですか。そう言えば名乗っていませんでしたねぇ。私の名前は……何でしたっけ?」
いや、僕に聞かれても。
っていうか、自分の名前を忘れるなんてことあるの? あの師匠ですら覚えていたのに。
「う〜ん……。まぁ魔女さんでいいです。思い出したらまた名乗るとしましょう」
「そ、そう。僕の名前はーー」
「悠長に名乗り合っている場合ですか!? あの魔物がいるのですよ!」
元メイドさんに無理やり首を捻られ、海の方に視線を向けさせられる。
うん、すっかり忘れてた僕も悪いよ。
でもね、人の首は突然捻っちゃいけないんだよ。僕じゃなかったら死んでたかもしれないんだからね。
なんて、恨み言を心の中で呟いておく。
「……何ですか、あれ」
背後から、元メイドさんの呟き声が聞こえてきた。
それは、信じられないものでも見たかのように声が震えていて、動揺しているのがよく分かる。
僕も似たような思いだけど、これに関しては本人に聞くのが一番早そうだ。
「魔女さん、あれって魔女さんだよね?」
僕たちの視線の先には、この場にいるはずの魔女さんの姿があった。
そっちの魔女さんは今も魔物と戦っている。でも、この場にも同じ魔女さんがいる。
つまり魔女さんが二人いるというわけだ。
「そうですよぉ。私は私、あれも私。どちらも私であることに変わりはありません」
……魔術、かな?
少なくとも、僕の知っている術にこんなものはない。
師匠も使っていた覚えはないし……魔女さんのオリジナルってことかな。
なかなか便利そうな魔術だ。代わりに買い物に行かせたり、説教を代わりに受けてもらったり、……できれば教わりたいなぁ。
っと、そんなことを考えている場合じゃなかった。
僕がミル達を助けにきたこのタイミングでの再会、しかもこんな場所で。
……うん、非常に怪しいね。
もし魔女さんがムトの送ってきた刺客なら、最悪だ。
文字通り僕の全力、全ての力を使ってようやく勝てるかどうか……。
少なくとも、師匠相手ならそんな戦いになる。
僕には圧倒的に戦闘経験が足りない。旅人である僕にそこまで戦闘経験を求めるのもおかしな話だけど、それが事実だ。
例えばの話をしよう。
剣術のけの字も知らない一般人と、世界一と謳われた剣豪が試合をしたとする。
前者は、折れることのない最高品質の日本刀を。後者は、その辺に落ちていた今にも折れそうな小枝を持っていたとしよう。
武器だけを見るのなら、本物の刀を相手に小枝で勝てるはずがない。誰がどう見たってその勝敗は明らかだ。
でもそれ以外の要因ーー技術力や経験には大きな差がある。その差を日本刀という力で補えるかと問われれば、それは必ずしもそうとは言い切れない。
武器同士のぶつかり合いならば剣豪が敵う道理はない。それは子供にだって分かることだ。
なら剣豪はどうするか。
もちろん、人ならば誰しも持つ急所を狙ってくるに決まってる。
顎とか鳩尾とか、色々と急所はあるけれど、この場合狙うとするなら目だろうね。
小枝という武器を最大限に活かすのならそれが一番だ。
結局のところ何が言いたいのかっていうと、恐るべきは武器じゃない。
一番恐ろしいのは、本人の技術力と経験だっていうこと。
師匠のような人は、そう単純な攻撃はしてこない。まるで将棋やチェスのように、一手一手、詰みへと誘導するように立ち回ってくる。
そして、気づいた時にはもう遅いんだ。確実に避けられない状況下で、自分の敗北を知ることになる。
……っていうのが、僕の実体験だ。
僕は神力という強大な武器を持っていたけど、師匠ーー魔術の師匠には一切通じなかった。
力自体はさっきの喩え通り、日本刀と小枝くらいの差があったかな。
あの時、師匠は自身の力に制限をかけていたからね。
魔女さんが敵だとしたら非常に厄介な相手だ。
師匠と別れてからそれなりに経験はつんだつもりだけど、未だに師匠に勝てる気がしない。
でも、魔女さんがその気だったとしても、僕だって黙って引き下がるわけにはいかないんだ。
この先にはミル達、神々がいるんだから。
「魔女さんはどうしてここに?」
頼むから、そんな展開にはなって欲しくない。
未だに元メイドさんに顔を固定されながら、内心切に願う。
「私ですかぁ? 私は……」
……答えによっては、すぐさま元メイドさんは転移させよう。
僕も、この人を相手に守れる自信はこれっぽっちもない。
「お馬鹿さんを連れ戻しにきたんですよぉ」
「……え?」
お馬鹿さん……って誰?
「ユート様のことでしょうか。でしたら確かにその通りかもしれませんが、流石に面と向かって言うのはかわいそうかと」
「……それを言うキミの方が失礼だけど」
「それは失礼致しました。私のことを散々虐めてくださったので、そのこと自体に気がつかないお馬鹿さんか、もしくは加虐趣味でもあるのかと思っておりましたが……後者でしたか。訂正しておきます」
……はい?
「ちょっ、どっちも違うからねッ!?」
「……」
「元メイドさんッ!? ちゃんと聞いて!」
何で僕の評価がそんなにどん底に……って、もしかしてさっきの熊もどきのこと、根に持ってる?
いや、あれは確かに怖い思いをさせたかもしれないけど、あれはどう考えても不可抗力で……。
「仲が良いですねぇ。これがいわゆる痴話喧嘩ですかぁ?」
「違いますッ!」
あの……頼むから火に油を注がないで。
さっきから僕の頭がミシミシ音を立てて……ああ、死ぬかも。
「……それで、お馬鹿さんって?」
必殺、話題戻し。
これで少しでも頭の締め付けが緩めば……って全然緩まないんだけど。
頼むから以前の落ち着いた元メイドさんに戻って欲しい。
……切実に。
「ふふっ、少年さんのことではありませんよ」
「じゃあ誰のこと? ここには僕達しかいないけど」
……まさかミル達のこと?
魔女さんも神々を助けにきた、とか?
「いえいえ、あそこにいるじゃないですかぁ」
顔が固定されている僕にも見えるように、魔女さんは前に出て指を差す。
その方向に視線を向ける……というか、もうすでにもう見ていた。
でも、そこには魔女さんの二人目と戦う魔物の姿しかない。
「……いや、あれ魔物でしょ?」
「あら? 分かりませんか? あれは魔物じゃないですよぉ」
「魔物じゃない?」
そんなはずは……、
「ッ!」
いや、魔女さんの言う通りだ。
あの蛇みたいな魔物は生命探知の神術に引っかからない。それはつまり、あれは生物じゃないということだ。
魔物でも、生物ですらない。ならあれは一体……あれ? 以前も確かそんなことがーー、
「……あの子はずっと前に知り合った、私の数少ない友達の一人なんですよぉ」
そうだ、思い出した。
ホガ村にダンジョンが現れて、村人を助けるためにダンジョンに潜って……、
「でも正気じゃないみたいで……起こしてあげないといけないです」
あの時、巨大な亀のような姿をした魔物が現れたんだ。
でもそれは魔物じゃなくて、探知の魔術にも引っかからなかった。
「その子の名前はーー」
あれを操っていたのは、リンみたいに会話することのできる精霊で。
……名前は聞けなかったけど、ちゃんと覚えてる。
薄黒い肌と羽を持ったあの子は、僕にムトが何を司っているのかを教えてくれた。
……でも、
「フィリー。精霊でありながら会話のできる、とっても賢い子なんです」
邪神ムトの手下、その一人だ。