97話 命を賭けて
「もしかしなくても、聞いてたよね?」
「さて、何のことでしょうか? 私はたまたま、偶然、今日このタイミングでホガ村から帰還したんですよ? それなのにどうしてユートさん達の会話を聞けるんです?」
……確かに。
いや、けど、ユエンだよ? あのジワジワと相手を追い詰めるような手を取る、性格の歪んだユエンだよ?
見た目と言葉に騙されちゃいけない。僕は身をもってそれを知っている。
そんな僕が考察するに、おそらくユエンは負けるような戦いには挑まないタイプだ。
あの時もそうだった。矛盾も何もない完璧な受け答えをしたというのに、僕は負けを認めざるを得なかった。
微塵の疑いを持たれないような、抑揚の付いた発声。相手を納得させる言葉の重み、声色。……何もかもが完璧だった。
でも、それでも僕は負けた。
あの時の敗因は分かってる。
奴は既に全てを知っていた。知っていて、僕を泳がしていたんだ。
例えるなら、僕は水槽の中を泳ぐ魚だ。自由に泳いでいるように見えてその実、泳がされていた。
そんな意気揚々と泳ぐ僕を、奴はあのニヤリとした笑みで見ていたんだろう。
……何と恐ろしい。
でも何より恐ろしいのは、ユエンに対峙した時点で僕の敗北は決まっていたということ。
あのニヤけ顔に出会った時にはもう既に遅いんだ。
つまり、勝つためにはユエンに出会う前に勝負を仕掛けなきゃいけない。
相手に考える、情報を収集する時間を与えちゃダメなんだ。
だから、今僕が取るべき行動は……、あれ? 僕ってもう手遅れじゃない?
「また、どこかに盗聴の魔道具を仕掛けおったな?」
……聞き間違いかな。
今、盗聴なんて言葉が聞こえてきたような気がしたんだけど、まさかね。
「そんなに簡単にバラさないで下さいよ。せっかくユートさんの反応を楽しんでいたのに」
「もう仕掛けるなと言ったじゃろうに」
「良いじゃないですか。別に」
……僕の耳がおかしいんだろうか? それとも頭がおかしくなったかな?
国王の部屋に盗聴の魔道具……、盗聴器でいいか。盗聴器を仕掛けるような大物が僕の目の前にいるんだけど。
しかも過去に仕掛けて許されてるって……。レンゼンさんの危機管理能力は絶対に足りてないよ。
「……あー、何か誤解してそうだから言っておくが、ユエンは王族だぞ?」
「あ、ロウウェ! それも隠していたんですけど」
「知らん。お前の娯楽に付き合っている暇などない」
「へぇ、そうですか。いいですよ……お爺様に怒られて落ち込んでる、ロ・ウ・ウェ・さ・ん?」
「ッく!?」
ロウウェって落ち込んでたのか……って、それよりも、
「ユエンって王族だったの?」
「そうですよ」
「王族で兵の隊長を務めるなんて珍しい気がするけど」
「時々、ですよ。気の向いた時や外に出たい時、あの身分を使うんです。王族は普通、そう簡単に外に出ることなんて許されませんから」
「なるほどね」
「まぁ、私以外にも兄弟がたくさんいますから。ですからこうして出してもらえるというのもありますけどね」
あー、確かレンゼンさんが言ってたね。元メイドさんのことを“愚息の隠し子”だとか。
ユエンの兄弟の人数を聞いてみたい気持ちはあるけど、それと同時に聞くのが怖い気持ちがある。
いや、むしろそっちの方が優ってるかな。
ユエンの父親がいつか身内に刺されないように祈っておこう。
「ゴルタルって、男が国王になるの?」
「基本的にはそうですね。例外がないこともないですが、今はそれに当てはまりませんし」
「なら、ユエンも国王になるかもしれないのか。国王になったら今みたいに外に出られなくなるんだろうね」
「はい?」
なんて言った途端、キョトンとした顔のユエン。
しかもそれはユエンだけじゃなくて、レンゼンさん達も、元メイドさんも同じ様子だ。
うん? 何か変なことでも言ったかな?
「……私、女ですけど」
「え?」
そんなまさか。僕の目にはしっかりと少年に見えてるよ?
顔立も体格も……確かに少女っぽい気がしないでもない。
でもその短めの髪型とか、少し失礼だけど胸とか。
僕は一目見て少年だと思ったんだけどな。
「ユート様、本当にそう思っておられるのですか?」
「えっ、違うの?」
「……それは少々、いえ。大変失礼かと」
いや、確かに性別を間違えたら失礼だとは思うけど、今でも男にしか見えないよ。
「……」
沈黙が非常に気まずい。
……分かったよ、ユエンは少女だ。それは認めよう。でもこれは仕方ないと思うんだ。
鎧を着てるから詳細な体つきなんて分からないし、顔の輪郭がシュッと引き締まっているからかな? どちらかと言えば少年寄りに見える。
身長はドワーフだから判断なんてつかない。それはカリナを思い出しても明らかだ。
ドワーフはみんな身長が低いから。
それにドワーフの少年も少女も、人間の子供とほとんど変わりない。
ある時期から少年の方は髭が濃くなったりして顔つきが変わってくるらしいけど、現時点では判断なんてつかないよ。
だから、顔つきが少年寄りなユエンを間違えたって仕方な――。
……あ、もしかして、
「ユエン」
「なんですか、ユートさん」
「見破ったよ。僕を陥れるには一歩足りなかったかな」
「何のことですか?」
ふっふっふ、僕は気づいてしまったよ。
ユエンの性別を間違えてしまった? いや、違うね。僕は間違えさせられたんだ。
きっと、ユエンはメイクか何かをして性別を男っぽく見せている。だからこそ僕は間違えてしまった。
つまりだ。
僕がユエンの性別を間違えてしまったのは必然。仕方のないことだったんだ。
「キミは僕を揶揄うために男装とかしているんだよね。僕がこうして間違えた時の反応を見て楽しんでいるんでしょ? 残念だけど、もうその手には乗らなーー」
「これが私の普段の姿ですが」
……あれ?
「何のメイクもしていない、いつも通りの顔ですけど」
「……」
嘘をついては……いない? 嘘でしょ?
いや、それ自体が嘘で、そもそも嘘が嘘で……ああ、こんがらがってきた。
「ユートさん」
「ッ! ……何、かな?」
「何か言い残すことはありますか?」
……何を言い出すかと思えば。
ふっ、そんなの一つしかないでしょ。
「男にしか見えなかっーー」
「いっぺん死んでくださいッ!」
……迫りくるそのビンタを避けるのは容易い。
でも、僕はそれから逃げなかった。目を逸さなかった。
籠手の金属部分が僕の方に向けられて、痛いことは明らかだったけれど、僕は避けなかった。
甘んじて受けよう。全てを見届けよう。
これで僕の罪が少しでも軽くなるのならーー。
ズキズキと痛む頬を押さえながら、僕はユエンとレンゼンさんの言葉に耳を傾けていた。
最初はホガ村の報告をしていたユエンだったけど、今は僕について話している。
幸いにも僕を悪く言っている事はなく、むしろ褒めているようなことが多い。
正直気恥ずかしいね。
さっきの空気もあって、今すぐにでもこの場から立ち去りたい気持ちでいっぱいだ。でも、それをしようとするとユエンに睨まれるから、もう諦めた。
僕の話もまだ終わってないし。
「というわけで、国王様。ユートさんの話は信じてもいいと思います。あのハクさんも、ユートさんを信頼しているようですから」
「あやつが、のぅ。であれば信じても構わんじゃろうが」
「私の情報が間違っているとでも?」
「いや、のぅ? どれも信じられんことばかりでのぅ。特になんじゃ? 神器で水事情が回復したとか。そんな都合の良いことが起こり得るか?」
「それは私が実際目にしました。魚のような形をした物の口から水が湧き出ていましたよ。私の目も疑いますか?」
「むぅ……」
ユエンの笑顔が怖い。
さっきのビンタの時も笑顔だったし、少しその笑顔がトラウマになっているかもしれないな。
ニヤけ顔の方がまだマシだった。
でも、ユエンは僕を擁護しにきてくれたのか。
何でユエンがそこまで僕のことを信頼してくれているのかは知らないし、どうして手を貸してくれるのかも分からない。
けど話を聞く限りでは、ユエンは僕とレンゼンさんの仲を取り持とうとしてくれているみたいだ。
「……分かったのじゃ。ユートの話を信じよう」
「それで良いのですよ。さっさとしてください」
「お主、国王であるワシに向かってそんな言葉をーー」
「ああ、そういうのはもう良いですから。……ユートさん」
「なに?」
話を終えて、僕の方に振り返ったユエンと目が合う。
でもその顔にはいつものような意地の悪さなんて微塵も含まれてなくて。ただ純粋に、嬉しそうに微笑んでいた。
「私たちゴルタルはあなたに協力します。邪神ムトを討ちましょう」
「軽々しく言うけど、相手は神だよ?」
「そんなもの百も承知です。ですが私たちなら……いえ、ユートさんならできます」
何処からその得体のしれない根拠が出てくるのか……。
僕はユエンと特に仲良く話した記憶はない。
会ってからまだ一月も経ってないし、一緒に居たのも数える程度だ。
「どうして僕をそんなに信頼してくれてるの?」
すると、少し考えるように視線を落として、
「……そうですね。あなたが英雄だから、ですかね」
「英雄? そう呼ばれるようなことをした覚えはないけど」
「いいえ、あなたは……。いえ、だからなのでしょう」
「どういうこと?」
「何でもありません。それでは私はこれで」
結局、なにも分からないままユエンは部屋を出て行ってしまった。
むしろ尋ねたせいで余計分からなくなったくらいだ。
……うん、考えても分からないなら今は置いておこう。今一番重要なのはそれじゃない。
ユエンのおかげでようやく、レンゼンさんとの話を進められる。
「さて。ユートの話通りなら非常にまずい事態じゃ。じゃがその前に、元メイドよ。お主に聞きたいことがある」
「何でしょうか?」
「何故今このタイミングで、ワシらに邪神ムトのことを伝えたのじゃ? 信じる信じないは抜きにしてじゃ」
「それは……口止めされていたからです」
「誰にじゃ?」
「各国の守護神である神々に、です」
「何じゃとッ!? いや、しかし……」
ああ、そうか。
元メイドさんの立場を考えれば簡単に想像がつく。
ムトがいずれなんらかの方法で人という存在を滅ぼそうとするのであれば、それに対抗できるのは同じ神だけだ。
なら、神々に協力を求める他ない。
いくら強い人を集めたとしても、神に勝つのは、それも上級神に勝つのは不可能に近いからね。
口止めはたぶん、
「混乱を避けるため、で合ってる?」
「それもあると思います。ですが一番の理由はおそらく、戦いを避けるためでしょう。神々の戦いは、人々への被害が深刻ですから」
「なるほどね」
人々に広まれば、ムトも何か動きを見せるかもしれない。
そうなれば、避けられた戦いも避けられなくなる。だからこその静観だったんだろう。
これに関してはなんとも言えないな。全てはムトの行動次第だから、こうすれば良かったなんてことも言えない。
難しい話だ。
「事態はより深刻かもしれん。それこそ、人種の滅亡もあり得るほどにのぅ」
「という事は先程のユート様のおっしゃっていた、神の不在というのは」
「事実じゃ。今ゴルタルに守護神はおらん。常にこの地に居るというわけではないが、もう随分と帰っておらんようじゃ」
「過去にそのような例は」
「ワシの知る限りでは無いの」
「という事はおそらく……」
「うむ、邪神ムトが関わっておる可能性が高いじゃろう」
相手は神。しかも下級神並みの力を得ることができる道具まである。
この世界にある魔道具がどれほどのものかよく知らないけど、流石に神を超えるとは思えない。
加えて向こうは国として攻めてきてるから神だけが敵じゃない。人も敵だ。
そしてさらに相手も魔道具を持っている、と。
正直言って絶望的だね。同じ神でも裸足で逃げ出すレベルだ。
でも、そんな絶望的な状況でも諦めるわけにはいかない。
この世界でできた友達のためにも。そしてなにより……僕の大切な親友――リンを助けるためにも。
絶対に諦めるわけにはいかない。
そのためにもまずは戦力だ。
神に対抗するには神しかいない。おそらくだけど、ミル達は生きている。流石のムトでも、一度に複数の神を相手にはできないはず。
だとしたら、何処かに閉じ込めるか封印するかしているだろう。
その場所が分かれば助けに行けるんだけど……。
『神々の居場所を見つければ良いのですね』
突然頭の中に声が響く。
この声は……、リチェルさんか。
『聞いてたの?』
『はい、始めからずっと。ですから事情は全て知っています』
『そう。で、見つけられそう?』
『可不可で答えるのなら、可能です。ただ、少々時間はかかりますが』
『本当に!? なら、今すぐにでも探してくれる?』
『分かりました。……ではまた後ほど。少々お話ししたいこともあるので』
『うん、分かった』
これで僕のすべき事は決まった。
あとは、
「ワシらに出来る事は、守るか逃げるくらいじゃろう。魔道具をいくら使ったところで勝つ事はできん」
「だが、レンゼン。それではこの国が滅びるぞ」
「ならば戦うか? ……兵が死ねば次は民じゃ。少しでも生き残る可能性に賭けるしかあるまい」
「ちょっと待って」
「何じゃ、ユート。何か妙案でもあるのか?」
これは賭けだ。
僕が達成しなければ、全てを巻き込むほどの大きな賭けだ。
もしミル達を見つけたとしても、必ずムトの妨害が入る。僕らの勝利の可能性は、ムトの敗北の可能性でもあるからね。
今度こそ死ぬかもしれない。
でも、僕はやるしかない。いや、そうしたいんだ。
「推測だけど、守護神がいないのは他の国も同じだと思う」
「それにはワシも同感じゃ。邪神ムトが本気で人種を滅亡させる気なら、他の神々もどうにかされているじゃろう」
「うん。でも、さすがのムトでも複数の神を相手にそう簡単に勝てるとは思わない。だからミル達は生きていると思うんだ」
「確かにのぅ。じゃが、仮にそうだとしてどうするんじゃ? 相手は神じゃぞ? ワシらにはどうにも――」
「僕が行くよ」
「なんじゃと?」
リンを助けたい。
だから僕は、自分の命を賭ける。
「僕がミル達を助けに行くよ」
ーー命を賭けて、リンを助ける。