96話 守護神の不在
「では、話を続けさせていただきます」
「うむ。確かお主の主である守護神が、人の手によって討たれたところじゃったな」
「……覚えておられたのですね」
「その発言はワシへの侮辱ととって良いのかのぅ? 見ての通りワシは国王じゃ。この国で一番偉いんじゃ。そんなワシがつい先程のことを忘れる筈ないじゃろう」
「……失礼しました。おっしゃるとおりです」
「仕方あるまい、許そう。……全く、ワシの記憶力を一体なんだと思っとるんじゃ」
……ああ、忘れがちだけど、レンゼンさんは国王だったね。
言動はもちろんだけど、その別の意味でインパクトのありすぎる兜のせいで国王っていう感じがしないんだよね。
というか、いつになったらその兜外すんだろう。まさか寝てる時以外付けてるなんてことないよね?
「なんじゃ、ユート。ワシの兜がそんなに気になるかのぅ?」
「あ、いや、なんでもなーー」
「そうじゃろう、そうじゃろう。何せ、ワシの最高傑作じゃからの。数ヶ月かけてようやく作り上げたのじゃ。良いじゃろう?」
あ、うん。僕、何も言ってないんだけど。……誰か他の人の声でも聞こえているのかな?
その輝く目を見れば熱意は伝わってくる。熱意はね? で、悪いけど、僕にはちっともそれの良さが理解できない。
というか、元メイドさんの話は? まずは話を聞くのが先決とか言ってなかったっけ?
「おい、レンゼン。お前がさっき言った言葉を覚えているか?」
「ワシとユートがこの兜について熱く語り合っておったことかのぅ?」
いや、語り合ってないけどッ!? 忘れるどころか、記憶が捏造されてるんだけど。
「そこのメイド――」
「“元”メイドです」
「……元メイドの話を聞けと言ったのはお前だろう」
ついにロウウェも間違えちゃったか。でも元メイドさん、“元”を名乗るのであれば、その服装を変えた方が良いんじゃない?
そんなメイドっぽい服を着てるから間違えられるんだよ。ロンドさんの所の店の制服はどうしたのやら。
そういえば、僕が起きたときにはもうこの服装になっていたっけ。
「……はて? そのようなことを言ったかのぅ?」
「おい」
「冗談じゃ。全く、それくらい誰だって分かるじゃろう」
……ごめん、僕には分からなかったよ。
レンゼンさんがそれを言うと、全く冗談に聞こえないから。
「すまんの。では続きをーー」
そう言って話を戻そうとするレンゼンさん。
でもその背後に忍び寄る大きな影がひとつ……あ。
「ろ、ロウウェ!? ちょ、ちょっと待つのじゃ」
「……なぁ、この国にはお前が必要だ。お前がいなければこの国は衰退の道へと進むだろう。それはよく分かっている」
「じゃろう? なら、その手を離してくれんか?」
「だが、自分の怒りはそう簡単には収まりそうにない。かと言って溜め込むのは精神的にはあまり良いことじゃない。……なら何かにぶつけるしかないだろ?」
「ま、待て! 話せばわかーー」
その直後、レンゼンさんの、絶望と、悲しみと、苦しみと、加えてもうひとつ絶望が篭った叫び声が響いた。
部屋だけでなく王都中に響いたそれは、後の歴史でこう語られたらしい。
“地獄の門が開いたのだ”、と。
「……ぐっ……ひぐっ」
子供のような背丈で子供のようにポロポロと涙を流す、お爺さんが一人。誰かなんて言うまでもない。
泣いている理由も、もちろん知ってる。一部始終をこの目で見ていたからね。
「……うぐっ……っぐ」
「自業自得だ。それに、ドラゴンには髭はない。いっそ取ってしまえば良いだろ?」
「何を言っておるッ! ドワーフといえば髭。髭といえばドワーフじゃ! 髭はかっこいいじゃろ!? ドラゴンもかっこいいじゃろ!? ならばその象徴をドラゴンに付けたのなら、それすなわち神じゃろう!!」
「知らん」
レンゼンさんの目の前にあるのは、さっきまで自慢していたドラゴンの顔をした兜だ。
でも、その髭は無残にも直角に曲げられ、今となっては躍動感のかけらもない。
まぁ、レンゼンさんが兜を大切にしていたのは分かるから、ちょっとやり過ぎなんじゃない? とか思ったりするけど、そんなことは口にはしない。
いや、口にする余裕はないって言った方が正しいかな。
僕の隣にいる、ね? 元メイドさんが、ね? それは、それは、非常にご機嫌斜めなようで。
そうなる気持ちはよく分かるけど。
「もういっそのこと、……して……しまいましょうか」
うん、何を言っているのか聞き取れなかったけど、非常にまずいことだけは分かった。
「……む、むぅ」
「……すまない、今度こそ聞く。……静かに聞く」
それが伝わったんだろうね。二人は蛇に睨まれたカエルのように静かになった。
僕としても、元メイドさんが暴走したら止めるとか言っちゃった手前、最悪の事態にならなくて心底安堵しているよ。
「……ユート様は何か察しているようですが、守護神と邪神ムトは仲が悪いわけではありません。むしろ、互いを姉弟だと思っているほどに仲が良かったのです」
「姉弟だと?」
「はい。あの頃の邪神ムトは、今のような残虐な性格ではありませんでした。無邪気な子供のような神様でしたから」
「じゃが、今では戦争を引き起こすほどじゃ。……原因は守護神の、姉の死か」
「その通りです」
リチェルさんの死によって、ムトの人格は壊れてしまった。
そして今のムトは、愛する人を手にかけた人を……いや、“人”という種族自体を恨んでいる。
つまり、
「これはムトの復讐ってことかな?」
「はい。人間だけではありません。ドワーフ、龍人、獣人、エルフ……全ての種族を滅ぼすこと。それが邪神ムトの狙いです」
「なるほどね」
経緯は分かった。だとしてもそんなことが本当に可能だと思っているのかな?
確かにムトの作ったダンジョンコアとかいうものは脅威だ。ただの人なら到底太刀打ちなんてできない。
でも、それはあくまで対人の場合のみ。神相手なら多少の時間稼ぎくらいにしかならないんじゃないかな。
ミルみたいな国を守護をしている神が、それをただ黙って見過ごすはずがない。そうなれば、ムトの敗北は必至だろう。
なら、まだ他にも何か手があると考えるべきかな?
……もし僕がムトの立場だとするなら、一番厄介なのはもちろん神の存在だ。たとえ上級神のムトでも、何カ国もの守護神を相手に勝つのは難しいと思う。
黒い人型に時間を稼がせたとしても、いずれ突破されるのは分かりきってる。
ならどうする? どうやって勝とうとする?
神がいなければ、この戦争の勝者はムトに違いないとは思うけど……神がいなければ?
僕がエルムスを出たとき、ミルはまだ帰ってきてなかった。
……まさか、
「ねぇ、ここゴルタルも守護神っているの?」
「うむ、もちろんじゃ。鍛治の神での、我らに知識を与えてくださったお方じゃ」
「もしかして、今この国にいないんじゃない?」
「……お主、何を知っておる?」
二人からの視線が鋭いものへと変わる。でも、そんなの気にしている余裕は今の僕にはない。
……とても嫌な予感がする。
「いないんだね?」
「お主には少し聞きたいことができた」
「僕が容疑者ってことかな? それは見当違いだよ。でも、一つだけ分かったことがある」
「何じゃ?」
「もう既にムトの術中に嵌ってる、ってことだよ」
「どういう意味じゃ?」
「僕はミルとーーエルムス国の守護神であるアルミルスとは友達なんだ。でも、僕がエルムス国を出たとき、ミルは居なかった」
「……流石にそれは信じられんのぅ。神が人を友達と認めるなど、まずないじゃろう」
……流石に信じてはもらえないか。
だったら、
「なら、ミルが居なかったっていうのは信じて欲しい。そしてそれが何を意味するか……、レンゼンさんなら分かるでしょ?」
「……仮にそうなら、非常にまずい事態じゃの」
「ならーー」
「じゃが、それを信じるのは難しいのぅ。守護神とは国の最終防衛じゃ。その不在を、どこにも所属しておらんお主が知っておるというのは信じ難い」
ダメか。
信じてもらうにはどうすれば……。
「そのくらいにしといて下さい、国王様」
考え込んでいると、突然後ろの扉が開いた。
と、同時に何処かで聞いたような声が……あ、もしかしてユエン?
「む? ……今帰ったのか、ユエンよ」
「ただいま戻りました、国王様」
振り返って見てみれば、そこには見覚えのあるニヤけ顔があった。
……やっぱり性格悪い。