94話 抱えてきた秘密
元メイドさんに連れられて執務室へと向かう……前に、お風呂に入ることにする。
眠っている間は城にいるメイドさんが体を拭いてくれていたらしいけど、やっぱり汗の匂いは気になるからね。……羞恥? そんなの昔師匠のところに置いてきたよ。
「にしても、ここには湯船に入る習慣があるんだね」
「はい。ゴルタルでは鍛治職人が多く、よく汚れたり汗をかいたりしますからね。昔からお湯に浸かるという習慣がありました」
「へぇ」
「ちなみにここ王城には大浴場があります。私も入りましたが、広々としていて少し落ち着きませんね。他の方の視線が気になりますし」
「あー、確かにその気持ちは分かるよ。僕もどちらかと言えば一人で入る方が好きだね。お風呂はゆっくりと気楽につかりたいから」
だというのに、毎度毎度リンが風呂場に飛び込んでくるんだから。はしゃいでお湯を飛ばしてくるし、無視したら無視したで拗ねて幻惑まで使ってくるし。
って言っても今はリンがいないんだった。でも全然喜びなんて感じない。……寂しいなぁ。
「以前どこかで入られたことがあるのですか?」
「……」
「ユート様?」
「あ、ああ。ごめんちょっと考え事してた。何だっけ?」
「……リン様のことですか?」
そりゃ分かるか。
「うん。何となく生きているのは感じるんだ。でもやっぱり心配でね」
「大切な方なのですね」
「もちろん。リンは僕の大切な親友だからね」
「ふふっ。そうでしたね。でしたら、しっかりと守ってあげてください。……私は守れなかったので」
そう言って元メイドさんは悲しげな表情を見せた。
出会ってからどんな時でも平常心を出し続けていた彼女が見せた、初めての表情だ。
「……うん」
僕はそう返事することしかできなかった。詳しく聞くのも違うし、慰めの言葉をかけるのも違うと思ったから。
「それで、ユート様は以前大浴場に入られたことがあるのですか?」
「うん。もっとお風呂がありふれたところでね。泡が出るお風呂だったり、天然で沸いたお風呂だったり、まぁ色々と種類も豊富だったよ」
「泡ですか、想像もできませんね。……ああ、そう言えば、ユート様は別の世界からいらっしゃったのでしたね」
……うん? 僕、元メイドさんにそのこと言ったっけ? 言ってないよね。
というか、僕が他所の世界から来たなんて知ってるのはミルとムトくらいしか……まさか、
「もしかしてミルから聞いた?」
「ミル? 誰のことでしょうか」
「えっ、じゃあムトから聞いたの?」
「ムトとは邪神ムトのことですよね? 邪神ムトから何を?」
「えっ?」
ミルでもムトでもない。となると、いったい誰が……?
「あの、いったい何の話をされているのでしょうか」
「いや、僕が別の世界から来たっていう話は誰から聞いたのかと思って」
「ああ。それでしたら、もう一人のユート様が教えてくださいました」
……あいつぅ。何をさらっと喋っちゃってるの?
「まさかとは思うけど、他にも何か喋ってたりしないよね?」
「……はい。聞いておりませんよ?」
「何、その間。ものすごく怖いんだけど」
「いえ、本当に何でもありませんよ。あ、こちらが大浴場になります。右側が男性用ですので。では」
「えっ、ちょっとまっーー」
くそっ、逃げられた。でもあれは絶対に何か聞いてるね。妙なことを話してないといいんだけど……。
「はぁ。とりあえず入ろう」
追いかけようにも見失ったし、ここは王城。下手に歩き回るのも良くない。ここは一旦諦めよう。
「……合ってるよね?」
念のため二度男湯かどうか確認した後、僕は風呂場に入った。
……入れ替わっていたとかないよ? ちゃんと男湯だった。
一方、唯斗から逃げおおせた元メイドは自室へと戻り、周囲に誰もいないことを確認すると、ポツリと呟いた。
「……リン様が死ぬかもしれないなんて、言えるわけないじゃないですか」
元メイドは神の人格である唯斗の言葉を思い返す。神であるユートの言葉は、元メイドの鉄仮面を破壊するほどの威力を持っていた。
(ユート様は別世界からきた半人半神であること。神であるユート様は、リン様が連れ去られるのをわざと見逃したこと。そして……、リン様が死ぬかもしれないということ)
全て神である唯斗が元メイドに告げたことだ。その告白に対し、元メイドは「どうして私などにそれを話すのか」という思いでいっぱいだった。故に、思わずそう問いかけてしまった彼女を誰も咎めることなどできないだろう。
しかし対する答えが、
『……何故だろうな。我にもよく分からん』
という曖昧なもの。しかしその後、
『懺悔のようなものだろう。誰かに話しておきたかったのだと思う』
その答えには元メイドも少し共感できた。何せそれと同じ問題を、彼女は大昔より長い間ずっと抱え続けてきたものだったのだから。
だが、その問題も今日限り。
「……全てに、決着を」
気持ちを切り替え、己の問題と立ち向かう元メイド。それだけで精一杯な彼女だったが、心のどこかでは二人の無事を願っていた。
部屋に入った瞬間に思ったのは、“ああ、この人ってプラモデルとか好きそうだな”だった。
「おお、待っておったぞ」
ドラゴンのような形をした金属製の模型を丁寧に磨く、背丈の低い老人。おそらくこの人がこの国の王なんだろう。……なんだよね?
「ワシがこの国の王、レンゼンじゃ。よろしくのぅ」
「……あ、うん。よろしく」
合ってた。でも……、
「レンゼン、それでは威厳がないぞ?」
「なっ、そんなわけないじゃろう! ほら、こことか、こことか、滲み出てるじゃろ!?」
そう言ってドラゴンの顔の形をした兜を被ったレンゼンさんは、兜の髭とか牙を指差す。
……どうでもいいけど、ドラゴンに喰われた人がその口から顔を出しているようにしか見えないんだけど。
「お主も分かるじゃろ? たしか」
「ああ、ごめんね。僕は唯斗、呼びにくかったらユートでいいよ」
「おお、そうじゃ、そうじゃ。よろしくのぅ、ユート」
身分の高い人って堅苦しい雰囲気の人が多いけど、レンゼンさんは違うみたい。何ていうか、……そこら辺にいる孫好きのおじいちゃん? いや、プラモデルが好きそうだからなぁ。孫と一緒に組み立てて楽しんでる姿が目に浮かぶよ。
なんて考えてると、レンゼンさんの隣に立つ男と目があった。レンゼンさんとは違って見た目は普通の人間っぽいけど、袖口から僅かに鱗のようなものが見える。多分あれが竜人なんだろう。以前読んだ本と特徴が一致する。
「自分はロウウェ。一応この国の宰相だ。まぁ、やってることはそれ以外にも色々とやらされているけどな」
「よろしく。ロウウェって、もしかして竜人?」
「ああ。それで自分の袖口を除いていたのか」
「ごめんね? 竜人は初めて見たから」
「初めて? お前は既に会ってるだろ?」
「えっ?」
……思い返してみても全然覚えがない。そもそも人に鱗がついているのなんて初めてみたんだけど。
「ユート様は見ておりません。あの時、もう既にリバーは姿を変えておりましたから」
「ああ、そうだったか。それは悪い」
「うん? どういうこと?」
リバー? どうしてここでリバーの名前が出てくるのかな?
「ユート様、リバーは竜人だったのです。あの黒い姿に変わって分からなくなりましたし、それ以前も誰かの姿を写し取っていたので気がつきませんでしたが」
「そういえば僕、リバーの正体って見たことないんだった」
最初に会ったときはベルの姿をしていたし、次にあった時も人に化けてて本当の姿を見てない。そしてその次はもう黒い人型になっていた。
結局最後まで分からずじまいか。あいつなら姿を見たんだろうか。
「今回の件、いやそれ以前も、同胞がしたことは許されることではない。迷惑をかけた。心より謝罪する」
「いや、ロウウェが謝ることじゃないよ。僕の親友を傷つけたのはリバーだし。……それに、もう決着はついた」
「……ああ」
リンを傷つけたことは許せない。操られていたから、なんて言われても許せそうにない。……僕も一応人間だからね。割り切れないものだってある。
あいつならどうするんだろう。神であるあいつなら……。
「お主ら。それくらいにして、そこのメイドの――」
「元、です」
「……元メイドの話を聞こうではないか。時間は限られておるでの」
……そこは気にするんだ。
「そうだな。ユート、現状は聞いているか?」
「いや、まだ聞いてないけど」
「そうか。……現在、ウェステリア国がこの大陸全土に宣戦布告し、進軍してきている」
宣戦布告? それも大陸全土?
それはつまり、
「戦争が起きてるってことだよね。でも大陸全土って? 流石に無茶じゃないの?」
「ああ。普通なら法螺話同然だ。後々の時代に知ったやつが笑い転げるほどのな。だが、奴らにはそれを為すだけの戦力を揃えている」
「そんなのどうやって……」
「お前、ホガ村の村長を覚えているか?」
「村長? オルンのこと?」
「言い方が悪かった。元村長だ」
「……ああ、そういえば僕が捕まえに行ったんだっけ」
村の財産を持ち逃げした、あの村長か。リバーとムトのせいですっかり忘れてた。言われたのに思い出すまで時間がかかったよ。
「で、その元村長がどうしたの?」
「あいつを含むとある連中が、武器やら人材やらをあの国に売りつけていたらしくてな。あいつらは今頃つかまってる頃だろうが、既に持ち込まれた量が莫迦にならない」
「でもそれだけで戦況が覆るの? 流石に大陸にある全ての国相手じゃ……」
「ああ。これだけじゃ大部分に大きな被害が出る程度だろう。これでも十分脅威だがーー」
「ウェステリアの背後には邪神ムトが付いているのですよ」
「なっ!?」
元メイドさんの発言に思わず声が漏れた。予想を遥かに超えた事態に、一瞬思考が停止する。
「ちょっと待って! どうしてそこでムトが出てくるの?」
「ここからは私が話しましょう。どうして戦争が起きたのか。どうして、ムトが関わってくるのか。……全ては一人の女性の死から始まりました」