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閑話 リバーの復讐⑨

 人生で最も“幸せ”だったことは何か。


 もちろん、その答えは人によって違うだろう。

 まさに千差万別。何をもって“幸せ”とするか、それは本人にしか分からないし、決められない。他者がそれを見て幸せだと言っても、本人にとっては“幸せ”ではないかもしれない。その逆もまた然りだ。


 その“幸せ”の度合いを他者と比べることなどできやしない。一番下もなく、一番上もない。

 基準のない曖昧なもの。それが“幸せ”というものの本質の一部ではなかろうか。


 しかしそんな曖昧な“幸せ”も、先の通り、本人であれば答えることができる。

 もしリバー・ストレインという男にそれを尋ねたなら、こう答えが返ってくるだろう。


『ルーティリスに出会えたことが最大の幸せであり……、そして最大の不幸だった』と。






 徐々に大きくなる喚声に、リバーは少しずつ意識が覚醒するのを感じた。薄らと目を開けるが、ぼやけていて上手く周囲を見ることが出来ない。


「……ッ、ぐ」


 左肩の激痛と同時に、これまでの経緯が走馬灯のように頭に浮かぶ。逃走するリバーとルーティリス。村に着いて、そして――、


「ルーティリスッ!?」


 慌ててその者の名を呼ぶが、返事は返ってこない。リバーと同じく気絶しているのか、別の場所にいるのか。はたまた……。


「……くッ」


 最悪の事態を想像するも、それを確かめる術は現在持っていない。


(……まだ、まだだ)


 リバーは目を閉じ、心を落ち着ける。


(あの状況で俺だけを見逃すなど有り得ない。となれば、ここは敵陣。下手に騒げば不利になる可能性が高い)


 そう考えたリバーは、目を閉じつつ周囲の音に耳を傾ける。

 遠くからは人々の騒ぐ声。腕を少し動かせば、チャリチャリと何か金属の擦れるような音が聞こえてくる。

 周囲に人の気配はなし。……と、現状で得られる情報を少しずつ得ていく。


 しばらくの間そうしていると、徐々に目が見えるようになってきた。

 ゆっくりと見渡すように周囲を確認すると、


「ここは、……牢屋だな」


 正面には、簡単には抜け出せそうにないほど頑丈そうな鉄の柵。そこはベットも何もない柵のついた部屋だった。


(牢屋、か。街の入り口にある詰所の地下牢ではなさそうだな)


 時々地下牢に犯罪者を叩き込むリバーは、その牢屋の構造をよく理解している。しかし、その牢屋にはベットもあれば、灯りもある。リバーの知る場所ではないということだ。


「此処がどこなのか、か」


 牢屋のある場所はいくつか聞いてはいるものの、実際に見に行ったことはない。そもそも何の用もなく立ち入ることのできる場所でもないのだ。故に、場所の特定をするのは難しかった。


「地下牢はどこも同じような材質で作るから判断材料にはならない。何か他に……」


 と、その時、一際大きな喚声がこの地下牢にまで響いてきた。それも一人や二人ではない。何百……、下手をすれば何千という声が重なり合っているような響きだ。


「声? こんなところにまで声が届くなんて――、ッ!」


 地下牢に声が届くほどの喚声。まるで街全体の人を集めたかのような声の響き。

 地下牢は基本的に人の少ない所に作られる。故にこの二つの条件を満たす場所はたった一つしかない。


「そうか、……此処は闘技場の地下牢だったのか」


 闘技場は本来魔物同士を戦わせる場だ。しかし、時には犯罪者同士を戦わせることもあり、それ用の牢も作られている。と、リバーは過去に聞いたことを思い出した。


 しかし、これだけでは現状を変えることはできない。


「場所は分かった。……だが、どうやって抜け出すか」


 逃げ出すにも、目の前の重厚な鉄の牢はそう簡単に破れそうにない。加えて、


「……これも厄介だな」


 腕を動かせばジャラジャラと金属音が地下牢中に響く。

 どうやら気絶している間に手足に鎖をつけられたらしく、リバーは自由に動くことが出来なかった。

 さらにラウナーから受けた左肩の骨折がさらにリバーの動きを阻害する。こうなってしまえば、できる事など無いに等しい。

 強いて言えば、いざと言う時のためにこれ以上左肩を痛めないように安静にすることくらいだろうか。


「……くそッ」


 守ると言ったのに、こうも無様に捕まって、


「……くそッ!」


 何も出来ずにただただ待つしか無い。ルーティリスが生きているのかも、分かっていない。


「……くそッ!!」


 悔しさのあまり、強く握りしめた右手から血が滴り落ちる。

 リバーも、頭では余計な怪我をするのは愚かだと分かっている。重々分かっているだが、こうもしなければ理性を保つことが出来なかったのだ。


 俯き、歯を食いしばって耐えるリバー。そんなリバーの耳が、二つの足音を捉えた。

 その内の一人が牢の前に立つのを感じ取り、リバーはゆっくりと顔を上げる。

 するとそこには、


「やぁ、リバー。起きたみたいだね。でも残念。もう一度眠ってもらうことになるよ。……今度は永遠にね」


 そう言って悪魔のような笑みを浮かべる、この国唯一の王子がそこに居た。






「ルーティリスは……、第二皇女殿下は無事なんだろうな」

「今はまだね。そんなことよりも、自分の命を心配したら? 君も死ぬんだよ?」

「……」

「だんまりかい。私は質問に答えてあげたんだけどねぇ」


 不満そうなジルクスは放っておき、リバーは考えを巡らせる。


(ここでそんな嘘をつく必要もないだろう)


 そう結論づけたリバーはルーティリスの生存を確信し、一息つく。ルーティリスが生きているのであれば、まだリバーにも勝機はある。


「……立て」


 ジルクスの部下だと名乗る男に連れられて、リバーは牢屋を出る。両手両足には拘束をつけた状態でだ。


 (肩の負傷は素人から見てもかなりの重症だ。ならば、護衛が油断の一つでもするだろう)


 そう考え、リバーは悟られないように慎重に隙を窺っていた。しかし、そんな目論見もあっさりと破られることとなる。


「……無駄だ。俺は油断などしない」

「ッ! ……何のことだ?」

「リバー・ストレイン。お前の噂はよく耳にしている。あの英雄リバリティスに勝るとも劣らない程の戦いの天才だと」

「……」

「残念だ。万全のお前と死合いたかったものだ」

「やめてくれる? それで君が死んじゃったらどうするのさ」

「……む、主の命だ。仕方ない」


 ジルクスにそう言われて、あっさりと諦める男。そんな気楽そうな会話をしている間も、男の警戒は全く薄れている様子はない。

 ただ、ジルクスのような裏があるようにも思えず、先ほどもただ戦いたいという純粋な思いから言っていたようにリバーは感じた。


 だからこそ、リバーには分からない。どうしてこのような男に仕えているのか、と。


「……どうしてこんなやつに仕えているんだ?」


 気づいた時には、リバーはそう口に出していた。

 男は振り返ることもなく、ただ当たり前のように、


「俺の主だからだ」


 と、一言そう答えた。






 地下牢を出て連れてこられた場所。それはリバーも予想していた通り、闘技場の中だった。

 地下牢からでてからというもの、人々の喧騒が直接耳を叩く。あまりの騒々しさに耳を塞ぎたくなるほどに。


 闘技場の中央に台座があり、その周りを囲むように観客席が配置されている。この闘技場は魔物同士の戦いを想定されていることもあって、台座から観客席まではそれなりの距離がある。少し声を張り上げた程度であれば聞こえもしないだろう。

 だが、民衆達の怒りと憎しみ。それらを大いに含んだ叫び声は別だ。


「お前のせいで家が壊れたッ! これからどうやって生きていけばいいんだッ!」

「死ねッ! お前のせいで! お前のせいで家族が死んだんだッ!」

「親友が意識を取り戻さないんだッ! 死んだらどうしてくれるッ!」

「……子供が死んだ。あなたのせいで死んだのよッ!」


 そんな闘技場の南側からリバー達は姿を現した。と同時に、民衆から浴びせられる罵詈雑言の数々。真実を知らない民衆にとって、リバーは魔物をけしかけ、多勢の人の命を奪った大罪人だ。そんな人物が目の前に姿を表せば、罵声を浴びせるのも無理はない。


 だが実際にはリバーは冤罪だ。そんな言葉を浴びせられて腹が立たないわけがない。しかし、ここでリバーが暴れても何の意味もなさない。ただただ処刑されるだけだ。むしろ処刑が早まる可能性もある。


 まだ生きることを――ルーティリスを助けると、リバーは諦めていない。


 故に、リバーは耐えるという選択をとった。


 死刑台である闘技場の台座に立つ。

 その直後、男によって、台座に鎖の一部を杭で打ち付けられた。


 周囲の殺気の籠もった視線がリバーを射殺すように貫く。だが、そんな視線よりも正面から突き刺さる重みのある視線に、リバーはその場に縫い付けられた。


「……国王、様」


 その視線の主はこの国を支える男。ルーティリスの父親だった。

 王はその顔に何の表情も浮かべていない。娘が殺されるというのに、ただただその行く末を見ているだけだった。


 その間に正面の北口からルーティリスが姿を現す。

 以前のような無邪気な笑顔はなく、あの真っ直ぐ綺麗だった髪も酷く乱れていた。


「ルーティリス、様……」


 疲弊しているのだろう。いつ転ぶかと不安にさせるような足取りで、台座へと登る。


「ルーティリス様!」

「……リバー、さん」


 少しでもリバーを安心させようとしたのだろう。僅かに笑みを浮かべてリバーに近づこうとする。

 だが、ルーティリスを繋ぐ鉄の鎖がそれを許さなかった。鎖に足を取られ、蹲るように倒れた。


「……ごめんなさい。ごめんなさい」


 顔を俯かせ、謝り続けるルーティリス。そんな彼女は目を腫らし、顔にはいくつも涙の跡が残っていた。

 随分と前から泣き続けていたのだろう。もう既に涙は枯れ果てたようで、その海のように深く青い瞳からは一粒も雫がこぼれ落ちない。


「それは違いますッ! 私が……、俺が貴女を守れなかったから。……貴女を巻き込んでしまったから」

「違います。私は貴方と一緒に居たいと望んでしまった。それ自体が間違いだったのです。……私には、過ぎたことだったのです」

「そんなことは――」

「そうだね。ルーティリスはやり過ぎた。馬鹿だよ、本当に」


 この現状を作り出した元凶が、ルーティリスが悪いというような物言いをする。それも、さも面白そうに笑みを浮かべながらだ。

 そのことに苛立ちを隠せなかったリバーが、敵意をジルクスに向けるが、


「だって、私がこの計画を実行するきっかけを作ったのは君だからね。ルーティリス」

「……は?」


 リバーの思考が止まると同時に、ジルクスに伸ばした手も空で止まる。


「死に行く君たちには特別に教えてあげようか。冥土の土産というやつだ」


 そう言ってジルクスは楽しそうに笑みを浮かべると、民衆には聞こえない程度の声量で続けた。


「王族の持つ秘匿情報の中でもかなり重要な部類なんだけど、この国はどうやって王を決めているか分かる?」

「それは強い者だろう」

「そう。でもそれでは五十点。ヒントは父の顔だね」

「顔……? 顔の何が――」

「瞳の色、ですね」

「大正解! 良かったね、ルーティリス。死ぬ前に正解して」


 煽るように拍手をするジルクス。ルーティリスもどこか不愉快そうな顔でジルクスを睨みつけていた。

 そんな彼を他所に、リバーは先日のことを思い出す。


(……確かあの時)


 思い返せば、リバーがジルクスと初めて会ったあの時。ジルクスはルーティリスの瞳を見て豹変していた。


「竜人は瞳の色が濃くなると、真の力に目覚める――つまり覚醒すると言われている。だから、今の時点で一番王に近いのはルーティリスなんだよ」


 ジルクスの瞳は以前のルーティリスのように薄い青色だ。ジルクスの話を信じるのであれば、まだ真の力に目覚めていないということなのだろう。


「……まさか、お姉様も」

「ああ、連れてきた男が覚醒していたよ。だから殺してやったけどね」

「なんてことをッ! 貴方は同胞を何だと思っているのですか!!」

「はっ、何を言っているのかな? 同胞? そんなの関係ないね。使えるか使えないか。それだけだよ。それにね……」


 ゆっくりと恐怖を煽るように近づくジルクス。その表情にいつもの笑みはなく、目も細く鋭い。


「この国は弱い者は死に、強い者が生き残る。そういう国なんだよ」

「だからといって何をしてもいいというのかッ!」

「いいんだよ。リバー、君は何も分かっちゃいない。なら、どうして王は私たちを止めないんだい?」

「ッ!?」


 ジルクスのいうことは的を得ていた。王であればジルクスの虚実を調べあげるなど造作もないことだろう。

 だというのに、王は助けに入ってこない。


「これはね、試されているんだよ。あいつにとって私たちはただの駒。討たれればそれでよし、勝ち上がればそれで良しのね。あいつに家族の情なんて欠片もない」

「じゃあ、あの証明書は……」

「君たちが無実の罪を証明して生き残るかを試しているんじゃない? でないと、私に証明書なんて渡さないだろう」

「……養父は、……養父もグルか」

「そうなんじゃない? 仲良いらしいし。ま、そこまでは知らないよ」


 無実の罪を証明すれば生き残れる。だが、逆に言えば無実の罪を証明できなければ死ぬということだ。

 処刑はもう間もない。今更証拠を集めようにも時間がなかった。


 リバーに打つ手は逃亡しか残されていないのだが、肩の負傷に加えて鎖で拘束されている。

 ……もう打つ手は無かった。


「みんな待ってるからね。それじゃあ、処刑を――」

「待ってください」

「……なんだい? ルーティリス。今更命乞いなんて」

「そんなことはしません。ただ一つお聞きしておきたいのですが」

「何かな?」

「今回の件、私の瞳が原因で起こしたのですよね」

「……確かにそうだけど、何が言いたいんだい? 別に君が両目を抉ったとしても意味なんてないよ?」

「いえ、そうではありません。……ですが、それなら良かったです」


 先程までの泣きそうなルーティリスは何処にもいない。守られるだけの少女でもない。

 そこにいるのは王女らしく笑みを浮かべる、一人の女性だった。

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