閑話 リバーの復讐⑦
リバー達二人が街の外に出かけた数十分前。時はエスカトス国唯一の王子、ジルクスが自室へと戻った直後まで遡る。
ジルクスは自室に入るや否や扉に鍵をかけ、防音の魔道具を起動させると、普段のジルクスからは想像もつかないほど機嫌の悪そうな低い声を出した。
「……おい」
「はっ」
どこからともなく現れた、全身を黒の外套で身を隠す者。声からして男だろう。
そんな男の出現に驚くことも、一瞥することもなく、ジルクスは言葉を続ける。
「あれを見張らせていたヤツ、そいつは殺せ。無能に生きている価値などない」
「はっ。承知しました」
ジルクスの言う“あれ”。ジルクスとこの男の間で“あれ”というのは、とある人物を指していた。
それは、
「……あれは無害だと思っていたが、まさか姉の方よりも厄介だとはな。同じ血が流れているというだけで虫唾が走る!」
「……」
ジルクスは苛立ちを隠そうともせず、力一杯近くにあった机に拳を叩きつける。
机にはヒビが入り鈍い音が部屋中に響くも、外にその音が漏れることは一切ない。先程起動させた防音の魔道具のおかげだ。
「……計画はどこまで進んだ?」
「今すぐにでも。根回しは全て終わらせております」
「ほぅ? 早いな。やはりお前は優秀で助かる」
「お褒めに預かり、光栄でございます」
先程までの苛立ちは顔を隠し、代わりに心から楽しそうに笑う。が、その笑みはいつも他人に向けているような気持ちのいい笑みではない。
耳まで裂けたかような口に、蜥蜴のように細い目。それはまるで竜人の皮を被り、狂気に満ちた悪魔のようであった。
「では今すぐに……、いや。あれらが街にいるのなら流石に早計か」
「いえ。あれらは現在街の外に出ているようです」
「……なんだと? そんな都合のいいことがあるはずないだろう。……罠か?」
「いえ。複数の部下から同じ報告を受けております。まず間違いないかと」
「いや、そっちの方も考えられるが。……まさか計画がバレているということはないだろうな?」
「そちらもまず無いでしょう。あれらの関係者に接触した様子もありませんでしたし、我々のような影との接触もまた然り。計画が漏れたという可能性は限りなくゼロに近いでしょう」
「……そうか」
ジルクスは考えを巡らせる。
ここで障害を破壊しておけば、間違いなく王への道は近づく。そしてそれを実行するための準備も状況も整っている。
だが、その反面。それが罠だということも考えられる。あまりにも整い過ぎたこの状況はあまりにも不自然だ。
だが、このチャンスを逃せば次にいつ実行できるかは分からない。……もしかしたら、二度とチャンスは来ないかもしれない。――それはダメだ。
そう考えると、ジルクスの決断は早かった。
「計画を今すぐ実行しろ。……ここで潰しておく」
「承知しました」
男はそう返事を返すや否や、すぐさまその場から姿を消した。残されたジルクスは片手で顔を覆うと、
「ふ、ふふ、フハハハハははははッ!!」
静かな部屋の中。狂ったように笑い声をあげた。
「……これで、これで俺がこの国の王にッ!!」
次期国王になると疑わないジルクス。
彼の行く末は遠くない未来、定まることとなる。
「……これはどういうことだ?」
周囲の敵意の視線からルーティリスを守るように背に隠す。敵意の矛先はルーティリスか、リバーか。……はたまた二人共か。
しかし、リバーに敵意を向けられるような覚えは全くない。ずっと一緒にいたルーティリスもまた同様だろう。
自分達にではなく、その背後の存在を疑ったリバーだったが、あいにくとリバー達の背後には誰もいない。
「……誰か、説明を――ッ!」
自分の持っていた情報だけでは何も思いつかなかったリバーは、周囲の人々に説明を求める。が、その瞬間、顔への飛来物を感じ取り、咄嗟に掴み取った。
飛来物の正体は石だ。それはリバーの優れた目がしっかりと捉えていた。そして、それを誰が投げたのかも。
しかし、リバーにはそれが理解できない。
どうして、人々から親の敵でも見るような目で睨みつけられているのか。……どうして、自分よりも十程幼い少年から石を投げられなくてはいけないのか。
そして、次に少年の放った言葉に、リバーは驚愕することとなる。
「どうして……、どうしてこんなことをするんだ! この人殺し!!」
「……なん、だと?」
その言葉は衝撃以外の何物でもなかった。
「どういうことだ? 俺達はさっきまで街の外に――」
「そりゃそうだろうなぁ! 危険だと分かってりゃ、街の中になんていねぇだろうよ。そんなことをすんのは魔物を引き入れたヤツしかいねぇ」
少年の隣で、男は殺意を込めた目で睨みつけながらそう言う。
「引き入れた……? 魔物を?」
「ああ、そうだ。六年前も同じ手で村を襲ったそうじゃねぇか」
「襲った? ……俺が?」
六年前。
つまりはリバーの両親がドラゴンに襲われて死んだ、あの日のことを言っているのだろう。それはリバーにも理解できた。だが、襲ったのがリバーであるという荒唐無稽な話に、戸惑いを隠せないでいた。
「何を馬鹿なことを……。あの日、俺の両親が死んだんだぞ?」
「それは……」
そこまで詳しい話は知らなかったのだろう。男は口を噤んだ。
だが、
「それは両親に恨みでも持っていたんじゃないかな? でも、直接手を下せば法に反する。だから、魔物を使ったんだろう?」
「なっ!?」
リバーは驚きのあまり目を見開く。
あまりのぶっ飛んだ話に言葉を失ったわけじゃない。背後から聞こえてきた声に驚いたわけでもない。
「王都に魔物をけしかけるなんて、重罪も重罪。まさかキミがそんなことをするなんて思ってもなかったよ」
その男が、ここに居るという事実そのものにリバーは驚愕していた。
「キミの仕事ぶりは聞いていた。だから罪を軽くしてあげたいけど、大切な民の気持ちもあるからね。残念だけど……」
その男の名は――、
「ジルクスッ!」
「死んでくれるかな?」
エスカトス国王子、ジルクス・エスカトスだった。
ジルクスの登場で、リバーは一つだけ理解したことがあった。
それは、この惨状を作り出したのがジルクス本人であり、そしてその罪をリバーに擦りつけたということ。
だが、その目的が分からない。
仮にリバー本人を殺すことが目的だとして、これほどリスクのある殺し方をするとは思えない。暗殺者を差し向ける方が、まだ確実かつ安全だろう。
考えを巡らせるも、頭が情報不足だという答えを叩き出す。
思わず内心舌打ちをするリバー。
そんなリバーに対して、ジルクスはにこにこと笑みを浮かべていた。
今まで人当たりのいい笑みだと思っていた顔が、打って変わって腹立たしくて仕方ない。
……否、ジルクスの顔は変わっていない。自分の認識が変わったのだと、リバーは思った。
「やぁ、さっきぶりだね」
「……ジルクス」
「もう王子殿下とは呼ばないのかい? まぁ、犯罪者に何と呼ばれようがどうでもいいけどね」
「……どうしてこんなことを?」
「何のことかさっぱりだなぁ。第一、こんなことをしたのはキミだろう? あー、怖い怖い。専属近衛に任命された人物がこんな極悪犯だったなんて」
「何を白々しい! これはお前が……、まさか」
リバーは一つの可能性に至る。もしかすると、ジルクスが望んでいたのは王の失墜なのではないか、と。
もしリバーが国を揺るがした極悪犯ということになれば、特専兵に任命した王の立場が揺るぐ。
現段階で一番国王に近いのはジルクスだ。周囲の信頼も厚い。ならば、周囲の人々はジルクスを王にと押すだろう。
「……それだけのために国民を危機に晒したというのか」
「何を言っているのかさっぱりだね」
「ふざけるな! そこまでして王になりたいというのか!!」
「だから知らないなぁ。ただ、私はこの国に……、いや。この国の宝である民を傷つけるような輩が許せないだけだよ」
「よくもそんな心にないことが言えるもんだな」
「心にない? 心外だよ。キミにそんな風に思われてるなんてね」
そう言ってジルクスは如何にも悲しそうに、目を伏せる。ジルクスの本性を理解したリバーにはそれが嘘であることが分かったが、周囲の人はそうは思っていないようだ。
リバーには罵声を浴びせ、ジルクスには称賛の声を送っているのだから。
「……これがお前のやり方か」
「さてね」
「そうやって人を騙して、何とも思わないの――」
「ああ、そういうのはいらないから。あとは牢屋で話を聞くよ」
ジルクスの指を鳴らした合図とともに、周囲の建物の間から武器を手にした兵が現れる。……その中には、共に修行をした仲間もいた。
「お前等、コイツのいうことを信じるのか?」
「……」
同僚は何も話さない。が、失望したような目を向けられたことで、おおよそのことは理解できた。
(反論は、……厳しいか)
この場を覆すほどの証拠を、リバーは持っていなかった。加えて、相手がここにいるということは、勝つ自信があるということに他ならない。
つまり、下手に足掻いたところで、でっち上げられた証拠を出されかねないわけだ。
向こうは準備期間があったのに対して、こちらは零に等しい。動くのがあまりにも遅すぎた。
(……仕方ない)
リバーは振り返り、跪いてルーティリスの手を取る。
「……ルーティリス様、どうやら私はここまでのようです」
「リバーさん!? 」
「貴女はまだ若い。……これから立場は危うくなってしまうかもしれませんが、どうか生きてください」
「いや……、嫌です! そんなの……」
首を左右に振るルーティリスに対して、リバーは温めるようにその手を握る。すると、ルーティリスはピタリとその動きを止めた。
「私は貴女に生きていて欲しいのです」
「ッ!!」
「……私の養父を頼ってください。きっと力になってくれる筈です」
「……リバー、さん」
ルーティリスの涙をハンカチでそっと拭き取ると、リバーは立ってジルクスに目を向ける。より一層笑みの増した顔に一撃くれてやりたいと思ったリバーだったが、鋼の精神で何とかその衝動を抑え込む。
「お別れは済んだかい?」
「……どうも」
「いやいや。最期の二人の別れを邪魔するほど、私は鬼畜ではないよ」
(どの口がそれを言う……)
リバーは必死に耐えた。暴言も、暴力も、ルーティリスの立場をさらに悪化させる可能性があったからだ。
故にリバーは耐えた。目の前の男がどれほど憎いとしても、リバーは手を出さなかった。
……ルーティリスを守るためなら。そう、リバーは思っていた。
だが、
「それじゃあ……。国家反逆罪として、リバー・ストレイン。並びに、ルーティリス・エスカトスの二名を捕縛せよ」
「……は?」
その言葉は、周囲の人々も意外だったのだろう。兵以外の一般人はざわつき始める。
しかし、そんなことは気に止めることもなく、ジルクスは続ける。
「ルーティリスはリバーの計画に賛同した。故に、王女であろうとその罰は変わらない」
つまりはリバーと同じ死刑。ジルクスの言っていることはそう言うことだった。
「待て! ルーティリスは関係ないだろう!!」
「私の言うのことに間違いはないよ。それとも、無実を証明できるのかい?」
「……そもそも、お前にルーティリスを裁く権限はない筈だ」
「ハハッ! そんなこと、この私が考えていないとでも思ったのかな?」
「何?」
すると、ジルクスは服の間から一枚の丸まった紙を取り出す。
内容は……、王都襲撃に関して全権をジルクスに預けるという王の印が入った証明書。
「……馬鹿な! 王が、許可したというのか?」
「残念だったね」
より笑みが深まるジルクス。
その直後、ジルクスの合図と共に兵らがリバーとルーティリスに襲いかかる。
「きゃあ!!」
リバーが地面に拘束されると同時に、ルーティリスの悲鳴が聞こえた。
目を向ければ、そこには両手首を掴まれて拘束されるルーティリスの姿。
それを見た瞬間――リバーの体は動いていた。