閑話 リバーの復讐⑤
リバーは戦闘において、鎧などの動きを阻害する装備は好まない。
常に軽装備を心がけ、レイピアも軽くて頑丈なものを。戦いの際は敵の隙を狙い、急所めがけて――貫く。
基本的に力で押し切ろうとする竜人達の中では異端な戦い方だと言えるだろう。
そんな彼にとって、鎧は邪魔でしかない。重さで動きづらくなるのはもちろんのこと、関節部分が動かし難くなる。動く際に音が鳴る、と、リバーの戦い方ではデメリットが際立つ。
故にリバーは鎧が嫌いだ。鎧を着るくらいなら重りをつけたほうがマシだ、と心から思っているほどである。
そのため、特殊専属近衛兵に任命された際に国王から下賜された、素人目から見ても一級品だと分かる鎧は、完全に部屋のオブジェと化していた。
……ちなみに鎧に初めて袖を通したのは、リバーではなく、その養父だというのはここだけの話。
……そして時折、リバーの部屋に忍び込んではその鎧を着て、鏡の前でニヤニヤと笑みを浮かべているということも。
リバーが特殊専属近衛兵――略して特専兵に任命されてから、一月が経った。
その間、リバーは一度も魔物狩りには行っていない。あれほど勝利を渇望していたリバーなら考えられないようなことだが、間違いなくあれから一度も戦っていない。
もちろん勝利に飽きたということではない。リバーは勝利の感覚を忘れてなどいないし、日々の鍛錬も欠かすことなく続けている。
だが、そんな彼が――国王より正式に近衛兵以外の仕事を許可されている彼が、どうして魔物狩りに行かないのか。
……それは他でもない、ルーティリスのためだった。
リバーはルーティリスの護衛がいないことの理由を知るや否や、宰相の地位に立つ男――ブルタスに直談判した。
が、ブルタスはのらりくらりと躱し、知らぬ存ぜぬで全てを通した。その態度でブルタスという男の人柄を知ったリバーは、これ以上の対話は無駄と判断。武力による実力行使も考えたが、ルーティリスの立場を考え、何とか押し留めた。
他や知り合いから護衛を頼むことも考えたリバーだったが、相手は一国の王女。それなりの地位を持つ者でなければ護衛できない。
となれば、選択肢は限られてくる。そしてその選択肢の中で最も簡単だったのが、……リバー自身が護衛をするというもの。
リバーはあっさりと今までの生活を切り捨てた。何の迷いもなく、それが当たり前であるかの如く。早々に。
強くなること。そしてその先にある勝利は、リバーにとっての生きがいだった。
生きがいとは生きるために必要な物。生きがい無しでは生を語れない。
それをこうも簡単に切り捨てられたことに、リバー自身も驚いていた。と同時に思う。
……あれは本当に生きがいだったのか、と。
生を受けてから十八年。一人前だと言われる年齢だと言えど、人間よりも長い寿命を持つ竜人にとってはまだまだ若い。
たった十八年。されど十八年。リバーは過去を振り返ってたものの、決してはりの無い、惰性のままに生きてきたような人生ではなかった。
ならばなぜ、こうもすんなりと新しい環境を受け入れることができたのか。
リバーはふとした時にその疑問を自分に問いかける。
答えは……、まだ出そうにない。
「あの、リバーさん?」
「私のことはリバー、とお呼びください」
今日も今日とて、リバーはルーティリスの側に控えていた。
暗殺や襲撃などを警戒するのはもちろんのこと、食事の毒味、盗聴の警戒、と。本来複数人で行うような仕事を、リバーはたった一人でこなしていた。
人間よりも体力がある竜人でも、流石に休み無しでは心身ともに疲弊する。しかし、リバーは長期に渡る魔物狩りを続けてきたおかげで、休息をとりつつも警戒する技術を身につけていた。……否、いつの間にか身についていたというべきか。
その証拠にこの一月の間、リバーは何の疲労も感じていない。むしろ魔物狩りに出かけていた時の方が疲れたとさえ感じていた。
リバーの養父であれば、「むしろ休みになる」とでも言うかもしれないが、何も知らないルーティリスにとっては気が気でないようで、
「では私のこともルーティリスと……、ってそんなことはどうでもいいのです。ここずっと休んでいませんが、本当に大丈夫なのですか?」
「何度も申しますが、何の問題もありません。むしろ体が鈍ってしまいそうで、鍛錬の時間を増やそうと思っているのですが……」
「それはやめて下さい! これ以上増やすなら、バルクス様をお呼びしますからね!」
「……養父をですか。なら止めておきます」
渋々前言を撤回すると、ルーティリスが安堵したようにホッと息を吐いた。
どうやら、バルクスに何か入れ知恵をされたらしく、リバー本人は無茶とは思っていないことでも、ことによっては今回のように止められることが何度かあった。
リバーとしても、養父の名が上がれば止めざるを得なくなる。
……一人身となったリバーを拾ってくれた恩人なのだから。
「……戻りたくは、ないのですか?」
この質問もこの一月のうちに何度かあったものだ。リバーは初めて聞かれた時のように質問の意味を聞き返すことなく、返答する。
「以前の仕事には戻りません。今は、貴女様をお守りするのが仕事ですから」
「それに関しては言ったはずです。貴方には以前の仕事をする許可が下りているのだと」
「はい、存じております。ですが、第二王女殿下には他に護衛が居りませんので」
「……では、他に護衛がいれば貴方は元の生活に戻るのですか?」
「それは……」
初めての質問に、リバーは言い淀む。
今までは、リバーが『護衛が居ないから』と言えば、ルーティリスは何か言いたそうにしては居たものの、それ以上は何も言わなかった。
だが、今回は違う。何かに恐れている様子を見せながらも、リバーに再度問いかけた。
リバーはその質問に対し、
「……ご命令とあらば」
肯定も否定もしない。リバーが取ったのは、ルーティリスに答えを委ねることだった。
瞬時に答えを考えたものの、リバーには決めることができなかった。それ故の保留である。
良く言えば主想い、悪く言えば決断力に欠ける。
だが、答えを委ねるということは、その責を相手に押し付けるということに他ならない。しかも王女とは言え、相手は自分よりも年下の少女だ。
一八にもなっていない少女に責任を押し付けてしまった。
その事実に気がついたリバーは、自分の出した答えに恥じ、同時に自己嫌悪に陥る。だが、それとは逆にルーティリスの顔は笑顔だった。
「そうですか。迷ってくれているのですね。……分かりました。今はそれで構いません」
「はっ」
「どんな答えでも私は受け入れます。ですから、貴方がしたいようにして下さいね?」
「……承知しました」
「その口調も、いつか変えて欲しいものなのですが……」
「これはどうかご勘弁を」
事あるごとに、『自室だから』『誰も聞いてないから』、口調を崩して欲しいと言われ、その度に必死で断ってきたリバー。
ここからが長いと知っていたために、咄嗟に危機回避の一手を放つ。
「……少々部屋から出られてはいかがでしょうか? 部屋の中ばかりでは気分も塞ぐというもの。外に出て新鮮な空気を吸われては?」
「そうですね……。では少し出ましょうか。護衛はお願いしますね?」
「はっ」
これで何とか誤魔化せた。……そう思った瞬間、
「今の時間なら中庭には誰も居ないでしょう。……そこでゆっくりとお話ししましょうね?」
「………………はっ」
……ルーティリスからは逃げられない。
数十分先の未来を予想して、思わず大きなため息を吐くリバーだった。
ルーティリスが外出用の服に着替えるのを待ち、リバーとルーティリスの二人は中庭へと向かった。
「リバーさん、ありがとうございます」
「リバー、です。人がいないとは言え、聞かれていたら問題ですよ?」
「……そうですね。気をつけます」
「ええ。それで、何に対しての礼のですか? 私は特に何もしておりませんが」
「えっと……、全部です」
「全部?」
「はい。全部です。色々ありすぎますし、言葉にできないようなのもあるので……。なので、全部に対してありがとうございます」
「……抽象的すぎて分かりませんが、分かりました」
「いいえ。きっとリバーさんは何一つ分かってませんよー」
そう言って無邪気に笑うルーティリス。
その笑顔を見て、何故か落ち着きが無くなるのを感じたリバーだったが、数分もすればいつも通り元に戻った。
知らぬ間に疲れでも溜まっていたのかと、リバーはいつもよりも多い目に休息を取ることを、心の内で決める。
「リバーさんって、本当に鈍感ですね」
「……初めて言われましたね。そんなことは」
「そうなんですか?」
「むしろいつも真逆のことを言われていましたから」
「……たぶん、リバーさんが言っている感覚と私が言っている感覚は、違うと思います」
今度はそう言って呆れたように笑う。
(……今日も笑ってるな)
リバーはこの一月、ルーティリスを護衛してきて、分かったことが――知ったことが一つあった。
それは、ルーティリスはよく笑うということ。
仲間と話をしていても、リバーが何かを言ったからといって、笑顔を見せる者など居なかった。
むしろその真逆だ。近づけば、それまで笑っていた者もその顔を真顔へと変えた。少し怯えていた節さえある。
だが、ルーティリスは笑う。いつも笑う。
フードで顔を隠していた時には分からなかったが、コロコロと変わるのは機嫌や声色だけではなく、表情も非常に良く変化する。
それがリバーがこの一月で知った、ルーティリスという少女だった。
王女という威厳を出すことのできる、無邪気な笑顔の絶えない少女だと。そう思っていた。
「やぁ、楽しそうだね。ルーティリス」
その男がルーティリスの前に現れるまでは。