閑話 リバーの復讐④
「王女殿下! ……第二王女殿下!!」
リバーと別れた第二王女ことルーティリスは、四方から詰め寄る兵達を無視し、ツカツカと王城へと向かった。
先ほどまでのリバーの前で見せた彼女はもう既にいない。王家に生まれた者としての立場を考えた、他者を圧倒する立ち振る舞いに、誰一人としてルーティリスの歩みを止められる者はいなかった。
抜き去られた兵達は一瞬呆気にとられるも、背後から付きそう形で必死に声をかける。
「第二王女殿下! 今までどちらに!!」
「……」
しかしルーティリスは一言も言葉を発しない。周囲の有象無象など気づいてもいないようにただ進むのみ。
周囲に目を移すこともなく、その淡い青眼が王城を見据えていた。
やがて王城へ入ると、扉の先にいたとある人物を目にして、ようやくルーティリスは口を開く。
「あら、これはこれは宰相様。貴方自ら出迎えてくださるなんて」
「ええ、もちろんですとも。貴女様はこの国の第二王女。貴女様を無下になど――」
「あら? おかしなことを仰いますね。所詮は私は王女。貴方の口からまさか無下になんて言葉が出てくるとは思いもしませんでした」
「……」
力こそ全て。
特にその思考に染まっていた、宰相という立場に居るこの男にとっては、女など平民も同然。
あからさまな侮蔑の態度を取ることはないものの、“ただ従っていればいい”、“お前はただの道具だ”といった言葉を、それとない言い回しでルーティリスに吐いてきた。
周りに控える侍女達も宰相の息がかかった者達で気を抜くことができず、加えて、本来であれば王族の周囲には力がある貴族の子女が仕えるのだが、ルーティリスの周りは平民の、それも力に関しては人間にも劣るような者達ばかりだった。
さらに言えば、ルーティリスは王家直属の兵士達を動かす力は無い。
否、実際にはその力が与えられている。だが宰相によって、裏ではその命令権を剥奪されているのだ。
故に、ルーティリスは安全さえも保障されていない状況にあった。
ちなみに、今回兵達がルーティリスを探しに来たのは王の命によるものだろう。逃げ出した本人が自分を連れ戻すはずもなく、そんな命令を下すこともできない。ルーティリスと同じ環境にある第一王女もまた同様だ。第三王女は言わずもがな。
残る唯一の男である王子は……、とそこまでルーティリスの思考が働いたところで、それはあり得ないと断定する。
「第二王女殿下、これまでどちらに? 国王様もひどく心を痛めておりましたよ?」
「そうですか」
それは天地がひっくり返ってもあり得ない。と、ルーティリスは心の中でくすりと笑う。
仮にルーティリスや他の王子、王女が死んでも王は表情をピクリとも変えないだろう。王妃が死んでもまた同様だ。
なぜならこの国、エスカトスを治める国の王が最も実力主義の思考であり、力こそが全てだと明言しているのだから。
死んでも、それは“力が無かったからだ”、と王が言い捨てるのは想像に難く無い。
王としての立場から、捜索しただけに過ぎないだろう。……ルーティリスはそう結論づけた。
「少し外に出ていただけです」
「お一人でですか? それは危険ですね。貴女は王女という自覚を持たなければいけない」
何をいまさらと、ルーティリスは湧き上がる怒りを必死に押し止めた。
(護衛を無くしたのは貴方でしょう?)
だが、ルーティリスはそれを口に出すことはしない。言ったところで証拠があるわけでもなし。適当に流されるだけだろう。
言ったところで意味などないのだ。むしろ宰相のしたり顔を見て苛立ちが増してしまう。
しかし何も言い返さないのも、この沸き立った苛立ちが収まらないというもの。
ルーティリスは外面用の笑みを浮かべ、
「では貴方も宰相としての立場を理解した方がよろしいのでは?」
「……と言いますと?」
「こんなところにいてお仕事の方は大丈夫ですか? と言っているのです。宰相とは国にとって重要な役職です。こうして私に時間を割いている暇がお有りですか?」
「……その自覚があるのなら一人で外出などしないで欲しいものですね。こうして私が出てこなくてはならないのですから。余計な仕事を増やさないでいただきたい」
「ではすぐに仕事に戻ったらいかがですか? こんなたかが小娘如きに無駄な労力を割いている暇などないなら、そうしますよね?」
「ッ!」
暗に、「自分への説教をするくらいなら、仕事に戻れ」と告げる。
すると宰相の余裕のある笑みが崩れ、憎々しいと言わんばかりに顔を歪めた。
(ふふっ。まさか言い返すとは思わなかったんでしょうね)
今まで我慢に我慢を続けていたルーティリス。何を言っても無駄だと気づき、いつからか言い返すことも無くなっていたが、その顔を見て少し気分が晴れるのを感じた。
だが、宰相の後方からゆっくりと歩いてくる人物を見て、その爽快な気分も一瞬で吹き飛ぶこととなる。
「その辺にしておいたらどうだい? ルーティリス」
「…………お兄様」
女性好みしそうな笑みとは対照に、ルーティリスの表情は苦虫を潰したような顔へと変化する。
「宰相、キミもあまり妹を叱らないでやってくれないか? 妹もまだ遊びたい年頃なんだろう」
「しかし……」
「大丈夫さ。今度からは私の護衛を一人付けてあげる。もちろん実力は問題ないよ。そうすれば安心でしょ?」
「……王子殿下がそうおっしゃるのなら」
「うん。……今回は本当に無事でよかった。ルーティリス、もうこんな危ないことはしてはいけないよ?」
「……はい。申し訳ありませんでした。お兄様」
「うん。反省しているならいいんだ。今日はゆっくりお休み」
「……はい」
軽く頭を下げ、二人が立ち去るのを待った後、ルーティリスはポツリと呟いた。
「……最悪ですね」
ルーティリスは力強く服を握りしめる。服には皺がより、それ以上力を入れると掌に鋭い痛みが走る。が、ルーティリスは力を抜かなかった。
その痛みがなければ、その場で大声で叫んでしまっていただろうから。
「…………リバーさん」
今日会ったばかりの人。
偶然助けられただけではルーティリスもこれほど彼を求めることはなかっただろう。
ルーティリスが彼を求める理由。それはとても単純明解で、彼女は直ぐそれに気がついた。
――リバーはルーティリスが心から望んでいたものをくれた。
ただそれだけのことだ。
人は自分には無いものを求める生き物だ。それは竜人とて変わらない。
力がなければ力を求め、知識がなければ知識を求める。ただそれだけのこと。
ルーティリスは生まれながらに愛や優しさに飢えていた。
両親は子に愛情を注ぐような者ではなく、ほとんど全て侍女任せ。周囲には敵しかおらず、味方などただの一人もいやしない。
そんな環境でも心が折れなかったのは、竜人という種族故に精神が強かっただけに過ぎない。
加えて、王族としての立ち振る舞いや心構えといった教育が、皮肉にも彼女の心を支えていたのかもしれない。
そんなルーティリスが暗闇の中でもがいて、もがいて。そして進んだ先にリバーという光があれば、それを求めてしまうのは必然だろう。
「……私も、一緒にいたいから」
己の願いをもう一度確認するために言葉に出し、ルーティリスは前を向いて歩き出した。
向かう先は……、王の居る部屋。
扉をノックすると、中から重みのある声が聞こえてきた。
生まれてから数える程度しか聞いたことがないが、それは確かにルーティリスの父の声だった。
汗ばむ手をハンカチで拭い、ゆっくりと扉を開けて中へ足を踏み入れる。
「……失礼します」
「ああ」
中は簡素ながらも、一目見て一級品だと分かる物ばかりだった。右に見える棚も、左に見えるあの絵も、床に敷かれたあの敷物も。
その中でも、王が今使っている光沢のある机は群を抜いているだろう。木造ながらも金属のように光を反射し、切られてもなお生命力を感じる。
「ようやく戻ったようだな」
王のその言葉で、ルーティリスは意識を戻す。
そして改めて目の前の人物に目を向けるが、ルーティリスは目の前の男が自分の父親だとは思えなかった。
(――強すぎる)
竜人としての本能が叫んでいたのだ。逃げろ、逃げろと。
身体中から冷や汗が溢れ、体が震える。心臓が脈打ち、もう自分の心臓の音しか聞こえていないほどだった。
「どうした? 何があったのか話してみよ」
「……あ、あ」
声が出ない。息もうまく吸えない。
ルーティリスの意識はそこで暗闇へと落ちていった。
(……ああ、ここで死ぬのでしょうか)
目の前が暗い。
(……どうして、こんなところに。……どうして?)
――一緒にいたかったから。
(……誰と?)
――初めて自分のことを見てくれて人と。
(……なんで?)
――一緒に居たいと、言ってくれたから。
(……そう、です。一緒にいたいと、そう思ったから。そう、言ってくれたから)
だから、私は――。
「……ルーティリス」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、ルーティリスは意識を取り戻した。
場所は変わらず王の居る執務室。呼ぶ声のする方に目を向ければ、そこには変わらず椅子に座る王の姿があった。
たが、その鋭い目が向けられているのは書類ではない。書類からはすでに視線を外し、その海のように深い青色の瞳はルーティリスに向けられていた。
「どうした? 返事がないようだが」
「……はい、お父様。申し訳ありませんでした」
幸い、ルーティリスは倒れておらず、時間もほとんど経っていないようだった。加えて、先ほどまでの恐怖も綺麗さっぱり消え去っている。
先ほどのあれが一体なんだったのか、ルーティリスには分からなかったが、これ幸いにと自分の願いをぶつけた。
「お父様。私、一緒に居たい人がいます」
「……ほぅ?」
執務に戻ることなく、王は面白そうに言葉を返す。
「それは城の者か?」
「いいえ。今日会ったばかりです」
「ほぅ。……よもや、賺されたわけではあるまいな?
「それは竜神様に誓ってありません」
「……その言葉、もちろん意味は分かっておるな?」
「はい」
――竜神様に誓って。
それは竜人達にとって特別なものであり、この約束を違えた場合は過酷な拷問の後にゆっくりと殺されるという、この国において最も重い罰である。
故に、竜人達はよほど自信と覚悟がない限りはこの言葉を口にしたりはしない。
そんな言葉を自信を持って答えたルーティリス。
その覚悟と想いが伝わったのだろう。王はわずかに口角を上げると、
「その者は誰だ?」
「所属は分かりません。ですが、副隊長を名乗っておりました。私よりも少し年上だと思います。名前は――」
「リバー、だな」
「ッ!! どうしてそれを?」
「何、偶然知っていただけだ。……まさかあいつの義理の息子だとは」
「……お父様?」
「いや、なんでもない。……一緒に居たい、だったな」
「はい」
「なら、お前の専属近衛兵にしよう。なら一緒に居られるだろう?」
「専属近衛兵、ですか」
専属近衛兵は特定の王族のみに仕え、その王族のみ命令を下すことができる。
それは王とて例外ではなく、専属近衛兵は王の命令にも逆らうことができる。そのため、滅多に選ばれることはない。よほど王の信頼がなければなれない名誉ある職なのだ。
しかし、ルーティリスはあまり乗り気ではなかった。
確かに一緒に居たいとは言った。しかし、彼の今の生活を無理やり変えてしまうのは如何なものか、と。
専属近衛兵になれば、ずっと共に居なければいけない。それはそれで嬉しいと思うルーティリスだが、相手も同じかと問われれば、断言することはできない。
リバーの今の幸せを壊してまで、一緒に居たいとは思わなかった。
「……お父様、お願いがあるのですが――」
……そうして話し合った結果。リバーは特殊専属近衛兵に任命されることとなった。
内容は単純。専属近衛兵の仕事はするものの、常に側に控える必要はなく、自分の意思で好きな時に今までの仕事をしてもいい、という破格なもの。
今回限り、王が特別に作った特殊な職だった。
ルーティリスは自室に戻ると、疲れた肢体をベットに投げ出し、考えた。
どうしてそこまで配慮してくれたのか、と。
だがいくら考えても答えは出ず。
疲れた体と頭が休息を欲したために、数分も経たずしてルーティリスの寝息が聞こえてくるのだった。
「……フフ」
ルーティリスが退出した後、王は先ほどまでの出来事を思い出して小さく笑った。
「……まさか我の目の前で覚醒するとはな」
もう冷めてしまったコーヒーを口に含み、嚥下する。
王は冷めたコーヒーを好まない。それ故、いつもであれば入れ直しをさせるのだが、あまりの機嫌の良さにそんなことなど微塵も気にならなかった。
もし仮に普段の王を知る者がこの様子を見ていれば、目を見開いて驚いただろう。そもそも王が笑みを浮かべること自体珍しいのだから。
「……今後に関して我は関知しない。強さこそ全て。……だが」
そこで言葉を切り、一気にコーヒーを飲み干すとため息をこぼすように小さな声でこう言った。
「願わくは……真の強者が頂に立って欲しいものだな」