閑話 リバーの復讐③
楽しい時間というのは、あっという間に過ぎてしまう。そう、先人は言った。
その言葉に則るのであれば、リバーにとって自分を鍛えることはそれに当たるだろう。
己を鍛え、魔物に勝利するたびに感じるあの達成感。皆を守れることはもちろんのことだが、自分が強くなっているという実感を感じるのは、いつも魔物と戦っている時だった。
要するに、リバーは戦うのが好きだったのだ。自分を強くすることが好きだった。それ故、リバーにとっての“楽しい時間”は、自分を鍛えること、そして勝利することだった。
しかし、竜人達が獣や魔物を狩って、生き抜くことばかり考えていた時代もとうに過ぎている。
村から町へ、町から街へ、街から国へ。次第に大きくなっていき、そして現在。竜人達は多種族とも交流し、その他の種族から取り入れた娯楽も増えてきている。
もちろん娯楽だけではない。魔道具も、魔術の扱いに長けていない竜人には生み出せないものだっただろう。今では生活において、魔道具は切っても切れない関係にある。
生活水準が向上したことにより、趣味――つまりは楽しい時間を過ごすことが増えたのだ。金を稼いで少々変わった魔道具を集める者や、エスカトス王都にある闘技場で魔物同士戦わせ、金を稼ぐという、賭けにはまる者もいた。
皆、そういう趣味を持っていたのだ。
戦い生きていくだけでなく、何か生活に別の楽しみを持っていた。
だが、リバーは違う。
生を受けてからというもの、常に戦場に身を置き、己を鍛えることだけに全力を注いできた。
他の者が料理に目覚めている時、何をしていた?
――修行だ。
他の者が金に目覚め荒稼ぎしている時、何をしていた?
――鍛錬だ。
他の者が女に溺れ、遊んでいる時、何をしていた?
――戦いだ。
それがリバーの唯一の趣味だった。
それ以外何も知らなかった。いや、知ろうとしなかった。
リバー自身特に自分に関して深く考えたことはない。が、心の何処か片隅の方でこう考えていたのだろう。
“自分には勝利さえあればいい”、と。
しかし、リバーは名も知らない少女と共に街を回り、一つの疑問を感じていた。
それは、
(……時間が経つのが早い)
共に歩き、共に食事し、共に店を見て回る。ただそれだけのことだ。
他に何か特別なことをした覚えなどない。しかし、リバーはいつも自分が取る休日よりも明らかに時間の流れが早いことに気がついた。
「リバーさん、次はどこに行きますか!」
相変わらずフードで顔を隠している少女に目を向ける。
その少女の手には一冊の手帳。表紙と裏表紙には花の絵が描かれていた。リバーには何の花か分からなかったが、花びらの先端は白く、中心と茎の部分が真っ赤な花だった。
とても機嫌がいいのだろう。少女はその手帳を大事に抱え、その声は鼻歌でも歌い出しそうなほどに明るい。
「っくく」
「……? どうしたんですか?」
「いえ、何でもありません」
何でもないことはない。心底不思議そうに首をかしげる少女を見て、リバーは笑い声を必死に我慢した。
というのも、これは少女と共に食事のために店に入る前に気がついたのだが、何と少女はお金を一銭も持っていなかったのだ。
店に入る際に「お腹が空いていないからいいです」なんて言っていたのに、店の前で料理の匂いを嗅いでお腹を鳴らしていたのをリバーの鋭い耳が聞き、判明した。
その際おもわず笑ってしまい、少女が機嫌を悪くするという一幕もあったものの、料理でお腹が膨れるとすぐに機嫌を直していた。
そして話は戻って現在。
先程、リバーは手帳にすがりつく少女に向かって、「欲しいんですか?」と問いかけ、「欲しくなんかないです」と返される意味のない問答を繰り返し、またもや少女の機嫌を損ねることになった。が、こうして手帳を与えれば、ころっと機嫌が戻った、というわけだ。
(……面白いな)
たった食事一食。こんな安い手帳一つ。
それだけで少女の機嫌がころころと変わるのだ。リバーは笑わずにはいられなかった。
「次は、そうですね……」
少女に手をクイクイと引かれ、次に向かう場所を説明しようとした瞬間、前方から歩いてくる三人の兵士に気がついた。
(……あれは、王家直属の兵か?)
街を見回る兵士であれば気にもしないのだが、見慣れない鎧に思わず視線が吸い寄せられる。
(王家直属の兵が見回り……、なんて事はあり得ないな)
街を守る兵士と、王家直属の兵士の関係は良いとは言えない。王家直属の兵士は強く、そしてプライドが高いのだ。頭が固いと言ってもいい。
そのためリバーの所属する隊との関係も悪い。もし見つかれば小言の一つや二つ吐かれるくらいには。
だが、そんな王家直属の兵士が鎧を着てこんな街中を歩くことなど滅多にない。まして、見回りをするなど天地がひっくり返ってもあり得ないだろう。
王家直属の兵士は王家に使え、王族の命令だけに従う、王族のための兵士。王族を守ることだけが生きがいのような連中なのだから。
(……あー、そういうことか)
そこまで考えればとある可能性が思い浮かぶのは必然と言える。
王家直属の兵士がこんなところに来る可能性は二つ。王族の誰かが何らかの理由で街に下りている。
そしてもう一つは、
(王族の誰かがこっそりと抜け出したために連中が連れ戻しに来た、のどちらかだな)
加えてリバーの隣に立ち、手を握っているのは正体不明の外套を着た、高貴な無一文少女。
(……ここまで気づけば馬鹿でも分かる)
まず間違いなく、隣の少女は王族だろう。
そう、リバーは結論づけた。
(事情は知らない。知っても解決できるものでもないだろう。だが……)
どう考えてもこの手を離してあの連中に引き渡すのが最善だろう。下手をすれば国家反逆罪などの罪に問われて殺されかねないのだから。
だが、リバーはこの手を離したくなかった。理由は分からない。考える暇もない。
そのためリバーが取った行動は、
「……ちょっと掴まっててください」
「えっ? ッ!?」
連中の視界に入らないように人影を利用しつつ路地裏に入り、少女を横抱きにして駆け出した。
「ッ! ……ッ!?」
少女の声にならない声を無視しつつ、建物の窓枠などを利用して屋根へと駆け上がり、上から状況を判断する。
(……ここら一帯にはもう手が回ってるか。あいつらの目がないのは……、あっちだな)
街中での鎧は目立つ。それが王家直属の兵士等が着る上質な鎧ともなればなおさら。
連中の位置を確認したリバーは、見つからないように屋根の上や路地を使いながら、先ほど確認した場所へと静かに移動した。
その間一言も話さなかった少女を疑問に思い、目的地に着きそっとベンチに降ろした後、「大丈夫ですか?」とリバーが声をかけると、
「……ぁ、ぅ」
口をパクパクと開いたり閉じたりする、真っ赤な顔の少女がリバーの目に映った。
そう、真っ赤な顔の少女を見たのだ。
次の瞬間にはその顔を青く染め、少女は勢いよくフードを下ろす。が、リバーにはその少女の顔がしっかりと記憶に残っていた。
傷やシミなど一つもない。整った顔に、赤ん坊のように柔らかそうな肌。その湖のように淡い青色をした両目は宝石のように美しい。
普段人の顔など気にしないリバーが、素直に美しいと思ったほどだ。かなりの美少女と言えるだろう。
だが、そんな少女は俯き顔を必死に隠している。
リバーもリバーでどう声をかければいいのか分からず、ベンチに座り必死に顔を隠す少女と、その少女に立膝をつき様子を見る、という妙な光景が続いた。
いつまでも続くと思われたその光景も、少女のポツリポツリと言葉を紡ぐことで少しずつ変化する。
「……見ましたか?」
「……ええ、まぁ」
「私が誰か、……分かってしまいましたか?」
「………ええ、………まぁ」
あの連中を見れば誰だって予想できるだろう。
そういう意味での、リバーの「ええ、まぁ」だったのだが、次の言葉で少女が違う意味で言っていたのだとリバーは理解した。
「そうですよね。副隊長ともなれば貴族の一員。パーティーで見ることくらいありますよね」
「あ、いえ。見たことはありませんね。そもそも私はパーティーに行ったことはありませんから」
「えっ?」
「ん?」
「……」
「……」
気まずい時間が続く。が、どうにか再起動した少女はそっとフードから手を離す。
すると、リバーは再びその少女の顔を拝むことができた。
(やはり、綺麗だな)
そんなリバーの心など知らず、少女は続ける。
「どうしてですか? あなたも貴族なら一度くらい王城のパーティーに来たことはありますよね?」
「私は養子ですし、それにパーティーのような堅苦しいところは苦手でして。なのでいつも養父に無理を言って行かないようにしていたのですよ」
「そんな……、行かないで何をしていたのですか?」
「鍛錬です」
「えっ?」
「鍛錬です。体を鍛えてました」
「い、いえ。言葉の意味は分かりますが」
少女は混乱しているようだった。
それも無理はないだろう。王族主催のパーティーは絶対参加。むしろどうやって切り抜けてきたのか、リバーの養父の手腕が気になるところだ。
「なら、どうして私が――」
「あなたが王女だと分かったか、ですか?」
「…………はい」
「私は貴女には初めてお会いましたし、初めてご尊顔を拝しました。ですが、先ほど王家直属の兵が近づいてきていましたので」
「……なるほど。それで私が王女だと」
「ええ。年齢から察するに、第二王女様でしょうか?」
「はい。私はエスカトス国王が娘、第二王女のルーティリス・エスカトスと申します」
第一王女はリバーよりも年上。一番下の第三王女はまだ少し会話ができる程度と聞く。なら、消去法で残った第二王女しかありえない。
して、リバーのその考えは正しかった。目の前の少女は、自らを第二王女と名乗ったのだ。
少女――ルーティリスが嘘をついている可能性もなくはない。が、それは無いとリバーは思っていた。
今の状況はもちろんのことだが、立ち振る舞いが洗練されているのがひとつ。もうひとつは、ただ単純にこんな嘘をつくような人じゃないと思ったから。
「……どうして」
「はい?」
「どうして、私を引き渡さなかったのですか?」
「……」
その問いかけには、リバーは答えられなかった。何せ、自分ですらどうしてそんな行動を起こしたのか理解していなかったのだ。
仮にルーティリスが以前助けたような貴族の令嬢や令息であれば、こんなことはしなかっただろう。
もう十分遊んだのだ。引き渡すなり、誘導するなりして家に返すだろう。
だが、ルーティリスに対してはそうはしなかった。むしろ、逃がすためにお姫様抱っこまでして連れてきたのだ。
これで本人が嫌がっていれば完全に誘拐だ。
しかも相手は王族。このことが王の耳に入れば、まず間違いなく打ち首にされるだろう。
「……分かりません。いつの間にか体が動いていましたので」
「そうですか。……なるほど、なるほど」
先ほどまでのルーティリスはどこに行ったのやら。なにやらニヤニヤとした笑みを浮かべ、リバーに手を差し出した。
「では、もう少し街を回りましょう」
「……帰らないのですか?」
「はい。帰りたくないのです。ダメ、ですか?」
不安そうな顔を浮かべるルーティリスに対し、
「……ご命令とあらば」
「……命令ではないのですが」
と、リバーは尤もらしい理由をつけたものの、
(……ここまですれば、今帰すも後で返すも同じようなものか)
なんて、心の中では思っていた。
それに、
(もう少し一緒にいれば、何か分かるかもしれないしな)
自分のこの気持ちがなんなのか。
それを知るためにも、リバーはルーティリスの手を取った。
日が暮れ、空がほんのりと赤く染まる頃。リバー達は王城近くへと来ていた。
あの後も兵士に見つかることはなかった。遭遇はしたものの気づかれる前にリバーが察知し、身を隠すなりしてやり過ごしたためだ。
魔物狩りで鍛えた感覚は、伊達ではなかった。
「……お別れですね」
「そう、ですね」
リバーはルーティリスを見送り、城門の中に入った時点でその仕事を終える。そして明日からはまたいつも通り己を鍛え、魔物と戦う日々が始まる。……ただそれだけのはずなのに、リバーは何か大きな喪失感に見舞われていた。
(……結局何も分からなかったな)
どうして、ルーティリスを逃がすような真似をしたのか。どうして、こんなにも時間が経つのが早いのか。何一つ分からなかった。
ただ一つ分かっているのは――この状況が嫌だということだけ。
それがどうしてなのかは……、分からない。
「……今日はとても楽しかったです。あなたに見つかった時、もう返されてしまうとばかり思っていましたから」
「もうこんなことは控えてください。私が次も守れるかは分からないのですから」
あの時リバーが助けに入らなければ、ルーティリスはどうなっていたことか。もしかしたら奴隷として売られていたかもしれない。
下手をすれば他国に買われて、多額の身代金を要求される可能性もあるだろう。そうなれば、このエスカトス国を危機に晒すことになる。
「……はい」
ルーティリスは悲しそうに答える。それは自身や国を危機に晒したことからくるものか。はたまた……。
「リバー、今回の件は大義でした」
「はっ」
街を回っていた時のような彼女ではなく、凛とした、王族らしい佇まいのルーティリスに、はっきりと返事を返す。
「……」
「……」
互いに沈黙が続く。
そして不意にルーティリスは伏せていた顔を上げると、口に出そうか出すまいか、迷ったようなそぶりを見せながらも、リバーの目を見ながら問いかけた。
「最後に一つ、聞いてもいいですか?」
「……何なりと」
「リバーさん、今日は楽しかったですか?」
「ええ。とても楽しいひと時で――」
言葉を途中で止めるリバー。
そこまで答えてから、リバーはようやく気がついた。
(……そうか、俺は楽しかったのか)
楽しかったから、こんなにも時間が経つのが早かった。
楽しかったから、あんなに笑った。
楽しかったから、あの時ルーティリスを逃した。
「……俺は、ルーティリスともっと一緒に居たかったんだな」
「……………………えっ?」
驚くように声を上げるルーティリスを見て、心で思ったことが口に出してしまったのだとリバーは理解した。
「も、申し訳ありません。第二王女殿下に対して名前で呼ぶなど――」
「そんなことはどうでもいいのです!!」
どうでもいいわけないだろ。
思わずそう答えそうになるも、顔を赤く染めながら、自分の両手を取り近づくルーティリスを見て言葉を失う。
「先ほどの言葉は本当ですか!!」
「で、ですから名前は――」
「名前ではありません! その後です!!」
「…………もっと?」
「ん〜!! それも含めて!」
「……もっと一緒に居たかった?」
「それです!! それは本心ですか!? いえ、本心ですよね? 本心に違いありません!!」
笑みを必死に抑えようとして変な顔になってしまった。というような顔をするルーティリスに、リバーはついて行けなかった。
「あ、あの。第二王女殿下?」
「……そうですね。もう一度抜け出して――それは難しいですね。なら、ああそうです! リバーさんは兵士なのですからお父様に頼めば……」
何やら不穏な言動と気配を発するルーティリス。
やがて自己完結したのか、コクリと頷くと、
「リバーさん! 待っていてください。必ずもぎ取ってきますので!!」
何を?
なんて聞く間も無く、ルーティリスは城門の中へと突進して行った。
「……なんだったんだ?」
リバーの疑問に答えてくれるものなどいない。
ただ、ルーティリスが突撃した城門の方から、何やらルーティリスを呼ぶ、悲鳴のような叫び声が聞こえてきた。
…………それから数日後。
「リバー・ストレイン。あなたを私、第二王女ルーティリス・エスカトスの特殊専属近衛兵に任命します」
「……はい?」