閑話 リバーの復讐①
男は“怒り”というものに己が侵されていくのを感じた。
仲間に、友に、村に、そして国に裏切られたのだ。
今まで共に死地を乗り越えてきた“仲間”に。
今まで幸せな時間を共有してきた“友”に。
今まで己が命をかけて守ってきた“村”に。
今まで信じて貢献してきた“国”に。
それらに男は裏切られた。……否、実際には邪なる思想を持つ者に騙された、というべきか。
しかし、男にとってはそんな事情など関係ない。
皆が邪なる者の“言葉”を信じ、行動したためにそれは起きた。
その時点で、男の中にあった自制という名の枷は、無残にも砕け散ったのだ。
男は竜人たちの住む国、エスカトスの南東の森にある小さな村で生まれた。
顔立ちは母似で中性的、髪の色は父と同じ微かに黒の混じる青。生まれた時から元気が良く、将来は立派な一戦士になるだろうと、竜人の英雄であるリバリティスの名を取って、その男は“リバー”と名付けられた。
竜人の成長は早い。人間とは違い子供でいる時間が短く、生まれて十年もすれば一戦士として“魔物狩り”に参加するようになる。
魔物狩りとはその名の通り、村に、ひいては国の害となる魔物を狩ることだ。
特に竜人たちの住むエスカトス付近では、人間達にとっては脅威足り得る強い魔物が多く生息している。だが、人間とは比べものにならないほど身体能力の高い竜人にとっては単なる魔物。強さは違えど、日々獲物として狩れるくらいの強さを、竜人達は有していた。
そしてリバーもまた例外ではなく、国の掟により齢十にして魔物を狩り始めた。
戦果は上々。むしろ、村の若者達の中でも頭一つ二つ抜き出ていた。
まさに英雄。かの“救国の英雄”として讃えられたリバリティスの生まれ変わりとさえ囁かれるほどに、リバーは強かった。たちまちリバーの噂は国中に広がった。
しかし、そんなリバーに訪れる一つ目の転機が齢十二の時。
いつものようにリバーが隊を引き連れて魔物狩りに出ていると、村の方で大きな爆音と共に火の手が上がった。
「狼狽えるな!!」
焦る仲間たち。しかし、リバーはそれに喝を入れる。
最年少で隊を持つリバーは内心では焦りつつも、表情や行動には出さなかった。理由は一重に、余計な犠牲を出さないため。
隊を率いるということは、その仲間の命を預かるということ。己が出す命令一つで仲間の生死が決まるのだ。リバーはそれがよく理解できているからこそ、隊を持つことができた。
故に、村に異変があろうと焦ってはならない。先ほどの喝も、仲間に対してはもちろんのこと、自分に対するものでもあったのだ。
「……三人一組に分かれる。リーダーは俺と、……お前だ」
「りょーかい。隊長さん」
そう気楽に返事を返したのはリバーの幼馴染である男だった。
態度はいい加減なところが多く、能力的にはリバーに劣るものの、同期の中ではずば抜けて高い。それにリバーは昔から男のことをよく知っている。それ故にリバーも安心して仲間の命を任せられた。
リバーは仲間の二人を引き連れて村の正面から、もう一組は反対側に回させた。
なぜ隊を二つに分けるようにしたのか。それは一つの隊で突撃して全滅するのを避けるためだ。
リバーは最初に聞いたあの爆音と炎。その両方を見て、一つの可能性を瞬時に導き出していた。
もちろんそれだけじゃない。最近聞いた些細な異変を頭の中に入れていたからこそ、その可能性を導き出せた。
……そして無情にも、その可能性は当たってしまった。
リバーが村で見たもの。それは、体長十数メートル。己と同じ鱗を持ち、その鋭い牙は岩をも砕く。口から放たれた炎に溶かせないものは無いと言われ恐れられる魔物。――ドラゴンだった。
両者とも鱗を持つものだが、竜人とドラゴンに仲間意識など一切ない。むしろ敵対している。
何せ、ドラゴンはお菓子のように竜人たちを食ってしまうのだ。誰がそんな相手と良好な関係を結べるというのか。
竜人達にとって良好な……否。崇拝しているのは竜神ただ一柱のみ。
ドラゴンは敵。増して相手は村を襲った相手だ。敵以外の何だというのか。
リバーは怪我人の救助を二人に任せ、一人でドラゴン目掛けて突貫した。
手にするは先の尖った剣。いわゆるレイピアと呼ばれるものだ。リバーは刺突を得意とし、敵の急所を貫く戦い方を好んで使っていた。
狙うは心臓。しかし、流石というべきか鱗の守りが硬く、レイピアはあっさりと弾かれてしまう。
対するドラゴンは口から炎を吹き出し、リバーを焼き尽くそうとする。が、リバーはドラゴンの体を蹴り、跳ぶことでそれを避ける。
ドラゴンはその巨体さから動きは緩慢だと思われがちだが、そんなことは一切ない。
俊敏な動きに加えて、その質量だ。腕がかすっただけでも相当な衝撃になるだろう。
しかし、そんな“死”を体現するようなドラゴンに対してリバーは一つ一つ確実に対処していく。
流石、英雄の生まれ変わりだと言われるだけのことはあるだろう。
だが、そんな彼でも有効打が打てない。急所を狙おうにも、ドラゴンの動きが速すぎてずらされてしまうのだ。
しかし彼に焦りは無かった。絶対に死なない、そして目の前の敵を討つ自信があったから。
そしてその時は満を持して訪れた。
「待たせたなぁ! リバー!!」
――幼馴染の男の、声が聞こえた。
その声でリバーはニヤリと笑みを浮かべる。
ドラゴンの背後から斧による一撃。それを受けたドラゴンは一瞬怯む。
その絶好のチャンスをリバーは逃したりしない。
「……じゃあな。魔物風情」
リバーの放つ最速の突き。そのレイピアの切っ先がドラゴンの目を捉え、――脳を貫いた。
……こうして村を襲ったドラゴンはリバー達の手によって討伐された。
死者は十八名。ドラゴン相手にこれだけ被害で済んだのは奇跡だ。村が滅んでもおかしく無かったのだから。
しかしリバーは喜べない。
その死者の中には、……リバーの両親も含まれていた。
時が経ち、一般に一人前と呼ばれる齢十八になったリバーは、既に村には居なかった。
エスカトスの王都、その防衛軍の中にリバーの姿はあった。
六年前、両親を亡くし絶望していたリバーに声をかけたのは、その防衛軍の一番隊隊長を務めていた者だった。
ドラゴンを倒した功績を認め、――両親が死んだという同情もあったのだろう――リバーを養子として迎え入れ、みるみるうちに腕を上げたリバーは、今防衛軍一番隊の副隊長という座についていた。
竜人は実力主義だ。故に、コネでその地位に居ると貶す者は軍の中にはいなかった。
そしてそんな彼に二つ目の転機が訪れる。……それが破滅の始まりだとは知らずに。
その日、リバーは珍しく非番だった。いつもは仕事仕事と張り切っているのだが、養父である隊長に働きすぎだと言われて渋々と休みを取らされたのだ。
とはいっても、特に趣味を持っていなかったリバーは休みと言われても、何をすればいいか全く分からなかった。
(……仕方ない。いつも通り街に下りて適当にぶらつくか)
前回もその前も、そのまた前も。リバーはずっとそうして時間を潰していた。
以前養父にはもっと違うことはないのかと言われたものの、リバーにはやりたいことが全く見つからなかった。強いて言えば魔物狩りが趣味だと言えるだろうが、それを聞いた養父が不満そうにしていたのを、今もリバーは覚えている。
その時の不満そうな養父の顔を思い出し、リバーは苦笑する。そして、ささっと私服に着替えると、喧騒溢れる街へと下りた。