90話 戦いの終わり。そして――
僕の背後でドサッ、っと何かが落ちる音がする。跳んで距離を取りつつ見やれば、肘より先が無くなったリバーがいた。
「――」
「ッ! ……外した」
落ちている腕の位置から察するに、おそらく寸前で腕を間に挟みつつ後ろに跳んだんだろうね。お陰で致命傷にはならなかった、か。
この一撃で終わらせるつもりだったんだけどな。
振り出しに戻ったわけじゃないけど、多少有利になった、くらいかな。
「――」
言葉も表情も無い。でも、どこか怒っているように見える。
「何、怒ってるの? でもそれ以上に僕は怒ってるけどね」
リンと元メイドさんを傷つけたことに対しての怒りはもちろんのこと、前回の件を忘れたつもりはない。
あの時リンがいなければ、ベルは死んでいたんだから。友達を殺されそうになって、なんとも思わないわけがない。
「……そんな姿になってまで、どうしてムトに従うのか。僕には理解できないよ」
「――」
僕が言ったことに怒ったのか、リバーが真正面から向かってくる。
最初に比べたら随分と遅くなってる。腕を落としたからなのか、……もしかしたらあの黒い人型の状態でも疲労があるのかもしれない。
――これなら、避けられる。
「ふっ!」
すれ違いざまに、胴体に剣を振る。……でも固い。ほとんど切れなかった。
「……一体何でできてるんだか」
神剣で、しかも神剣の力も多少なりとも借りているはずなのに切れないなんて。……一体どれだけムトの力で強化されているのやら。
けど勝つにはなんとか切るしかない。
本気で切れば切れるかも。そう思った瞬間だった。
「――」
「ッ!?」
僕の頬の真横を、鋭い何かが素早く飛んで行った。いや、今も僕の視界に入っているんだから飛んで行ったというのはおかしい表現かもしれない。
偶然顔を動かしたから。運よく動ける体勢だったから。直感で嫌な予感がしたから。
それらが奇跡的に噛み合ったからこそ、今僕は生きていた。
――リバーの腕が伸びた。
まるで伸ばした太い針だ。それが、僕の目では捉えられないほどの速さで伸びてきた。
「これは――まずいね」
あの突きは避けようと思って避けられない。気づいたらそこにあったくらいだ。
一度飛び退いて距離を取る。
すると、リバーの腕が真横に薙ぎ払うように飛んできた。
「くッ!?」
咄嗟に間に神剣を挟んで衝撃を殺すも、その一撃だけで僕の両手は痺れて動かし難くなってしまった。
「……ここまでか」
できれば僕がリバーを倒したかった。リンの痛みを百分の一でも味わわせてやりたかった。
でも、……もうここまでだ。ここから先は僕の実力では死闘になってしまう。
それで傷つくのはリンだ。……そして、傷つけるのは僕だ。
そんなことはもうしたくない。だから――、
「……あとは任せるよ。“もう一人の僕”」
そして僕の意識は黒く塗りつぶされた。
空気が変わった。
もしこの場に誰か他の人がいるのなら、それを顕著に感じ取っただろう。
リバーはその場から一歩も動かない。否、動けないのだろう。
唯斗から漏れ出す神力。そして、その内に秘めたる“怒り”がその場の全てを支配していたのだ。
「……愚か。愚かだ」
唯斗――神としての人格である唯斗は、顔を片手で多いながらポツリポツリと呟く。
「いつまで経っても成長しない。……お前は愚かだ。唯斗よ」
声に怒りと悲しみを含ませて呟く。が、届けたい本人には届いていない。今や、人の人格である唯斗は深く眠りについている。
ここで神の唯斗が何を言おうが本人には聞こえていない。
「馬鹿なやつだ。我が助言までくれてやったというのに。あいつは何も分かっていない」
「唯斗はよくやっていますよ」
「……天照か」
突然隣に現れたのにも関わらず、唯斗は驚きもせずにただただその者の名前を呼んだ。
「お前が甘やかしすぎたのではないか?」
「実際に経験しなければあの子は成長しません。それはあなたもよく分かっているのでは?」
「ああ、そう思っている。今もな。だが、このままではあいつは成長などしない。ただ旅をするだけでは、まだ足りないのだ」
「……ではどうするというのですか?」
「荒療治だ。あいつには堕ちるところまで堕ちてもらう」
「堕ちる? ……ッ! まさか――」
「ああ。大体はお前が予想した通りだろう」
何気ないように唯斗は言う。
「それではあまりにもリスクが――」
「こいつにはいい薬だ」
「……本当に、そうするつもりですか」
「ああ。こいつを頼んだぞ」
「……」
しかし、天照は返事をしない。苦虫でも噛み潰したように、その美しい顔立ちを歪めていた。
「……分かりました」
数十秒の長い長考の末、天照は了承した。
その答えを聞いて満足げに頷いた唯斗は、天照から視線を外すと前方のリバーを見やる。
「さて、お前らにはこいつの糧となってもらおう」
天照が消えると同時に、唯斗はリバーへと駆け出した。
唯斗はリバーの眼前に立つと、その腹部へと掌底を放つ。
「――」
それだけでは終わらない。水平に吹き飛んだリバーに対して唯斗は追撃を仕掛ける。
「シッ!」
先回りした唯斗はリバーを地面に叩きつける。その衝撃だけで、リバーを中心に砂漠の砂が舞い上がった。
確かに唯斗は速い。が、掌底を繰り出した時の速さは、リバーと同程度の速さしか出していなかった。
だと言うのに、その掌底はリバーに当たった。
「不思議か?」
「――」
そんな疑問を見抜いたのか、唯斗はリバーの首を持ち上げながら言う。
「どうせ知っているのだろうが、我は“自由”を司る神だ。あいつは使える神力が少ないから滅多に使わないが、本来神であればその司る力が使えなくてはおかしいだろう? そう考えれば答えも自ずと出てくるはずだ」
“自由”と言う意味をそのまま受け取るのであれば――、
「――」
「……答えは出たか? 我はあいつのように甘くはないぞ」
唯斗が首を持ち上げているというのに、リバーはピクリとも体を動かさない。いや、動かせないのだろう。
何せ唯斗は、
――リバーの“自由”を奪っているのだから。
「――」
「む?」
今まで全く動かなかったリバーが、唯斗の手をはねのけて距離をとった。見れば、リバーの扱う神力の量が増えているのが分かる。
「そうか。もう少し遊んで欲しいのか」
「――」
「なら、……これでも使ってみるか」
そう言って唯斗は右手に持つ神剣をちらつかせる。
対するリバーはそれを見て半歩体を引いた。あの神剣はリバーの腕を切り落としたものだ。警戒するのも無理はないだろう。
「安心しろ。これの力と中にいる奴は我が封じてある。出てきて話をするのも面倒なのでな」
唯斗の言葉の真意を理解できたかは不明だが、少なからず今の言葉に安心できる要素は何一つない。
力を封じても人を傷つける、剣であることに変わりはないのだから。
「――」
「単純。……二十点だな」
人であった時の唯斗であれば確実に目で捉えられなかったであろう速度で、撹乱しつつ唯斗に迫るリバー。
しかし、唯斗はその動きを全て捉えていた。
それを証明するかのように、唯斗に近づいたリバーの体が斜めに切り裂かれる。
「――」
「動きはいいが、フェイントが少ない。もっと殺気による偽の攻撃を創るべきだったな」
――圧倒的力量差。
この攻防を見た者がいれば、弟子と師匠との戦いを疑うだろう。それほどまでに、唯斗は戦いというものに慣れていた。
「我とていたぶる趣味はない、これで終わりだ」
動けなくなり、座り込むリバーに一線。
首を刎ねられたリバーは、砂に溶けるように、その姿を散らした。
「終わりだな。……いや、これからというべきか」
そう呟く唯斗の視線の先には、ふらりふらり左右に揺れながらも、必死になって飛んでくるリンの姿があった。
やがて唯斗の姿を見つけたであろうリンは、その顔に喜色をあらわにして、
「ユート!!」
唯斗の名を呼んだ。
そして次の瞬間、
「ハハッ、待っていたよ」
「……えっ?」
突如リンの背後に現れた、邪悪な笑みを浮かべたムトによってその姿を消した。
一陣の風が熱風となり、砂を舞い上げる。
その場に残るのは唯斗、ただ一人だけだった。