第4話
部室棟最高立地から望む風景は、それはそれでそれなりであるというか。
趣があると言えばそうなのだろう、大人達が遠い目で懐古を漏らす「青春」という単語を肌で体感するに至る。
様々な球技系運動部がグラウンドの方々(ほうぼう)を占拠し、額に青筋の入った熱血監督からのありがたい激励を賜りながら、生理食塩水を渇いた土壌へ垂れ流していた。
「…………」
監督の指導を拝聴しながら休憩しつつスポーツドリンクを口へ運ぶ生徒達が、勢い良く傾け過ぎてグラウンドにこぼしているシーンの叙述だった。
きっとアリさんへの餌やりをしているのだろう。
実に青春の1ページである。
つまり大人達が懐古する「青春」とは、アリさんへの餌やりなのだ。
その理論で言えばそれほどの哀愁に浸らなくても、むしろ大人の方がよほど「青春」できるのではないかと僕は思う。
ひと箱うん万円するような、高級チョコレートとかで。
そんな実に馬鹿っぽい思考を展開させながら、僕は校舎裏へと向かっている。
無論、僕はパンドラの不幸現象とやらについてこれっぽっちも納得していない。
しかし全く火種のないところに煙が立つはずもなく、学校中の噂話となる程度には、某超常現象に承認力があるのだろう。
だからと言ってはアレだけれども。
超常現象に対して「僕は能天気だから襲っても意味ないですよ」アピールするのは、短いながら僕の人生史上初の出来事だった。
然して部室棟から躍り出、吹き抜けになっている渡り廊下をまっすぐ駆け抜け、そこから垂直に接続される本校舎端の重たい扉を今しがた何とか引くことができた。
いや、重い扉を頑張って開いたという女子力アピールがしたいわけではなく、この場所へ至るまで特に不幸現象と対峙することがなかったという意味である。
上空から野球ボールが降ってくることも、大気圏から光線銃が発射されることも、宇宙から隕石が落下してくることもなかった。
上を意識し過ぎてアリさん踏んだようだけど。
これで僕の「青春」は幕を閉じた、しかし「青春」というものを積極的に謳歌する気がない僕にとって大した痛手とも言えなかった。
不幸現象、恐るるに足らず。
この調子でいこう、逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ。
校舎内部は閑散としており、校庭に響く掛け声を挟んで、部室棟の細い吹奏音がわずかに鼓膜を揺らす。
この学校は学業と部活が立て分けられており、ここは主に学びの場として用いられる。
それが故の閑散というか、静寂だ。
決してインドア部の肩を持つわけではないけれど、文芸系統の部活が怠惰だから校内が殺伐としているわけではない。
別棟である部室棟から響く吹奏楽の熱意がその証拠である。
学風らしいといえばそうだけれど、だから部室棟は学舎とほぼ同等の規格だった。
三階建て学舎とほぼ同規格の部室棟。
その最高立地に腰を据えるのが、我等が自由研究部。
野球部や吹奏楽部のように、名前を一瞥して活動内容が汲み取れるわけではない、意味深長な我等が自由研究部。
何をどう考察しても、創始者が源部長と同格以上の変態、もとい天才だったとしか思えなかった。
これ以上の愚考は後々の生死に関わるので、右向け右して校舎内の廊下を一望し、不幸現象とのエンカウントに備える。
「おう」
そのときだった。
突然の背後からの呼び掛けに、僕は声にならない声を発した。
「おんっふ、って。驚かせたか、悪いな」
声になっていたらしい、分類は感嘆詞だろうか。
「よそじ先生! 驚かせないで下さいよ!」
「よそじ言うな、俺はまだ三十路だ。ったく、謝ったじゃねえか、器のクソちいせえ男だな」
「教師がそこまで言います?」
「教師だからそこまで言うんだ、若人よ大器を抱け」
「大器って抱くもんなんですか?」
「お前が抱いてる大器は胃袋だけだがな」
「僕、小食です」
「そりゃ失礼、胃袋までクソちいせえとは。異世界転生できたら美少女にでもしてもらえ、きっと需要あるぞ」
教師とは思えないほど悪態垂れまくる、彼は溜先生。
僕のクラス担任であり、古典学の担当で、いわゆるダンディズム溢れるおじ様系教師である。
ぶっきらぼうな振る舞いと口の悪さを他の教員から度々注意されるようだが、その雰囲気がむしろ学生間で親近感に繋がっている。
かくいう僕も、先程のように友人間のようなやり取りができる大人と巡り会ったのは初めてで、衝撃を受けて以来それなりに接しさせてもらっている。
よそじ先生というのは彼の俗称で、下の名前が四十であることに由来している。
三十路なのによそじ。
これで本当に四十路になった日には、僕も晴れやかな気持ちでお祝いしてあげようと思う。




