第2話
「”パンドラ”、それが音沙乙女に付けられたあだ名だったかな」
言い得て妙とはこのことだろう、音沙乙女という才色兼備の女子高生は不幸を呼ぶ女として現在、全生徒から絶賛恐れられていた。
厄災の象徴として揶揄されるパンドラの箱、音沙という女子は今、得てしてそういう立ち位置にある。
「僕も噂程度にしか知らないんですけど、友人と話ながら歩いていたら突然花瓶が足元に落下してきたとか、音沙の真横にいた学生が階段から滑り落ちて骨折したとか。あとは、告白の呼び出しをするために音沙へ手紙を書いた男子生徒は、様々な不幸現象に見舞われて音沙の所へたどり着くことすらできないとか」
「パンドラが開けた禁断の箱、飛び出した世界中の不幸は彼女に在りってか」
「電車待ちしていた音沙の隣にいたひとが線路へ飛び込んだとか、行きつけのパン屋が経営難に追い込まれたとか。まあ、学外のことは根も葉もない噂でしょうけど」
「根も葉もないのに、尾ひれ端ひれがくっついて。パンドラ女史の出来上がり、うん、実に愉快だね」
「でも噂話って怖いもんで、今じゃ音沙に近付く人は誰もいません」
源部長は更紗先輩と視線を交え、始終無言の更紗先輩が小さく頷くのを確認して、「じゃあさ」と僕に微笑んだ。
いつも微笑んでいるけれど。
「噂は噂として、君はどう思う? 榎臥くん、榎臥輪くん。カガりんくん」
「しまとら島に出てくる兎や羊みたいに呼ばないで下さい」
「レディー・カガ」
「ジェントルメン・カガです」
「日本男児の君は、パンドラちゃんのことをどう思う?」
「音沙に関してもその引き合いに関しても、どうとも思いません。日本男児であることは言い逃れできない事実であるとして、実際に音沙が不幸を呼ぶ女子であるにしろ、そうじゃないにしろ、幸いなことに僕は同じ学校の同じ学年ということを除けば、音沙との接点が皆無ですから」
「つまり影響を受けなければ、それで良いと?」
「はい。最も、僕自身の意見だけで言えば、そんなものは単なる噂話の域だと思ってますけどね。いち人間が可視レベルで周囲に不幸をまき散らすなんて、あるわけがない」
僕の返答を最後に、部室内から音という音が消えた。
しかし僕の考えは間違っていない、そうである自信がある。
悪い噂の絶えない人間がいたとして、その噂が真偽のいずれであっても、関わりがなければその影響もまた無に等しい。
例えば異国で見ず知らずの民間人が不慮の事故死を遂げたとして、僕に事実上の損失は皆無だ。
超間接的に何かが起こることもあるだろうし、将来的に影響が及ぶこともあるだろう。
けれど、そんな確率論にも満たない「たられば」の話まで視野に入れていたら生きていくこと自体困難だ。
そうであるならば、僕は寄らず触れずの関わらず、これが最も賢いと思う。
しかし目の前の両先輩方は、良くも悪くも、一切の言及もしない。
肯定もしなければ否定もしない、究極の言論の自由がこの部屋に自立していた。
室内に落ちた度し難い無音状態、ここまでくると耳鳴りすら覚える。
「っぶは!」
そんな無音は、源部長の笑い声によって両断された。
抱腹絶倒とは、よもやこのことだろうか。
何が面白かったのか全くわからないけれど、源部長の大きな笑い声はしばらく止まることを知らなかった。
「っはは、いやー、榎臥くんは本当に素晴らしい!」
「どこがですか。漫画の主人公みたいに、困っている女の子がいるなら助けに行くぜ、とか言えば良かったですか?」
「君は漫画の主人公じゃないだろう、自分の意見を謳歌したまえよ。まあ、清々しいくらいの自己愛豚野郎だとは思うけどね!」
「…………」
「いやいや、ごめんごめん。だから悪いって話じゃないんだよ、むしろその歪みないところが素晴らしいと思うね」
「どういう意味ですか」
「君が全て僕の予測通りに思考してくれているから、実に話が早いって意味さ」
源部長は大仰に両手を掲げた。
片手には短文が綴られた一枚の手紙、もう片手には性別を問わないキャッチーなイラストが描かれた便箋が握られている。
「放課後ちょっと話がある。校舎裏まで来てほしい。榎臥倫」
「は!?」
「ひとつ、この手紙はコピーである。ひとつ、この手紙は筆跡鑑定しても榎臥倫のものである。ひとつ、この手紙はこの便箋に封入されているものである。ひとつ、この手紙は今朝投函されたものである。そして、もうひとつ、この手紙は……」
「……宛が、音沙乙女」
「ご名答。できちゃったね、彼女との接点」
「ノーカウントです、全てにおいて僕の意思がありません!」
「接点というものは偽装しない限りに於いて、常に偶発物同士の重複だと思うよ。そして偶然というものは往々にして、自らの意思に関係ない突発的事象を差す」
「屁理屈だ!」
「女の子を呼び出しておいて、校舎裏に置き去りとか男として最低が過ぎるよね」
「呼び出したのは源部長でしょうが!」
「世間は君を称賛しているのに」
源部長はおもむろにポケットからスマートフォンを取り出した。