不幸という名の勘違い
この世は幸福と絶望に満ちている。
それは平等であり、公平であり、また不平等であり、不公平である。
唯一絶対的で、唯一極論的で、唯一核心的なことが在るとするならば、それは文字通りただひとつ。
『選択』することである。
人間は思考し、選択し、行動する。
その結果、幸福に至る。
その結果、絶望に至る。
結果は自分自身の選択によって決定する。
しかし結果とは、どこまでも回避不能で、いつまでも未知数で、なによりも不確定なものである。
思考し、選択し、行動し、得た結果は果たして事象全ての終着点であろうか。
否、断じて否である。
得た結果を結論とするか道程とするか、それすら、やはり自身の選択なのである。
ただし、これだけは忘れてはならない。
幸福の対義語は絶望でなく、絶望の対義語もまた幸福ではない。
幸福の中にも絶望は潜み、絶望の中にも幸福は伏する。
結果に潜伏する次なる選択は、自覚と思考の連鎖によって目を覚ますのである。
つまり選択することこそ、次の選択なのだ。
世の中に在る茫漠とした全ての幸福と絶望は、それを幸福とするか絶望とするかを、自身が次なる選択として内在することによって決定されるのである。
謳え若人よ、讃えよ人生を。
選択することは、人間に許された唯一の権利なのだから。