独裁的集団暴力の終わり〜楽しかったせつ那〜
「「「せーの」」」
バシャッ
バケツに入った水が、階下にいるクラスメイトに降り注いだ。
それもただの水じゃない。床を拭いた雑巾を何度も洗った汚水だ。水浸しになった少女、鎖役朱音は犬のように体を激しく振り、こちらを見上げた。
「ごめーん、手が滑っちゃった!」
「許してね、朱ちゃん!」
「でも、濡れたオンナって結構魅力的じゃない?」
「「「アハハハハハ!」」」
私達仲良しグループ三人は、その様子を嘲笑った。ちなみに、最後に発言したのが私、尾縞井楽那。
このグループにとどまらず、私のクラスメイトの女子は、このように日々彼女をいじめていた。
◆
私の学級は、あいつの独壇場だった。
あいつとは、この四年三組の担任、笠原のことだ。あいつは病的なまでのロリコンで、クラスの女子に忌み嫌われていた彼女を、まるで自分専用の性奴隷のように扱っていた。全裸の写真を撮り、あらゆる性行為の様子をネットにアップして、脅してからまた犯す。私達はその手伝いをしながら、あいつによる被害が彼女だけにとどまるようにしていた。
「ほら尾縞井、もっとちゃんと鎖役の口押さえろよ!」
「はい!」
私達は、ただただあいつの命令に従うしかなかった。少しでもそれに背けば、第二の鎖役朱音が誕生してしまうと悟っているから。男子に色目を使ったり、自分勝手な振る舞いをするからこうなるんだ、とみんな思うようにしていた。
クラスの男子共は笠原の独裁に畏れおののき、全く使い物にならなかった。
◆
ある日の放課後、その日ごみ捨て当番だった私は、ごみ袋の山から人の足がのぞいているのを見つけた。足を引っ張り出してみると案の定、全裸の鎖役朱音だった。また笠原に強姦され、捨てられたのだろうか。とりあえず私は、彼女の腹部を靴で思いきり踏んづけてみた。
「うっ!」
彼女はうめき声をあげて目覚めた。
「あら、生きていたのね」
「び、びっくりした。楽那ちゃんかぁ」
…楽那ちゃん?
今度は蹴り飛ばしてみた。彼女は抵抗することなく、地面を転がった。
「はあはあ…もう、ひどいことするなぁ」
そう言ってふらふらと立ち上がると、彼女は近くの植え込みの中から迷彩柄のデイバッグを取り出し、その中に入っていた服を着始めた。
「あなた、いつもそんなところに着替えを隠していたの?」
「ん? うん。そうだよ」
「笠原に告げ口していいかしら?」
「いいよ。そしたら、また違う場所に隠すから」
「…前から思っていたけど、あなた私達に嫌われているのは知ってるわよね?」
「うん。知ってるよ」
「その原因が、自分の行動にあることも?」
「わかってるよ」
「直そうとは?」
「そのつもりはないよ」
「なんで?」
「…大好きな人を守るために、かな?」
「…はぁ!?」
「…ちょっとかっこつけて言っちゃったかな、あはは」
「あなた、男子に猫かぶるハレンチ女のクセに、好きな男なんているの?」
「いや、男の子じゃなくて…あっ!」
彼女は何か言おうと口を開くが、数人分の足音が聞こえてくると、半裸のままデイバッグを掴み、私の腕を引いて校舎の物陰に身を潜めた。
「ちょっと、一体何」
「ごめん、静かにして」
彼女は私の目の前で人差し指を立て、私の両耳に手で蓋をした。しかし力が弱く、会話は丸聞こえだった。
「いやー鎖役マジうざいわー」
「ホント、なんであんなにケーワイなんだろ」
「あのまま笠原の人形になっちゃえばいいんだよ」
「…でも、大丈夫なのかな」
「何が?」
「その…妊娠…とか」
「あれー、メイちゃんそういうこと気にするんだー?」
「心配ないよ。鎖役もウチらも小四だし、万が一そんなことがあっても、全部笠原のせいにすればいいんだし」
「朱ちゃんが赤ちゃんを産むって、なんだか面白いねー! …朱ちゃんもそうだけどさ、楽ちゃんはどうするつもりなんだろ。笠原」
「まあいつも上から目線みたいな喋り方だし、気にくわないっちゃ気にくわないけどさ、それよりも鎖役だよ。わざとなんじゃないかってくらい女子の反感かってるし。鎖役さえ痛い目にあって泣いてくれれば、尾縞井なんてイジメのリーダーの汚名を被るくらいで充分だわ」
「あ、それ私も思う! 楽ちゃんよりも先に朱ちゃんって感じだよねー!」
「………本当にいいのかな、これで…」
「どうしたのさ? 東海林」
「…ううん、なんでもない」
………。
「ふぅ。行ったみたいだね。ごめんね、急に耳塞いじゃって」
「…鎖役。あなたもしかして、私がイジメのターゲットにならないように自分から…」
「あー! 楽那ちゃん今日掃除当番だったでしょ? ほら、早く戻らないと!」
「…そう…ね…」
鎖役朱音は強引に私の背中を押して、私をその場から遠ざけた。
背後から渇いた音と一緒に嗚咽のような声が聞こえたが、私は両手で耳を塞ぎながら走り去ることにした。
◆
またとある日、私は地元の駅前にあるデパート街へとお使いに来ていた。午後から家を出たせいで、既に日が傾き始めていた。だから私は近道をしようと、今日に限って裏路地を駆けていた。
すると偶然にも、笠原が鎖役を連れて隣の路地を歩いているのが見えた。あとを追うと、行き着く先は小さな産婦人科だった。私は先回りして、診療室がある場所の壁に耳をつけて聞き耳をたてた。
「…ということで、また強姦魔に襲われたらしくて…」
笠原の声だ。それに対して聞こえたのは、初老の女性の声。驚いているような雰囲気だ。
「またですか? あれほど親御さんと防犯について話し合うように言いましたよね?」
「そうなんですが…相手もどうやらプロのようでして…。そういうことで、またいつもの治療をお願いします」
「まったく…中絶処置、これで七回目ですよ? いい加減ちゃんとした対策を…」
「わかってます。ですが、彼女がどうしても親には言いたくないときかなくて…」
「…わかりました。もうここに来ることがないようにしてくださいね?」
「ありがとうございます。よかっなぁ朱音」
「はい…」
しばらくして、二人が扉を開けて出てきた。笠原は申し訳なさそうに歪んだ表情をしていたが、閉めた途端、私達がよく見る悪魔のような顔になった。
「言っとくが、不妊薬やピルは飲ませないからな。お前には、毎回堕ろす感覚を覚えさせてやる」
「…! はい…」
鎖役が再び連れられていくのをひととおり見送ったあと、私を猛烈な罪悪感と自己嫌悪感が襲った。
帰った先の自宅の布団の中で、ようやく縛りつけられていた理性が解放された。
許さない。
笠原も、あいつを今まで野放しにしていた自分自身も…!
◆
翌日のホームルーム。私は、自宅からこっそり持ってきた裁ちバサミを机の中で握った。
覚悟を決めて立ち上がり、後ろ手でハサミを持って教壇に向かった。
「どうした、尾縞井。怖い顔して」
「…笠原。あんたを殺して、私も死ぬ!」
今までごめんなさい、鎖役。今、助けるから。
私は走り、一気に笠原との距離を詰めた。
「お、尾縞井、まさか!」
「笠原ァァァ!」
「楽那ちゃんダメ!」
小学生の私では、成人男性の心臓の位置に刃が届く可能性は低い。せめて怪我だけでもさせようと思って、あいつの腹部を狙った。
グサッという音と、肉を裂く感覚がした。覚悟を決めてもやっぱり怖くて、目を閉じたままハサミを引き抜き、それを自らの喉元に向けた。瞬間、握っていたハサミが手から離れた。
「…え?」
驚いて目を開けた。開けなければよかった、とすぐに後悔した。
「さ、え…き?」
「ハァハァ…あぅ…。そ、うだよ…私…鎖役だよ…」
「キャアァァァ!」
誰かが悲鳴をあげた。鎖役が胸から紅い液体を流している。笠原が鬼のような形相をしている。
「尾縞井…よくも、よくも鎖役をォォォ! せっかくここまで開発してきたのにィィィ!」
笠原の腕が、私を壁に押しつけた。
「うっ!」
「許さねぇ。よくも俺の性欲処理道具を壊しやがったなぁ…。これで不妊症になったら面白くなくなるじゃねぇか。ブッ殺してやる…!」
ビィーーーーーーーーーーーーーーーー!
「だれか、だれか来てくださいっ!」
防犯ブザーの音の中、クラスメイト、東海林芽以の声が聞こえてきた。
すぐに数人の教師達が駆けつけ、笠原は取り押さえられた。
ものすごい混乱のなか、私は必死に人混みを掻き分け、血まみれの鎖役のもとに駆け寄る。
「鎖役、今までごめんなさい…。私、ずっとあなたのこと勘違いしてた…!」
「…だい…じょうぶだよ。わたし…きづいてほしくてやってたわけじゃないから…。わたしこそごめんね…」
「何が…?」
「わたしは…らくなちゃんのおーじさまになりたかったの…。なにがあってもらくなちゃんをまもって、しあわせにするってきめてた…。なのに、けっきょくまもりきれなくて…らくなちゃんをはんざいしゃにしちゃった…。あ…いままでつたえるのわすれてた…。わたし…ね…ずっとらくなちゃんのこと…すき…だったの…」
「そんなこと…。そんなこと、こないだからなんとなくわかってたわよ!」
「そっか…。ねぇ、へんじ…きかせて?」
「えぇ、デートでも結婚でも何でもしてやるわよ。だから…だから、私なんかのために死なないで…お願いだから…」
「…『私なんか』っていわないで…。らくなちゃんは…わた…の…たい…つな…おひめ…ま…か…」
「鎖役…? サエキ! 目ェ覚ましなさいよ!」
私の手から、彼女の血が滴り落ちた。喧騒の中で、真っ赤な「朱の音」が虚しく響く。
「あ…あ…いや、いやぁ…」
膝をついた私の足元で、彼女の血溜まりが、事の重大さを物語っていた。
救急隊員が運んでいったのを最後に、私は、彼女と会っていない。