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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

左手を切らないで

作者: 西野慧
掲載日:2015/03/09

少し長いかもしれませんが、最後まで読んでいただければ幸いです!

もしかしたら一部不快になってしまう表現などがあるかもしれません。ご了承ください。

人を真の意味から窮地から救うには、自分もその窮地に立たなければならないと思う。

そうすれば、その人を助けることができないかもしれない。

ただ、代償として自分自身命を落とすかもしれない。

もしかしたら助けることもできず共倒れかもしれない。


俺は自分を犠牲にしてでも、人を助けたいとは思わない。

自分が大けがをしてまで、人を助けたいとは思わない。

最低な奴と思われるだろうか。

別に自分のことが一番だって思ってるやつは俺だけじゃないだろ。

誰だって自分の体が大切なんだから。

ましてや赤の他人ならなおさらだ。

赤の他人がどうなろうが、自分の人生に影響を与えるとは思えない。


だから・・・俺は、自分がとった行動が信じられない。



工事現場の横。

俺は駅前の本屋目指してぶらぶらと歩いていた。

周りを見渡す。人通りは決して多くはないが、今日は休日。いつもよりカップルや家族やらが大勢いる。

その中に一人、目に留まった女性がいた。

モデルなんじゃないかって疑うほど美しい女性がビルの横に立っていた。

俺と同じ高校生・・・いや、俺より上かもしれない。

ブランドのことはさっぱりだが、着ているものが高価であることはなんとなく想像がつく。

世の中、あんな黒髪ロングな美人お嬢様もいるんだな、と思いながら前方で立つ彼女を見ていたのだ。


変な音がした。鈍い、金属がぶつかるような音だ。

音がした方向は上から。

俺は目を疑った。

クレーンで運搬中の鉄骨が落ちそうになっているのだ。

そしてついに鉄骨は落ちてきて―――

落下地点と予測されるところには、あの女の子が携帯を見ながら立っていた。携帯に夢中で上の状況に気づいていないのだ。

まもなく鉄骨は地上に落ちそうだった。

俺はその彼女からわずかに離れているだけ。

声を上げる余裕さえなかった。

だが、体が自然に動いてしまった。


そして俺は彼女を突き飛ばし―――

俺の方が鉄骨につぶされた。



不幸中の幸いだったと人々は言う。

鉄骨は俺の左手だけを押しつぶし、頭や胸はほぼ無傷だった。

しかし、俺の左腕は鉄骨により粉々。

完全なる修復はあり得ない。

医者は切断をすると告げてきた。

俺は断固拒否した。

左手は俺の利き手。

右利きに矯正するため右で字を書いたりはできるが、やはり使うのは左手。

だから、左手を失えば、俺はもう文字もかけないし、スポーツもできなくなる。

そしたらもう生きる意味なんて・・・


だが、俺に拒否権はなかった。

俺の左腕は肘から先がなくなってしまった。



病院に入院して2週間が経った。

その間にあったことはいろいろある。

建設会社の人たちが土下座して謝罪してきた。

高校の先生やクラスメイトが見舞いに来た。

助けた女の子と家族も感謝を述べてきた。

そして助けた女性の彼氏だという人も、涙ながら感謝の言葉を述べてきた。

俺は歩行訓練もした。

心理療法もした。

俺は治療され、励まされ、謝罪され、感謝された。



―――だから、何だ?



励まされた。

謝罪された。

感謝された。

だからなんだよ。

俺の左手が元に戻るって言うのか。

もう俺には左腕がないんだ。俺は障害者なんだ。

もう普通の人と同じ生活はできない。

この間までの生活はもうできない。


人助けはいいことだ。

人の命を救うことは賞賛されるべきことだ。

人の命と人の腕。

天秤にかけたら、絶対命のほうが重いと人々は言うだろう。

だが・・・

そんなことで俺が納得するとでも思ったか。



『彼女が助かってくれたのなら、それでよかった』

誰がそんな言葉を言うか。

俺はそんなお人よしじゃない。

左手を失うくらいなら助けなければよかった。

所詮彼女が死んだとしても赤の他人。

自分とはまるで関係ない人だ。

それに彼氏いるとかリア充かよ。

俺のおかげで二人の恋はさらにヒートアップするってか。

ふざけるな。

なんで俺がお前らの犠牲にならなきゃいけなかったんだよ。

それに彼氏の顔が言ってるぞ。

『彼女が死ななくて本当によかった。彼女に大きなけががなくて本当によかった』ってな。

はっ、どうせ俺はお前らにとって他人だよ!!

他人が左手を失って、可哀そうだろ?哀れだろ?

でもそれだけだろ!?お礼の品なんかどうでもいい。

とっとと消えてくれ。

このままじゃ面と向かって『お前のせいで左手を失った。助けなければよかった』って言っちまう。

畜生・・・惨めだ・・・畜生・・・



俺が学校に復帰したのは事故から三週間後のことだった。

一応自分に合った義手が作られた。

腕に装着するだけのタイプを身に着け、学校に入る。もっとも、この義手もすぐに嫌気がさしてつけなくなるんだが。


俺が教室に入った瞬間、人々は近づく。

今まで話したこともなかった人も、ほぼ全員だ。

同情の目、慰めの言葉、励まし。

・・・ふざけんな。

なんだよ、これ。

前みたいに無視しろよ。

なんで今はそんなに優しい目してるんだよ。

そんなに俺が可哀そうか。

ちっ、群がんじゃねぇよ。



今まで一番仲良かった友達が俺にノートを貸してくれた。

それは好意として素直に甘えた。


あたりまえの日常が当たり前じゃなくなった。

些細な違いと思われようが、俺にとっては大きな変化。

ご飯を食べるのも、ノートを取るのも、何もかもが以前と違う。

歩きも、ぎこちない。

周りの視線が息苦しくてたまらない。

・・・もう、俺の居場所はないのかもな。

前までの生活が平穏だったとは言わない。

退屈な生活だった。

けれど、少なくとも、俺の居場所は確かに存在した。

そんな退屈な生活さえ、もう遠くへ行ってしまった。


事件から1か月。

みんなの優しさがまぶしかった。

でも、俺は心から喜ぶことはできなかった。

けれど、やめてくれとも言えなかった。

みんなは俺のためにしているからだ。

・・・けれど、決して人の手を借りようとは思わなかった。

俺のプライドが許さなかった。


徐々に、学校への足取りが重くなった。

両親は「学校に行きたくないならいかなくてもいい」と言った。

・・・俺が学校に行っていたのは意地だった。

両親の言うことを、絶対聞きたくなかった。


俺は左手を失う前から、負けず嫌いだった。



事件から7週間経ったあの日。

6月14日。

期末テストを1か月前に控えたこの中途半端な時期。

現れた転校生に、俺は衝撃を受けた。

黒く長い髪、清楚で、眉目秀麗のスーパー転校生。

クラス中が騒いだ。

そのクラスとは対照的に、俺は戦慄した。


「天野沙綾です。今後よろしくお願いします」


俺、米倉将也が左腕を犠牲にしてまで助けた女性が、黒板の前に立っていた。


・・・くそったれめ。



奇しくも、その彼女は俺の左隣の空席に座った。

俺は彼女を一瞥する。

彼女と目があった。

その人は目をそらそうとしなかったので、俺はそっぽを向いた。


ホームルームが終わると、彼女の近くに有象無象の人々が集まりだす。

俺は居心地が悪くなり、たまらず席を立つ。

「ねぇねぇ!どこから来たの?」

「すごい美人!もしかしてモデルとかしてるの!?」

「これからよろしくね!」

飛び交う一方的な言葉を俺は遠ざかりながら聞いていた。


彼女は頭もいいらしい。

授業中も、黒板に出て問題を解き、小テストも満点だった。

女子の噂だと、スポーツも万能らしい。

何から何までできる彼女が、妬ましかった。

助けなければよかった。

しかし、クラスのみんなも含めて、俺が助けた女性が彼女だとは知らない。

そもそも、俺が人を助けたばかりに左腕を失ったことさえ知らないだろう。


彼女が転校してきて2日が経った。

テニス部をやめた俺にとって放課後は暇な時間だ。

かといって、どこかにぶらつくことはできない。

周りの痛い視線で居心地が悪い。

おとなしく家に帰ろう。

どうせならテスト勉強ぐらいしてやろう。

人気のない校門を通り抜けた。

「米倉君」

俺は振り返った。

そこに立っていたのはあの天野沙綾だった。

俺は右手を強く握りしめた。

改めて面と向かうと、いろいろな感情が湧き出てしまう。

主に、怒りとか。

「・・・何の用?」

彼女は俺に歩み寄ってきた。

用件なんて、大体は予想着く。

「あの、もしよければ、一緒に帰りませんか?」

とてつもない美少女に言われても、俺の胸は高鳴らなかった。

その言葉の奥に秘められた意味は容易に理解できたからだ。

「気、遣わなくていいから」

俺は踵を返す。

「待ってください。本当は、話がしたくて・・・」

俺は足を止めた。


「なんでお前はここにいるんだ?」

俺はにらみつけた。

「どういうつもりか知らないけど、あんたと俺は会うべきじゃないんだ。だから俺の前に現れないでくれ」

彼女が高校生であり、同学年であることすら元から知らなかった。

助けたときは、大学生くらいかと。

彼女がこの学校に転校してきた時点で、彼女の真意はなんとなくわかる。

罪滅ぼし、だろ。

俺はそういうのが一番腹が立つ。

俺のことを哀れに思って、そういうことされるのが大っ嫌いだ。


俺は帰り道を歩く。

俺は後ろから気配を感じていた。

「なぁ、なんで俺の後ろついてくるんだ?」

「一緒に帰ろうと・・・」

「だ・か・ら!!ついてくるなっていってんの!!!」

「でも、ついてくるなとは言ってませんよね」

ああ、面倒だこの女・・・

「うるさいな!!ついてくるなって言ったらついてくるな!!!」

だが結局彼女は俺についてきて、最終的に家の玄関前まで来た。

俺は彼女を一瞥すると、思いっきりドアを閉めた。


うぜぇ、まじうぜぇ・・・

俺はドアを背にぶつぶつつぶやいていた。

「まったく、なんなんだよ、あの女・・・」

俺はのぞき穴から外の様子を見る。

彼女は一礼をすると、そのまま帰って行った。

「何が目的なんだよ・・・本当、イライラする・・・俺を憐れんでるのかよ、畜生・・・」

急に左手が痛んだ。

「痛っ・・・うぅ・・・いてぇ・・・・」

最近よくある。

ないはずの手が痛む。

しかも尋常じゃないくらいの痛さだ。

俺は歯を食いしばる。

必死に痛みをこらえる。

確か医者が渡してくれた薬があるはず・・・

俺はよろよろとリビングで薬を探した。



朝。

俺はいつも通り、家を出る。

すると―――

「おはようございます!」

あの女が立っていた。

俺は彼女の横をスルーする。

やはり彼女は後をついてきた。

今日からは絶対反応だってしない。

いないようにふるまってやる。

そしたらあいつもいつか観念するだろ。

結局学校まで俺は彼女を一回も見ることなく行った。


ある昼休み。

「あ、あの・・・これ、お弁当、作ってきたので、よかったらどうですか?」

そういって席に座る俺に差し出されたお弁当。

「・・・いらない」

「そ、そうですよね。ごめんなさい。でもまた作ってきます!」

・・・なんなんだよ。


ある体育の授業の見学の際。

だいぶ日差しが熱くなってきたここ最近、俺は汗が滴るのを感じながら、授業の様子をにらんでいた。

そんなとき、あいつは日傘を持って、駆け寄ってきた。

「あの、熱いからこれ使ってください。熱中症になったら大変ですし・・・」

俺は日傘を一瞥するも、すぐに視線を戻した。

「・・・ここに置いておきますので、よかったら使ってください」

そう言って彼女は日傘をおいて、授業に戻る。

俺は日傘には目もくれず、懸命に走る彼女を何気なく見ていた。

タイム測定でやけに何回も走る彼女。

案の定、体育が終わるころにはだいぶ息が上がっていた。

・・・意味わかんねぇよ。


ある雨が降った放課後。

傘を忘れた俺は歩いて雨の中下校する。

片腕がない今、走ることがうまくできない。

校門から歩いて少し経ったとき、視界の上に白い布のようなものが見えた。

そして雨が降りかからなくなった。

「風邪、ひいちゃいますよ?」

彼女は自分の傘に俺を入れたのだ。

俺がずっと無視しても、歩く速度を速めても遅めても彼女は俺に傘を差し続けた。

・・・なんでお前は、俺に優しくするんだよ。


ある暑い朝の通学路。

登校するだけでも汗をかく。

隣には彼女がいた。

「今日もとても暑いですね」

どんなに無視しても、どんなに冷たくしても、彼女は俺の横にいた。

日傘に俺をいれたり、扇子で俺を煽いだり、「冷たいお茶です」と言ってコップを指しだした。

どんなに、どんなに、俺が突き放しても、彼女はずっと、俺の横にいた。

・・・どうして、そこまでやるんだよ。そんなに俺が哀れか?そんなに罪滅ぼしをしたいのか?なんでお前は、めげない?どうやったらお前はめげるんだよ。


ある日、友達が言ってきた。

「おいおい、なんだよ~うらやましいな~天野さん、お前のこと好きなんじゃねぇの?」

「ふざけんな!!!」

俺は友達に怒鳴り散らした。

そんなんじゃ・・・そんなんじゃねぇんだよ・・・

「わ、悪い・・・」

友達は戸惑ってそう謝った。

・・・もう、やめてくれ。


何度目だろう。

下校時、彼女が俺の家の前で、俺が家に入るまで見送るのは。

彼女が話しかけたり、何かをしてもことごとく俺は無視を続けた。

むしろ無視することに苛立ちまで感じてきた。

うっとおしい。大声で「二度と近づいてくるな」と言いたい。

言ったところで、彼女は揺らがない気がする。

じゃあ・・・どうすれば・・・


俺は扉の前で立ち止まった。

そして振り返り、彼女をついに正面から見た。

俺の口から出たのは、初めての言葉。


「家、入れよ」


決して善意ではない。

今日親が買い物で出かけ家にいないことを、俺は知っていた。



彼女は素直に俺の家に入った。

「お邪魔します。お母さんはいらっしゃいますか?」

「今買い物。すぐに帰ってくると思う」

「そうですか。あとであいさつしませんと・・・あ、けれど、何も持たずに上がってしまうとは、大変申し訳ありません・・・今からでも、何かお菓子でも・・・」

「そういうのいいから。二階上がって」

俺はそう言って彼女を俺の部屋に誘導した。


「ここ、俺の部屋。あんまり綺麗じゃないけど、座ってて」

事実、俺の部屋は汚かった。

手を失った後は親が掃除をしてくれている。ただ今日は教科書やら服やらが散乱している。

「はい、わかりました」

彼女は特に嫌がることもなく、笑顔でそう言った。

俺は何も言わずに扉を閉め、下に降りた。


親が作ってくれた空のお弁当を台所に置き、俺は荷物を持って再び二階に上がった。

扉を開けると、彼女は俺の部屋を掃除していたのだ。

教科書は棚に綺麗に並べられ、服もたたまれていた。

俺は歯を食いしばった。


もう我慢の限界だった。


俺は掃除中の彼女の腕を右手でつかみ、ベッドに放った。

「キャッ」

短い叫び声をあげ、彼女はベッドの上に倒れこんだ。

そして俺は彼女の上にのしかかり、手と下半身の動きを拘束した。

さらに俺は残った一本の手で彼女の肩をベッドに押し付ける。

もう、彼女は逃げられない。


俺はようやく彼女の顔を見た。

彼女は羞恥に耐え、必死に涙をこらえている。

唇をかみしめ、声を漏らさないようにしている。

だが、それだけ。

彼女は俺から逃げようとも、拒もうともしなかった。

彼女はただ、すべての運命を受け入れるつもりなのだろう。

自分の身に降りかかるであろう運命を。


「・・・なんで、抵抗しない?」

彼女は何も答えない。

「嫌だろ・・・?叫べよ・・・襲われる、助けてって・・助けを求めろよ・・・彼氏がいるのに汚されるんだぞ・・・俺に幻滅して罵倒しろよ・・・なんで・・・何もしないんだよ・・!!」

俺は彼女の肩を本当に強くたたいた。

彼女は涙に濡れた目を俺に向け、震える唇を開いた。


「・・・私は・・・逃げない・・・あなたから・・・」


「ふざけんな・・・ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな・・・!!!!」

俺は彼女の胸倉を思いっきりつかんだ。

服がはだけることだって気にしていなかった。

「そんなに俺が哀れか!?俺はそういう憐れみが大っ嫌いなんだ!!!!お前が俺に優しくすると、無性に悔しくなるんだよ!!!!なんで、お前みたいな何でもできるやつは無事で・・・俺は無事じゃなかったんだって!」

・・・本当はわかってる。

俺が無事じゃなかったのは、全部俺のせい。

俺があの時飛び出したから。

ただ、じぶんのせいだって思いたくないだけなんだ。

何かのせいにすれば、気持ちが楽だから。

自分を責めなくていいから。


俺はついに、あの言葉を言った。

今まで何度も言おうと思っていたが、さすがにはばかれたあの言葉を。

でも、もう我慢の限界だったんだ。


「・・・お前のことなんて、助けるんじゃなかった」


言ってしまった。言ってしまった。

俺は最低なことを言った。

助けるんじゃなかった?それって死ねってことじゃないか。

最低だ・・・最低・・・

自分で言ってて、罪悪感にかられていた。



「・・・わかってるよ。私みたいな人間の命じゃ・・・米倉くんの左手の犠牲に釣り合わないって・・・」

彼女が発した言葉に俺は目を見開いた。

「そ、そんなこと・・・」

言いかけて、途中でやめた。

彼女を擁護してどうする・・・


「・・・お前みたいな成績優秀、スポーツ万能で、みんなからの人気者のやつの命は、重いんだよ・・・だから釣り合うどころか、みんなこう言うぜ。『米倉ごときの左手一本が犠牲になっただけで、この世に必要な人間の命が守られた。いいことだ』ってな・・・くそ」

「それは違う!!」

この時、初めて彼女は声を荒げたのだ。

彼女の目の奥には、何か強いものが居座っていた。

一瞬ひるんだ俺だったが、すぐさま言葉を返す。

「違うって・・・みんなそう思うに決まってるだろ。口には言わないけど、そう思ってるんだよ。俺にはわかる。」

「そうじゃないの。この世に必要なのは私じゃない。天野の娘が必要なだけだったの」

「・・・は?意味わかんねぇ。結局、お前が必要なんじゃなぇか!!」

俺はベッドの布団を握りしめる。

「違う。私は・・・ただのお人形だった。紗彩という名前が付けられた、人間を模した空っぽの存在」

「に、人形・・・?」

どういう意味だよ・・・?人形って・・・

「本当よ。あなたに助けられた、あの時までは」


俺は手の力を弱めていた。

そして俺は手をどかし、腰を動かし、彼女から離れた。

俺は彼女を直視できず、ただ「悪かった」とだけ言って、ベッドの端に腰を下ろした。


しばらく互いの呼吸音だけが聞こえていた。

俺自身、なんて声をかければいいかわからなかった。

だって、俺は彼女を襲おうとしたのだ。

そんな犯罪未遂の男が何を口に出すというのだ。


「・・・天野は、祖父の代から続く、実業一家です。小さいころから英才教育を受け、何度も外国へ渡り、教養を身につけました。実業家の娘として、富豪の娘として、ふさわしい人間になるよう教育されてきました。許嫁を定められ、その方と交際・結婚し、その方に経営を任せる。私は子供を作り、私がされたことを子供にもさせてあげる。これが天野家から私に定められた指針であり、私の運命なのです」

彼女は沈黙を破り、淡々と話を始めた。


「父も母も、私に多額のお金と愛をささげ、大切に育ててきました。私は彼らの望むような姿になるため、努力しました。ずっと、それが私の運命、私がなすべき義務なんだと小さいながら思っていました」



「けれど、その時の私は、ただの天野家のお人形さんでした。私はただ『しろ』と言われたことを、何も考えず望まれるように『する』ように動かされていただけ、まさに操り人形です。そこには、私が何をしたいとか、何を考えているかは、一切含まれません。あるとき私は思いました。こんなの、生きている意味があるのかなんて・・・。天野家の娘が生きる意味は、天野家を存続させること。でもそれは、沙綾にとってはただの義務。私がしたいことは、必ずしも天野紗綾にしてほしいこととイコールにはならない。私がしたいことは義務によってかき消されてしまう。私に自由なんてない。自分の夢も、希望も、恋愛までも、天野家に操られて・・・こんな人生、嫌だって・・・私はもう何年も思い続けてました」


「『この人と結婚しなさい』と言われた人と付き合わされ、まだ半年でした。彼は基本的に、いい人だとは思います。けれど、そこに一切恋愛感情はありませんでした。どうして好きではない人とデートをさせられ、好きと言わされなければいけないのか。恋愛って、こんなに嘘で固められたものなのかって、何度も思って・・・限界でした」


「何度死にたいと思ったかわかりません。けれど私には逃げ出す勇気がなかったのです。育ててくれた両親をがっかりさせることが怖かったのです。私が人形の生き方を続ければ、喜ぶ人はたくさんいたのです。だから私は・・・心の奥でずっと願っていました。早く終わってほしい、と。天変地異でも、事件でも、事故でも、なんでもいい。この生活から解放してくれて、私を殺してくれる何かを、ずっと求めていました。そしてやっと・・・願いが叶ったと思いました。あの鉄骨が、私を解放してくれる、と。だけど、私はあなたに助けられ、あなたは私を助けた代償に左手を失ってしまいました」


本当に、助ける意味はあったのか。

死にたがっていた人を助けて・・・

なら・・・俺の左手は無駄だったのか・・・?


「・・・けど、私はそれで見つけましたの」

「え・・・?」

「やっと・・・私の生きる意味を」

彼女の瞳はさっきのように濡れていなかった。


「私の命と引き換えにあなたが左手を失ったのなら、私があなたの左手になります」

俺は呆気にとられた。

だが、自分に言い聞かせる。

違う。彼女は罪悪感からこんなことを言ってるんだ。

だから・・・


「・・・もう、いい。そんな罪悪感からの同情なんて・・・」


「同情ではありません。罪悪感は確かに感じています・・・でも、私はしたいんです。・・・私、初めて家に反抗しました。ずっと、自分の希望を胸の内に押し込めてきました。でも、私は宣言しました。あなたの左手になって、あなたを支え続けます、一生・・・」

俺は思わずふいた。

「・・・・って、い、一生!?何考えてるんだよ!?」

「私は本気です!だって・・・好きに・・・なってしまったんですもの」




・・・・・・・・・・・・・・え・・・?


好き・・・?

は、何言ってんの?

意味が分からない・・・好きって・・・なんで?

命を救ってくれたから・・?

生きる意味を与えてくれたから・・・?

それで好きになるって・・・

落ち着け俺・・何気が動転してるんだ・・・

だまされるな・・・

でも・・・


「・・・・そ、そんなの・・・し、信じないぞ・・・」


・・・絶対いないだろうな。

俺の人生の中で、俺のことを好きになってくれるやつ。

こんな障害者じゃ・・・

・・・俺に・・・手を差し伸べてくれる人なんて・・・


「有り得ないだろ・・・ただ、その・・感謝の気持ちが・・・好きって言う感情に・・・変わっちゃっただけで・・・そんなの・・・恋のはずない・・・」


手があったときだって、モテたことなかった。

告白は何回もしたが、ことごとく振られてきた。

友達だってほとんどいなくて・・・

だから・・・

たとえ罪悪感からでも・・・

同情心からでも・・・


「でも、私はあなたのことを本気で好きになりました」


好きって言われたこと自体は・・・


「・・・米倉くん・・・?」


「・・・・・・・・・あ、あれ・・・・・・」

視界がぼやけた。

右手で瞳に触れる。

やっぱりそうだ。

濡れている。

なんで俺、泣くんだよ・・・

左手を失ったって泣かなかっただろ?どんなにみじめでも泣いたりしなかっただろ?

なんで・・・こいつに告白されて泣いてるんだ?俺・・・


・・・そうか、これはうれし泣きなんだ・・・

告白されて、うれしがってるんだ・・・

俺の左手がなくなる原因になったのはこいつなのに・・・

それなのに・・・

・・・喜んでやがるよ。俺・・・


泣き顔。

それを包んだのは、彼女の両腕だった。

俺はそうされても、抵抗しなかった。

その温かさが心地よくて・・・


「・・・ずっと我慢してましたよね。もう大丈夫ですよ。私が全部受け止めますから」


嗚咽を漏らしてしまった。

彼女の言葉がゆっくりと俺の体にしみてくる。

一度切れてしまったら、もう止まらない堤のように。

俺は声を上げて泣き出した。

子供だ、まるで子供だ。

でも・・・ずっと我慢していた感情は、もう抑えきれなかった。


どのくらい泣いていただろう。

俺が泣き止んで、彼女から離れるまでかなりの時間を有した。


「・・・一つ、教えてくれ」

声を出すと、のどに痛みが走る。

咳払いしてのどを整える。


「俺がお前を助けたことは・・・正しかったのか?」

彼女は目を閉じた。

そしてゆっくり頷いた。


「・・・死にたいって思っていたのは、本当です。でも、今考えれば、死んだら私はすごく後悔していたと思うんです。ずっとお人形さんの人生で、自分の希望さえ言えず、何もできないまま死ぬなんて・・・やっぱり、嫌です。・・・何より、今はあなたのそばにいたいんです。・・・私の初めての一目ぼれを、もっと味わいたいのです」


「・・・バカだろ、お前。成績もよくて、スポーツ万能で、おまけにすっげぇ可愛いのに、こんな・・・冴えない人間を好きになるなんて・・・」


彼女は急に黙り込んで、下を向いた。

俺は気になって様子を見る。

彼女の頬も耳も真っ赤だった。

彼女の目が揺れている。

「・・・わ、わたし・・・か、かわいい・・・って・・・・どうしましょう・・・・こどうが・・・・たいへんなことになりました・・・」

彼女は腕で自分の体をギュッと抑える。

俺はなんだか照れくさくなって、そっぽを向いてしまった。



それからというものの、彼女が俺に話しかける回数は頻繁になった。

そして、俺はもう無視はしなかった。

ただどこか素直になりきれなくて冷たくしていた自覚はある。

彼女が話しかけてきても、どこかぶっきらぼうに。

彼女は登下校は常に一緒にいたがったし、お昼も俺と一緒に食べたがった。

バカな俺は「別に、一緒にたべてやってもいいけど」という形でしか思いを告げられなかった。

彼女が作ってくれたお弁当を食べても、「まあまあ」としか言えなかった。

素直になればいいのに、と何度も思ってはいるのだが、彼女を前にするとすぐにその考えは消えてしまう。

話しかけられて、どこかホッとしているのも事実だった。

お弁当だって、本当はとてもおいしかったのだ。


彼女に告白されたからって俺が彼女と付き合うということはしなかった。

というより、俺が彼女を好きかと聞かれるとわからないとしか言いようがないのだ。

確かに可愛い。

けれど、この感情が本当に恋心かどうかは微妙である。

さらに、彼女と付き合わない理由はまだあった。

彼女と話せば話すほど、感じてしまう。

彼女は、本当にいいのだろうか?

俺なんかを支えるなんて・・・

それに、いくら家に反抗したからって、家族が彼女を野放しにしているはずがない。

転校も彼女の意志だったそうだし、現在は歳の離れた姉と二人暮らしをしているらしい。

・・・本当に大丈夫なのだろうか。

俺が彼女にそれとなく尋ねても、彼女はあまり答えようとはしない。

ただ必ず「私は、米倉君と一緒にいれれば、それでいいんです!だって、幸せですもの」と言った。

その言葉はうれしくはあった。

もちろん、言葉には出さないが。

ただ、気がかりでもあった。

・・・俺みたいな人間が、彼女をとどめてしまっていいのだろうか、と。


期末テストが終わった。

数日後に返却された。

まあ、赤点は回避できたからオッケー。

平均点を超えている教科は少しだけ。

ま、肩の荷が下りたのはいいんだけど。

ただ、一つ不満がある。

平均点を超えなかった教科があるやつは前期夏期講習への参加が義務だなんて・・・

赤点だったやつは後期夏期講習参加も義務だが、なぜ夏期講習なんか・・・

せっかくの夏休みなのにのんびりさせろよ。なんで学校なんか来なくちゃいけないんだよと頭の中でブツブツぼやいていた。

夏期講習には俺みたいなペナルティーとして参加する奴のほか、勉強意識が高い奴が参加する。

その中に天野もいた。

真面目に授業を聞き、問題を解き、授業が終わると俺のところに寄ってくる。

1学期から大体こんな感じ。夏期講習でも変わらず継続だった。

当初の周りから「天野さんって誰にでも優しいんだね」ということで黙認されていた。

しかしだんだんその頻度が多くなると「二人は付き合ってるんじゃない?」という風に変わっていった。

俺は特に気にすることはなかった。

別に誰も冷やかしたりはしないからだ。

俺の左手を見れば、だれも冷やかす気分にはならないのだろう。


「米倉君!今度の日曜日に映画に行きませんか?」

彼女がそう言ってきたのは講習と講習の間の昼休みのことだった。

教室で座っていた俺に彼女はいつものようにお弁当箱を持ってきて近づいてきたのだ。

「映画?なんで?」

「実は見たい映画があるんです。『今日、新しいお父さんになる』っていう映画なんですが・・・どうでしょうか?」

聞いたことがないタイトルだ。

「面倒くせーなー・・・」

「いいじゃないですか!たまには部屋にこもりっきりではなく外に・・・いえ、映画自体は屋内ですが・・・ではなく、少し外にでましょう!」

映画、か。

もしかしたら彼女が俺に配慮したのかもしれない。

遊園地や動物園など人が多く集まりすぎるところじゃ、きっと俺は周りの人からの視線を多く浴びる。

もちろんそんなのはごめんだし、それでも行くって言うなら断ざるをえない。

だが、映画なら周りの人は俺を意識することはないだろう。

彼女が一体何を考えて映画を見たいと言ったかは正直わからない。

本当にその映画が見たいのかもしれないし、俺のことを考えてくれたのかもしれない。その両方だってあり得る。

いずれにせよ、断る理由はない。

映画自体、俺は好きだから。

「・・・ま、少しぐらいだったらいいけど」

いい加減素直になれよ、俺。

俺も映画好きなんだよ!みたいにして話題とか盛り上げればいいじゃねぇか。

話しかける勇気さえないのかよ。



日曜日午前11時。

俺は彼女と約束した映画館に赴く。

俺が着いたときにはすでに彼女は映画館の前で待っていた。

15分遅れでやってきた俺に対してただ笑顔で迎えた。

「おはようございます!今日は来てくれてありがとうございます!」

「お、おう・・・悪いな・・・その、少し、遅れて・・・」

「いえいえ!本当に来てくれてすごくうれしいんですから!!ほら、行きましょう!・・・っとその前にご飯ですよね!今日は腕によりをかけてお弁当作りました!!屋上のガーデンで食べましょ!」

「お、おう・・・」

そう言って彼女は俺の左側に回って並んで歩いた。

これも彼女の配慮なのだろうか。

今日の俺は長袖。

というより、腕を失ってからは暑くても長袖だ。

しかし長袖でも、肘から先がないことは明らかにわかってしまう。

周りからの視線にさらされないようにしてくれているのだろうか。


スカイガーデンでご飯を食べる。

ベンチに座って、彼女がハンドバックから大き目なお弁当箱を取り出した。

そしてふたを開ける。

本当にすごい。

彩も鮮やかだし、何より俺の大好物を把握している。

から揚げ、ちくわ揚げ、卵焼き、アスパラベーコン巻、ロールキャベツ。

何度かお弁当は食べさせてもらったことはある。

いつも同じもののときはなく、何が出てくるのかがひそかに楽しみでもあった。

その時に出ていたおかずたちがそろいもそろって大きな箱の中に詰まっている。

「米倉君がお弁当食べてるときに反応が良かったおかずを選んだつもりなんですけど・・・どうでしょうか?」

・・・そんなことまで見てたのか。

俺は「おいしい」っていう一言さえ言わなかったのに。

すごいなと思うのと同時に重いほどの彼女の気持ちをはっきり認識する。

俺はこの気持ちを支えきれるだろうか。

「・・・米倉君・・・?」

彼女が俺の顔を覗き込む。

俺はハッとなる。

何考え込んでるんだ。

「いただきます」

俺は無心で彼女の弁当を頬張る。

やっぱりうまい。

隣の彼女は小さなおにぎりと小さなタッパーからおかずを爪楊枝で取り出し食べている。

食べながらふと思った。

このお弁当を作るのにどれほどの時間がかかるだろう。

自分で食べるわけでなく、他人のためだけに。しかも自分には簡単なものしかない。

彼女はすごくいい人だろう。これは何度も何度も思った。

でも・・・このむなしい気持ちはなんだろう。

なんだ、俺は食べることしかできないのか。

無愛想で、面白い話をしてあげられるわけでもなく。

ただ無言で食べて、「まあまあだね」としか言えないのか。

俺はどこの関白様だよ。

気が付けばお腹は膨れており、あんなに多かったおかずもごはんもすっかり姿を消している。

残りの物をすべて流し込む。

「お茶どうぞ」

彼女は紙コップにお茶を入れて待機している。

こんなにも気が利いていて・・・

・・・何ぐずぐずしてるんだ、この野郎。

せめて、何か言うことがあるだろうが。

勇気がでなかったなんて言い訳はもうたくさんだ。

お茶を飲み終えて落ち着いた俺は彼女のほうを向きなおる。

「どうかしましたか?」

彼女は首をかしげる。

「その・・・あのな、えっと・・・なぁ・・・・・・」

すぐにその言葉が出てこない自分が煩わしい。

「・・・・・いつも、ありがとうな・・・・今日も・・・すごく、うまかった・・・・」

情けないくらい小さな声、風程度でかき消えてしまいそうな小さなつぶやき。

彼女はしばらくポカンとしていた。

突然彼女はクスッと笑いだす。

「・・・初めて言ってくれましたね。その、すごくうれしいです。お粗末様です。これは私が作りたくって作っているんですから。けど・・・なんだか、報われた気がします。幸せです」

最後には満面の笑みでそう言った。

まったく、バカじゃねぇの、こいつ。

感謝の言葉だけで幸せなんて・・・

けど・・・一番のバカは俺だ。

こんな簡単な言葉を今まで言えなかった自分も、言ったあと照れてる自分も、満面の笑みを見て笑顔が浮かびそうになる自分も。みんなバカ。

少しはマシなことしてこいつを幸せにしてあげろよ、役立たず。


午後2時。

映画の上映時間になった。

ちなみに映画は俺がおごった。

ほぼ無理やりだったが。

彼女が金持ちであろうと関係ない。

ただただおごらないと気が済まなかったからだ。


『今日、新しいお父さんになる』

聞いたことない映画だったが、そこそこ有名な小説が原作のようだった。

主人公は20代にしてすでに企業で優秀な人材として大事なプロジェクトを任せられた。しかし、彼は人生で初めて大きなミスをしてしまい、プロジェクトの進行に大きな後れを生じさせてしまった。部長に「もう次はない」と通告され、絶望に暮れた主人公。そんな中、隣に越してきたシングルマザーの女性が訪ねて来た。年齢もさほど違いはなく、お互い隣人として仲良くなった。

主人公は隣に住むその女性の娘とも仲良くなる。母親はパートで忙しく朝早くから家を空けてしまい一人ぼっち。出勤時間が遅めの主人公の家に登校前によく遊びにくるようになった。その子のあふれるような笑顔が主人公を絶望から救いだし、そしてふと口にする何気ない言葉が主人公を考えさせる。

仲良くなって1年。いつも能天気なその子が急に真剣な顔になって主人公に言う。

『おにーちゃん。おにーちゃんも、おかあさんとはけっこんしてくれない?』

軽く冗談のつもりだったが、徐々にその子が気持ちを表す。小学校低学年の子なのに、誰よりも親のことを考えてる。しかも『わたしがいるから、おかあさんはけっこんできないの。わたしがいなくなったら、おかあさんはしあわせかな』と泣きながら言う女の子に主人公の気持ちは揺れる。

彼女を抱きしめ、彼女に向かって主人公は言うのだ。

『いなくなったら、絶対許さない。お母さんだって、ものすごく怒るし、すごく悲しむ。大丈夫、大丈夫だから。お前のお母さんのこと幸せにする。でもそれ以上に、お前を幸せにする』

プロジェクトも大成功。そして離婚した本当の父親とのトラブルはありながらも、なんとか乗り越え・・・結婚式当日。

『もう、おにーちゃんじゃないんだね』

『俺はお前のおにーちゃんだし、お父さんだ。呼び方はどっちでもいいよ』

『そっか!じゃあ・・・おにーちゃん、ありがとう』

そう言って彼女は主人公の頬にキスをした。


感動する話だとは思った。

正直な話、俺もうるっときた。

左隣の彼女も時折ハンカチで目を抑えていた。


「映画・・・すごくよかったですね!」

「ああ・・・まあ、よかった・・・と思うよ」

俺たちは映画館を出て人通りの多い道を歩いていた。

最寄りの駅はこの道を通るしかない。

彼女は変わらず俺の左側にいた。

「なんだか、映画で泣いてしまうなんてすごく久しぶりな気がします。でも、本当に感動しましたよね」

「ああ・・・まあ、最後は・・・よかったな」

「最後ももちろん!全部よかったですよ!特に主人公がプロポーズするときの言葉とか・・・」

確か『全部背負うから。過去も本当の父親も、あかねちゃんのことも。俺は非力で支えきれないかもしれないけど、絶対倒れないし、絶対逃げない』って言ってたな。

あんな覚悟を持ったやつ、さすが主人公だよ。

現実じゃ到底あんなセリフ言えるわけないしな。

横断歩道で信号が変わるのを待っていた時だ。

「・・・あの・・・米倉君」

「ん・・・?」

「その・・・米倉君は、私の告白に返事は、まだですよね?」

「・・・・・ああ・・・そうだな」

「・・・一つ・・・わがままを言っても、いいですか?」

俺は無言で頷いた。

珍しく彼女は俺に目を合わせず下ばかりを見ていた。

「その・・・ずっと待ってますから。・・・・だから・・・・もし、告白を、受けてくださるのなら・・・・その時は映画の主人公みたいに・・・・・その・・・・えっと・・・・」

それから先を彼女は言わない。

「・・・・やっぱり忘れてください!」

「そ、そうか・・・」

それ以上彼女はそのことについては何も言わなかったし、俺も触れることはなかった。

むしろ聞いた途端に俺の方が恥ずかしさでどうにかなりそうだった。

俺たちは青に変わった信号を歩きはじめる。


「とにかく・・・今日は、とっても楽しかったです」

「そっか。俺も・・楽しかったよ」

「そうですか!ふふっ。今日が、ずっと続いてくれればいいのにな・・・もっと、もっと楽しいことたくさんしたいです」

楽しいことか・・・

そうだな・・・俺も、まあ・・・楽しかった。

なら・・・今度は俺が誘うべきだよな。

「あのさ・・・その・・・今度は俺と・・・」



ドン。

誰かに背中を押された。

それと同時に自動車が発する激しいエンジン音が聞こえた。

アクセルを思いっきり踏んだ時、キックダウンし、加速する音だ。

俺は押された方を見る。

さっき俺がいた場所で天野は目を見開いてそこに立っていた。

俺を押した両手は固まったようにそのまま、そして一歩も動いていない。

その彼女の横から自動車が接近しつつあった。

逃げろ!!!!!!!

心の中でそう叫びながら俺をとっさに手を伸ばす。


とっさだから気づかなかった。

もともとの利き手だった左手を出していたのだ。



俺に・・・左手は・・・・・・・



彼女の体が自動車に当たり、左へ大きく吹っ飛ぶ様子がとてもゆっくりに感じられた。

彼女の体が宙を舞う。


彼女の体がはるか遠くで地面に激突し、地面に擦れる時はとても早く感じられた。


天野を吹き飛ばした自動車はその後も何人かをはね、最終的には電柱に衝突し、止まった。


俺はその惨状を呆然と見ていた。

道路で体を丸めている天野の姿を。

頭から血を流したまま、動かない天野を。


嘘だ。嘘だ。嘘だ。

引き寄せられるように、俺は彼女のもとへ滑り込んでいた。

彼女の手を取る。

「おい・・・・・・おい・・・・・・」

地面に触れている彼女の右足も右手も右側頭部も激しく擦れたようでひどい怪我だ。

側頭部の皮がはがれ、右目の横すぐの大きな傷から血があふれ出ていた。

声をかけても反応がない。

怪我のひどさから体に触れることさえはばかられる。

「なんで・・・・・なんで・・・・・」

なんで・・・俺の体を押した?

どうして俺だけをその場から突き飛ばした?

なんでお前は逃げなかった?

どうして俺を助けた・・・?

まさか・・・俺と同じことをしたのか・・・?

お前を助けたときとは逆に・・・

ふざけんな・・・ふざけんな・・・ふざけんな・・・

何が逆だ。

なんで俺と同じことをした。

何で俺なんかを助けた・・・


救急車の音が遠くから聞こえ、やっと我に返る。

「・・・・おい、天野・・・!!!天野!!!!!」

呼びかけて反応がないことが不安と恐怖を掻き立てる。

「ふざけんな。ふざけんな!!!!天野!!!おい!!!返事しやがれ!!!!おい!!!!」



救急車から何人かの男性が下りて、彼女の体を担架に乗せようとする。

俺は彼女の下から引きはがされる。

「関係者の方ですか?」

そう聞かれたがうまく「はい」と答えることができなかった。

「乗ってください。早く!!」

俺は首だけ縦に振ると男に救急車まで誘導された。

彼女の体が救急車に入れられる。

そして扉が閉められ、救急車のサイレンが響く。

発進する。

彼女への応急処置が始まる。

「お願いします・・・お願いします・・・彼女を助けてください・・・お願いします・・・お願いします・・・」

俺は何回もそうつぶやいていた。

「大丈夫ですから!!!絶対彼女を助けます!!!もしもし聞こえますか??」

「天野・・!!!天野・・・!!!起きろ!!!天野!!!!天野!!!天野ぉぉぉおお!!!!!」


病院に着くまですごく長く感じられた。

実際時間がどれくらいだかはわからない。

彼女が病院の中に連れて行かれ、俺は走ってついていく。

だが、ずっと一緒は無理で、「ここで待機していてください」と言われた。

俺はずっと立ち尽くしていた。

正直言って、今だってこの状況を信じ切れていない。


「ただ今運ばれた患者の関係者の方ですか?」

彼女の治療が始まってだいぶ経ったとき。

白衣を着た男性とその横の看護師が俺に近づいてきた。

「はい・・・」

「ちょっと来てもらえますか?」

俺は無言で従った。

連れてこられたのは診察室。

「率直にお話しします。彼女は危険な状態です。右手を複雑骨折、内臓破裂、肋骨も折れています。この肋骨が臓器を傷つけ、大量出血の恐れがあります。これから緊急手術をします。彼女の保護者には連絡がつきましたか?」

心臓をわしづかみにされた気分だった。

「い、いえ・・・まだ・・・」

「わかりました。今すぐ連絡してください。間もなく手術を開始します」

「・・・それで・・・彼女は助かりますか?」

医者の表情が曇った。

唇を一層引き締めた。

「・・・正直お話すれば五分五分です。ただ・・・覚悟はしていてください。あと、手術が成功しても、元の体通りにはなれないかもしれません。骨折の具合によっては右手の切断も考えられます」

駄目だ。そんなのだめだ。絶対だめだ。

助かってくれないと絶対だめだ。

死ぬなんて絶対ありえない。

右手を失うなんて絶対だめだ。

あいつは、そんな不幸を味わっちゃいけないんだ。

耐えられないくらいの絶望感。

あいつまで、絶対に味わっちゃいけない。


「お願いします。彼女を助けてください。彼女を殺さないでください。彼女の右手を奪わないでください。彼女を障害者にはさせないでください。たとえ助かっても、彼女に俺のような絶望を味あわせたくないんです・・・だから・・お願いします」

俺は深々と頭を下げた。

「最善を尽くします」

「彼女が助かるんなら、俺何でもします。血液だって、臓器だって、骨だって、なんでも提供しますから!!だから・・・お願いします・・・」

「お気持ちだけで十分です。ただ、ずっと彼女の傍にいてあげてください。もちろん私としても最善を尽くしますが、最後には天野さんの気力が大切です。手術直前まで声をかけてあげてください」

「はい・・・・」

「では、保護者への連絡がつき次第、手術室に案内します。外で待機してください」



俺はその場に立ち尽くした。

歯を食いしばり、自分の無力さを恨んだ。




治療室から手術室に運ばれる。

天野は目を閉じたまま。

俺はその横を並走した。

「手を握って、声をかけてあげてください!!」

俺は右手で彼女の無事だった左手を握る。

「許さないからなっ!!!!勝手に消えたら!!お前!!!俺の左手になるんじゃなかったのかああっ!?」

彼女は反応を示さない。

「自分が言った言葉くらい責任持ちやがれ!!!!逃げたら絶対許さねぇからな!!!」

彼女の体は手術室へ。

扉が閉じられ、手術中のランプが点灯する。



俺は手術室の手前の控室の椅子に座った。

神様・・・

俺は祈った。祈る事しかできなかった。

普段は信心深くないくせに、こんなときだけ神頼みなんて。

けど、今はそんなこと関係ない。

神様、お願いだ。

俺の一生に一度だけの願いを叶えてくれ。

天野を助けてくれ。

天野の体を元通りに戻してくれ。

天野の手を切らないでくれ。

願い事が多すぎるなんて知ったことか。

でも・・・これを全部叶えてくれないと駄目なんだ。


涙がにじんだ。


「畜生・・・畜生・・・」

・・・いつからだろう。

そして、なぜだろう。

なぜ俺はこんなに取り乱し、こんなに落ち着いていないのか。

かつては・・・あんなにあいつが憎かったのに。

左手を失ったことに絶望して、周りからの同情が嫌で・・・

そんな気持ちから、俺はあいつを避け続けた。

かつては、そんなふるまいだったくせに、どうしてこんなに・・・怖いんだ・・・・

失うのが怖い。あいつがいなくなってしまうと考えただけで頭が砕けそうになる。

もし、あいつがいなくなったら・・・・俺は・・・・・生きていけない・・・


そっか・・・

あいつはもう、俺の左手だったんだ。








事故から1か月半。

学校が始まるまであっという間だった。

また退屈な授業が始まり、そして終わった。

「そこ、段差だから気をつけろよ」

「はい。すみません・・・よいしょっと・・・」

危なっかしく歩く帽子姿の彼女。

まだ右足は完治しておらず、右手に松葉づえで歩いている。

だが、彼女は生きている。

生死の境から彼女は帰ってきた。

右手も、切断せずに済んだのは、奇跡だと言っていいかもしれない。俺は医学に詳しくないからわからない。

けれど、なにより、彼女が助かってよかった。


「危ねぇぞ」

俺は彼女に右手を差し出す。

「ありがとうございます」

彼女は俺の右手を支えに昇降口を出た。

まだまだ夏の雰囲気の外。

風が彼女のショートヘアーを揺らす。

かつて長くて綺麗だった髪は治療のために切ってしまった。

一時期に比べてだいぶ伸びてきて、今は肩にかかる程度の長さだ。

今は髪と帽子で隠してはいるがが、右側頭部には治療の痕が残っている。


彼女の手術は無事に成功した後、彼女の長い入院生活が始まった。

この夏休みの大半を病院で過ごすことになったのだ。

俺は毎日面会に行った。

そして自分にできることなら何でもして彼女をサポートした。

この夏。

本当は天野の両親とのトラブルやなにやらでいろいろ厄介なことがあった。

天野自身も転校するかどうかの話になった。けれど、ここで語れることは何もない。俺自身天野と親が話し合った結果がどうなったのかはわからない。ただ天野は変わらずこの学校に通い続けている。



「なぁ・・・転校の件はどうなったんだ?」

下校中、俺はふと聞いてみる。

正直少し気になっていた。

あいつは入院中に両親に言っていたのを聞いた。

『恩返しができました。だから、もういいんです』と。

その『もういいんです』という意味が、俺の傍にいる必要はなくなったという意味ではないかとひそかに不安だった。

なんで不安なのか・・・うーん・・・まあ、そういうことだけどな。

「もちろん断りました。だから大丈夫ですよ」

「そ、そうか・・・」

「私は自分の道を自分の意思で歩むんです。もうお人形じゃないんですから。それに・・・」

「私の居場所はここですから・・・ね?」

彼女は俺の左側に回り込む。

そしてそのまま俺の左側で歩いている。

もうすっかりそれが定着していた。

だが、俺は一つだけ言いたいことがあった。

歩く時も、店で隣に座るときも、映画を見るときも、一緒に勉強するときも、いつも彼女は左側にいる。

それはそれでもいいんだが・・・

「・・・・・・・・なあ、別に左側じゃなくてもいいんじゃないか・・・・・?」

「けど、私は米倉君の左手で・・・・」

「・・・・・・左側にいると・・・・手つなげないんだよ・・・・・・」

「えっ?」

小声で言ったはずなのにばっちり聞かれていた。

言ってものすごく恥ずかしくなった。

「・・・!!ちょっ!!今のなし!!!!」

すると天野はにこにことして俺の左二の腕にしがみついたのだ。

「これなら解決じゃないですか?」

「距離、手より近いじゃないか・・・・・・別に・・・勝手にしろ・・・!!」

「ふふ、照れてるところも可愛いですね」

「男に可愛いはいい気持ちしねぇぞ・・・」

「あら、いいじゃないですか!可愛いのはいいことですよ?」

俺は大きく溜息をつく。


俺の新しい左手は色々と面倒。

ただ俺の頬はほころぶのだった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!!書く上で色々大変なことはありましたが、とりあえずホッとしています・・・

感想なども是非お願いします!!

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