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gomibako

異臭男、アイドルと握手する

作者: 北田啓悟

 わたくしは自分の不潔さを誇らしく思います。

 わたくしは風呂が嫌いです。風呂に入ると今までの自分というものが排泄されてしまう恐怖があるのです。これまで積み上げてきた数々の物事を排水溝に流される様で、とにかく背筋が凍るのです。ですからわたくしは風呂にまったく入りません。体を洗うことすら極稀です。

 あまり声高に自慢することではないと思うのですが、しかし敢えて自分の気持ちを優先させてもらいますと、わたくしは今日を持ちまして、風呂に入らない事、それの一周年を迎えました。春は花粉を溜め込み、夏は汗を染み込ませ、秋は食事量を増やし、冬はこたつの中で屁をこきました。そうしてわたくしの体は常軌を逸した異臭を漂わせるようになり、わたくしが歩いた道には生ごみの臭いが離れないまでになりました。

 わたくしはこれを誇りに思います。わたくしにとって異臭とは存在意義なのです。近くの誰かがわたくしを臭いと罵倒すると、ショックを受けるよりも、むしろわたくしらしさというものが彼らに認識されたような心持ちがしまして、晴れやかな気持ちになります。

 顔を歪めて、鼻を摘まみ、嘔吐感を覚えさせる。それを為されるのは、もはや快感なのです。

 とくに美少女であるとなおさら興奮します。わたくしの汚さと美少女の美しさ、それが反比例すればするほど快感が刺激されるのです。美少女の綺麗さや清潔さ等といったものを腐らせる、そのことにわたくしは強烈な背徳感と支配感を覚えます。

 わたくしの異臭で泣きそうな顔をしたら、それだけで興奮は最高潮に達します。

 さてわたくしの趣味はと言いますと、アイドルです。わたくしの外見は、一般的に想像されるステレオタイプのオタクに当てはまっているものなので見る人が見れば言わずとも察せられることでしょう。とは言いますものの熱心なファンと言うわけではありません。わたくしがアイドルを好きなのは、純粋に、可愛いと持てはやされる彼女らを汚したい一心から来ているだけなのです。ですからアイドルに対して奉仕をしたいなどとは全くもって思っていません。そこは区別しなければいけないでしょう。

 今日はそのためにとあるアイドルグループの握手会にやってまいりました。そのためというのは、もちろん汚すためという意味です。

 会場の熱気は凄まじい物でした。季節が夏と言うこともありまして、既にわたくしは汗だくです。会場は長蛇の列。待てば待つほどわたくしは汗をかくわけですから、徐々に徐々に異臭が酷くなっております。異臭に最も近しいのはわたくしですので、わたくし自身が嘔吐しそうな勢いです。

 このアイドルグループの素晴らしい点は、何と言ってもファンとの積極的な交流にあります。どれだけの化け物が相手であっても笑顔を返す、その無分別の愛嬌がファンの心を鷲掴みにしたということでしょう。平均年齢も十代後半と若く、皆々が花も恥じらう乙女です。わたくし達のような男性と組み合わせてみれば、その様は美女たちと野獣たちといった舞台を作り上げましょう。

 たとえわたくしのような汚物が相手でも、彼女らはにこにこしなければならない。何故ならそれが仕事だからです。花も恥じらう乙女が、鼻糞のようなわたくしを目にしたなら、一体どんな反応をしてくれるのか楽しみで仕方がありません。

 それにしても暑い。

 コンビニで買ったコーラを飲んで、水分補給。

 ゲップ。

 近くの男性が顔をしかめました。彼はイケメンでした。わたくしは、同性愛の気こそありませんものの、美しいと思えるものなら何でも汚したいと考えるため、彼の顔が歪んだことに達成感めいたものを感じました。

 会場にはさらに熱気がこもります。体力が消耗され、普段のわたくしであれば倒れるほどに過酷な場所でした。いつもは納豆を朝食とするのですが、今日の為にニンニク料理を食べておいて本当に良かった。スタミナが補給されたので頑張れます。また口臭も臭くなるのでそれにおいても頑張れます。

 わたくしは段々と汗をかいてまいりました。いえ前々からかいてはいたのですが、この段になってより一層ぐっしょりとしてきたのです。背中とシャツが引っ付いて離れません。臭いもツンとしたきつさを呈し始めて、一年間も溜め込んだ垢と混じり、最悪の臭いを発しました。

 会場は動いて、アイドルまでもう少しというところまでやってまいりました。わたくしが近付くにつれてアイドルはさり気なく鼻をひくつかせます。犬のようにクンクンと臭いを嗅ぐ姿は、十代女子特有の可愛らしさが強調される仕草でした。純情無垢そうな彼女を見ると、嫌がらせしたい一心に駆られます。ちなみにわたくしは三十代男性です。

 アイドルは不審を感じつつも笑顔を絶やさずに握手をしていきます。そのうちに異臭の正体がわたくしのものと判明したようで、さらにわたくしの容姿を見た瞬間、アイドルは反射的に顔を逸らしました。わたくしの体系は肥満であり、体毛ももっさり、シャツもジーパンもLLサイズであります。頭は禿げ散らかしており、何と言っても顔が顔でありません。汗のせいもあるのですが、わたくしの顔を一言で言い表せば、ただれている。顔の肉がだらしなく弛緩していて、にきびもあり、とにかく気持ち悪いのです。顔にも垢を溜め込んでいる為、顎のあたりなどは黒ずんでいます。わたくしの顔を雑巾掛けすれば、きっと雑巾は真っ黒になるでしょう。

 やっとのことでわたくしの番が回ってまいりました。目の前のアイドルは顔が引きつっています。というか血の気が引いています。顔が青いとは正にこのことです。アイドルがわたくしの顔を見据えると、自分がこの仕事に就いたことを呪うかのように泣きそうな顔をしました。その泣きそうな顔にわたくしは、にやりとした笑みを返して、黄ばみきった前歯を見せ付けます。

 アイドルは、口を手で覆い、勢いよく吐き出しかけたものを何とか呑み込み直しました。

 アイドルと適当なことを話します。ここら辺は社交辞令的なそれなので適当に流します。わたくしの心持ちとしましても、別に彼女と会話したいというわけではないのです。

 ただ汚したい。ただ腐らせたい。その一心なのです。

 野に咲く一輪のひまわりを枯れさせる、それがわたくしの望みなのです。

 ところでわたくしはどうにも肌が痒くなりやすい体質をしています。不潔でありますからそれは当然と言えましょう。そうなるとわたくしは、脳味噌が短絡的であるからなのか、無意識に掻いてしまいます。痒いところを掻く快感に逆らえないのです。

 ですからわたくしは、自らのパンツに手を入れて、股間を掻きました。まさぐるように、直接、掻きました。

 アイドルは見るからに驚きます。信じられない事態を目撃したのです。その反応は当たり前でしょう。目の前の肥満児がいきなり股間を掻けば誰でも驚きます。とくにアイドルは座っておりますので、わたくしの股間と目線があっているのです。要するに距離が近いわけです。こんな下品すぎる行為を見せ付けられては、彼女の心も察せられるレベルを凌駕してしまいましょう。

 ちなみにわたくしは、やはり快感を覚えていました。痒いところを掻く快感もさることながら、反社会的な行動を取ることに無類の至福を覚えたのです。彼女の口が引きつっているのを見ると、恍惚な気持ちになります。

 ところでわたくしは風呂に入っていないことをお伝えしましたが、それは勿論、服を着替えていないという点にも当てはまります。言わずもがなですがわたくしは下着も履き替えておりません。一年を通して同じ下着を穿いています。小便をする際は慌ただしくやる故に、何滴かが毎回のように染み込むのです。むろん股間ですから汗も蒸れやすい。それを一年かけて熟成させました。いえ、腐敗させました。そのパンツに突っ込んだ手とは、いったいどれほどの悪臭を放つのでしょう? 参考までに言えば、わたくしの手には、汗とは違った粘つきが付着しておりました。

 アイドルは助けを求めるように左見右見します。けれどもわたくしの姿をそもそも目に入れなくないという人が大勢であったらしく、わたくしの行為を誰も見ていなかったようなのです。こうなればこちらのもの。たとえアイドルが上の物に事実を伝えたとしても、証拠がない以上、わたくしはそれを否定できてしまいます。そうなれば彼女本人の信用をいたずらに落とすだけです。

 アイドルは、そのことを悟ったのか、それともプロ意識ゆえなのか、にっこりという笑顔を作ってわたくしに手を差し伸べました。その笑顔はとてもぎこちなく、口角が痙攣しています。何と健気なのでしょうか。彼女らは曲がりなりにも十代女子、自らの好き嫌いを尊重したい年頃なのです。にも関わらずそれを押し殺して仕事をこなす姿は、見る者に称賛の念を与えて止みません。わたくしも、その我慢がどこまで続くのかを試したくなりました。

 わたくしは、差しのべられた手を握ります。

 ぐっちょりという触感がありました。

 瞬間、アイドルは全身をびくっとさせて、ひぃと小さな悲鳴を上げました。先ほどパンツに手をつっこんだことが思い出されているのでしょう。口をひん曲げて、肩を震わせています。

 彼女の手を握っていると、とろけるような心持ちがします。

 彼女の手に、今まさに、わたくしの汚穢が染み込んでいるのだと思うと、快感が止まりません。わたくしの臭さ汚さ気持ち悪さが、彼女に、今まさに、伝わっているのです。彼女のミルクホワイトさを黄土色に濁しているのです。これに勝る快楽はありません。

 わたくしは、彼女の手を気持ち悪い動きでにぎにぎとします。彼女の手は凍ったように動かなくなっていますが、そんなものお構いなしに揉みます。わたくしの手でもっと腐ってしまえ。

 彼女は目をぎゅうと瞑りました。耐えきれなくなったのでしょう。

 しかしそれは反則です。

 わたくしは、それはちょっと失礼ではないかと言って、彼女に目をこじ開けてもらいました。自分の意思でこじ開けてもらいました。

 わたくしは、彼女の目線に合わせるようしゃがんで、彼女の顔を至近距離に見詰めます。

 彼女は怯えます。

 吐瀉物が目の前にあるような気持ちなのでしょう。

 鼻呼吸したくないからなのか、口で呼吸しています。その顔は歪んでいまして、アイドルのそれと言うにはいかにも不細工でありました。わたくしは親近感を覚えます。

 そんな彼女の顔に、わたくしは、自らの口臭をたっぷりとプレゼントしました。彼女の口にわたくしの二酸化炭素が入り込めばと思っての行動です。

 はあぁぁ、と深い深呼吸をした時のように息を吹きかけました。いえ、吐きかけました。

 彼女の顔面にわたくしの息が吐きかかる。わたくしの毒ガスのような息を、彼女はもろに食らったのです。彼女は咳をして、垂れだした鼻水を啜りました。そのさい臭いを嗅いでしまったようで、おえぇというアイドルらしからぬ喘ぎを上げました。

 彼女の目からは涙がこぼれ、とうとう充血してきます。

 わたくしの二酸化酸素が、彼女の口、喉を伝い、肺にまで送られたのでしょうか? 空気が脳を犯して、彼女の内臓がニコチン中毒者のように腐っていけば本望なのですが。

 やがて握手は終わります。今日の握手会はとてもよい経験でした。わたくしは清々しい気分になり、対して彼女は解放されたというような顔付きをします。

 油断するのはまだ早いというのに。

 わたくしは帰るために後ろへ振り返ります。

 振り返って、アイドルに背を向けます。

 そうして、


 ぶううううううぅうぅぅぅうっ、ぶぅっ、ぶっ、ぷうぅーっ、ぷっ、ぷすんっ!


 と、オナラをぶっこいて、後ろのアイドルに浴びせかけました。

 後ろから金切声が聞こえ、それから、人が倒れたような音が会場に響き渡ったのでした。


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