嫉妬とライバル発言
夏菜、と言った水無瀬の言葉にあたしは密かに驚いた。いやだって、なんか女の子を名前で呼ぶようなイメージがなかったから、普通にそれを口にすることに対して驚くのは無理もないと言ってほしい。
彼女とかいても苗字でずっと呼ぶっていうイメージがあるし、苦手な人は『そいつ』とか『こいつ』とか『あいつ』とかなんとも無礼な口の聞き方をするとばかり思ってしまう。
「有賀、攻撃されても俺は知らないからな」
「は?」
と、目を点にするあたしを見ずに至極嫌そうに水無瀬が玄関に寄ってドアを開けた。あたしと美智子さんが覗き込むのと同時に、水無瀬がサッとドアの前から退いた。
瞬間、
「しゅうやああーーっ!」
という叫び声と共に女の子が突撃してきた。
いや、マジで突撃という表現がぴったりと思ってしまうような勢いで家の中に入って来たのだ。驚いてあたしが目を丸めて、美智子さんは溜息をついた。恐らく女の子のするべきことが分かっていて横に退いた水無瀬も同じ様に溜息をつく。
女の子は家の中に転がり込むと、あたしと美智子さんを一瞥もせずに水無瀬に向いた。
見た目だけで判断するとあたしや水無瀬と同い年に見える。ミディアムロングの黒髪にぱっちりとした茶目。雰囲気から既に明るさや元気さが現れていて、ずいぶんと可愛らしい女の子だ。
「避けるなんてひどすぎ! もう聞いてよ愁也! お兄ちゃんが、お兄ちゃんがぁあああ!」
「うるっせぇよ。お前の突撃なんて受けたら即死だよ即死」
「ひど、酷い! 人を突撃マシーンみたいに言わないでよ!」
「だってそうだろ?」
「違うよ!!」
飛び上がって水無瀬に叫ぶ女の子を、水無瀬は軽くあしらってから再び台所へ進んで行く。
....ってか水無瀬が猫かぶってないってことは....家族? いや、家族だったら一緒に住んでるだろうし....。いや、従妹とかかもしれないな。水無瀬のこと名前で呼んでるし....。
マジで誰だこの子。
美智子さんは水無瀬の後ろ姿を微笑を浮かべてから追って行き、あたしは困惑したままだったけど美智子さんの後を追おうとした。
が、
「...ちょっと」
後ろから聞こえた声に驚いて振り向くと、女の子はさっきの態度からは予想がつかないような顔つきであたしを睨みつけていた。
....え、何。あたしなんかした?
「....な、何ですか?」
聞いても返答はない。
女の子はすっと視線を横に滑らせると、隣に立っている美智子さんに視線を定めた。美智子さんが無言に見返してる。
....な、何なのこれ。ってか水無瀬もそんな所で立ってないでなんとか言えよ!
「...美智姉...。この子誰? なんでここにいんの?」
「友達。あたしがお茶に誘ったんだよ」
「友達って、高校生じゃん。はじめて見るんだけど」
「当然でしょ。そんな頻繁に連れて来てるわけじゃないんだから」
素っ気なく言い放つ美智子さんを見て、この子のことが好きじゃないってなんとなく感じた。女の子の方はその態度に対して得に何かを感じた様な素振りは見せず、ジロジロとあたしを見回してからふーん、と口にした。
....何なの? この失礼な子は。
「夏菜。用があるんだったらとっとと言えよ。俺達だって暇じゃねぇんだ」
プチ修羅場を目にしてながらも至って冷淡に水無瀬が言うと、さっきまで座っていた椅子に再び腰を降ろした。美智子さんもベンチに立ってお茶を入れ始めて、あたしも流れでさっきまで座ってた椅子に座った。
夏菜と呼ばれた女の子はズカズカと台所に入って来ると水無瀬の態度に眉を寄せた。
「なんで愁也はそうやって冷たいのさ! 遊びに来ただけなのに!」
「遊びに来ただけなら俺達に遊ぶつもりはないからさっさと返れ」
「ひどーい!!」
溜息混じりに言う水無瀬は本当になんというろくでなし。だけど夏菜ちゃんはその態度が普通なのか、深く傷ついた素振りは見せていない。それ所か当たり前のように水無瀬の隣の席に座った。
瞬時に水無瀬の眉間のしわが寄る。
「....帰れって言っただろ」
「帰りたくないもーん。美智姉のお茶も飲んでいきたいし」
「てめぇのお茶なんて淹れてねぇよ」
「じゃあ愁也の貰うし」
「ざっけんな」
水無瀬の声色に、心底迷惑がっていることが分かる。別にあたしだって水無瀬のことをよく知ってるわけでもなんでもないけど、その態度に屈しない夏菜ちゃんすげぇ。
っていうか、誰なのこの子。
「....あの」
声をかけると、全員があたしを見た。
「え、いや、あの、紹介は、してくれないわけ?」
あたしの発した言葉に水無瀬が眉をあげて、なぜか夏菜ちゃんに睨まれた。なんなのさっきから。
「あぁ? 紹介されてぇのかよ」
「そういうわけじゃなくて! いや、そうだけど! 普通は紹介するでしょ? 礼儀だよ礼儀!」
「面倒くせぇなぁ」
「そんなことくらいで面倒くさがらないでよ!」
はぁ、と水無瀬が溜息をついた。
「こいつは市村夏菜。近所に住んでる俺と姉貴の幼馴染みだよ。んで、夏菜、こいつは同じクラスの有賀」
「あ、有賀彩那です。よろしく」
「....市村、夏菜です」
....え、なんでそんな不服そうな顔であたしを見るの?
ってか水無瀬と美智子さんの幼馴染みか。なるほど。そりゃぁ猫かぶりはできないわけだ。名前で呼んでるのも納得できる。でも、夏菜ちゃんが水無瀬と美智子さんの猫かぶりを知ってても誰にもバレてないってことは、やっぱり口止めされてるのか?
.....いや、本当にどうしてそんなに睨むの?
「............」
じとーっ。
「...........」
じとーーっ。
「...........」
じとーーーっ。
「何なの!?」
我慢が出来なくて叫んでも夏菜ちゃんの視線は揺らがない。
何なの!? あたしこの子になんかしたの!? 初対面でしょ!?
椅子から立ち上がって叫んぶあたし。微動だにしない夏菜ちゃん。それをつまらなさそうに見る水無瀬。そして笑いながら見ている美智子さん。いやいや、ここは助けようよ。
溜息と共に椅子から水無瀬が立ち上がったので、おっ、助っ人が入るかと思ってる矢先。
「着替えて来る。体育着暑いし」
「わかったー」
「え、ちょ、水無瀬!?」
助けろやゴラァ!! あんた絶対あたしが夏菜ちゃんに睨まれてる理由分かってるだろうがぁああああ!!
と切実に視線で訴えても、水無瀬はあたしをチラリと見てからふんっと鼻を鳴らすと階段を登って行く。
は、鼻で、鼻で笑いやがったぁああああああああ!
「...あんの野郎...っ!!」
と、水無瀬が二階に消えた瞬間、夏菜ちゃんは水無瀬のために置いてあった湯のみを掴むと、ダンッと勢い良くテーブルに置いた。驚いてあたしの肩が揺れた。
な、何?
「....単刀直入に聞くけど、あんた愁也の何?」
「.............はい?」
え、いきなり何この子。
.....本当に目が点になったんだが。
「愁也の何って聞いてるんだけど」
「.....クラスメート、ですけど?」
なんだこの子。いきなり失礼になりやがった。しかも横で傍観してる美智子さんは何も言わないわけ? マジ? 一人で片付けろ? ってか攻撃ってこのことかよ水無瀬....っ!!
無難に(っていうか実際そうだし)クラスメートと答えると、余計夏菜ちゃんの眉間のしわが寄る。
「ただのクラスメートの癖に、どうして愁也が猫かぶってないのよ」
「............」
今『ただの』ってものすごく強調したよね。しかもクラスメートの『癖に』だぁ? クラスメートであったら悪いのかおらぁ。
はっ、ヤバい。落ち着け彩那。キレてはいけない。
「....とある事情で、知っちゃったのよ」
「とある事情? 何それ。なんで愁也が猫かぶってること知っててこうやってノコノコ遊びに来たのよ」
ピキッ。
「...別に水無瀬に会うために来たわけじゃないわ」
「嘘つかないでよ。それ意外にどうして来るの? 愁也の猫かぶってない性格を知って惚れたんでしょ?」
「..............」
はい?
「どうしてそこに『惚れた』が出てくるのか聞いていいかな」
「猫かぶってる愁也の性格をしって好きにならない子はいないもん。そういう奴だもん、愁也って。だけど猫かぶってない性格を知りながらもこうやって愁也と関わってるってことは惚れてるってことでしょ?」
「.......全然違うんだけど」
「じゃあどうしているのよ! 愁也のことが好きでもなんでもないんだったらノコノコ遊びに来ないでよ! 愁也はあんたみたいなウザイタイプなんて嫌いなんだから!」
「..........」
ウザイって言いやがったぞこのアマ。
「あの、全然一切惚れてないから水無瀬のタイプとか関係なくない?」
「愁也にはこれ以上近づかないで! 愁也にはあたしがいるから、あんたみたいなのは必要ないの!」
「...........」
ははーん。
つまりなんだ。この子、あたしに嫉妬してるわけ? 猫かぶってない水無瀬があたしと普通に会話をしてるのを見て嫉妬したわけ? つまりは水無瀬のことが好きってこと? やば。こんな分かりやすい好意見た事ない。
ってことはあたしより鋭い水無瀬は当然夏菜ちゃんの好意には気づいてるってことか。美智子さんも知ってるっぽいな。攻撃ってのは夏菜ちゃんがあたしに嫉妬することを見越しての言葉か。ってか知ってるんだったら止めろや水無瀬。
.....なんで次から次へとこんな厄介ごとに絡まれるのよ、あたし。
「とにかく絶対に愁也のことは好きにならないで!」
「....いや、全然一切好きになる予定はないので」
「距離も置いて! 愁也にはあたしがいるんだから、あんたはいらないの!」
「.........」
....この野郎...っ。人を道具みたいに言いやがって...っ!
「夏菜。いい加減にしなよ。彩那ちゃんは愁也には惚れてないって言ってるじゃん」
溜息混じりに横から美智子さんの助け舟が入る。やっとかよ。もうちょーっと早く助けてくれても支障はなかったんだけど。
美智子さんの言葉に夏菜ちゃんはぶすっとしたけどそれ以上何かを言う事はなかった。再び溜息を吐いて美智子さんはあたしの前に湯のみを置くと、そこに緑茶を注いだ。
「....ありがとうございます」
沸々と沸き上がっていた怒りをなんとか落ち着かせて、あたしは注がれたお茶を口にした。丁度いい苦さが口に広がって、一瞬にして幸せな気分。お茶って本当に極楽な気分になるよね。とくに緑茶は大好き。マジ愛してる。
ふぅ、と満足そうに息を吐くと、美智子さんは微笑を浮かべて自分にもお茶を注いだ。
「ごめんよー、彩那ちゃん。夏菜ってほんとに嫉妬深くて、今まで愁也と関わって来た女の子をみんな追っ払ってんだよねー」
「....はぁ...」
「うるさいな! 美智姉だって知ってるんだったら協力してよ!」
「嫌だね。あたしは愁也に嫁が出来るんだったら夏菜より彩那ちゃんがいい」
「...ちょっと美智子さん...」
「美智姉酷い!!」
「酷くないわよ。誰だって普通そう思うでしょ」
「酷い!!」
.....いや、夏菜ちゃんにめっちゃ悪印象を抱いたあたしでもその発言は酷い。美智子さんって、ほんと夏菜ちゃんが嫌いなのか....。いや、でもそこまで言わなくてもよくない?
夏菜ちゃんに冷たい表情をしながらも、あたしに顔を向けるとにっこりと美人お姉さんスマイルを向けていた。
....なんという扱いの差。
「それにしてもそろそろ遅くなって来てるから、お茶を飲んだら愁也に送らせるね♪」
「え、いや、いやいや。その必要はないよ美智子さん。あたし一人で帰れるし」
「何言ってんの! 真っ昼間でも女の子のお客は絶対に送るのがうちのポリシー!」
「何そのポリシー!?」
その心遣いはとても嬉しいけど水無瀬になんて送らせてほしくないし! 美智子さん絶対わざとだろ!
「ゴタゴタ言わねぇでさっさとお茶飲めよ。送ってくから」
背後から聞こえて来た声に湯のみを持ったあたしが固まる。そのまま恐る恐る振り返ると、私服に着替えて水無瀬が面倒くさそうに階段を降りて来ている。くそっ、好きじゃないけどかっこいいなお前!
ってかちょっと待てよ。『送ってくから』? こいつ今『送ってくから』って言った?
「え、ちょ、止めてよ! 何企んでんの!? 借りでもつくらせてもっと口止めするつもり!?」
「....人の親切心に『何企んでんの?』はねぇだろお前」
「だって水無瀬があたしを送る理由が分からない!」
「だから俺んちのポリシーだって姉貴が今言っただろーが」
「いやいやでもさ!」
「そうだよ!」
なおも信じようとしないあたしの後ろでダンッと音がして、振り向くと夏菜ちゃんがテーブルに手を叩き付けて立ち上がっていた。
....地雷踏んでしまったか?
「なんで愁也がその子送るの!? 一人で充分帰れるでしょ!」
必死の夏菜ちゃんの叫びにしかし水無瀬も美智子さんも完全無視。
.....この姉弟厳しすぎるだろ....。
水無瀬はまるで夏菜ちゃんがいないのようにズカズカと近寄って来ると、自分の湯のみを掴んだ。それから一気にそれを飲み干して、あたしに向く。
え。
「だからさっさと飲めよ。俺だって送って行きたいわけじゃねぇし早く出て行ってもらいたいし心底面倒くさいけど女を一人で帰らせるわけにもいかねぇだろ」
「............」
なんだこいつ。いいこと言ってるっぽいけど腹立つぞ?
言われなくても帰ってやるわ!
手元にあった湯のみを口に運んで一気に飲み干すと、苦さで一瞬むせそうになった。でもこらえる。それからお茶を全部呑み込んで湯のみをダンッとテーブルに置くと、あたしは美智子さんと夏菜ちゃんに向いた。
「お茶ありがとう、美智子さん。会えてよかった。.....夏菜ちゃんも」
「いいのいいのー。また今度遊びに来てね」
「...馴れ馴れしく名前呼ばないでよ」
「...........」
夏菜ちゃんと仲良くなろうとは思わないほうがいいかも。
クルッと水無瀬に向き直ると水無瀬は既に玄関に向かっていた。あたしは美智子さんと夏菜ちゃんに小さく礼をしてからその後を追った。一度も振り返らずに進んで行く水無瀬の後を追ってあたしは斉木家を後にした。
........それにしてもおかしな気分だ。お互い反発してるのになんで水無瀬に送られてるの? あたし。いや、斉木家/水無瀬家のポリシーだからなんだけど。それでもなんだか変な気分だ。
そういえば、こんな無言で歩いてても気まずいだけだし、夏菜ちゃんのことでも訊くか。地雷踏みそうだけど。
「そういえばあんたさぁ、夏菜ちゃんの気持ち知ってんでしょ?」
案の定睨まれた。
「知ってるよ」
「...やっぱり...」
「むしろあの態度で気づかれない方が難しいだろ」
「だよねー。嫉妬心丸出しだったしねー」
「だから攻撃されるかもしれねぇって言っただろ」
「ってか知ってんだったら先に言ってよ!」
「なんて言ってほしかったんだよ。『夏菜は嫉妬深いから気をつけろ』? 『俺のことが好きだからお前と俺が話すのを見たら攻撃してくるかもしれないぞ』? んなこと言って、お前がはいそうですかって受け入れんのかよ」
「...........」
ま、まあ確かにそんなこといきなり言われても多分あの状態のあたしだったら『は?』で終わっただろうな。.....言われなくても『は?』で終わってたし。いや、それでもちょっとくらい注意してくれてもよかったような.....。
再び沈黙に陥って、今度は昨日言われたことを思い出して聞いてみた。
「そういえばあんたさ、昨日知ってたら怖いとか言ってたじゃん? あれなんのこと?」
「.....姉貴のことだよ」
「...? なんで美智子さん?」
「姉貴が藤ケ丘の子を時々お茶に誘うってこの前言っててさ、その人物の説明がお前みたいだったから気になったんだよ。案の定お前だったけど」
「......そういうことか....」
「ああ。ん、じゃあ家についたから」
「へ?」
....ほんとだ。いつの間にかついてる。ってかこいつなんであたしん家知ってんの? あれ? あたしが言ったのか?
ヤバい。なんかいろいろありすぎて記憶が追いつかない。
「んじゃ、二度と姉貴のお茶の誘いには乗るなよ」
あたしが家に入る所で水無瀬が言い、驚いて振り向いた。既に水無瀬は歩き出していたからその後ろ姿に呼びかける。
「は!? なんで!」
「なんで家にいる時までお前と関わってないといけねぇんだよ」
「美智子さんが誘ってくれるんだから仕方がないでしょーが!」
「だからそれに乗るなっつってんの。ただでさえ学校で会うのに家でも会いたくねぇよ」
「あんたの都合で決めんなーーーっ!」
なんなのあの自分勝手な野郎は! あたしがあいつの秘密握ってんの分かっててそんなこと言ってるわけ!? っていうかここまでされても秘密ばらさないあたしって優しすぎない!?
はぁ、と溜息をついてから家に入ると、台所の方でお母さんとお父さんの声が聞こえる。さすがに喧嘩はしてないみたいだけど、声音だけで不機嫌なのが分かる。....あたしが出かけたことには気づいてたのかな?
ただいま、と呟いてから自分の部屋に戻ると、今日の出来事を思い返してみた。
.....ま、何はともあれ、忠実に送ってくれた水無瀬のことは、少し見直したかな。
土日までは多分更新はありません。ご了承ください。
ここまで読んでくれてありがとうございます。