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星降る夜に君は死んだ  作者: 天代 朔
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第8話  不穏な教室

 翌朝。

 警察の事情聴取で嘘を押し通し、重たい気分のまま夜を明かした直斗は、母親に半ば無理やり背中を押されるようにして登校した。遅刻ぎりぎりに学校へ着くと、校門前にはまだ数人の記者がたむろしており、その前を警備員や数名の教師が外敵を防ぐ防波堤のように守っていた。

 直斗は神経質に目を光らせる大人たちの間を通り抜け、うつむき加減に校門をくぐった。校舎へと続く埃だらけのアスファルトの道はいつもよりずっと長く、灰色に澱んで感じられた。


 三階に上がり、教室の引き戸を開けた瞬間、直斗はその異様な空気に足を止めた。それは、いつもの騒がしいおしゃべりとは違う不気味な囁き声と、互いの顔色を窺い合うような「視線の交差」が作り出す、刺すような緊張感だった。

 クラスメイトたちが直斗に気付く。おそらく彼らは、直斗が昨日、天文部の部員として天体観測に参加し、事件直後の現場に居合わせたことを知っているのだ。

 だが、事件について直接尋ねてくる者はいなかった。気をつかっているというよりも、北川先生が殺されたこと自体、口に出すのがタブーであるかのような重く暗い沈黙だった。


 それでも、直斗は努めて普段通りに振る舞おうと、「おはよ」と短く言って教室に入った。しかしその直後、一つの席が空いていることに気付いた。窓際の、前から三番目――麻衣の席だ。いつもだったらこの時間には必ず座っているはずなのに、今日は、からっぽの机と椅子が冷たく置かれていた。


(欠席か……)


 麻衣の繊細さを思えば、それは仕方のないことなのかもしれない。けれども、殺人事件の目撃者という立場を唯一共有している彼女の不在は、直斗に、自分だけが暗い闇の中に取り残されたような、何とも言えない不安感を抱かせた。

 

「……ねえ、結局北川先生って殺されちゃったわけでしょ」


 直斗は誰とも話さないまま、自分の席についた。鞄から教科書を取り出していると、教室の後ろの方で、生徒数人が顔を寄せ合って話す声が耳に入ってきた。


「ネットでもテレビでも大騒ぎなくせに、うちらにはなんも説明ないんだからおかしいよね」

「で、聞いた?」

「うん、犯人のことでしょ。ほら……あの、3組の尾崎武じゃないかって」

「えーっ、やっぱり?  あの人、なんか普段から変だったよね。いつも黙ってて何考えてるか分からないし、怖いオーラ出てたし」

「そうそう、なんかこの前、どっかの高校生相手に喧嘩して相手をボコボコにしたらしいよ」

「怖い! そういえば二年の時も、同級生に暴力ふるって問題起こしてたよね。親がヤクザって噂もあるし」

「そうなの?」

「うん。しかも昨日からずっと連絡取れなくて行方不明らしいよ。警察も家に行ったらしいし。アイツ、北川先生に前、めちゃくちゃ怒られたらしいからその腹いせだって」

「え、ほんと、それ――?」


 直斗は思わずノートの端をぎゅっと握りしめた。なんてことだ! 自分が真実を話すより前に、尾崎武が犯人だという噂が学校中に広まっている。「らしい、らしい、らしい」――それはまるで、目に見えない毒の霧のように、ありもしない尾ひれまで付いて漂っていた。


 確かに武は体格が大きく、高校生相手でも引けを取らないほど腕っぷしが強い。一見すると強面で言葉足らず、世の中を斜めに見ているようなところもある。だが、自分から暴力を振るうような真似は決してしない。彼が拳を握るのは、相手から理不尽に絡まれた時だけだ。

 直斗は知っていた。武という人間は、本当は、複雑な家庭環境に傷つきながらもじっと耐え忍んでいる、繊細な心の持ち主であることを。

 だから、「北川先生に激しく叱られた」という噂もたぶん嘘だ。いつも冷めていて感情を表に出さない武が、無闇に教師を怒らせるような真似をするはずがないのだ。


 やがてチャイムが鳴り、担任の教師、花村先生が教室に入ってきた。

 花村先生は三十代半ばの典型的な国語教師で、いかにも地味で真面目。結婚はしているらしいがガードが固く、生徒と打ち解けてプライベートの話をすることなど一切ない。殺された北川先生とは逆のタイプで、生徒に人気があるとは言えなかった。

 それでも、いつもなら「起立!」という元気な号令が響くはずだが、今日のホームルームは、まるでお通夜のような空気で始まった。


「……皆さんも知っての通り、北川先生が亡くなられました」


 普段ほとんど感情を露わにすることのない花村先生だったが、さすがに今日の声は沈んでいた。教壇に置かれた出席簿を握る手がわずかに震えている。


「警察の捜査が続いています。あなたたちの中にも話を聞かれた人がいるでしょう。不安なこと、怖いことがあれば、一人で抱えずにスクールカウンセラーの先生や、私たちを頼ってください。それから……」


 花村先生は一度言葉を切り、教室全体を見渡した。


「憶測で物を言うのはやめなさい。ネットやSNSに、根拠のない噂を書き込むことも厳禁です。いいですね」


 その言葉は、明らかに「武が犯人だ」と騒ぐ生徒たちを牽制しているように聞こえた。だが直斗には、その警告が逆に教室内の「武=犯人説」を強めているようにも思えた。


 時間割どおりに授業は始まった。だが、教室の空気は昨日までと明らかに別物だった。

 教師の声は一段低く、説明は途切れがちだった。上の空の生徒たちから反応はなく、ノートをとっても何も頭に入らない。教師自身にもそれを咎める気力はなく、ただ張り詰めた不安の中、重苦しい時間だけが過ぎていった。


♢ ♢ ♢


 その日、放課後の部活動はすべて中止された。生徒たちは速やかに下校するよう、教師たちからきつく指導された。だが、天文部のメンバーは例外だった。田中先生から、最後の授業が終わり次第、新校舎の図書準備室に集まってくれとあらかじめ言われていたのだ。    

 わざと帰り支度を遅らせ、一人で教室を出た直斗は、こっそりと職員室に向かった。図書準備室に行くには遠回りのルートだったが、今の職員室がどんな様子なのか、自分の目で確かめてみたかったのだ。


 階段を降りて廊下を進むと、ちょうど職員室の入口が半開きになっていた。気づかれないよう直斗がさりげなく中を覗くと、数人の教師が何やら輪になって話し合っているのが見えた。そしてその手前にある机の一つに、美しい白い花束が置かれている。北川先生の不在を告げるそれは、まるで遺影の代わりのように無言で佇み、かすかな花の芳香を職員室の外まで漂わせていた。


「お、滝沢、どうした?」


 背後から声をかけられ、直斗は驚いて飛び上がりそうになった。しかし振り向いて、声の主が田中先生だと分かると、少しホッとして肩の力が抜けた。


「あの……これから図書準備室に行こうと思って……」

「おう、呼びに来てくれたのか、すまないな。こんな時にみんなを集めたりして。じゃあだいたい用事は済んだから、一緒に行こうか」


 田中先生は普段通り爽やかに振る舞っていたが、目の下の深いくまが憔悴を物語っていた。同僚が殺されたうえ、天体観測に三十分遅刻したせいで、警察から厳しい取り調べを受けたのだろう。

 だが、犯人が田中先生がでないことは直斗が一番よく知っていた。犯行時刻、その瞬間、先生は屋上で自分たちと一緒にいたのだから。そして、それは同時に、直斗たち部員のアリバイの証明でもあった。昨日の聴取でよく分かったが、この異常な状況下では、生徒である自分たちもまた容疑者の一人なのだ。


 直斗と田中先生が図書準備室に入ると、すでに麻衣以外の天文部のメンバーが全員そろっていた。

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