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星降る夜に君は死んだ  作者: 天代 朔
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第7話  もう戻れない

 結局、その日は夜も遅いという理由で事情聴取は見送られ、直斗たちはパトカーでそれぞれの家へ送り届けられた。

 翌日、学校は臨時休校となった。

 校内で起きた殺人事件――しかも被害者が若い女性教諭という事実は、過剰なほどセンセーショナルに報じられ、校門前には朝から報道陣が詰めかけていた。

 生徒や教職員への影響も大きく、午後には保護者説明会が予定されている。

 だが、直斗と母・奈美恵はそこにはいなかった。二人が向かっていたのは、最寄りの警察署。

 未成年への事情聴取には保護者の同席が原則――だが、奈美恵はロビーで待機するよう指示され、取調室に入ったのは直斗ひとりだった。


 警察の取調室は、想像以上に狭く、息苦しかった。

 灰色の壁、金属製の机、床に固定された椅子。

 高い位置の小さな窓から差し込む光は、時間の感覚すら曖昧にする。

 直斗は椅子に座らされ、机越しに二人の刑事と向かい合った。

 一人は五十代半ばだろうか、腹の出た体型で、くたびれたスーツを着ている男――山田という刑事。目つきは鋭く、黙っているだけで圧があった。

 もう一人は若い女の刑事で、一ノ瀬と名乗った。整った顔立ちに穏やかな口調。だが、やはり目だけは笑っていない。まるで直斗の表情の奥、言葉になる前の思考を測っているようだった。


「緊張してる?」


 一ノ瀬がやさしく声をかけ、紙コップを机の上に置いた。


「ココア。甘いから、少し落ち着くよ」

「……ありがとうございます」


 直斗は両手でコップを包んだ。温かさは確かにあるのに、指先の震えは止まらない。

 いきなりココアを出すなんて、まるで子ども扱いだが、直斗にはそれすら何かの罠のように感じられた。


「こんなところ来るの初めてだよね」

「は、はい」

「あんまり居心地がよくないかもしれないけど、別に君を犯人扱いするわけじゃないから安心してね」


 一ノ瀬刑事は緊張をほぐすため冗談を言ったつもりらしいが、直斗はまったく笑えなかった。むしろ顔が引きつってしまう。


「昨日の夜、何があったのかを聞くだけだからね」


 聞くだけ――

 その言葉を信じられるほど、直斗は無垢ではなかった。

 

「最初に、あなたの名前と学年を教えて」


 一ノ瀬刑事は手元の調書に目を落としながら直斗に聞く。

 直斗は自分のフルネームと、中学三年生であることをボソッと言った。


「OK。じゃあまず滝沢君、あなたが昨日の夜、屋上にいた理由を聞かせてください」

「……天体観測です。天文部の活動で」

「何時ごろから始めたの?」

「だいたい午後七時くらいです」

「その場にいた部員は?」

「自分の他は、部長の七瀬さんと――」


 直斗は、星野恵をはじめとする部員全員の名前をそのまま言った。もちろん嘘はない。

 だが、刑事との何気ない会話中でも、何かあらぬ疑いをかけられるような居心地の悪さをずっと感じていた。

 

「……なるほど。部室から望遠鏡や機材を全員で運んだと。つまり全員同時に屋上に出たということね」

「はい、七瀬部長が先生から預かった屋上のドアの鍵を開けました」

「先生って、天文部の顧問の田中先生? 先生は観測に参加しなかったの?」

「いいえ。でも最初はいなくて、後から様子を見に来て、それからはずっと一緒にいて色々教えてくれました」

「後から来た――」


 一ノ瀬刑事は調書を見ながら、細い眉をピクリと動かした。


「それは何時ごろ?」

「……七時四十分ごろだと思います」


 その瞬間、ずっと立って聞いていたもう一人の山田という中年のベテラン刑事が、低い声で割り込んだ。


「ごろだと思います――か。じゃあ、確実ではないのか?」

「……えーと、いえ、天体の動きを観測するため時計をまめにチェックしてたから間違いないです」

「ああ、そう」


 山田刑事は一度だけ頷き、それきり何も言わなかった。

 だがその視線は、じっと直斗の顔に貼りついたまま離れない。

 ――見られている。

 何を考えているのか、どこで嘘をつくのか。

 それを待っているような目だった。


「では質問に戻るけど――」


 一ノ瀬が空気を切り替えるように口を開き、直斗はかすかに息をついた。


「では質問に戻るけど、それからあなたは事件が発覚するまで何をしてたの?」

「はい……天体望遠鏡で観測を続けました。そうしたら――八時過ぎごろ、七瀬部長が何かを見て驚いて、使っていた双眼鏡を落としたので、それを拾って旧校舎の方を見ました」

「なんで旧校舎を見たの?」

「それは、七瀬さんが見ていた方角にレンズの向きを合わせただけです」

「で、双眼鏡には何が映った?」


 来た――。

 直斗は喉の奥で唾を飲み込む。


「……はい、旧校舎の二階の廊下を、誰かが走って逃げていくのが見えました」

「どっちからどっち?」

「右から左です」

「いま誰かがって言ったけど、知らない人だった?」

「知らないと言うか、顔は見えませんでした。その――わりと距離があったし、暗かったので」

「他には?」

「旧校舎の廊下に誰か倒れているのが窓越しにちらりと見えました。でも、うつ伏せだったのでその時は誰かわかりませんでした」


 一ノ瀬刑事は、こまめにメモを取りながら、聴取を続ける。


「それからどうしたのかな?」

「旧校舎の様子を見に行こうと屋上から出て走りました」

「真っ先に一人で行ったんだよね。怖くなかった?」

「そんなこと考えなかったです。人が倒れているのは分かったので、とにかく助けなきゃと思ったので」


 どちらかと言えば、『廊下を走って逃げる武』の方が気になったのだが、もちろん直人はその点、何も言わなかった。


「で、旧校舎の廊下で何を見たの?」

「倒れている北川先生を見つけて助け起こそうとしました」

「亡くなっているとは思わなかった?」

「……そんなこと、とっさには思いません」

「現場に他に人影はなかった?」

「はい。あとから田中先生や七瀬さんが後を追ってきましたが、それまでは僕と北川先生だったと思います」


「ふうん」


 山田刑事が、低く相槌を打つ。

 窓の方に体を向けたまま、こちらを見ようとしない。

 だが次の瞬間、唐突に振り返った。


「で?」

「え……」

「“誰か”って、便利な言葉だよなあ」


 山田刑事の口元が、わずかに歪む。


「知らない人でした、で済むもんな。楽でいいよな」

「……だから、顔が、よく見えなかったので」

「見えなかった、ねえ」


 ゆっくりと近づいてくる。靴音がやけに大きく響いた。


「暗かったから?」

「……はい」

「へえ――でもさあ、おかしいよなあ」


 山田刑事は直斗のすぐ横に立ち、机に手をついた。

 逃げ場を塞ぐような位置だった。


「おじさんたちもね、ちゃんと確認してるんだよ。君がいた屋上から、同じ型の双眼鏡で」


 そこで、初めて直斗は山田刑事と目が合った。


「――結構、はっきり見えたんだけど」

「……あっという間だったので」

「ふうん。じゃあさ」


 山田刑事は、間髪入れずに重ねた。


「きみ、視力、いいよね?」

「……はい」

「だよなあ。その逃げってた奴、顔は無理でも、服とか、体格とか、歩き方とか。なんかあるでしょ普通」

「本当に一瞬で……でも、黒っぽい服でした」

「黒っぽい、ねえ」


 こっちが中学生だから軽く見て、バカにしている。

 直斗は、山田刑事のその露骨に不遜な態度が、とにかく不快だった。


「で? 本当にそれだけ?」

「はい……」


 沈黙。

 山田刑事はしばらく直斗を見つめ、やがて小さく息を吐いた。


「……まあいいか」


 そう言いながらも、納得した様子はない。

 窓の方へ戻りかけて、ふと思い出したように振り返る。


「ああ、そうだ、七瀬さん、いたよな。部長の」


 直斗の心臓が一拍、強く鳴った。


「あの子さ、“首絞められてるとこ見た”って言ってるんだよ。でも犯人の顔は見てない、って」


 山田刑事は軽い口調だったが、その目はまったく笑っていなかった。

 

「おかしくない? 同じ双眼鏡で見てるのにさ。二人とも顔が分かりません、って」

「それは……七瀬部長のことは知らないですけど、俺は本当に分かりませんでした」

「お前、本当かぁ、それ?」

「は、はい……」


 まるで凶悪犯を尋問するかのような山田刑事の乱暴さ。

 一ノ瀬刑事がさすがに見とがめたのか、「警部補、ちょっと――」と、小声でたしなめた。

 山田刑事は「おう」とうなずき、取調室の窓側に戻った。


「まあ別に犯人をかばう理由もないもんなあ、君には」


 しかし今の山田刑事の話が本当なら、やっぱり麻衣は、あの時、武の姿は見なかったということになる。

 麻衣だったら、自分のように警察に嘘の証言をすることはないだろし――

 直人はそれが分かっただけで、ずいぶん胸が軽くなった。


 結局その後、直斗は武のことは黙ったままで通し、取り調べが終わったころには、頭はぼうっとして、口の中がカラカラになっていた。

 そのせいか、取調室を出ると、廊下の空気がやけに軽く感じられた。

 しかし、安心は一秒も続かなかった。

 ロビーで待っていた母親の奈美恵が、イライラした様子で直斗をにらみつけてきたのだ。


「本当にもう……」


 それが第一声だった。

 直斗をいたわるような気持ちは、微塵も感じられない。


「どうだったの、何聞かれた?」

「別に、昨日のこと話しただけだよ」

「まったく、面倒なことに巻き込まれて」


 直斗には、奈美恵がいつも以上に不機嫌な理由がわかっていた。三年生という高校受験を控えた年に、急に天文部に入ったことが、前から不満だったのだ。そこへきて、今回の事件が起きてしまった。間が悪いなんてもんじゃない。

 直斗は、たださえぎくしゃくしていた親子関係が余計に悪化しそうな気 がして、さらに憂鬱な気分になった。

 そこへ――


「……だから言ったじゃない。今さら部活だなんてやめときなさいって」


 奈美恵は、ほら見たことかといった顔で、大きなため息をついた。

 さすがにムカッとき直斗は、思わず強めに言い返す。


「そういう言い方ないだろ! 北川先生が亡くなったのに」

「それはお気の毒だったけど、これとは話が別!」

「別じゃないだろ!」

「もう口答えはいいから! どうせしばらく天文部も活動できないだろうし、この先は受験に専念しなさい!」


 その言葉に、直斗はもう争う気力もがなかった。警察の長い取り調べのせいで、身も心も疲れ切っていた。


「さあ、帰るわよ。学校は明日から再開するそうだから、きちんと登校しなさい」


 奈美恵はそう言って、さっさと出口へ向かう。

 直斗は、その背中を追いながら思った。

 俺は、警察に嘘をつきとおした。あの場所に武がいたことは、たぶん自分以外、誰も知らない。

 もう、元には戻れない。重い荷物を背負ってしまったのだと――



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