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星降る夜に君は死んだ  作者: 天代 朔
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第6話  信じる心

 闇の中にぼんやりと浮かび上がる旧校舎の空き教室は、まるで一枚の静止画のように動きがなく、そこだけ時間が切り離されたかのようだった。

 古びた蛍光灯の冷たい光は、生徒たちの顔から色を奪い、目の下の影や震える唇を必要以上に強調し、全員を死人のような顔に変えてしまう。そこには叫ぶ者も、泣き出す者もいない。ただ暗い沈黙だけが、殺風景な教室の空気を重く澱ませていた。


 やがて遠くの廊下から、誰かの慌ただしい足音と、無線機の短いノイズが聞こえてきた。

 ――警察が、確実に校内へ入り込んでいる。これは夢ではない。本当に目の前で起こっているのだ。

 その現実が、じわじわと直斗たちの神経を締めつけていた。


「ここで待ってて。勝手に動かないで」


 麻衣の声は落ち着いていた。だがどこか乾いていて、言葉だけが先に転がっていくようだった。

 直斗はその背中を見つめながら、屋上で見せた蒼白な横顔を思い出す。双眼鏡を落とした瞬間の、あの表情。

 ――何かを見てしまった顔だ。


 今なら聞ける。

 いや、聞かなければならない。どうしても麻衣と二人で――。


 直斗は、ざわめきが一瞬だけ緩んだ隙を逃さず、麻衣の袖を軽く引いた。


「……麻衣。来て」


 麻衣は少しためらうように視線を揺らしたが、小さくうなずいた。二人は教室の後方へと静かに移動する。

 ロッカーの陰は蛍光灯の光が直接届かず、影が濃く落ちていた。誰にも聞かれない距離まで近づいたとき、直斗は麻衣の息遣いがわずかに乱れていることに気づいた。


「……さっきさ」


 直斗は、声を極限まで落とした。


「双眼鏡で……何を見た?」


 麻衣の肩が、はっきりと震えた。

 その反応だけで、答えはもう半分わかってしまったような気がして、直斗は奥歯を噛みしめた。

 教室の前方から、誰かが鼻をすする音が微かに届く。蛍光灯が、じっと低い音を立てている。そのすべてが、異様に大きく感じられた。


「……見ちゃった」


 麻衣は、ほとんど囁くように言った。その声はひどく細く、今にも切れそうだった。


「屋上から、旧校舎の廊下を……」


 直斗の喉が、無意識に鳴った。


「北川先生が……」


 一度、言葉が途切れる。麻衣は自分の白い腕を強く抱きしめた。爪が食い込み、指先が赤くなる。


「……誰かに、襲われていた」


 その一言が、直斗の中にかろうじて残っていた希望を、容赦なく踏み潰した。分かってはいたが、これは間違いなく殺人だ。

 そして犯人は――。


「先生、すぐにぐったりして……倒れた」


 その光景を思い出したのか、麻衣の瞳が遠くを見るように揺れた。直斗は、それ以上の描写を聞いてはいけない気がして、言葉を挟むことができなかった。

 つまり麻衣は、その瞬間――殺人の瞬間を目撃したのだ。


「……犯人の顔は?」


 しばらくの沈黙のあと、直斗はそう尋ねた。声が上ずるのが自分でも分かった。

 麻衣は一瞬言葉に詰まり、そして言った。


「……見てない」

「ほんと?」


 麻衣は口を開きかけて、閉じた。

 視線がゆっくりと床へ落ちていく。唇を噛み締め、そのまま、首を振ることも肯定することもできずに立ち尽くす。


「うん、後ろ向いてたから背中しか見えなかった。それで驚いて、双眼鏡落としたから……」


 そう言うと、麻衣は口を閉ざした。直斗はその硬い表情から、これ以上話したくないという強い意志を感じ取った。頑固で生真面目――麻衣は昔からずっとそうだ。

 そんな頑なな麻衣を前に、直斗はどう言葉を選んでいいのか分からなかった。

 少なくとも、もし本当に麻衣が犯人の顔を見ていないのなら、武のことは言わない方がいい。殺人現場を目撃しただけでも十分ショックなのに、それが武だったと知れば、麻衣の心は取り返しのつかないほど深い傷を負ってしまうだろう。


「俺もあまり見えなかった」


 直斗が思い切ってそう告げると、麻衣の顔がはっと上がる。


「誰かが倒れているのと、走って逃げていく人影だけは見た。遠かったし、あっという間だったからな」

「そう……」


 麻衣の表情が、ほんの一瞬だけ安堵で緩んだように見えた。だがそれも、すぐに元の暗い表情に戻ってしまう。

 それを見て、直斗の中にひとつの不安がよぎった。


 ――麻衣は、本当に武の姿を見ていないのか。もしかしたら武をかばって、俺に嘘をついているんじゃないのか?


 二人の間に、再び沈黙が訪れた。それはほんのわずかな時間だったかもしれない。しかし直斗には、その何倍にも長く感じられた。


「とにかく、これから警察にいろいろ聞かれると思うけど、麻衣には俺が――それに武もついているから」


 ようやく直斗が口を開く。あえて武の名前を出したのは、麻衣の反応を見るためでもあった。


「うん、そうだね」


 麻衣の表情と声にわずかな生気が戻り、直斗はほっと胸をなでおろした。

 やはり麻衣は、あの時に犯人の顔も武の姿も見ていなかった。ただ「人が殺される」という凄惨な場面を目撃し、言葉を失うほどの衝撃を受けていただけだ。

 その事実は、直斗にとって小さな希望へと変わった。麻衣が武を見ていないということは、北川先生を殺した犯人が武ではない可能性があるからだ。


「えーと、みんな、ちょっといいかな?」


 そのとき、教室の引き戸が乾いた音を立ててガラリと開いた。

 室内に、中学校には場違いな制服を着た警官が入ってくる。いよいよだ。これから、今夜あの場所で何があって何を見たのか、細かく事情を聞かれることになるだろう。

 直斗はいったん麻衣から離れ、近くの席に座り、腹を決めた。


 ――武のことは、今は警察には黙っていよう。


 双眼鏡で見た、暗闇の中に浮かび上がる、廊下を走る武の必死の表情。しっかりと目に焼き付いてしまったその光景をありのままに証言すれば、武は取り返しのつかない場所へ連れていかれてしまうかもしれない。

 真実がどうであれ、だ。

 まずは武に直接会わなければならない。そして、何としても本人の口から、なぜあの場所にいたのかを確かめたい。

 それまでは、武を疑うのはやめておこう。あの秘密基地で同じ時間を過ごした仲間としてできるのは、それだけだ。

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