第5話 王国の完成
「やったな」
「やったね」
「……ああ」
完成した小屋の中に入り、直斗、麻衣、武の順に腰を下ろす。
多くを語らなくても、やり遂げた達成感と、不思議な連帯感が、三人のあいだに自然と生まれていた。
ふと、麻衣が口を開く。
「ここ、落ち着くね」
「家より静かだからな」
思わず、直斗と麻衣は武の顔を見た。
武が自分の家のことを口にしたのは、それが初めてだったからだ。
「……うち、母親がいると酒ばっか飲んでて、うるせえんだよ。普段は仕事で遅いから、なんとかなるけど」
「おまえ……」
「だから、ここがいい」
武は、小屋の壁にそっと手を触れた。
火を見つめるような、静かな目だった。
直斗も麻衣も、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
――こいつも、同じだ。
三人は、自然と寄り添うように座った。
言葉は少なくても、同じ孤独を抱えていると知った瞬間、柔らかな糸のようなものが、確かに結ばれた。
それからしばらくして、森に晩秋の気配が濃くなった頃。
その日、武はいつもの時間になっても現れなかった。
小屋の中で待つ直斗は、外の葉擦れの音がやけに大きく感じられて、何度も入口に目を向けた。
「遅いね」
麻衣が、小さな棚を直しながら言う。
平静を装っているが、指先がわずかに震えていた。
「……たぶん、家で何かあったんだ」
「大丈夫だよ、あいつなら」
直斗がそう言った直後、枯れ葉を踏む音がした。
武だった。
いつもより背中が丸く、歩幅も小さい。小屋に入るとき、わずかに体をかばうように身をよじる。
その瞬間、麻衣の視線が止まった。
「……武」
制服の襟元がはだけ、赤黒く変色した痣が覗いている。
「それ……どうしたの」
武は一瞬だけ動きを止め、顔を背けた。
「なんでもねえよ」
「転んだだけだ」
「……うそ!」
麻衣の声が、思った以上に強く響いた。
武の肩が、わずかに揺れる。
「……いいだろ、別に」
「よくないよ」
直斗も立ち上がる。近づくと、袖の下にも別の痣が見えた。指の形が、はっきりと残っている。
「それ、誰かにやられたんじゃないか?」
重い沈黙が落ちた。
小屋の隙間から吹き込む風が、三人の間をすり抜ける。
「……母親だよ」
武は、ぽつりと言った。
「ちょっと手が出ただけだ」
「ちょっとじゃない!」
麻衣の声が震える。
「殴られてるじゃん……こんなの」
「ババアも疲れてるんだ」
武は、自分に言い聞かせるように呟いた。
「仕事きついし、オレを食わせるためだし。それはわかってる」
「それでもだよ!」
麻衣は思わず叫ぶ。
「それでも、殴っていい理由なんてない!」
「いいんだ……それより、先生には言うなよ」
武は唇を強く噛み、低く言った。
「絶対に」
「でも……」
「言ったら、終わる」
顔を上げた武の目は、怒りではなく、はっきりとした怯えを宿していた。
「あんなのでも一応母親だ。警察に行けば、オレは施設送りだ」
直斗の胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「でも……武がこんな風に傷つくの、見てられない」
「大げさだな。こんなの、たいしたことねえ」
それでも麻衣は何も言えなかった。
「もう慣れてる」
「……慣れるって、何だよ!」
直斗は思わず叫んだ。
「そんなの、おかしいだろ!」
武は何も返さなかった。
ただ、足元の土を見つめて――ぽつりと言う。
「ここがあるから……大丈夫だ」
「え……?」
「ここに来れば、怒鳴られない。殴られない。ちゃんと、息ができる」
直斗は、ゆっくりと武の隣に座った。
麻衣も反対側に腰を下ろす。三人の肩が、そっと触れ合う。
「ここはさ」
麻衣が、静かに言う。
「帰りたくない子どもが、逃げてきていい場所だよね」
「逃げる、か。ちょっと情けねえな……」
「違うよ」
直斗は首を振った。
「生きるためだ」
「……生きるため、か」
武は小さく繰り返し、何度も瞬きをした。
「先生に言うかどうかは、武が決めればいい。それまでは俺も麻衣も、絶対誰にも言わない。……麻衣もいいよな?」
「……うん」
武の表情が、少しだけ緩む。
「……ありがとな」
気がつけば、辺りはすっかり暗くなっていた。
木々の隙間から、晩秋の夜空に青白い星が瞬きはじめている。
小屋の中に、静かな沈黙が落ちる。
けれど、言葉はいらなかった。
三人がここにいる理由は、同じだったからだ。
帰りたくない家があること。
心を傷つける声があること。
それでも逃げ場がなく、子どもでいるしかないこと。
――そして。
この場所は、ただの遊び場じゃない。
三人の心をつなぎとめる、小さな心臓のようなものだ。
三人は、少しずつ距離を詰めて座った。
触れ合うほどではないが、離れすぎない距離。
この小屋だけが、自分たちを守ってくれている気がした。
寂しさは消えない。
それでも、同じ寂しさを抱えた誰かが隣にいる。
それだけで、ほんの少し、夜を越えられる気がした。
柔らかく、切れそうで、それでも確かに結ばれた糸が、三人のあいだに静かに張られていた。
それからこの場所は、三人にとって、現実の息苦しさから逃れ、深く息をするための――かけがえのない「救いの場」になっていった。




