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星降る夜に君は死んだ  作者: 天代 朔
35/40

第35話  旧美術室の断罪

 その瞬間――


「待ってください! 荒井先生」


 今度は亜季がスッと手を前に突き出した。そこにも、画面がまぶしく光るスマホが握られている。


「その動画、私もコピーして持ってますよ。しかもですね、こういう時のために、あと一回送信ボタンをタップすれば、教育委員会の窓口と、ついでに某地元新聞のタレコミ用アカウントに動画を送れるようにしておきました」

「な、なんだと!」


 荒井がさらに我を失い叫んだ。

 だが、亜季はまったく動じない。


「先生、そんなに興奮しないでくださいよ。立派な社会人なんですから。それに私たちだって、無差別にSNSで不倫動画を拡散するなんて、品位のかけらもないことはさすがにしません。でも、この人差し指をちょっと動かすだけで、動画は一瞬で教育委員会や新聞社に送信されるのは事実です。だから、今ここでスマホを取り上げて力ずくで壊しても無駄ですよ。無意味な暴力はやめてくださいね」


 亜季の、悪魔のように甘く、そして容赦のない宣告。

 荒井の足が、床に見えない釘で打ち付けられたようにピタリと止まった。彼の筋肉質な巨体が、暴力衝動と、築き上げてきた立場をすべて失う恐怖の板挟みになって小刻みに痙攣している。


「……てめえら、教師を脅迫するのか。こんな違法な盗撮をして、ただで済むと思うなよ」


 荒井が怒りで顔を赤くしながら、必死に威厳を保とうと声を震わせて恫喝する。だが、その声の震えが彼の内心の恐怖をありありと物語っていた。

 一方の花村先生は、薄暗い教室の中でもはっきりとわかるくらい顔を蒼白にさせ、過呼吸のように肩を激しく上下させている。


「滝沢君……嘘でしょ? 私、あなたの担任として、ずっとあなたのこと気にかけてきたじゃない……」


 絞り出すような声で、花村先生がすがりつくように言った。その声は、普段のホームルームでの冷徹で隙のないものとは別人のように、弱々しく、そして卑屈だった。


「尾崎君の事件があって、あなたが傷ついてるって思って、私なりに親身になって接してきたつもりよ……! それなのに、こんな卑劣なマネをするなんて! 先生を脅して、恩を仇で返すつもりなの!? あなた、そんなひどい子じゃなかったじゃない!」


 花村先生はヒステリックに叫んだ。教師という立場と、「あなたを思っていた」という見え透いた恩着せがましさを盾にした感情操作に、直斗は強烈な嫌悪感を覚えた。

 北川先生、武、そして麻衣――理不尽に奪われた三人の命の重さの前では、この大人たちが口にするどんな取り繕いも、すべて等しく虚無でしかない。


「先生、俺たちをあんまり見くびらないでください。そんなくだらない感情論でごまかそうとしても無駄ですよ」


 直斗の冷たく、しかし怒りのこもった声が、旧美術室の埃っぽい空気に響き渡る。


「それに、卑怯で最低なのは一体どちらでしょうか? 生徒の目を盗んで不倫し、保身のためにその事実まで隠蔽しようとしている先生方のほうじゃないですか」


 直斗はスマホを制服のポケットにしまい、今にも崩れ落ちそうな二人の大人を真っ向から睨み据えた。


「俺は――今でも北川先生を殺した犯人は武ではないと確信しています。当然、武が麻衣を道連れにして無理心中したというのも事実とは正反対で、二人は『真犯人』に殺されたんです」

「何を今さら……! 警察の捜査で、とっくに結論が出てるじゃねえか!」


 荒井が吠えるように言い返すが、その声にはいつもの威圧感はなく、ただの虚勢にしか見えなかった。


「だから、その捜査自体が間違っていると言ってるんです。そこで俺が知りたいのはただ一つ」


 直斗は一歩、二人へ向かって距離を詰めた。

 窓から差し込む月明かりが、直斗の決意に満ちた横顔を照らし出す。


「北川先生が殺されたあの夜。あなたたち二人が本当は『どこで』『何を』していたか、です」

「……!」


 荒井の喉がゴクリと鳴り、花村先生の肩がビクッと跳ねた。図星を突かれた人間の、誤魔化しようのない反応だった。


「荒井先生。俺は事件後、武が死ぬ前に一度会って、あいつから直接話を聞いているんです」

「なにぃ?」


 想定外の言葉に、荒井の顔からさらに血の気が引く。


「事件のあった日、武は何者かからの偽の電話でこの旧校舎に呼び出され、そこで首を絞められて死んでいる北川先生を発見しました。これを自分をハメる罠だと直感した武は、慌てて逃げ出す途中、旧校舎の一室に荒井先生がいたのをはっきり見たと言っていたんです」


 直斗の鋭い視線が、荒井の背後に隠れる花村先生を射抜いた。


「そして荒井先生の隣には、もう一つ別の人影があったと……」

「わ、私じゃない! そんなの嘘よ!」


 耐えきれなくなった花村先生が金切声を上げ、荒井の背中にすがりつくようにして後ずさった。


「嘘? 俺はまだ一言も、その人影が花村先生だったとは言っていませんよ。武の話によれば、暗くてもう一人の顔は見えなかったとのことですし」

「あ……そ、そうなの……」


 自ら墓穴を掘ったことに気づき、花村先生はハッと息を呑んで口をつぐんだ。


「武はその事実を警察に言いました。自分が現場にいた時、荒井先生も旧校舎にいたと。だけど警察は聞く耳を持たなかった。むしろ武こそが北川先生を殺した犯人だと早々に決めてかかった。それはなぜか……」

「そりゃあ教師と、問題ばかり起こしてる不良生徒の証言を比べれば、警察がどっちを信用するかは明らかだろうが」


 吐き捨てるように言い返した荒井を、直斗は射抜くような鋭い視線で睨みつけた。


「じゃあ荒井先生、あなたはいったい北川先生の事件について、警察になんて証言したんですか? 武の言う通り、あの日のあの時間、あなたが旧校舎にいたのは事実なんですよね?」

「それは……そうだ。俺は夜の見回りをしていた。だから警察にもそう証言した。血相を変えて走って逃げる尾崎を見たともな。事実の通りだ」


 荒井の口調が急に歯切れ悪くなった。泳ぐ視線を隠すように、腕を組んで防衛的な姿勢をとる。

 直斗は、その明らかな動揺を見逃さなかった。


「見回り? それ、本当ですか? 実際は荒井先生が北川先生を殺し、あらかじめ呼び出しておいた武に罪をなすりつけようとした計画だったんじゃないですか?」

「ば、バカを言え! 俺が北川先生を殺す理由なんてどこにもない!」

「そんなことないでしょう? あんたが北川先生にストーカーじみた付きまといをしていたのは知っていますよ。それでも拒絶されてカッとなったか、あるいは不倫に気づかれて口を封じるために殺した。それが武にバレたから、心中を偽装するために麻衣と一緒に殺してしまった――動機としては十分すぎると思いますが」

「違う! お、俺はそんなことはしてない! 適当な作り話で俺を殺人鬼扱いするな!」


 必死に否定し、顔を振り乱す荒井に、今度は亜季がゆっくりと歩み寄った。


「……往生際が悪いですねえ。いい加減、あの夜本当は何があったか話してください。あなたたちはあの『レイクサイド』に行けなかったから、代わりにこの旧校舎で密会してたんでしょう? このまま黙秘を続けるなら、本当に動画を送っちゃいますよ。……3、2、1――」


 亜季が冷酷にカウントダウンを始め、スマホの画面をスワイプする素振りを見せた。


「待て! わかった、言う、言うから待て!」


 荒井は情けない裏返った悲鳴を上げ、ついに観念したように床に膝をついた。



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