第34話 教師たちの不都合な真実
日が完全に落ち、生徒たちもすべて下校した午後七時半。
夜の帳に包まれた薄暗い旧校舎は、まるで異界のように不気味な静寂を保っていた。
直斗と亜季は旧校舎の一階、かつて美術室として使われていた空き教室の隅に、前もって潜んでいた。
美術や図画工作に使う道具の類はすべて片付けられていたが、それでも部屋全体に染みついた絵の具や、木材か何かの独特のカビ臭さが鼻につく。
普段なら絶対にこない場所だ。
「しかし結構先輩も意外に大胆ですよねえ。わざわざ旧校舎のこんな気味が悪い教室に二人を呼び出すなんて」
しんと静まり返った教室に、亜季の声が響く。彼女は窓辺に寄りかかり、月明かりを浴びながら足をブラブラとさせている。こんな状況だというのに、まったく緊張している様子はない。むしろ、これから始まるゲームを心待ちにしているかのようだった。
「すべてはここから始まったんだ。あの夜、荒井と花村先生がこの旧校舎のどこにいて、何を見ていたのか。それに本当のことを白状させるには、あいつらが一番恐れている『現場』の空気を吸わせるのが一番効果的だろ?」
「でも、本当に来ますかねえ。無視して帰っちゃうかもしれないじゃないですか」
「来るさ。学校の公衆電話から匿名で職員室にかけて、荒井を呼び出したんだ。『事件の夜のお前たちの秘密をばらされたくなければ、午後七時半に不倫相手と旧校舎の美術室に来い。こっちは証拠を握っている』って言ってやった」
「そういえば事件の日、武先輩も電話で旧校舎に呼び出されたんでしたね」
「ああ、おそらく真犯人が北川先生の声色を作ってやったんだと思う。だから、こっちも同じ手を使ってやるんだ」
「もし、荒井先生が犯人なら、ですけどね」
亜季はそう言って、フフフと妖しく笑った。
……まったく。これから荒井と対決しようと身構えているというのに、相変わらず一言多いやつだ。
「……それを今から確かめるんだから、少し静かに待っていてくれ」
「まあまあ。でも、最初の事件が起きた夜、荒井先生と一緒にいたのが花村先生かどうかは、まだ確定したわけじゃないですよね? 花村先生は先輩の担任なんだし、もし違ったらえらいことになりますよ。大丈夫ですか?」
「あの日ここで武が見たのは、間違いなく荒井と花村先生だ。じゃなきゃ、電話口であんなに慌てるはずがない。俺は麻衣と武を殺した真犯人を突き止めるためなら、なんだってやる。――亜季、もし内申点でも心配してるなら今から帰った方がいいぞ。これに失敗したら、ただの生徒指導じゃ済まなくなるからな」
直斗の言葉に、亜季はクスリと笑った。
「まさか! ここまで来て引き下がれるわけないじゃないですか。私だってお姉ちゃんの復讐を果たしたいですし、何より……大人がボロを出して必死に這いつくばる姿って、すごく見応えがありそうじゃないですか」
無邪気な残酷さを孕んだ亜季の笑顔に、直斗は背筋に寒気すら感じた。だが今は、彼女の物おじしない態度と容赦のなさが、むしろ頼もしい気もした。
「そうだな……」
直斗は自分のスマホを強く握りしめた。手の中にあるこの小さな機械が、大人たちを縛り上げる唯一の武器だ。
――ギィィ……。
不意に、廊下の奥から重い鉄扉が開く音が聞こえた。
続いて、周囲を極度に警戒するような、しかし確かな大人の足音が二つ、こちらに向かって近づいてくる。一つは重く硬い靴音。もう一つは、小刻みでヒールの低いパンプスの音。
直斗は亜季と顔を見合わせ、大きく頷いた。亜季は素早く窓辺から降り、教室の暗がりへと身を隠した。
足音が教室の前で止まり、数秒の重苦しい沈黙の後、軋む音を立てて引き戸が勢いよく開かれる。
廊下の非常灯の薄明かりを背にして姿を現したのは、ジャージ姿の荒井と、グレーのスーツを着た花村先生だった。
二人の顔には明確な焦燥と、そしてそれを覆い隠すための怒りの色が入り混じって浮かんでいた。
「誰だ……! こんなふざけた電話をかけてきやがって! 卑劣な真似をする奴はどこだ!」
短気な荒井が、暗い教室の中を威嚇するように低い声で怒鳴った。
直斗は埃っぽい床からゆっくりと立ち上がり、月明かりの当たる場所へと姿を現した。
「……こんばんは。荒井先生。花村先生」
「滝沢、君……!?」
直斗の姿を認めた瞬間、花村先生が息を呑み、ヒッと短い悲鳴を上げて一歩後ずさった。荒井の顔が、驚愕からみるみるうちに赤黒い怒りへと染まっていく。
「お前か! そっちの暗がりにいるのは七瀬の妹だな! ガキのくせに、教師を呼び出してこんな悪ふざけをして……タダで済むと思ってるのか!」
「悪ふざけ? そんなつもりは一切ありませんよ。俺たちは極めて真面目に、先生方とお話をしたいんです」
直斗は一切の感情の温度を感じさせない冷たい声で言い放ち、スマホの画面を二人に向けて突きつける。
再生ボタンをタップすると、暗い教室の中で、スマホのバックライトが鮮やかに浮かび上がった。画面の中で、あの休日のバイパス沿い、悪趣味な城の形をしたホテル『レイクサイド』の駐車場に、荒井の青いSUVが吸い込まれていく映像が流れた。そして、周囲を気にするように助手席に乗り込む花村先生の横顔が、はっきりと確認できる。
「なっ……!?」
「ああっ……嘘……!」
大人二人の顔から、一瞬にして血の気が引いていくのが暗がりでもわかった。花村先生は口元を両手で覆い、ガタガタと全身を震わせ始めている。荒井の目は信じられないものを見るように見開かれていた。
「先生方。生徒には規律だのルールだの、中学生の本分を忘れるなだのと偉そうに説教を垂れておいて、裏ではこんな関係だったんですね。……既婚者の花村先生が、同僚の荒井先生と休日にラブホテルで密会。これが教育委員会や花村先生の旦那さんの耳に入ったら、一体どうなるんでしょうね」
「き、貴様……! ガキのくせにどこまで大人を舐めた真似を……それをよこせ!」
プライドをズタズタにされた荒井が逆上し、獣のような唸り声を上げてスマホを奪い取ろうと、直斗に向かって猛然と飛びかかった。




