第3話 青白い光の下で
北川先生の首には、絞められた跡があまりにも鮮明に残っていた。
布のような幅のあるもので、強く締め上げられた痕だ。皮膚はそこだけが恐ろしいほど濃い赤紫に変色し、周囲も不自然に土気色へと変わり始めている。まるで、生命が抜き取られたことを告げているかのように。
直斗の喉の奥から、乾いた息が漏れた。
身体が、一瞬で硬直する。北川先生に触れている手のひらから、氷のような冷たさが神経を逆流していく。
気絶なんかじゃない。
――死んでいる。
その理解が、直斗の脳を焼いた。
震える手を肩から離した、そのとき。
北川先生の長い髪がわずかに滑り、白い耳の下が露わになる。
そこにあったのは、黒い痣のような傷だった。
爪で激しく掻きむしったような、細く深い傷跡。そこから、暗い血がにじんでいる。
まるで最後の抵抗として、首を締める何かを必死に引き剥がそうとした――その痕のようだった。
その光景は、現実感を失い、まるでホラー映画の一場面のように、直斗の目の前でゆっくりと展開していった。
激しい吐き気が込み上げる。胃の中のものがせり上がってくるのを、奥歯を噛み締めて必死にこらえた。
恐怖と嫌悪に縛りつけられたように立ち尽くしていると、廊下の向こう、本校舎側の通用口から、慌ただしい足音が響いてきた。
「滝沢! 何があった!」
田中先生の緊迫した声が、鋭く飛び込んでくる。
だが、直斗は答えられなかった。
全身の筋肉が強張り、動かない。背を向けたまま、ただ北川先生の亡骸を見つめることしかできなかった。
「直斗……!」
遅れて駆けつけた麻衣も、言葉を失った。
その視線が、直斗の足元――床に横たわる北川先生の姿を捉える。
「あ……」
麻衣の青白い顔から、さらに血の気が引いていく。
田中先生でさえ、すぐには状況を理解できないようだった。顔はこわばり、普段の快活な表情は完全に消え失せていた。
「きゃああっ!!」
甲高い悲鳴を上げたのは、心配になって後から麻衣を追ってきた恵だった。
「星野、静かに!! ――滝沢、そこをどいてくれ!!」
田中先生は直斗を押しのけるようにして北川先生のそばへ駆け寄り、その身体を抱き起こそうとした。
だが、反応がないとわかるとすぐに手を止め、代わりに手首に触れて脈を確かめる。
そして、首筋に残された赤紫の痕を見た瞬間――
その表情が、絶望と、一瞬の戦慄に歪んだ。
「七瀬は職員室へ行け。誰か先生が残っていたら、すぐにここへ呼んでくるんだ――いや、待て。一人は危ない。滝沢と相沢も――いや、それでも……」
言葉が空回りする。
「……くそ、とにかく110番だ。いや、それは先生がやる」
こんなにも取り乱した田中先生を見るのは、直斗も初めてだった。
経験したことのない異常事態に、若い顔が強張っている。
「大丈夫です。わたし、屋上に戻ってみんなを――」
「待て、七瀬! まだ犯人が近くにいるかもしれない!」
部長としての責任感からか、麻衣は振り返り、新校舎へ戻ろうとする。
だが、その必要はなかった。
好奇心と不安に駆られた部員たちが、屋上から次々とこちらへ向かってきていたのだ。
足音とざわめきが、廊下の奥から近づいてくる。
それを見て、田中先生は小さく息をつき、諦めたように麻衣へ言った。
「……仕方ない。七瀬は生徒たちをまとめて、そこの空き教室で待機していてくれ。ここはできるだけ見せるな。先生は警察に連絡する」
田中先生は静かに立ち上がり、ポケットからスマートフォンを取り出すと、震える指で操作を始めた。
ほどなくして電話がつながり、緊迫した声で事情を伝える。
「はい、こちら……中学校です。旧校舎で……その、教員が倒れていまして。ええ、おそらく……亡くなっています」
そのやりとりを聞きながら、直斗は、暗闇の中を走り去っていく武の姿を思い返していた。
双眼鏡で見たあの光景が、悪夢のように何度も脳裏に蘇る。
――武が、やったのか?
親友の、あの武が。
――いや、違う。
犯行現場を目撃して、パニックになって逃げただけかもしれない。
だが、武はいつも異様なほど冷静な男だ。
犯人でないのなら、あの場から逃げる理由はないはずだ。
夜の学校は、一瞬にして変貌していた。
静かな天体観測の場は、恐ろしい犯罪の現場へと塗り替えられている。
屋上から見上げた無数の星々が、いまも頭上で瞬いている。
それが、どこか冷たくこちらを見下ろしているように感じられた。




