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星降る夜に君は死んだ  作者: 天代 朔
24/40

第24話  霧の向こうへ

 塾が終わったのは結局夜の九時近く。終了と同時に、直斗は誰よりも早く教室を飛び出した。

 夜の冷たい風を切り裂き、自転車を飛ばして家に帰り着く。リビングでテレビを見ていた母親に「ただいま」と一声かけただけで、二階の自室へと駆け上がった。


 机の上で、スマホはしっかりと充電されていた。

 震える指で電源ボタンを長押しする。

 ゆっくりと画面が立ち上がり、ロックを解除した瞬間――。

 ピロリン、ピロリンと、立て続けに通知のポップアップが画面を埋め尽くした。

 直斗は息を呑み、メッセージアプリを開いた。

 未読メッセージは、三件。


 一件目は、昨日の夕方、午後五時半。送信者は、武が母親から持ち出したスマホからだ。


『直斗、事件についていろいろ分かったことがあるから、直接話をしたい。時間がある時に電話をくれ』


 直斗の心臓がドクンと大きく跳ねた。事件について分かったこと? 武は真犯人の正体にたどり着いたというのか。


 二件目は、昨日の夜、午後八時。麻衣からだった。


『直斗、昨日は学校休んでごめんね。実は私も、直斗にどうしても話したいことがあるから。また明日、電話するね』


 麻衣もやっぱり何かを知っていたのだ。だとしたら、なぜ今まで相談してくれなかったんだ。


 そして、三件目。

 送信時間は、今日の午後五時十五分。武からだった。


『電話がないからもう待てない。警察もやばい。直斗、俺は、あの場所にいる』


「……なんだよ、これ」


 直斗の喉から、掠れた声が漏れた。

 急いで武から教えてもらった番号に電話をかけてみるが、コールするだけで出てくれない。メールでメッセージを送ってみたが、やはり返事は来ない。


 ダメか――


 もしかしたら武は、警察に居場所を探られるのを恐れ、もうスマホを捨ててしまったのかもしれない。

 続けて麻衣に電話をしてみたが、こちらもつながらない。風邪をひいているのだから、もう寝てしまったのだろう。

 

 しかし今は、麻衣より武のことが心配だ。

 昨日から今日にかけて、自分がスマホを取り上げられ、ただ苛立っていたその裏で、事態は急激に動いていらしい。せっかく連絡をくれたのに、結局武をたった一人で「あの場所」へ向かわせてしまった。


「でも『あの場所』って……」


 直斗は部屋の中をウロウロと歩き回りながら考えた。

 武が身を隠し、直斗も知っている場所。誰にも見られず、誰にも邪魔されない場所。

 自宅に戻ることはありえないだろうし、学校か? いや、事件以降、夜の学校は警察の巡回が厳しくなっている。ならば麻衣の家――それも考えにくい。

 直斗の直感が、それらの推測をすべて否定した。

 武にとって、特別な意味を持つ場所。他人を拒絶し、自分たち三人だけの秘密を共有した場所。帰りたくない子どもたちが、親から逃げて息を潜めた場所。そう考えれば、答えは明白だった。


「……森の秘密基地」


 直斗の口から、その言葉が自然とこぼれ落ちた。

 小学生の頃、直斗と麻衣、そして武の三人で作った、杉の木公園の奥にある森の秘密基地。あそこなら、夜になれば完全な闇に包まれ、誰も近づかない。武が潜伏し、直斗を待つには絶好の場所だ。


「行くしかない……!」


 直斗はスマホをポケットに突っ込み、部屋を飛び出そうとした。

 だが――足が止まる。理由も言わず、この時間から出かけることに優子が同意するわけがない。階段を下りて優子の目の前を通り過ぎ密かに外出することは難しい。

 問題はそれだけではない。夜の暗闇の中、森の奥にあるあの秘密基地に果たしてたどり着けるだろうか? 麻衣と武と最後に三人で行ったのは、たしか小学六年生の冬。中学生になってからは一度も足を踏み入れていない。ルートは覚えているが、木や草が生い茂って道が消えている可能性もある。


 ――無理だ。いますぐ秘密基地に行くことは諦めるしかない。


 直斗は大きく深呼吸して、気持ちを落ち着かせた。

 大丈夫、武ならばきっと今夜一晩くらい切り抜けられる。それにあの秘密基地の場所は三人以外誰も知らない。あそこなら安全だ。

 そう自分に言い聞かせ、直斗は目覚まし時計とスマホのアラームをセットしてベッドに入った。明日の日の出とともに起きて、学校が始まる前に秘密基地に直行するために。


♢ ♢ ♢


 直斗は、それからほとんど眠れなかった。ようやくウトウトしかけたところで、セットしたアラームが鳴った。

 窓の外はまだ白み始めたばかりで、分厚いカーテンの隙間からは、鉛色の薄暗い光が部屋の中に滲み出しているだけだった。アナログの壁掛け時計は、午前五時を少し回ったところを指している。

 寝不足なのに、奇妙なほど頭は冴えきっていた。ベッドから飛び起き、動きやすいジーンズと暗い色のパーカーに腕を通す。母親を起こさないよう、階段の軋む音さえ殺して一階へ下り、玄関のドアを音もなく開けた。

 外に出た瞬間、ひやりとした湿気が全身を包み込んだ。


 珍しく霧が出ていた。朝焼けの光が届かず、十メートル先の電柱さえぼやけて見えるほどだ。そのせいで、街全体が、まるで巨大な繭の中に閉じ込められてしまったかのように静まり返っている。遠くを走る車の音も、早起きの鳥の鳴き声も聞こえない。ただ自分の吐く息の白さだけが、生きている証拠のように空へ溶けていく。

 直斗は自転車を使わず、歩いて向かうことにした。霧で視界が悪すぎて、自転車だと万が一事故を起こしかねないからだ。


 杉の木公園までは、早足で歩いても家から二十分ほどの距離にある。だが、今日のその道のりは、まるで底なし沼を歩いているように長く感じられた。

 陽が昇るにつれ、霧は徐々に薄くなってきた。公園に着くと、荒れた園内には、錆びついたブランコや色褪せた滑り台が不気味に佇んでいた。小学生の頃、麻衣や武と毎日待ち合わせた場所なのに、今は見知らぬ異界の入り口のように見える。


 公園の奥、フェンスの途切れた場所から、鬱蒼と茂る森の中へと足を踏み入れる。

 途端に、空気の質がさらに一段階、重く冷たく変わった。

 三年間、一度も入ることのなかった場所だ。かつては子どもたちの格好の遊び場として踏み固められていた道も、今では背丈ほどもある雑草や、棘のある低木にすっかり覆い尽くされていた。

 それでも、一応進むことはできた。顔にまとわりつく蜘蛛の巣を払い、朝露でびしょ濡れになった草をかき分けながら、直斗は記憶の糸だけを頼りに奥へ奥へと進んだ。靴は泥に汚れ、ズボンの裾は重く水を吸っている。


「武……今、行くからな……」


 呼吸が荒くなる。薄もやが森の木々の間に滞留し、方向感覚を容赦なく狂わせてくる。同じ場所をぐるぐると回っているのではないかという錯覚に陥りそうになるたび、直斗は立ち止まり、目を閉じて昔の記憶を呼び起こした。

 あそこにある、二股に分かれた大きなクヌギの木。その横を通り抜け、斜面を少し下った先。

 帰りたくない子どもたちが、大人の目から逃れるために作り上げた、ちっぽけで、けれど何よりも安全だった「王国」。


 不意に木立が途切れ、ぽっかりと開けた空間に出た。

 見覚えのある小さな空き地。

 太い枯れ枝を不格好に積み上げて作った、あの秘密基地の小屋のシルエットが、緑の向こうにぼんやりと浮かび上がった。

 たどり着いた。

 直斗の顔に安堵の笑みが浮かびかけた、その瞬間だった。


 ――ギイィ……。


 風もないのに、頭上で何か重いものが軋むような不快な音が響いた。

 直斗は弾かれたように顔を上げた。


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