第22話 空虚な諍い
それを見た田中先生が、慌てて割ってる。
「よせよせ、二人とも。同じ部員同士争うのはよくない。門脇、まだ何も分かってないのに同級生を犯人扱いするなと言っただろう。 ――滝沢、つらい気持ちは分かるが、そうかといってこの先ずっと悲しみ続けるわけにもいかないだろう。亡くなった北川先生もそんなことは望んでないはずだ」
先生は二人を公平に諭すが、直斗の怒りは収まらなかった。
「だけど、俺と麻衣――七瀬部長は直接事件の現場を見たんです! 俺はともかく、部長はとてもショックを受けてました。だから、もう二度とこの校舎の屋上には上がりたくないと思います」
「そう言われると私もいろいろ考えてしまうが……。だが滝沢、さっき職員室に来た七瀬にこのことを少し話したら、とても喜んでいたよ」
「え……」
麻衣が……?
直斗は意外だったが、確かに麻衣は根っからの天文好き。昔から夜空の星を見ることを何より楽しみにしていた。
今あえて天体観測に没頭できれば、つらいこと嫌なことをすべてリセットできる――
もしかしたら、麻衣はそう考えたのかもしれない。
「……部長がそう言うのなら、いいと思います」
もう直斗に反対する理由はなくなった。
「そうか、わかってくれたか」
直斗の言葉に、田中先生はうなずき、にこやかな笑顔を見せて言った。
「みんな、悲しい記憶があるのはわかるが、前を向いて進むことも大切だ。……というわけで、観測会は三週間後に決行する。各自、準備をしておくように。今日はこれで解散!」
田中先生が颯爽と準備室を出ていくと、他の部員たちも三々五々、ホッとしたような顔で帰宅の準備を始めた。直斗は、一人蚊帳の外に置かれた気がして、すっかり脱力してしまった。
その時だった。
「おい、滝沢」
すれ違いざま、門脇がわざと直斗の肩に軽くぶつかり、吐き捨てるように言った。
「お前さ、妙に尾崎を庇ったり七瀬を守ろうと必死みたいだけど、こっちから見るとバカみたいなんだよ」
「……はあ?」
「気づいてないのお前だけだよ。七瀬が幼馴染だからって、悲劇のヒロインみたいに純情で真面目な女だと思ってるなら大間違いだぜ」
門脇の口元が、意地悪く歪んだ。
「あいつ、お前なんかより他の男に夢中だよ。裏でコソコソ何やってるか、せいぜい気をつけな」
「てめえ……!!」
怒りが一気に蘇った。
武を犯人扱いしたうえ、今度は麻衣を汚すような陰口。もう我慢の限界だった。
直斗は反射的に門脇の胸ぐらを両手で強く掴んだ。
「うおっ!?」
「適当なこと言ってんじゃねえぞ! お前なんかに麻衣の何が分かるってんだよ!!」
ドン! と鈍い音が図書準備室に響き、驚いた部員たちが悲鳴を上げた。直斗の目は血走り、本気で門脇の顔面を殴り飛ばそうと右の拳を振り上げていた。門脇も負けじと顔を真っ赤にして直斗の腕を掴み返し、二人はもみくちゃになって本棚にぶつかる。
「やめて! 滝沢センパイ、門脇センパイ、やめてください!」
一年の恵が泣きそうな声で間に割って入り、直斗の腕に必死にしがみついた。
「暴力はダメです! 先生呼びますよ!」
その悲痛な声に、直斗はハッとして拳を下ろした。荒い息を吐きながら、門脇の胸ぐらから手を離す。門脇は乱れた制服の襟を正しながら、直斗を憎々しげに睨みつけた。
「……野蛮なヤツだな。尾崎と親友なだけはあるぜ」
門脇は捨て台詞を吐き、カバンをひったくって準備室を出ていった。他の部員もあきれ顔で帰ってしまい、あとには直斗と恵だけが残された。
急に静かになった室内で、直斗は自分の手が微かに震えていることに気づいた。怒りだけじゃない。「麻衣は他の男が好きだ」という門脇の言葉が、猛毒のように心に広がっていた。
本当は、ずっと前から心の奥底で恐れていたことだった。三人でいる時、麻衣の視線が誰を向いているのか、気にしない ふりをして必死に蓋をしてきたが、直斗は、この脆い三角関係に長い間ひとり悩まされてきたのだ。
やっぱり、麻衣が想いを寄せているのは武なのか? 武も、北川先生ではなく麻衣のことが好きなのか? だから、俺にわざわざ「麻衣を頼む」と託したのか?
結局、自分だけが事情も知らず、ピエロのように空回りしていただけなのかもしれない……。
絶望感でその場に崩れそうになる直斗に、恵が慰めるように声をかけた。
「センパイ、なんか元気出してくださいよ」
「……ごめん。でも放っておいてくれ」
「門脇センパイも悪い人じゃないんですよね。ただ……」
「ただ、なんだよ?」
「ほら、センパイって三年で春に入部したばっかりなのに、いきなり七瀬部長とすごく仲良さそうにしてたじゃないですか。それがちょっと面白くなかったんだと思いますよ」
「……そういうことなのか」
「ま、まわりからすると、いちゃついているように見えなくはないっていうか……。あ、私は全然そんなこと気にしないですけど、ほら、七瀬部長って男子から人気ありますから」
「そっか、これから気を付けるよ」
そう答えながらも、直斗の胸にはただ虚しさとやるせなさだけが残った
嫉妬するのは勝手だが、麻衣が好きなのはおそらく自分ではない――
麻衣の気持ちに薄々気づいてしまった今となっては、何もかもむなしく思えた。
♢ ♢ ♢
西日が入る職員室。
直斗は一人、トボトボやってきて、半開きのスチール製の引き戸をノックして開けた。
きれいに片付けられた花村先生のデスクも、誰も座っていない。
「失礼します。三年の滝沢ですが、花村先生いらっしゃいますか?」
「――ん?」
向かいの席で採点をしていた年配の理科教師が、怪訝そうな顔を上げて直斗を見た。
「知らないのか? 花村先生なら、もう帰られたぞ」
「え……?」
直斗の声が裏返る。
「スマホを返すから、放課後に来るように言われてたんですけど……」
「あー、そうか。でも今日は教育委員会の方に用があるから早めに学校を出たよ。たぶんもう戻ってこないぞ」
「そんな……困ります。何とかなりませんか」
「悪いが無理だな。貴重品だからたぶん机の引き出しに鍵をかけてしまってあるんだろう。明日の朝、直接花村先生に言いなさい」
理科教師は興味なさそうに視線を書類に戻した。
直斗は唖然として、その場に固まってしまった。
早退した? 教育委員会?
表向きの理由はもっともらしい。教師の業務としても納得できるものだった。だが、疑心暗鬼に陥った今の直斗には、それすら別の意味に思えてしまった。
(……わざとか? 花村先生は中身の動画に気付いて、わざと返さなかったんじゃないか?)
武からの連絡は絶たれ、麻衣の心も分からない。天文部では一人で孤立し、その上さらに、須藤先生まで――。
頼れるものは、もう何もない。直斗は夕闇が迫り、不気味に静まり返った廊下で、ただ独り立ち尽くしていた。




