第16話 闇の中へ
武は夢中で話し続けた。
「先生が、倒れてた。駆け寄って声をかけたけど返事はなかった。どう見ても息はしてなかった。恥ずかしいが、俺はすっかりパニック状態になってしまったんだ。どうしていいか分からず呆然としていると、背後で物音がした」
「物音?」
「誰かがいた気がした。そいつは物陰で俺を監視してたのかもしれない。気配を感じて振り返ったけど、こちらからは何も見えなかった。だけどこれは罠だ、って直感した。俺を犯人に仕立て上げるため、罠にはめられたとな」
「罠? まさか、ウソだろ……」
「いや、本気で言っている。俺はその場から逃げ出した。そこに留まったら、確実に犯人にされると思ったからだ。廊下を走って階段を降り、反対側の出口から外に出ようとした。……その時だ」
武は少し眉間を寄せ、思い出すように視線を宙に泳がせた。
「旧校舎の教室の一室に、誰かがいるのに気がついたんだ」
「誰か……まさか、それが真犯人か!?」
「わからない。だが、あいつは俺に気づいて焦ってた」
「あいつって……誰だよ?」
「……荒井だよ。体育の、荒井先生」
「えっ!」
直斗は思わず息を呑んだ。荒井先生――。北川先生に執拗に言い寄り、直斗が最も疑いの目を向けていた男だ。
「間違いないのか?」
「ああ、あのガタイの良さは間違いない。ただ、荒井の隣に、もう一人誰かいたような気もするんだが、暗くてそこまでは見えなかった。とにかく俺はそのまま全速力で逃げた。……その時だろう、屋上にいたお前に見られたのは」
「おい、そのこと警察に話したのかよ!?」
直斗が身を乗り出して尋ねると、武は忌々しそうに舌打ちをした。
「一応な。でも鼻で笑うだけで、まともに取り合おうとしなかった」
「なんでだよ! それって超重要な証言じゃないか」
「荒井の野郎、普段から俺のことを目の敵にしてただろ。だから警察には『尾崎が逃げていくのを見た』って、証言したに違いねえ。そうなると当然警察は教師の荒井よりも俺が犯人だと思うだろ。それで終わりだ」
まるでミステリー小説の中の話だ。
だが、もし今の言葉が嘘だとしたら、北川先生を殺したのはやはり武だという最悪の結論に行き着いてしまう。
信じられないような出来事が重なり、何が真実か見失いそうになる。それでも直斗には、目の前の親友を信じる以外の選択肢はなかった。
「とにかく武、犯人はお前じゃない。だとすると北川先生を殺したのは荒井としか考えられなくないか? 事件現場でした物音も、荒井がたてたのかもしれない」
「わからない。俺も実際に荒井が先生を襲うのを見たわけじゃないからな」
「でも荒井は北川先生に気があったんだろ。それで断られてカッとなって――」
「ん!? 直斗、なんでそんなこと知ってんだ?」
武が少し驚いたような顔をして、聞き返した。
だが、直斗は、北川先生のフィアンセの佐々木からの情報だと、武には言いにくかった。
「いや、詳しいことは分からないけど、天文部の後輩からそういう噂をちょっと聞いたんだ」
「そうか……。しかし犯人が誰かであれ、そいつが俺に罪をなすりつけようとしていることは確かだ。――そう思うと最近学校でおかしなことが何度かあった」
「おかしなこと?」
「ああ。シャーペンがいつの間にか盗まれたり、体操着の上だけがなくなったり、そんなことが何度も起きた。どうせ俺を嫌ってる連中のいやがらせだと思って気にしてなかったが、もしかすると俺に罪を着せようとしている奴の仕業だったかもしれない。どうもそんな気がするんだ」
武は悔しそうに拳を握りしめ、塀を叩いた。
「俺は絶対に許さねえ。北川先生を殺した奴も、俺をこんな目に遭わせた奴も」
武は自分が犯人扱いされたことよりも、北川先生を殺されたことに憤り、怒っている様に見えた。
直斗は、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「武、一応聞いておくけど、気を悪くするなよ。実際お前、北川先生とはどの程度親しかったんだ?」
「……まあ、それなりにだ。北川先生は俺の家の話とか母親の話とか真剣に聞いてくれたし、心配もしてくれた。そんな先生、今まで一人もいなかったしな……」
武は一瞬、照れくさそうな表情を浮かべてつぶやいた。
「もしかしてお前、先生のこと――」
「アホ! 誤解すんな。あくまで生徒と教師ってだけだ。そんなふうに思われたら北川先生の名誉にかかわるだろ。それに、北川先生には学校の外で付き合ってる人がいたんだ。誰かは知らないけど、そのうち結婚するかもしれないって言ってた」
佐々木だ。
北川先生がそこまで打ち明けているとは、よほど武のことを信頼していたということだろう。
だが、もしこの話を他の生徒が聞けばどう思うか。教師への恋心。叶わぬ想い。そして、結婚の噂――
それらが絡み合えばどんな憶測でも生まれかねない。
「直斗、長くなったからそろそろ行くよ」
武は直人の肩に手置いて言った。
「俺は家を出て逃げる。警察に捕まったらそこで終わりだ。俺が犯人にされ、真犯人は闇の中だ。そうなる前に、俺自身の手でそいつを見つけ出す」
「おい、それはいくらなんでも無茶だろ! 警察だって、無実の中学生を捕まえるなんてことはないはずだ。学校のみんなにだって事情を話せば――」
直斗はそこで言葉に詰まった。正直に話したところで、警察や学校がすんなり信じてくれる保証などどこにもない。
数日前の門脇の容赦ない決めつけが脳裏をよぎる。あの空気を覆すには真犯人を捕まえるしかないと、自分自身も啖呵を切ったばかりではないか。
そんな自分に、捨て身の武を説得して止めることなどできない。
「いいか、直斗? 先生を殺した真犯人――そして俺に罪を着せようとしている人物は相当頭の切れる奴だ。多分俺を犯人するために、他にもいろいろ手をまわしているに違いない。だからそいつを逆に追い詰めるために、こっちも死ぬ気でいく」
「武……もしかしてお前、荒井以外に犯人に誰か心当たりがあるのか――?」
「なくはない。だが、まだ分からない。――直斗、これ、携帯の番号だから一応渡しておく」
武はパーカーのポケットから、小さなメモの切れ端を取り出した。
直斗はそれを受け取って言った。
「あれ? お前、携帯持ってなかっただろ」
「ああ、それは母親の携帯番号だよ。もう入院したからしばらく必要ないだろうと思って、お金といっしょにスマホを拝借してきた。ロック解除が誕生日で助かったぜ」
「そんなことして大丈夫なのかよ」
「スマホ持っていると警察に位置情報がばれるらしいが、奴らも俺の母親のまではさすがにチェックしてないだろ。入院したことも知らないだろうし」
「……なるほど」
「まあ、それでもいつまでも持っていると危険だから、用が済んだら捨てるつもりだ。だから、この番号で連絡が取れなくても気にしないでくれ」
「わかった」
「じゃあな、直斗。最後に会えてよかったよ。あと、済まないが今日ここで会って話したことは当分誰にも言わないでくれ」
武は周囲をもう一度見まわし、キャップを目深に被り直した。
「それはもちろんだけど――最後ってなんだよ!」
「気にするな。ただ俺はこれ以上お前を巻き込みたくないだけだ。……ただ、一つだけ頼みがある」
「なんだよ」
「麻衣だよ。麻衣のこと、守ってやってくれ」
その言葉に、直斗はハッとした。
「麻衣……あいつも心配してるぞ。お前のこと」
「知ってる。……だからこそ、今はあいつには関わらせたくない。麻衣はいつもは弱音は見せないが本当は繊細だ。俺なんかのことで傷ついてほしくない。それに、真犯人はまだ近くにいるかもしれない。俺をハメたような狡猾な奴だ。何をしてくるかわからねえ」
武は直斗の肩に手を置いた。その手は泥と汗にまみれていたが、力強く温かかった。
「お前だけが頼りなんだ、直斗。俺が戻るまで、麻衣を頼む」
「わかった。約束する。だけど、お前も麻衣に直接連絡してやってくれよ。たぶんあいつもそうしてほしいはずだ」
「……ああ、できるかぎりそうする。それと、もし俺が捕まるか、あるいは死んだら――」
「バカなこと言うな!」
死ぬだなんて――?
直斗は思わず声を荒げた。
「そんなこと言うなよ! 絶対に見つけて、戻ってくるんだろ!?」
「……ああ。そうだな」
武は少しだけ笑った。それは、かつて秘密基地で見せた、少年のような無防備な笑顔だった。
「じゃあな」
武は背を向け、路地を抜けだしどこかへ消えていった。直斗はポツンとその場に残された。自分と同い年とは思えないほど大人びて、頭のいい武。彼は行ってしまった。深い闇の中へ、たった一人で飛び込んでいったのだ。




