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星降る夜に君は死んだ  作者: 天代 朔
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第14話  新たな不安

 佐々木は肩をすくめ、淡々と答えた。


「ああ。仕事柄、一度聞いた名前はなるべく忘れないようにしているんだ。確か、家庭環境がかなり複雑で、気の毒な生徒だって言っていたかな。見た目で不良みたいに誤解されて学校では孤立しがちだけど、根はとても純粋で心の優しい子だ、ともね」

「……それ! まさに武です」


 麻衣が声を上げる。

 直斗も思わず笑ってしまいそうになるほど、的確な評価だった。


「生徒の個人情報だからそれ以上は詳しく話してくれなかったけどね。京子は彼と割と親しくしていて、何度も相談に乗ってあげているとも言っていたよ」

「何度も相談……!? 武が……?」


 直斗は耳を疑った。隣の麻衣も、信じられないというように目を大きく見開いている。教師なんか信用しないと思っていた武が、自分の内面を誰かに打ち明けていた――その事実は、今日聞いたどんな話よりも衝撃的だった。


「だからその噂はどうだろうね。私にはずいぶん無責任な流言に思えるが」


 佐々木はコーヒーを一口飲んでから、続けた。


「少なくとも京子はその尾崎って子のこと、信用していたと思うよ。昔から人を見る目はあったしね。それに君たち二人とも、その彼と親友なんだろう?」

「はい」

「じゃあそんな噂、気にすることないよ。京子がいない今、学校で味方になってあげられるのは君たちだけかもしれないしね。月並みだけど、友達はなによりも大切にした方がいい」


 佐々木の言葉を聞いて、直斗は少し胸が軽くなったのを感じた。

 北川先生が武の本当の姿をちゃんとわかってくれていたこと。それを先生の婚約者から直接聞けたことで、ここ数日ずっと張り詰めていた肩の力が、ふっと抜けていったのだ。


「ありがとうございます。……なんだかホッとしました」


 直斗が正直な感想を漏らすと、佐々木は柔和な笑みを浮かべ、飲み干したコーヒーカップをソーサーに戻した。カチャン、という硬い陶器の音が、会話の終わりを告げる合図のように静かな店内に響いた。


「いや、礼を言われるようなことじゃない。私の方こそ、つらい京子の事件のことを聞かせてもらえてよかったよ。……さて、これ以上引き止めてご両親に心配をかけてはいけないな。もう遅い時間だ」


 佐々木はそう言って懐からまた二枚名刺を取り出すと、その裏にボールペンでさらさらと何かを書きつけた。


「これは私のプライベートの携帯電話の番号だ。本当に済まないが、もし何か思い出したり、学校で気になる動きがあったりしたらいつでも連絡してほしいんだ。どんな些細なことでもいい」


 差し出された名刺を、直斗と麻衣はそれぞれ受け取った。裏には角張った几帳面そうな字で、十一桁の数字が並んでいる。それはまるで、真犯人にたどりつくまでの長い迷路の、一つの道しるべであるかのように思えた。


「わかりました。必ず連絡します」

「ああ、頼むよ。気をつけて帰るんだぞ」


 店を出ると、外気は昼間の雨で洗われたせいか、ひやりと冷たくなっていた。

 駅の改札へと向かう人混みの中で、佐々木は「じゃあ、私は電車で帰るから」と短く言い残し、手を上げて去っていった。その背中は、洗練されたスーツ姿でありながら、突然恋人を失った孤独な影を背負っているように見えた。


 佐々木の姿が見えなくなるまで見送ってから、直斗は隣に立つ麻衣に声をかけた。


「よかったな、麻衣。やっぱり噂は噂だよ。武は犯人なんかじゃない。北川先生も、ちゃんとわかってくれてたんだ」


 直斗の声は、自分でも驚くほど弾んでいた。心の奥底で、信じたい気持ちと裏腹に燻っていた小さな疑念。それを、佐々木がきれいに拭い去ってくれた気がしたからだ。

 だが、麻衣からの返事はなかった。


「……麻衣?」


 怪訝に思って横顔を覗き込むと、麻衣は歩道の敷石の一点を凝視したまま、微動だにしていなかった。

 喫茶店の暖色の明かりの下では分からなかったが、街灯に照らされたその顔色は驚くほど青ざめていた。先ほどまで佐々木の前で見せていた、武を擁護する時の熱っぽさは完全に消え失せ、代わりに得体の知れない不安が張り付いているように見える。その様子に、直斗の高揚感は急速に萎んでいった。


「おい、どうしたんだよ。気分でも悪いのか?」


 直斗が恐る恐る尋ねると、麻衣は首を小さく横に振った。視線は足元から動かない。短い沈黙の後、消え入りそうな声が漏れた。


「……ううん」

「え?」

「なんでもないよ……もう帰ろう」


 麻衣は視線を逸らし、話題を切り上げるように背を向けた。

 その態度が、直斗の心に大きな影を落とした。


「待てよ。様子が変だぞ」


 直斗が呼び止めると、麻衣はぽつりと呟いた。


「別に……ただ、武は北川先生に何を相談してたんだろうって思って」

「……え?」


 その考えは、直斗の中になかった。武は親のことや進路の不安を、教師である北川先生に相談していただけだと、当然のように思い込んでいたからだ。

 麻衣の声は震えていた。肩もわずかに小刻みに揺れている。そんな麻衣に、直斗はそれ以上もう何も言えなかった。

 駅前のロータリーには、仕事帰りの人々や学生たちが行き交い、クラクションやアナウンスの音が絶えず響いていた。だが二人の周囲だけ、まるで音が吸い取られたように静まり返っている。


 深まりゆく夜の気配が街を包み込む。湿った風が吹き抜け、二人の背中を撫でた。直斗はその場に立ち尽くしたまま、言葉にできない不安を新たに胸に抱えてしまった。



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