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星降る夜に君は死んだ  作者: 天代 朔
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第10話  セクハラ教師の疑惑

 校門を出たところで、直斗は周囲に誰もいないことを確認し、鞄からスマホを取り出した。本来、学校への携帯電話持ち込みは校則で禁止されていたが、こんな大変な日にわざわざ面倒な手荷物検査はないだろうと高をくくり、スマホを忍ばせてきたのだ。

 麻衣にメッセージを送るか、それとも直接電話をかけるか。一瞬迷った直斗だったが、思い切って通話アプリをタップした。


 呼び出し音は二度で切れた。


「……直斗?」


 耳に届いた麻衣の声は、思っていた以上にか細かった。風邪でもひいているのかと思うほど、息が浅く、言葉の端が揺れている。


「学校休んでたけど、体調、大丈夫か?」

「うん……ちょっと疲れていただけ」


 電話越し、遠くでドアの閉まる音がした。玄関だろうか。靴を脱ぐ気配、鞄を置く音。日常の音が混じるほどに、逆に現実感のない一日だったことを思い知らされる。


「学校、どうだった?」

「……部活は中止。先生たち、ピリピリしてた」


 直斗は簡単に、校内の様子をかいつまんで話した。武が犯人扱いされている噂も、麻衣が学校に来れば耳にするだろうから、もう隠すことはできなかった。ただし、犯行時間、直斗が武を目撃したことだけは、どうしても言えなかった。

 準備室でのやり取りや、洋祐の主張、田中先生の制止、そして自分が口走ってしまったことを、麻衣は静かに冷静に聞いていた。


「……直斗らしいね」

「そうか?」

「うん。止められても、やるって言うところ」

「まあね」

「でも、武が犯人なわけないから。その気持ちはわかるよ」

「うん、そうだよな!」

「ちょっと、声大きいよ」


 微かに笑ったような麻衣の声だったが、すぐに沈黙が戻る。


「麻衣は……警察、どうだった?」


 一瞬、通話の向こうが無音になる。電波が切れたのかと不安になるほど、長い間が空いた。


「……質問、いっぱいされた」

「どんな?」

「事件の夜のこと。誰といたか、どこから見たか、何時くらいだったか。何回も、同じこと」


 淡々とした口調だが、その裏に緊張が張りついているのが分かる。取り調べ室の灰色の壁、机越しの視線。想像するだけで、胸の奥が重くなった。


「犯人の顔は見てないって何度も言ってるのに、しつこかった」


 直斗は歩みを少し緩めた。校門から離れた歩道。夕暮れの街のざわめきの中で、スマホを握る手に力が入る。


「うん。それは俺も同じだった」

「私、何か間違ったこと言ってないかなって、ずっと考えちゃって。……本当に、全部悪い夢だったらよかったのに」


 電話口で、麻衣が小さく鼻をすする音がした。


「大丈夫だ。麻衣はちゃんと自分で考えてる。それだけで十分だ」


 根拠はなかったが、直斗はそう言った。少しでも麻衣を安心させたかった。

 しばらく沈黙が流れ、やがて麻衣がぽつりと言った。


「ねえ、直斗」

「なに?」

「……明日、学校行くよ」

「本当に?」

「うん。家にいても、余計に考えちゃうし。お母さんともなるべく顔合わせたくないし。普通に授業受けてた方が、少しは……」


 無理している、と直斗は思った。だが同時に、それが麻衣なりの踏ん張り方なのだとも分かった。


「よし、じゃあ、明日、朝、学校で」

「……うん、ありがとう」


 通話が切れたあとも、直斗はなぜか胸騒ぎが収まらず、スマホを握ったまま立ち尽くしていた。


♢ ♢ ♢


 翌日、鉛色の雲が低く垂れ込めた重たい空模様の中、直斗は重い体を引きずるように学校へ向かった。事件以来三日ぶりに麻衣と会えるはずなのに、不思議と嬉しさは湧いてこない。

 校門をくぐって新校舎の昇降口の段差を上がると、麻衣が自分の下駄箱の前で、上履きに履き替えようとしているのが見えた。


「麻衣!」


 直斗が声をかけると、彼女は肩をびくりと震わせて振り向いた。 案の定、顔色は悪かった。目の下には薄く隈ができ、いつもは凛としている瞳が、自信なげに揺れている。


「……おはよう、直斗」

「ああ、おはよう。……大丈夫か?」


 周りの生徒たちの目が気になり、声は自然と低くなった。二人の間には、一メートルほどの絶妙に「よそよそしい」距離がある。殺人事件の目撃者という共通の立場が、かえって見えない壁となり、二人の間に立ちはだかっているようだった。


「うん、なんとか。……行こう」


 麻衣は短く答えると、うつむいたまま歩き出した。昨日は電話であんなに話したのに、教室までの階段を上がる間、二人の間に会話はなかった。 

 校舎の廊下に、ただ二人の上履きが鳴らす乾いた音だけが響く。すれ違う生徒たちが、ひそひそと何かを囁き合っている。武の噂か、あるいは事件そのものの憶測か。直斗はそれらを振り払うように、前だけを見つめて歩いた。


 一時間目の英語の授業は淡々と進み、すぐに二時間目になった。時間割は体育。しかも担当は、よりによって体育教師の荒井だ。

 直斗の頭の中の隅には、昨日の放課後に恵から聞いた言葉が、ずっとこびりついて離れなかった。荒井先生が北川先生に言い寄っていた――確かに北川先生はかなりの美人で、教師らしくない洗練された雰囲気を持つ女性だった。

 男子生徒の中には、彼氏がいるかどうかを聞いたり、胸の大きさをからかったりと悪ふざけをする者もいたが、北川先生は大人の余裕でうまくかわし、本気で怒ることはなかった。その一方で、悩みや困りごとを抱える生徒の話には真剣に耳を傾けてくれると評判で、みんなの人気を集めていた。

 そんな魅力あふれる北川先生に、荒井が言い寄ることは十分あり得る話だった。


 グラウンドに出ると、湿気を含んだ生温かい風が頬を撫でた。頭上の雲はさらに厚みを増し、今にも雨粒を落としてきそうだ。

 そんな灰色の空模様とは対照的に、体育教師の荒井の声だけが、鼓膜を震わせるほど大きく響き渡っていた。


「おいおい、なんだその辛気臭いツラは! 事件だなんだと暗くなってても仕方ねえだろ! 体動かして、嫌な空気全部吐き出せ!」


 ジャージのズボンにポロシャツという軽装の荒井は、その逞しい胸板を張り、わざとらしいほどの快活さを演出していた。日焼けした肌に白い歯、精悍な顔立ちは、確かに一部の生徒や保護者受けが良い「熱血教師」のそれだ。しかし、直斗にはその過剰なテンションが、どこか空回っているように見えてならなかった。


「いつも通り準備体操から行くぞ! ほら、声が小さい! いち、に、さん、し!」


 生徒たちは気圧されたように従ってはいるが、その動きは鈍かった。荒井先生も教師なら、もう少し気分が沈んでいる皆の気持ちを考えてくれればいいのに――直斗は屈伸運動をしながらそう思い、さりげなく女子の列へ視線を向けた。

 麻衣は列の後方で少し俯き加減に柔軟体操をしている。相変わらず元気がなく、細い手足は見ていて痛々しいほどだ。精神的な疲労が体の動きの端々ににじみ出ている。そんな時、指導と称して生徒の間を歩き回っていた荒井が、麻衣の後ろで足を止めた。


「おいおい七瀬、全然伸びてないぞ。体がガチガチじゃないか」


 荒井の大きな手が、麻衣の背中に伸びた。ビクリと麻衣の肩が跳ねる。しかし荒井は気にする素振りも見せず、無遠慮にその華奢な背中に手を置くと、グイグイと強引に押し込み始めた。


「いいからもっと力を抜け。そう、それでいい!」


 指導という名目であれば、それは教師として正当な行為に見えるかもしれない。だが、直斗の目は誤魔化せなかった。荒井の手つきは、明らかに必要以上に執拗だった。背中を押すふりをして指先が腰のラインをなぞり、肩に置かれた手は二の腕の柔らかさを確かめるように不自然に長く留まっている。

 麻衣が嫌悪と恐怖で身を強張らせているのが、遠目にもわかった。彼女は小さく首を振り、逃げようとするが、荒井は「ほら、しっかり伸ばせ」と笑いながら、その体を抑え込むように密着している。


(あの野郎……!)


 直斗の体温が一気に跳ね上がった。血管の中で血が逆流するような怒りが脳天を突き抜ける。これは嫉妬か――いや違う。セクハラ教師に対する怒りだ。

 今すぐ駆け寄って腕を振り払い、その顔面を殴り飛ばしてやりたい。直斗は拳を握りしめ、一歩踏み出しそうになった。だが、足が止まる。ここで騒ぎを起こせば、麻衣はさらに注目を浴びてしまう。それに、今の目的は荒井を問い詰めることではない。北川先生との関係を聞き出すことだ。感情に任せて暴れれば、その機会を永遠に失うことになる。


 直斗は奥歯が砕けそうなほど強く噛み締め、深く息を吸い込んだ。 怒りを腹の底へねじ込み、理性を呼び起こす。

 その時、熱くなった直斗の頭を冷やすかのように、大粒の雨がぽつりぽつりと生徒たちの頭上に落ちてきた。雨はたちまち強くなり、校庭のグラウンドに黒く丸いシミを作っていく。この様子では、すぐにやみそうにない。


「これじゃあ外はダメだなあ。仕方ない、体育館に移動するぞ、みんな急げ」


 麻衣から離れた荒井先生は空を見上げ、生徒たちに向かって言った。みんなが急な雨に騒ぎながら、濡れないよう小走りに体育館の方へ向かう。

 直斗はその流れに逆らうように麻衣に駆け寄った。


「麻衣、大丈夫か?」

「う、うん」

「嫌な気分じゃない?」

「べ、別に――」

「あのさ、ちょっと悪いけど、先行ってて」

「え?」

「いいから。後からすぐ行くから」


 直斗は半ば無理やり麻衣を先に行かせると、グラウンドに一人残り、用具の片づけを始めた荒井先生に近づいた。

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