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エクスペクトパトローナム

 12月も中旬。吐息が白くなり、街の空気には冬の鋭さが混じり始めていた。緑と赤に染まったショーウィンドウや街路樹のイルミネーションが、街全体を浮きだたせている。クリスマスという言葉が持つ〝特別〟という魔法に、誰もが少しだけ浮かれているようだった。


 ふと、高校時代の聖書科の先生の言葉を思い出した。

――緑と赤の由来は、イエス・キリストが処刑された時に被っていた〝いばらの冠〟と、その時に〝流れた血〟なんだよ。――


 そして迎えた12月24日。この日の出勤は今までで一番、緊張しながらタイムカードを打刻したと思う。彼は今日、出勤しているのだろうか。もっと欲望を言うなら、同じ時間で終わりたい。


 なんと!今日出勤しているではないか!それも同じ時間終わり!


 歓喜が胸の奥から波紋のように広がった。〝うれしい〟この4文字ではとても足りなかった。もっと鮮やかで、もっと密度の濃い感情。その日の授業は、なぜかいつもより楽しく感じた。最後にご褒美が待っているかもしれないという期待だけで、こんなにも人はパフォーマンスを変えられるのかと思った瞬間でもあった。


 いつも通り授業を終わらせ、講師室に戻ると、彼がいた。それも2人きり。声をかけるしかない。理由もなくスイッチが入った。今話しかけなければ、一生後悔することになるよ…そんな天の声もあったのだろう。


――今日この後、ご飯食べに行きませんか?お腹すいちゃって。――


自分でも驚くほど、すんなりと言葉が出てきた。しかし、内心は手のひらがじんわりと汗ばむほど緊張していた。


 彼は、少し驚いた表情を見せた後、少しだけ笑って、うなずいてくれた。

この柔らかく穏やかな表情に私は引き込まれ、あっさりと心を持っていかれた。たった数秒の間に、自分でも気付かないうちに、心の扉が内側から音もなく開いていた。


 お店は決めていなかった。とりあえず、並んで歩きながら会話を繋げようと頭の中での〝質問ストック〟を次々に引き出していった。


――1人暮らしなんですか?――

――普段ってどんな風に過ごしていますか?――


彼は、私より1つ上の学年だったため、自然とです・ます調で、言葉遣いも丁寧になる。


 時間帯が遅いこともあり、開いているお店は少なかった。たまたま目の前に灯りがついていた炭火焼肉屋に入った。実は、七輪での焼肉は初めての経験だった。各々の好きなお肉を焼いて、取り分けて、普段の焼肉と何ら変わりないが、なぜか私には一生忘れないだろうという感覚があった。


 どんな話をしたのだろう。交わした会話の内容は、驚くほど他愛もないものだった。


――今日、どんな生徒さんをやったんですか?――

――あっ!○○さんか~私も1回だけやったことあるな~。――


本当に、どうでもいいような話。だけど鮮明に覚えている。


その中でも、強く印象に残っているものがあった。それは彼のこの言葉だった。


――この年末年始、父親の実家がある京都に帰って、その後、1人旅でもしようかなって思ってて。どこに行こうか考え中なんです。――


 私は何も考えずに、いや、神経細胞が稲妻のごとく駆け巡って勝手に答えを導き出したのだろう。

――え!そうなんですか!それなら広島来たらいいですよ!私もちょうど帰省しているので案内できます!――


 〝案内〟ってなんだ。ただ一緒に回りたいだけじゃないか(笑) そんなツッコミを入れる〝小さい私〟が頭の片隅で苦笑していた。


 私の突然の興奮ぶりと地元愛に驚いたのだろうか、彼は一瞬たじろいだようだった。でも、そんなに言うのなら…と前向きに考えてくれた。いや、考えさせたのかもしれないが。


――日程とかもろもろ連絡したいので、ライン交換しませんか?――


ようやく自然な口実ができた。緊張はしたけれど、流れに乗って言葉が出たのは救いだった。

そして彼もすぐにスマホを取り出し、連絡先を交換することができた。


しかしその後、すぐに〝悩める少女〟登場。さて、何を送ろう。最初はとりあえずスタンプ?スタンプといってもどんな?そんな葛藤をしているうちに、向こうからメッセージが。


エクスペクトパトローナム!


???

開いた画面には、ハリーポッターのスタンプ。

そもそもエクスペクトパトローナムってどんな意味だ?なにか意味があるんだっけ?調べてみる。なるほど、守護神を出すときの魔法なのか。どんな魔法だよ。


 昔、ハリーポッターを読むことを試みたが、第1巻の〝賢者の石〟でギブアップした身にとってはさっぱり。やっぱり、頑張ってでも読んでおけばよかったかなとも思ったが、残念ながら今でも読んでいない。


 焼肉のお礼をして、画面を何度も何度も見返した。たった数行のやり取り。スクロールをすればすぐに終わってしまう量なのに、まるで魔法にかかったみたいに、にやけた顔が暗くなった画面に映る。


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