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私が15になるまであっという間だった。
今までも本を読んだりしていたが、騎士学校に入るとなると更に学ぶことが沢山ある。新しい知識を頭に詰め込むのに必死で、時間は溶けて行く様に過ぎていった。
入学試験があるのは知っているが、果たしてどのレベルまで求められるのだろうか。
バリーは何故か試験内容を知っていたが、かなり昔の事なので今は基準が違うかもしれないと言っていた。
「というか、試験内容知ってるって事はバリーあなた......」
「さて、今日も稽古ですよお嬢様!」
バリーは確実に過去騎士をしていた経験があるのは明らかだが、本人が話したがらないのでそこは追及しないでおくか。
「はいはい、無理して体壊さないでね」
私に毎日稽古をしてくれるのは良いのだが、彼は張り切りすぎて節々に薬を付けた包帯を巻いている。本業に支障が出ては私も困るのだが。
「なんのこれしき!お嬢様が騎士学校に受かったら私も周りに自慢出来ますからね」
何をどう自慢するつもりなのかは分かりかねたが、彼がやる気ならそれを止めるのも失礼か、と私は苦笑いで今日も木刀を構えた。
*****
「おめでとうございます、お嬢様」
ズビズビと鼻を啜るバリーの肩をポンポンと叩く。
「ありがとね、バリー」
彼が涙脆いのは知っていたが、ここまで泣かれるとは。私は困り果て彼の肩を叩くしか無い。
「じゃあもう時間だから、またね皆んな。元気で」
私が学校の入学試験を無事パスしたというのに、見送ってくれる面々の中に家族の姿はない。だが使用人達が総出で来てくれているのでそれがただ嬉しく感じた。
「お嬢様も、お体には気をつけてくださいね」
「うん!行ってきます」
使用人たちの祝いの声を聞きながら私は小さい馬車へと乗り込んだ。貴族が乗る馬車には到底見えないが、学校へ私と数少ない身の回りのものを持っていくだけだ。充分だろう。
この世界に来て2年ほどで、私はこの体が生まれ育った家を出た。
******
「イヴ、おはよう」
「おはよー!サマンサ」
「もう、サムで良いってば」
騎士学校の入学式も無事終わり、授業が始まってから数日が経っていた。私と共に朝食をとっているのは同じクラスの女性騎士候補、サマンサだ。
赤茶の髪を高いポニーテールに結い、キリッとした顔を更に精悍に見せている。だが彼女が優しく、笑うと柔和な雰囲気なるのを私は知っていた。
クラスの中で数少ない女性騎士候補なので仲良くなるのに時間は掛からなかった。
「沢山食べなさいよ、あなた細いんだから」
「へいへーい」
サマンサはいつの間にか私のお姉さんの様な立場になってる。毎日3食食べられる事に驚いた私を見て私より驚いた顔をしていたのがほんの数日前だ。未だ年相応に見えない私の体を見て気の毒に思ったのだろう、毎回食事の時には良く食べろと進言してくれる。
田舎のおばあちゃんみたい、とは言わないでおこう。
朝から美味しいご飯が食べられる事に感謝しながら、のんびりしてもいられないので私達は手早く食事を済ませた。
騎士学校の授業は他の学校と何が違うのだろう。他を経験したことが無かったので私には分からない。一日の流れとしては、朝の食事を済ませ、座学を済ませたら広い敷地を走り剣や色々な武器を使った稽古が始まる。
座学の内容は最低限の教養と、歴史の事に触れる程度。1番重点を置いているのは政治だろうか。家の本で国謙立から大体のことは知れたが、最近の政治がどうなっているかは人から聞かないと分からない。周りの学生たちは座学が苦手な様だったが、私は先生が話す内容がとても興味深く、何より誰かから何かを学ぶと言うことが好きだった。
前の人生では純粋に学ぶことを楽しめなかったから。
「騎士に必要なものは何だと思う?」
座学担当の先生が生徒に問う。皆んな口々に「正義感!」「責任感」「人を守る力!」と答えていく。
「そうだな。それらも間違ってはいないが、更に大事なものは、恐怖心だ」
生徒たちの頭にハテナが浮かぶ。恐怖心。騎士とはかけ離れたものに思えた。
「そんなもの必要ないと思うだろう。だがもし恐怖心を持たずに何かを守ろうとするとどうなるか」
先生はそこで間を起き生徒たちの顔を見渡す。
「慢心が生まれ、それが油断となり大事なものを取り落とす。恐怖があるから様々な事に備え、対抗する準備が出来るのだ。それを忘れるな」
「「はい!!!」」
生徒たちは勢いよく返事をした。
*****
「終わった〜」
横に座っていたサマンサが伸びをする。今日の授業が全て終わり、陽が傾きかけていた。
「自主練して行く?」
少し眠そうなサマンサを肘で突きながら尋ねた。
「お、いいねーやろうやろう」
サマンサの縦長の瞳が夕陽でキラキラと輝く。彼女はトカゲ系の獣人なんだそうだ。私も最初見た時は驚いたが、クラスを見渡せば何人かは色々な種族の獣人が混じっていた。王都に近いので他種族の人たちが集まってきているらしい。
座りっぱなしだった体を動かそうと、私達は訓練場へと向かった。
*****
ーーーカン!カン!
木刀がぶつかる音が訓練場に響く。
「まだまだっ!」
私とサマンサの剣の実力は拮抗していたが、サマンサによれば私の身長が順調に大きくなればその拮抗も崩れるだろうという事だった。
「そこ!」
「わっ……」
油断した私の足が木刀で払われ、バランスを崩して数歩後ずさった。
「おっと、大丈夫か?」
背後から背中を支えられ何とか転倒は免れたが、体が斜めっていて何とも間抜けな格好である。
「うへ〜すみません〜助かりました」
私はヘラヘラと笑いながらパッと体勢を整え、支えてくれた人物に礼を告げた。
後ろに立っていのは少し長い黒髪を夕陽に輝かせた男だった。美丈夫と呼ぶのが相応しい、美しい顔だ。
「げっ」
少し遠くでサマンサが嫌そうな声をあげたのが聞こえる。
「げ、とは失礼だな〜サマンサ嬢」
男が苦笑し、自己紹介を始める。
「初めまして、クレイグ・ヒューレットだ。2年生だからあまり会う事はないだろうけど、よろしくね」
「あ、イヴリン・スウェイルです」
人好きしそうな柔らかい笑顔で微笑まれるが、何だか絵を見ているみたいだ。宝石の様な水色の瞳に私が映っていた。
「イヴ、そいつには近づかない方がいい」
いつの間にかサマンサが隣に来ていて私の肩を抱き寄せた。結構な力だったので勢いで足がもつれそうになる。
「な、なになに〜?やばい人なの?」
茶化して問うが、クレイグは見る限り普通の人に見えた。
「いろんな女に手出すので有名なのよ。そして性格も悪い」
まるで昔から知っている様な口ぶりだ。
「え、もしかして幼馴染的な?そういう?」
私の言葉を聞いたサマンサはさも嫌そうに眉間に皺を寄せている。図星だったようだ。
「ちっ、バラすんじゃねーよ。つまんねーな」
「イヴに近付くんじゃないわよ、見張ってるからね」
目の前の男は二重人格なのだろうか。先ほどまでの柔らかい雰囲気はどこへやら。今は怠そうに前髪を掻き上げ目付きまで悪くなっている。
「仲良いんだね〜」
ヘラヘラとそう言うとサマンサにギロっと睨まれてしまった。
「こんなのと仲良いなんて思われたくない。早くどっか行きなさいよ」
「はいはい、うるせーなー。トカゲ女。じゃあまたね、イヴちゃん」
クレイグはパッと笑顔を作り、私に手を振り去って行く。正直女にだらしないから、と言うよりサマンサの事をトカゲ女と呼んだことが気に食わない。追いかけて殴ってやろうか。
「ちょ、イヴどうしたの?」
いつのまにか木刀をすごい力で握りしめていた様で、手が白くなっていた。
「ううん、何でもないよ〜」
ハッとして笑顔を作る。
「そう?なら良いけど。そう言えば足痛くない?思い切り叩いちゃった」
サマンサが心配して私の足を見た。そう言えば木刀で足を払われた事をすっかり忘れていた。私は焦って顔を苦悶に歪めるフリをする。
「っあーー、地味に、地味に痛いけど全然平気!」
ガッツポーズをして笑って見せると、サマンサはホッとしたように笑顔になった。
騎士学校に来る前にバリーと稽古をする中で、私が最も意識したのが攻撃を受けた時の咄嗟の反応だった。攻撃を避けるのは大前提だが。
怪我の痛みに耐える事はあっても、大袈裟に痛がる事はした事がない。
痛みを我慢する性格。と言う事にしてしまえば演技をしなくて楽なのかもしれないが、そうしてしまうと私は怪我を負えば痛みを感じるという当たり前の事さえ忘れてしまいそうだった。
なので訓練の時などは痛みを大袈裟に表現するようにしているのだが、何だか他のスイッチ、何と言うか心のつまみもおかしくなってしまったようで。特別明るく振る舞おうとしている訳では無いのに何だか飄々とした態度になってしまう。生活に支障は無いので良いのだが。
夢の中で自分が自分じゃ無いような行動を取っているのを客観的に見ている様で少し恥ずかしい。
「今日はもう終わりにしよっか〜」
「そうだね、ご飯の時間も近いし」
サマンサに声をかけ2人で食堂に向かった。
*****
「イヴは進路決めた?」
訓練終わりのサマンサが汗を拭きながら私に問う。
季節は春に近づきつつあり、私達はもうすぐ3年生だ。この学校は3年制なので、今から就職に焦る者たちが増えるだろう。
「うーん、まだ決めてないや」
成績が優秀なものは王城で仕える選択肢もあるのだが、私は生憎成績が特別良い方では無い。剣や座学は人並みに出来るのだが、乗馬は経験が少なくクラスでも実力は下の方だ。
「悩むよね〜親には結婚する気無いのかとか言われ始めちゃったし、憂鬱だわ」
サマンサは騎士を目指すと決めた時に散々親から反対されたらしい。親と仲が良くても何かと苦労をするんだな、と私は他人事に思ってしまった。
しかしサマンサは成績優秀だ。王城で働くなり、好きな進路を自由に選べるだろう。
「お前たち!次は座学だろう!早く準備をして教室に行きなさい!」
厳しい声が飛んでくる。強面で有名なトレディン先生だ。
「先生〜そんな怒んないでくださいよー、今行きますって」
ふざけたように返す。学生はみんな先生の事を怖がっているが、私は特に恐怖を感じることも無かった。それが尊敬の念を感じられないと先生方を更に怒らせてしまうこともあるが、今のところ成績に響いている様子は無い。
「スウェイル!駆け足!!」
「はーい!おーこわ!サム!行こ!」
「し、失礼します先生!」
私のせいでサマンサにも先生の怒りが飛び火するのは流石に申し訳ないので、私はサマンサの手を取り教室へ駆けた。
「廊下走ると危ないぞ〜」
教室の入り口でクレイグに声をかけられた。1年の時に彼と会ってから、結局ちょくちょく顔を合わせている。あまり会う事はないと言っていたのはなんだったのか。
「はーい。邪魔なんでどいてくださーい」
クレイグには笑顔を向ける必要もないので真顔で横を通り過ぎる。
「冷たいじゃんイヴちゃん〜」
肩を組んでこようとするが、腕が触れる前にくるりと体を半転させ避けた。
「授業が始まるので、ぜひお引き取りを〜」
バカにする様な態度で腕をしゃなりとさせる。
「そうよ、早くどっか行って」
サマンサも加勢してクレイグを追い払おうとするが、当の本人は帰ろうとする気配がない。
「俺はもう卒業で授業も無いから暇なんだよね〜」
そう言いながら教室の中の女子に笑顔で手を振っている。教室から黄色い歓声が上がった。
「まぁそっちの事情は知らないけど、私達は授業あるから、じゃあね」
会った当初は敬語で話していたのだが、今は3人ともタメ口で話す様になってしまった。彼も気にしていなさそうなので別に良いという事にしておこう。
2人で教室に入るが、周りの女子からの視線が痛い。クレイグは良く私たちと話しているので、仲が良いと思われているのだろう。こちらとしては関わりたくないのだが、たまに嫉妬した女子から嫌がらせを受けることさえある。迷惑な話だ。
「騎士ってもっとかっこよくて誠実なのを想像してたんだけどな〜」
言外にクレイグのことを愚痴る。
「そうね〜。でもあいつはお父さんの仕事を手伝うから騎士にはならないらしいよ」
「え、そうなんだ」
てっきり騎士になって女の子を漁り放題、なんて所かと思ってたのでサマンサの話は意外だった。
彼の父親の仕事が少し気になりはしたが、私には関係ないか、とサマンサには何も聞かなかった。